第19話決戦は地下で その1

 紅蓮がウィッチと交戦して幾日が経った。あれから彼ら強盗団が接触を図ってくることはなく、また世間的にも強盗団の存在は薄れてきていた。


 季節も夏の始まりに突入し、頼人たちは制服を夏の仕様へと衣替えしていた。暑さが強まる一方で、頼人たちがのんびりと気兼ねなく過ごしていたあの場所が唐突に返還された。


「杏樹、いったいどんな手品を使ったのよ」


「ふふふ、手品なんかではありませんよ。誠心誠意、真心を込めて、生徒会長殿に懇願しただけですわ」


 杏樹はそう誤魔化して、日差しを遮るパラソルの下で優雅に食後の紅茶を啜った。


 屋上の風貌は以前と変わっていて、コンクリートとフェンスと杏樹の私物のテーブルセットしかなかった殺風景な場所だったのに、幾つか植木鉢が並び、色とりどりの花が屋上を鮮やかに彩っていた。この花々について杏樹に尋ねると、


「一種の屋上緑化みたいなものですわ。まあこの程度ではその恩恵にあやかれるはずもないですけれど、形としてそうであれば良いのです」


 などと頼人たちには伝わらないことを言った。しかし、これのおかげで再び屋上を利用できるようになったのだろうと、各々予想することが出来た。


 おまけにこの屋上を利用できるのは自分たちだけというお墨付きも貰ったらしい。当然のように屋上の鍵を持っていた杏樹は誇らしげに語る。


「これからはこの屋上はわたくしたちの庭園になるんですのよ。依然より遥かに大きな自由を得ることが出来たのです。皆様も存分に寛いでくださいまし」


 そういう訳で屋上は彼らの秘密の花園と化したのだ。頼人や紅蓮からしたら、あちこちに植木鉢があるので遊び辛くはなったが、それでも快適に過ごす場所としてこれ以上ない環境だった。


 しかし頼人たちは杏樹の言葉通りに寛ぐ心境にはなっていなかった。姿を現さなくなったとはいえ、自分たちは標的にされていて、常に緊張状態を保たなければならなかった。


 呑気に紅茶を飲む杏樹の隣で、花凛は険しい顔をしていた。その様子に気付いてか、杏樹は片手にティーカップを持ちながら、花凛に話しかけた。


「あら、浮かない顔してどうしましたの? 折角わたくしたちの庭を取り戻したのですから、もっと喜んでくださいな」


「うーん……屋上のことは良かったねって感じだけど、やっぱりあいつらのことがどうしても頭から離れないのよ」


「あー、あの野蛮な連中ですか。確かになりふり構わず襲ってくるようですけれども、それほど脅威だとは思えませんわ。わたくしのパーソナルと長永くんのパーソナルがあれば、何処から湧いて出てこようとも軽く一捻りですわ」


「あいつらだってパーソナル持ってるのよ。こっちは2人しか持ってないのに、向こうは少なくとも3人は持ってる。数の上じゃ負けてるわね。それに黒いメダル、あれがすっごくやばそうなんだから」


「黒いメダルですか……それを見たのは花凛さんだけですけれど、あなたの言うように強大な力がある代物とは考えにくいですわ。まあ、それを勘定に入れようと入れまいと、パーソナルの質で戦力は勝っているのですから問題はありません」


「オレが戦ったウィッチとかいう奴は優秀なパーソナルを持っているようだったが」


 新たに設置された2人掛けのベンチを1人で占有している紅蓮が話に割って入ってきた。杏樹は紅蓮に目もくれずに言葉を返した。


「詠唱のパーソナルでしたか? あんなものは呪文を唱えられる前に止めてしまえば何の役にもたちませんわ。先手を打ってしまえばそのウィッチとかいう御仁も容易く無力化できるでしょう。まったく、あなた方は見た目に似合わず心配性にもほどがありますわ」


「呑気なヤツがいたら自然と心配にもなるわ、ったく。とにかく、あんま油断しちゃダメよ。常にストーンホルダーは装備して、周囲に怪しい人物がいないか確認して、それと……」


