第18話愚か者は空を飛ぶ

 得体の知れない犯罪者集団に狙われているとしても、日常の全てを彼らに怯える訳にはいかない。縮こまって何処かに篭ることが最善手ではないし、何よりそんなことに青春の一瞬足りとも浪費したくはなかった。だからこそ、頼人たちは逃げも隠れもせずに、日々を過ごし、そしていつでも彼らが現れて良いように、戦いの準備はしていた。


 夏も差し掛かってきた今日この頃だが、早朝の肌寒さは衰えていなかった。ここ与宮駅は県内最大の駅であり、多くの路線を有しているため、交通の要として多くの人々が利用している。早朝でも都心へ向かうサラリーマンは数多くいるのだが、今日は休日なのでかなり人の数が少なかった。


 駅西口のペデストリアンデッキにて、その数少ない一般人の目を一身に受ける大男がいた。白い布地の特攻服を着て、髪が真っ赤に染まっている大男は火ばさみと大きなビニール袋を持ってデッキ上を徘徊していた。時折、彼の近くには似たような格好をした男たちがやってきては、唯でさえ身長差があるというのに、腰を低くしながら話しかけていた。


 そんな往来が幾度も過ぎた後、今度は大男と同じ髪の色をした女がやってきた。彼女もまた、彼らの仲間であることが分かる服装をしていた。


「ボス、あっちの方のゴミ拾いは終わりました」


「ボスと呼ぶのは止めろと言っただろ」


 大男は窘めるように言った。


「で、ですが、あたいにとってボスはいつまでもボスなので、呼び方を改めろと言われても……」


「いいか、カミナ。『紅蓮隊』はもう解散したんだ。だからオレとお前の今までの関係も解消された。これからは『クリーン隊』として共に街の清掃活動をしていく仲間だ。今までの縦の主従関係など必要ない。志を同じくする仲間として扱ってくれ」


「おっしゃりたいことは分かるんですけど、やっぱり今更名前で呼ぶのは気が引けるというか……恐れ多いというか……」


「頼む。これはケジメなんだ」


「……わ、分かりました……ぐ、紅蓮、さん……」


 カミナは髪の色に負けないくらいに顔が紅潮した。その意味に気付いているの定かではないが、大男、紅蓮はニヤリと笑った。


「ああ、それでいい。じゃあ、この辺りの掃除を手伝ってくれ」


 カミナは俯くように頷くと、箒を使って掃除を始めた。


 紅蓮たちはその厳しい見た目とは反対に、この街の清掃活動に日々を費やしていた。これは紅蓮が悪意に飲まれていた時の行いを償うためのもので、最初は1人でやっていたのだが、その活動を耳にした元紅蓮隊のメンバーたちが再び紅蓮の下に集い、新たに「クリーン隊」と称して活動を行っているのだった。


 今朝も活動の一環である早朝の駅前清掃を行っているのだが、紅蓮は昨日のこともあり、清掃活動に集中しきれていなかった。


 昨日、御門杏樹が何者かに襲われたということを聞き、いよいよ強盗団は此方の存在を把握し、行動に移ってきたのだ、と確信した。何時如何なる時に奴らが現れてもおかしくない。不意に襲われることを嫌う紅蓮は、常に周囲に気を張って、臨戦態勢に入れるように心がけていた。


 しかし、そんな心配も余所に、本日の清掃活動が終了の時間になった。紅蓮のいるデッキの一角にメンバーたちが集まり、各々の成果を報告した。その報告が終わりに差し掛かった時、今まで黙って聞いていた紅蓮が口を開いた。


「今日も街の治安維持に貢献でき、オレは嬉しく思う。ここんとこ落ちてるゴミの量も減ってきてるし、オレたちの活動は間違いなく意味があるものと言えよう。だが、まだこの街の治安が良くなったとは言えない。平和は景観から、だ。日々、驕ることなく粛々と清掃活動を行っていこう。本日の活動は以上。だが、解散の前に皆に聞きたいことがある」


