第20話決戦は地下で その2
扉の先は先程と同様にコンクリートの壁が続いていたが、中の様子は頼人たちが驚くものだった。充分に光る照明の下、彫像や墓石に使うであろう加工前の石がいくつも並べられていた。
生活感は微塵もない、作業場のような作りの部屋だったが、石を加工するための道具は一切なく、ぽつりと置かれた木製のテーブルだけが微かにそれを匂わすだけだった。
「美術館に来たみたいだ。見ろよ、これ本物の人間みたいじゃないか?」
頼人は男性を象った彫像に近付いた。何かの職人のような格好をしているその男性の像は出来が良い、という言葉では足りないほどに人間の形を完全に再現していた。顔や服の皺、表情を取っても恐ろしくリアルだ。頼人はその像に見入ってしまっていた。
「ここにも誰もいないみたいね。と言っても、怪しさマックスな部屋だけど」
花凛が辺りを見回す中、杏樹は像を間近で見ている頼人の方へと歩んでいった。そして、頼人と並んでその像を凝視した。
「御門さんもこの像、気になる? 凄く出来が良いよなあ」
「出来が良い……そんな言葉で足りるでしょうか。これはまるで……」
「諸君は石が好きか?」
頼人たちは一斉に声のする方に向いた。視線の先には長身の眼鏡を掛けた男が立っていた。
「石は好きか? 私が思うに、嫌いではないはずだ。嫌いだったら、常に肌身離さず持っているような真似は出来まい」
全員が身構えた。間違いなくこの人物は敵だと確信した。男は余裕のある笑みを浮かべて言葉を続けた。
「私も石には造詣が深い。どのような石にも役割があり、果たすべき命があるのだ。諸君のそれらにも当然背負っているものがある。仕える主のために、自らの生命を削って全うしている。健気だ、なんと健気なのだ。諸君らは彼らに報いることが出来ているか? 彼らを敬っているか? 無駄か、無駄だな。そんじょそこらのガキに分かるはずがないか。いいさ、それで。どうせお前たちはここで役割を終える、それが私の役割だから。お前たちは私の目的の一部でしかないから。もう何も考える必要はない。何も思うこともない」
「なに訳分かんないこと言ってんのよ。あんたはあの強盗団の仲間なの?」
強気な口調で花凛が尋ねた。男は口元に笑みを残したまま、眼鏡を外して答えた。
「冥土の土産に教えてやろう。私の名はロック。ご明察の通り、諸君をさんざん付け狙っていた者たちの仲間。そして彼らを束ねる役割も与えられている。まさか、諸君が我々の隠れ家に来るとは思ってもみなかった。おかげで手間が省けるというものだ」
長身の男、ロックが言い終える直前に花凛はロックに向かっていった。走りながらストーンホルダーに手を入れようとした時、花凛の腕に異変が生じた。指先から感覚が薄れていき、自分の意思を受け付けなくなった。ふと目を向けると、手が徐々にセメントのような物に蝕まれ、固まっていたのだ。
「下がれ、獅子川!」
紅蓮は吼えるように言うと、手のひらに火の理を集中させ、ロックに向けて射出しようとした。だが、またしても異変が起きた。それは頼人たち全員が感じた多大なる異変だった。
耳の奥に歪で不快な音が差し込まれるように入ってきた。射出準備に入っていた紅蓮はその音に耐え切れず、手のひらの炎を維持できず消失させてしまった。
耳を塞いでも、その音は指の間から滑り込んで頼人たちの脳内を駆け巡った。この妨害音の中、平然としているロックは手にしていた眼鏡をもう一度掛けて、ほくそ笑んで言った。
「抵抗などさせはしない。ゆっくりじっくり舐るように、お前たちを価値高き一品に仕立てあげよう!」
ロックが頼人たちににじり寄ってきた。反撃の手段が見つからない上に、それを考える猶予もない。絶体絶命の窮地に立たされる中、杏樹は耳から手を離し、ストーンホルダーから素早く何かをばら撒いた。
ロックは天から降り注ぐそれに目を奪われた。ひらひらと花びらのように舞う紙。それは紙幣の桜吹雪だった。数えきれないほどの紙幣はロックを下等な生物種に貶め、地面に這いつくばらせた。
「今のうちに、こちらへ!」