 杏樹は花凛の小言を掻き消す大きな溜息を吐いた。そして、少し苛立った様子で言葉を続けた。


「なんで毎日毎日、毎時毎分毎秒、気を張らなければならないのです? もう馬鹿馬鹿しくてやってられませんわ!」


「御門さん、落ち着いて落ち着いて!」


 声を荒げる杏樹を頼人が宥めた。しかしその効果はなく、杏樹はティーカップを荒々しくソーサーに置いて、一同を睨みつけてから言った。


「わたくしたちの平穏をかき乱す輩……彼奴らを恐れるのならさっさと叩き潰してやれば良いこと。ただ彼奴らが現れるのを待ってても、事態は一向に進みませんわ。此方から攻め込む時が来たのです。さっさと彼奴らを倒して、皆さんの杞憂も何も消滅させましょう!」


 その気迫に一同は気圧されていた。その中で、頼人は遠慮がちに杏樹に話しかけた。


「とっても良い考えだと思うけど、あいつらの居場所は分かってないから難しいんじゃないかな」


「……確かに長永くんの言う通りですわ」


 杏樹は頭に血が上り、勢いだけで啖呵を切ってしまっていた。頼人の一言で平静を取り戻すも頭は回っていないようだった。そこで頼人は気を利かせて杏樹を励ました。


「でも御門さんは間違ってないよ。やっぱりあいつらをどうにかしないと怯え続けるだけだし。放課後にはな婆に相談しに行こう。はな婆なら良いアイディアくれるかもしれない」


「老馬の智とも言うくらいだ。オレたちだけで考えるよりは何倍もマシだろう」


「……そうですわね。それが良いですわ。ふう、すみません、わたくしとしたことが少々取り乱してしまいました」


 杏樹は心を落ち着かせようと紅茶を再び口に入れた。昼休みが終わる頃には杏樹はすっかり元に戻った。そして午後の授業を各々乗り切ると、早々に水ノ森神社へ向かったのだった。




 社務所の中に遠慮無く入っていき、いつも皆が集まる居間の襖を開いた。はな婆がいるのは当然だったが、もう1人見慣れた男、服部もいた。


「おっ、みんな揃って来たんだね。こりゃ丁度良いな」


「何が丁度良いんですか?」


 頼人が疑問を投げかけるが、まずは落ち着いて話せるようにはな婆は居間の中に頼人たちを招き入れた。全員が卓子を囲んで座ると、服部は改まって話し始めた。


「以前、はなさんから依頼を受けていたメダルの出処。ある程度の目星が付いたから報告に来たんだ。いやあ、手間取った手間取った」


「へえ、ホントに見つけたんだ。意外にやるね、おじさん」


「花凛ちゃんに褒めてもらえるとは、光栄だねえ。まっ、僕にかかればこのくらいは余裕だからね」


「別に褒めてないんだけど……で、あのメダルは誰が作った物なの?」


「あっ、それは分からない」


「はあ? 石工見つけたんじゃないの? あんだけ偉ぶっててなんなのよ」


 畏敬の欠片もない言い方で花凛は罵声を浴びせた。


「流石にあのメダルだけで作った人物を特定することは出来なかったよ。どんな石工でもあれくらいの加工は出来るみたいだからさ。でも、あれこれ探ってる内にかなーり怪しい情報を手に入れてね」


「怪しい情報? メダルのことに関してですか?」


「直接は関係ないかな。石工の情報は途絶えたから、仕方なく自分の足でありとあらゆる石材店を見て回ってたんだ。そしたら、たった1件、閉まっていたお店があったんだ。何日経ってもシャッターは閉まりっぱなし。近くの住人に聞いてみたらね、そのお店はあの強盗事件が起こるちょっと前に突然店を閉めてしまったらしいんだ。そこからずーっと閉店してて、お店の主人も姿を見せなくなったんだって」


「……成る程。つまり、その石材店の店主が強盗団の一味と何かしらの繋がりがある可能性が高いということですわね」


 杏樹の推理に服部は大きく頷いた。


「十中八九、その繋がりはメダルのことだろうけど、それ以上の繋がりもあるかもしれない。調べられたのはここまでだから、あとははなさんに任せようってことで。僕からは以上だ」