 紅蓮は1つ間を空けてから、円になっているメンバーたちの顔をしっかりと見て、言葉を続けた。


「活動中に怪しい人物を見た、という奴はいないか? 些細な事でも良い、心当たりがあったら言ってくれ」


「怪しい人物? それならしょっちゅう見ますぜ。ハゲ頭の人相悪い奴がゴミ袋片手にウロチョロしてんだ。そんで道端に落ちてるエロ本拾って、気持ちわりい顔してやがんの」


「てめえ! それは俺のことだな!? これはハゲじゃなくてスキンヘッドだって言ってんだろ!」


「俺には違いが分からねえな。毛がないのは一緒だろ? つーか、お前暫くエロ本読んでサボってただろ?」


「はあ? サボってねえよ。あれは、一応ゴミかどうかの確認だ。そういうお前も、可愛いねーちゃんが通った時、手が止まってたぞ」


「あれは……あれは仕方ねえだろうが!」


 2人の男が幼稚な言い争いをして収拾がつかなくなってきた。


「おい、お前ら! 下らねえことで騒ぐんじゃねえ!」


 カミナが一喝を入れると、2人はピタリと口喧嘩を止めて「すみません」と口を揃えて謝った。


「ボ……紅蓮さんは怪しい奴を見なかったかと聞いてるんだ。関係ねえことくっちゃべんじゃなくて、有益な情報を口にするんだよ、バカども!」


「は、はい……ですけど、そんな奴見ませんでしたよ。こんな朝っぱらから人なんて数えるほどしかいませんし。こういっちゃなんですけど、俺の目に焼き付いたのは可愛いねーちゃん1人だけ……」


「けっ、何の役にも立たねえ情報だな……他の連中は何か見なかったか? ほら、お前は?」


 カミナが視線で発言を促した。指名されたモヒカンの男は言葉に詰まったが、カミナの目が鋭くなってくると、やむなく声を出した。


「え、えーっと、そうですね……俺が見たのは……女くらいですかね、へへへ……ええ、飛んじまうくらい可愛い女でした、へへへ……」


「お前らの頭ん中には性欲しか詰まってねえのか! もういい、次! そこのお前!」


「あ、あっしですか。うーんゴミ拾うのに夢中になってたからなあ……あっ、でもあっしの傍を横切った奴がいましたね」


「ほう、何か覚えてないか?」


「ほんの一瞬しか顔は見てないですけど、すっげえ可愛い顔してました……なんか目も合った気がするなあ」


「また女か! いい加減にしろよ! おい、他に何か見た奴いねえのか。女以外で!」


 メンバーたちは顔を見合わせ小声で話すばかりで、カミナの要望に答える者はいなかった。暫くしても名乗り出る者はなく、メンバーたちの声が大きくなってきた。紅蓮の耳にもその声たちは届いていた。