杏樹の合図によって、頼人たちは部屋の奥に走っていった。そこにはぽっかりと円形に空いた通路が続いていた。その先が安全である保証は一切なかったが、頼人たちの取れる選択はこの道を進むことだけだった。振り向く余裕もないまま、通路に入っていった。
「もーなんなのよ! 手は石みたいになっちゃったし、変な音はまだするし!」
真っ直ぐに続く通路を走り抜けながら花凛は苛立ったように叫んだ。
「分からないことばかりですが、ピンチは脱したようですわ。私の見立て通り、彼奴らは往々にしてお金に目がないようで。用意していて正解でしたわ」
「しかし、どうする? 凌げはしたものの、あいつも長くは誘引されないだろ。こちらも打つ手を考えなければならん」
「一にも二にも、まずはこの音を止めなきゃな。これの所為で理が使えないんだから」
「じゃあ、この音を出してるヤツを探せばいいわけね。この先にいてくれればいいんだけど」
花凛が言い終えたタイミングで通路に変化が現れた。一本道だった通路に横道が伸びた。
「分かれ道か。面倒な選択をさせられるな」
「悩むまでもありませんわ。二手に分かれましょう。さあ長永くん、わたくしと……」
「花凛、俺たちは真っ直ぐ行こう!」
杏樹の誘いを聞く間もなく、頼人は花凛を指名した。それに驚愕したのは杏樹だけではなく、花凛もだった。
「う、うん。じゃあ杏樹と紅蓮ちゃんはそっちの方からよろしくね」
「了解だ。お前たちも抜かるなよ。行くぞ、御門」
「え? ちょっ……わ、分かりましたわ……ええ……」
戸惑いながらも、紅蓮に連れられていくように杏樹は横道に入っていった。名残惜しそうに後ろを振り返るも、無意味だった。
杏樹たちと分かれて間もなく、頼人と花凛はまたしても分岐点に差し掛かった。今度は前方と左右に分かれた十字路だった。
「こりゃどれか1つの道は行けないわね。頼人はどの道に行く? 先に選んでいいよ」
「何言ってんだよ、一緒に行くぞ。ほら、こっちだ」
花凛の石化していない腕を引っ張って、左の道に進んだ。先程から頼人に異変を感じていた花凛は隠すことなくそのことを尋ねた。
「ねえ頼人、さっきから様子が変よ。何か悪い物でも食べた?」
「変じゃない。腕がそんなふうになってるのに1人にはさせられないだろ」
「でも、杏樹たちと分かれる時はなんでわざわざあたしを選んだの? 別に誰と一緒だって同じ気はするけど」
「まあそうかもしれないけど、一緒にいないと不安になるじゃないか」
頼人が真面目にそう言い切ると、花凛は茶化すように笑った。
「おいおい、人が心配してやってるのに笑うことないだろ」
「いや嬉しいんだけどね、頼人が言うとなんかマヌケなのよねえ。まあいいや、そんなにあたしのことが心配なら、一緒にいてあげる。だから手離して?」
頼人は花凛の腕を開放した。それからは花凛が頼人の後ろに付いて、通路を駆けていった。
暫く走っていると、通路の先に扉が現れた。道はその扉にしか繋がっていなかったので、突き進み、その中に入るしかなかった。
頼人はノブを強く回して、扉を開けた。扉の向こうは簡素なベッドが1つ置いてあるだけの小さな部屋だった。
「なんとまあ、地下で生活してたってわけね」
「あっちにまた扉がある。行ってみよう」
花凛は頼人に付いていきながら部屋をよく見回した。ベッドに近づいてくると、毛布やシーツを引剥がして音の発生源を探したが、それらしき物はなかった。
「花凛、もう行くぞ」
「はいはーい。ちょっと待ってね、っと」
いつの間にか扉を開けていた頼人に急かされながらも、ベッドの裏を確認して、完全に捜索を終えてから頼人の元に向かった。
「お待たせ……あー、また通路を行くかんじかあ。アホみたいに広いわねー」
「広いから元凶を探すのも一筋縄ではいかないみたいだ。あの男に追いつかれる前になんとしてでも見つけ出そう」
頼人と花凛は再び通路を駆けていった。道中何度も分かれ道が現れ、いくつもの小部屋に辿り着くも、音の元凶は姿を見せなかった。そしてとうとう、恐れていたことが起きた。