 服部の話が終わり、一同の視線ははな婆へと移った。はな婆はお茶をゆっくりと飲んでから、声を発した。


「確証があるとは言えんが、疑わしいのなら見て確かめれば良い。幸いその石材店は此処から遠くはないから、支度を済ませて早速向かうとするかのう」


「いきなり行くのか。あいつらが待ち構えてる、なんてことがあったりして」


「もしその店主がクロだとしたら、あの強盗団がいてもおかしくありませんわ。ふふふ、思わぬ形でわたくしの望みが叶えられそうですわ」


 杏樹は実に悪い笑みを浮かべた。それほど、彼らに恨みを持っているという証拠でもある。


「さあ、おぬしらも源石を準備せい。わしは式神を用意してくるから……」


 はな婆が突如言葉を止めた。その理由は頼人たちにも分かった。特に頼人と花凛は体が過敏に反応した。あの悍ましい感覚、心の奥に忍び込もうとする悪辣な何か、その波動が前触れもなく体を貫いてきた。


「はな婆、これって……」


「なんということじゃ! 悪意がまた噴き出てきたのか!」


 閉まりきった襖の僅かな隙間から式神が入ってきた。慌てた様子の式神は足をもつれさせながらも、はな婆の下に来て、何かを伝えた。


「あのケヤキの封印が破かれたのか! 一体誰が……いや、そんなことを気にしてる場合ではない。わしはケヤキの所へ行ってくる。おぬしらはわしが帰ってくるまで待っておれ」


「でしたら、わたくしたちだけで石材店に向かいますわ。その方が無駄がありませんし」


 杏樹が言うと、はな婆の顔の皺がより深くなった。子供たちだけに向かわせるのが躊躇われるのだろう。だが、その心配を察知した花凛が言った。


「どっちも大事なことだから、同時に処理しなきゃね。あたしたちももうひよっこじゃないし、上手くやっとくよ。だから早くオバケケヤキを救ってあげて」


「むう……そうじゃな。分かった、おぬしらには石材店のことを任せよう。わしもすぐに終わらせてそっちに向かおう。だから、あまり無理をするでないぞ」


 はな婆は心配が完全に解消されていないようだったが、花凛たちだけで向かうことを許した。その判断が正しかったのか、愚かしいことだったのか、真の答えは誰にも分からない。




 頼人たちは服部に教えられた場所に着いた。看板もなく、シャッターによって閉ざされていたその店は、不況の波に飲まれて店じまいをしてしまったように見えた。


「店の前まで来たのはいいけど、これからどうするんだ?」


「そんなの決まってるでしょ。不法侵入」


 花凛はそう言うと、シャッターをこじ開けようとした。当然、鍵は掛けられているので開くはずもないのだが、それでも力技でなんとかしようとした。


「花凛さん、別の侵入経路を探した方が賢明ですわ。裏口に周ってみましょう」


 腰を屈めて踏ん張る花凛を杏樹が引き戻し、一同は店の裏側に入っていった。裏側には関係者用の扉があった、試しにノブを回してみると、すんなりと回転し、扉が開いた。


「正解でしたわね。では参りましょう、用心を怠ることなく……」


 店内へと侵入した一同は声を潜め、音を立てずに探索をしていった。明かりは一片もなく、不気味な薄暗さが店内を支配していた。また、奇妙なことに石材を売りだす店なのに、その1つも見当たらず、それどころか物1つ置いていなかった。まるで引き払ってしまったかのような殺風景さで、頼人たちは益々不審が募っていった。


 人の気配も感じなかったので、各々散らばって情報を探すことにした。と言っても、何1つとして存在しない空間に情報と呼べるものがあるかは甚だ疑問ではあった。頼人はどうして良いか分からずに、唯一名残のあるタイル調の床を漠然と見ながら歩きまわった。