「……つってもマジで人いねえからな。俺が見たのはゲキマブのチャンネーだけだわ」


「お前も見たのか。実は俺も見かけてさあ。あんな可愛い子見たことねえぜ。ココらの子じゃねえのかな?」


「……いやほんっと可愛かった。美しさとカッコよさなら姐さんが最強だけどよ、あの可愛さは俺史上一番だわ。テッペンとれんぜ?」


「芸能人でも勝てる奴いねえだろ。勝ってるとしたら、ありみぃくらいか?」


「ありみぃなんて目じゃねえよ。あんなの若さのゴリ押しだっつ―の」


「そうそう。なんつーか、ありみぃは作り物の可愛さ感があるんだけど、さっきの子はナチュラルな可愛さ? 圧倒的にさっきの子の方がタイプだ」


 雑談にも過ぎる会話が飛び交い、カミナの苛立ちが頂点に達し始めた。メンバーに喝を入れようとした時、紅蓮がそれを制し、野太い声を上げてメンバーたちの気を引かせた。


「おい、お前たち……」


「す、すみません! もうしません! 真面目に思い出します!」


「いや、いいんだ。寧ろ、その女のことを詳しく教えてくれ」


 女に興味を示す紅蓮に、カミナは戸惑った。唖然とするカミナを余所に紅蓮は真剣な様子でメンバーたちから話を聞こうとしていた。


「ヘヘッ、アニキも興味あるんすね。そうっすねえ、可愛い顔してるんすよ。目がクリっとしてて、綺麗な肌してて……」


「もっと見た目に分かりやすい特徴をくれ。どんな格好だったをしてたんだ?」


「えーっと、帽子を被ってました。なんつーか、ベレー帽みたいヤツです。そんで結構カジュアルな服で……」


「カジュアルっていうのを具体的に頼む」


「うーん、そうっすねえ……あっ、ちょうどあそこに座ってる子みたいな服装です……つーか、あの子っすよ! 間違いねえ!」


 メンバーの1人が指差した方向にはベンチに座り、空を仰ぎ見る少女がいた。言っていた通り、帽子を被っていて動きやすそうな服装だった。


「あいつか……ふむ……」


 紅蓮は輪になっているメンバーたちの中を抜けて、その少女の下に歩いていこうとした。不意に動き出して、メンバーたちは呆然と眺めていただけだったが、カミナは慌てて紅蓮を引き止めた。


「紅蓮さん、何をするつもりですか? ま、まさか、な、ななななナンパしにいこうなんて……」


「違う。あいつが例の連中の仲間かもしれない。だから、確かめに行く」


「あっ、前に言ってた奴らのことですね。なんだ、そうか。紅蓮さんがナンパなんてするわけないですもんね。あははは……」


 自分の勘違いに気付いたカミナはどうしようもなく恥ずかしくなり、顔を紅潮させた。


「万が一のことを考えて、お前たちも注意しておいてくれ。なんせ頭のおかしい連中だ。何をしでかすか分かったもんじゃない」


「分かりました。紅蓮さんも気を付けて」


 紅蓮はカミナたちに注意を促すと、まっすぐ少女に向かっていった。


 たとえ空を見上げていても、視界の端には大男が映っているだろうに、その少女は全く意に介さずに雲も疎らな青い空を見つめていた。紅蓮は少女の傍に来ると、空から見下ろすように少女の顔を覗き込んだ。しかし、少女は驚く様子もなく、ただぼんやりと空を見つめ続けていた。


 既に違和感を覚えていた紅蓮は、引き下がらずに少女を凝視した。話しかければ良いのだが、意地でも自分の存在を相手に認めさせたかった。紅蓮のその望みはかなりの沈黙を経てから叶うこととなる。


「ボーっと空を見てるとさー、空の上にいる気分になるよねー。なんにも考える必要なくって、ただフワフワって浮いて、流されて……悪い気持ちはしないけど、どんどん脳味噌が溶けていくんだ。とろとろーんってね。そしたら頭の中に別の物が流れ込んでくる。それが溶けた脳味噌をかき混ぜてかき混ぜて……ペーストみたいになったら、今度は膨れ上がって元の形に戻ってるんだ。我に返ると、空は遠く。でも、足の裏は地面に付いてないんだよねー。君にも分かるんじゃないかなー? こっち側なんだから」


「何? どういう意味だ?」


 少女の視線が紅蓮へと移った。そして不敵な笑みを浮かべて、立ち上がった。


「君に恨みはないんだけどねー。まあ、裏切っちゃったのは事実だし、制裁って名目でさー、死んでくれない?」


 少女の纏う気配が変わった。それは感覚としてではなく、直に肌で感じ取れるものだった。少女を中心に強烈な風が発生したのだ。


 紅蓮は少女の手にメダルのようなものが握られているのを確認した。花凛から得た情報と一致した物である。


「やはりあいつらの仲間か。丁度良い機会だ。お前たちの目的、洗いざらい吐いてもらおう!」


 紅蓮は懐に入れておいた火の源石を取り出し、少女に向かって火球を放った。至近距離からの容赦無い攻撃は少女に命中するのが必然かと思われた。しかし、目の前にいたはずの少女は紅蓮の視界から消え、火球は虚しく空振りとなった。


「強固なる意志、与えるは愛、愛は身を貫き彼の者を天へと誘う。いでよ、巨岩の刃!」


 その声は遥か上から響いた。見上げるとそこには先程目の前にいた少女が何かに釣り上げられているかのように浮いていた。それだけではなかった。紅蓮の真上には巨大で鋭く尖った岩が現れていて、今まさに落下しようとしていたのだ。