よく分からない資料が詰まった棚がある小部屋を調べ終えて、部屋を出ようと扉に近付いた時、頼人がノブに手を掛ける前に扉が開いた。扉の先には、あの長身の男、ロックが立ちはだかっていた。
咄嗟の判断で花凛は頼人の腕を取り、もう1つの扉の方へ逃げた。ロックは逃げる花凛たちに動じる様子はなく、意味深に眼鏡を外して花凛たちを眺めていた。部屋から出ていくのを見届けると、眼鏡を胸ポケットにしまい、足早に追っていった。
頼人と花凛は互いに後ろを気にしながら、逃げることだけに集中して薄暗い通路を駆けていった。迷路のように複雑に入り組んだ道は、自分たちのいる場所を把握させようとはせず、似たような風景に錯覚を起こして混乱を誘う構造だった。後方からは人影は見えてこなかったが、何処からかコツコツと靴音が鳴り、不快な雑音と交じって頼人たちの耳を一層刺激した。
本能と直感によってこの迷宮を逃げまわっていたが、此処は相手の庭のようなものだ。頼人たちが逃げきれる、と思っていてもロック側からは追い詰めているという事実しか存在していない。2人が曲がり角を勢いよく曲がった先に、ロックが待ち構えているのも当然と言える結果だった。
2人は踵を返して逃走した。元の道は直線が長く続いていたので、ロックに理を使われると厄介だった。勿論、ロックはそれを織り込み済みで回りこんできていた。展開としては、ようやく攻防戦が繰り広げられることとなる。
花凛は自分より足の遅い頼人を前に走らせ、後方からの攻撃に備えていた。手負いとはいえ、頼人に守られているだけにはいかない。むしろ、無傷の頼人を守る役目があると自覚していた。そして守るだけではなく、ロックのパーソナルを暴く必要もあった。
後ろから迫る足音の間隔は短くなっていた。見える人影の手にはメダルらしきものが収まっている。その色が判別できる距離ではなかったが、繰り出される攻撃でどの属性か分かるはずだ。花凛は攻撃の来るタイミングを見定めていた。
しかし、ロックは一向に攻撃をする素振りを見せなかった。射出系の攻撃はしてこないのだろうか。ということは発生によって不意打ちを狙ってくるのだろうか。花凛が思考を巡らせていると、突如下背部に違和感が生じた。
白く柔らかい布地のブラウスが接着剤でも塗られたかのように固まっていた。よく見ると、それは自分の固まってしまった腕と同様に、石のようになっていた。少しずつ広がる石化を止めるため、花凛はブラウスの下部分を力を込めて引き裂いた。
石化部分を巻き込んで分裂したブラウスを、花凛は苦し紛れに後ろに投げつけた。重量を得たその布は思いの外に遠くまで飛び、ロックの不意を突く形になった。到底届き得る距離ではないのだが、ロックはそれに怯んでいた。
花凛は石化の対処に追われながらも、その様子を見逃さなかった。だが、現段階ではそれの意味を考える所まで頭が回らなかった。
「花凛、大丈夫か?」
頼人の呼びかけで花凛は正面に顔を戻した。
「うん、なんとか防げたみたい。やっぱり、あいつの能力は石にする力みたいね。問題はどうやってその能力が発動してるのかってことだけど、まだなんにも見えてこないわね」
「それが分かれば、攻める手を打てそうだな。でも、この雑音を止めるってことを先にしないと」
「幸いあいつはあたしたちの方に来てくれたから、音のことは杏樹たちに任せるしかないわね。それまでに、無事に逃げ延びるってのがあたしたちの仕事かしら」
一本道だった通路に分岐点が現れた。頼人たちはロックの視界から外れるように道を曲がった。
「こっちの体力がなくなる前に、止めてくれることを祈ろう。あと、花凛のお腹が冷える前に」
「ハッハー、当分余裕そうね。走りこみに付き合った甲斐があったわ」
花凛は頼人を抜き去り、先を走った。少し速度を上げてみたが、遅れることなく頼人も付いてきていたので、花凛は満足そうに笑みを浮かべた。
頼人たちと分かれた杏樹と紅蓮。異音に苛まれている所為か、はたまた頼人と離れてしまったからか口数が少ない杏樹を紅蓮は並走しながら横目で気にしていた。