 均一に敷き並べられたように見えるタイルを模した床は、乱れることなく店内を埋めていた。同じ光景ばかりが目に焼き付く中、無意識にカウンターの裏に辿り着くと、眺めていたタイルに変化があることに気付いた。その床と今までの床を見比べ、自分の認識が正しいことを確かめると、屈んでタイルに触れてみた。少しザラつきのある触り心地で、他の床とは明らかに異なる材質だった。更に、他の床との境目には微かに隙間があり、そこからは風が吹き込んでいた。頼人は慌てて花凛たちを呼んだ。


「ふーん、確かにここだけおかしいわね。まさか、秘密の地下室があったり?」


「きな臭いな。ただ地下室を作るならこんなふうに隠す必要はないだろう。やはりあいつらと関係があるのか?」


「それはこの床を退かせたら分かることですわ。ですが、どうやって退かせましょうか」


 タイルには取ってなどなく、僅かにある隙間も到底指が入る余裕はない。そこで、花凛が排除する役目を買って出た。


「こんなもん、ぶち壊すしかないでしょ。あたしのパワーにかかれば……」


「いやいや、キツいんじゃないか? いくら理の力を使うっていっても、これコンクリかなんかだろ?」


「ちっちっちっ、甘いわね、頼人クン。新しく身につけたスーパーパワーを使えば楽勝よ」


 そう言って花凛は土の源石を取り、いつものように身体強化をした。そこまでは何の変わりもないのだが、次に花凛は拳をタイルに充てがい、大きく深呼吸を繰り返した。


 心臓の拍動が穏やかになると、拳を堅く握りしめた。そして深く息を吐くと、刹那に拳を振り上げてタイルへと叩きつけられた。


 タイルは粉々に砕けた。破片は少し飛び散っただけで、多くは消えていった。消えた先はタイルが隠していた底の見えない地下だった。


「ふう、どうよ! これが必殺、精神統一岩盤砕きよ」


 花凛は得意げな顔をして言った。


「ネーミングはともかく、恐ろしい馬鹿力だ。花凛とはもう喧嘩できないな」


「元々ケンカしても頼人に勝ち目なかったでしょ。ほらそれよりも、やっぱり下に行けるみたいよ」


 ぽっかりと空いた穴の側面には取ってつけたような梯子が添えてあった。


「そんじゃ、あたしと杏樹が先に降りるね」


 その言葉が意味することを深く考える必要はなかった。だが、これほど暗いのだから、そんなものを見られるはずもないし、なにより上を向いて覗こうとは頼人も紅蓮も考えもしなかった。


 花凛を先頭に暗黒が続く穴を降りていく。足を掛ける梯子さえ見えなくなると、閉塞感も相俟って頼人は恐怖を感じるようになった。この先に待ち受けるものが自分たちにとって善良であることはありえない。そこには自分たちが求めた答えが必ず待ち受けているだろう。それに打ち勝つことが出来るのだろうかと、不安が募るばかりだった。


 時折、花凛が声を掛けてお互いの歩幅を合わせていたのだが、その声が疲弊した調子になると、愚痴をこぼした。


「これどんだけ深いのよ。暗くてなんにも分かんないし」


「そうですわねえ。先が見えないのは少々困りものですわね。でしたら、こうしましょう」


 杏樹は一瞬梯子から手を離し、スマートフォンを取り出した。そして点灯機能を使って照らすと、遠慮無くそれを下へ落とした。


「ええ!? そんなことして大丈夫?」


 杏樹の上にいた頼人が事の全てを見て驚いた。


「心配には及びませんわ。わりかし丈夫な物ですし、それに……ほら、意外に底はすぐでしたわ」


 スマートフォンが衝突した音がすると、小さくなっていった光はそこで留まった。その光のおかげで頼人たちの降下はスムーズに進み、無事に底に辿り着いた。スマートフォンはいくらか傷が付いていたが、杏樹は気にする様子も見せずに拾い上げ、それを翳して辺りを照らした。


 頼人たちが着いた場所はコンクリートが打ちっぱなしになっている円形の空洞だった。その1か所に鉄製の大きな扉が付いていて、そこから微かに光が漏れ出していた。


「いよいよって感じね。覚悟を決めて、行くわよ」


 花凛が少し音量を抑えて言うと、頼人たちは無言で頷いた。扉に手を掛けてゆっくりと開くと、そこには思いもしない光景が広がっていた。

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