杏樹の感情を物語る表情は、紅蓮には解読が困難だった。唯一読み解けるとしたら、杏樹は今、気分が良くないということだけである。ならば、その気分を害する原因を突き止めるのが優しさであろうと考え、声を掛けた。
「おい、大丈夫か?」
簡略な気遣いであったが、それが精一杯だった。未だに杏樹との距離感が掴めていないため、どう接するのが正しいのか分からずにいた。
「……心配される要因が見当たらないのですが? わたくしはいつも通り、平常心を保っておりますわ」
それが強がりであることは察することが出来る。しかし、同時に紅蓮の気遣いと介入を拒絶する強さもあった。
「そうか」
紅蓮は深入りをしようとはしなかった。自分への信頼感の薄さが壁となっているのだろうと考え、今後の信頼を厚くしていくためにも杏樹の言葉を鵜呑みにして流すことにした。
「今はただ、この雑音を止めることだけを考えていれば良いのです。これさえ止めてしまえば、何も恐れることはないのですから」
杏樹は自分に言い聞かせるように呟いた。絶え間なく耳に入ってくるこの音が、自分たちの全ての能力を奪っていた。試しに紅蓮は源石から理を取り込もうとしてみるが、やはり上手くいかなかった。
「この音も理の力によるものなのか」
「理、というよりもパーソナルの力のように感じますが、どちらにせよ音の発信源を見つけても安々と止まる気はしませんわ。危険は覚悟して臨まなければなりません」
「敵の根城に来たんだ。危険は承知している」
その言葉に偽りはなかった。だが、未だにその危険の全貌が見えてこない。危惧すべきはロックと音を出す人物だけではない。紅蓮は微かにあの女と再び相対することを予感していた。
長く続いた一本道も漸く終わりが見えてきた。突き当りが迫り、道が二手に分かれていた。
「また分かれ道ですか。それにしても、一介の個人が所有する地下施設にしては広すぎますわね。違法に増設した施設だとして、何を目的としているのやら」
「それで、どっちに進む? 理を使えない以上、単独行動は避けたいところだが」
足を止めることを嫌った紅蓮は急かすように言った。杏樹も紅蓮の意見には同意なのか、反論することなく左右に伸びる通路に目を向けた。
「どっちの道だ? 右か? 左か?」
「少し黙っていただけます? 音がどちらから来ているのか判別しているんですから」
「音の強弱なんて最初から今まで全く変わってないぞ」
「いいえ、変わっていますわ。ずっと耳に入ってきているから、それに気付けていないだけですわ。よーく耳をすませば、音が強まっているのが分かる……気がします」
「大した根拠だ……」
半ば呆れたように言うと、杏樹が道を指し示すのを待った。どうせすぐに音を上げて山勘で行く道が決まるだろうと紅蓮は思った。そして、思った通り、杏樹は10秒も保たずに答えを示した。
「……此方ですわ! 間違いなく此方の道から音は聞こえてきています」
杏樹が指差したのは右の道だった。ともあれ先に進むことが出来るのだから、最小限の不満で済んだ時間だった。紅蓮に目もくれずに右の道に行こうとする杏樹の後を、紅蓮は細い溜息を吐きながらついて行った。その直後、背後から何かが襲ってきた。
紅蓮の脇を掠め、杏樹の腕にそれは絡みついた。紅蓮は背後に視線を向けた。杏樹に絡みつくゲル状の糸が選ばなかった道の先に続いていた。
「これはあの時の……やはりいましたか。仕方ありませんわ、大田島くんはこの道を行ってくださいまし」
杏樹は落ち着いた様子で言った。攻撃を受けていない紅蓮の方が動転しているようにさえ見えた。
「しかし……どうするつもりだ? このままではお前は……」
「これとは一度戦って追い払っていますので、なんとでもなりますわ。足踏みしてる暇はありません、さあ早く!」
「……分かった。後で助けに行くから、待ってろよ」
そう言葉を残して、紅蓮は杏樹を追い越して走っていった。無力な自分が歯痒かったが、これが最善手なのも重々承知していた。紅蓮は後ろを振り返ることなく、ギラつく眼差しを正面に向けてまだ見ぬ音の元凶を追っていった。
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