 避ける余裕もなく、岩の槍は無情にも紅蓮の体を貫くかに思えた。しかし、岩塊は紅蓮を葬る前に粉々に砕け散った。


「紅蓮さん、大丈夫ですか?」


 紅蓮を助けたのはカミナだった。短い木刀と風の源石を携帯していたカミナは、それを使って衝撃波を飛ばして、岩塊を粉砕したのだ。


「カミナか、助かった」


「嫌な予感がしたんですが、無事で良かったです。他の連中には周りに人が来ないようにするよう指示を出しました」


「何から何まで大助かりだ。これで遠慮無く力を使える。カミナも力を貸してくれ」


「もちろんです。あたいらの強さ、見せてやりましょう」


 紅蓮とカミナは空に浮かぶ少女を見上げた。少女は目を丸くして2人を見下ろしていた。


「ほー、もう1人いたんだ。結構重要な情報なのに、なんで教えてくれなかったのかなー」


 少女は愚痴をこぼしながら、紅蓮とカミナの頭上でゆっくりと旋回していた。相手の出方を見てから、攻撃に移ろうと考えていた。


 一方、紅蓮は浮遊する少女にどうやって攻撃をするかで悩んでいた。紅蓮には理の技術が足りていない。頼人たちと異なり、はな婆に師事していないため、現状で使える技術は基本の射出程度である。その所為もあってか、使える理も妙に馴染んでいる火の属性の理だけで、当然パーソナルという特性にも目覚めてなどいない。つまり、持ち前の理力を火の射出一本に注ぎ込むことでしか、戦うことが出来ないのだ。


 単純な攻撃方法しかない状態で無闇に乱発してしまうと、相手に火しか使えないことがばれる。そうなると、属性不利の水で攻めたてられ、為す術もなくやられてしまうだろう。そのため、攻撃を始めるには慎重にならざるをえない。少なくとも、相手の戦法、傾向を知る必要がある。そこで、紅蓮はカミナに指示を出した。


「あいつが何かしてくるまで、攻撃はするな。防御だけに専念だ」


 迎え撃つ体勢だけは整え、大きく動くのを待つことにした。仮に我慢比べになったとしても、勝つ自信はあった。なにせ、相手は悪意に飲まれた人間だ。自分勝手に行動するようになる悪意に心を蝕まれて、我慢が続くはずがないと、経験則で判断できたのだ。


 実際紅蓮の予測通り、先に痺れを切らしたのは少女だった。だが、それは攻撃という行動ではなく、言葉で示された。


「もー、折角待っててあげてるんだからさー、さっさと攻撃してくれないかな? イライラしてきちゃうんだけどー」


 一定の効果があったことを表す言葉だった。それを加速させるためにも、紅蓮は攻撃をせずに、挑発をすることにした。


「死ねだなんだとほざいておいて、出方を伺うなんてみみっちいことをするんだな。威勢が良いのは口だけか? ただ空をブンブン飛び回ることしか出来ないのか? まるでハエだな。うざいだけのハエだ。デカくて鬱陶しいハエ女だ!」


「ハエハエって言うなー! 女の子をハエ呼ばわりするなんて最低だよ」


「ああ、五月蝿いハエだ。どこから湧いてきたんだこのハエは。さっき掃除をしたばかりなんだがな。これほどデカいハエだ。さぞ汚くて臭いゴミ溜めから生まれたのだろう。オレはこの辺りの掃除を請け負ってるんだ。良ければお前のホームまで案内してくれないだろうか。汚物はさっさと片付けたいんでね」


「もー! わたしはハエじゃないんだって! そんな屑みたいな呼び方はやめてよね。わたしのことは『ウィッチ』ちゃんって呼んで!」


 少女は自ら名を明かし、誇らしげに胸を張った。


「ウィッチ……大層な名前だが、それに見合う力はあるのか? 飛ぶので精一杯なように見えるが」


「あの岩見てなかったの? それはそれはすっごい力を持ってるんだからねー。いっくよー!」


 ウィッチはメダルを新たに取り出した。紅蓮の策は成功に近づきつつあった。しかし、ウィッチはすぐに攻撃はせず、再び話し始めた。


「天と地を取り持つ一柱の神よ、我の怒りに応え仇なす者に裁きの炎をもたらしたまえ!」


 呪文のような言葉が終わると同時に、紅蓮の足下から炎が噴出した。ウィッチのいる高さまで伸びた炎の柱は紅蓮を包み込み、燃え盛った。


 炎は一瞬にして消え去ったが、その火力の凄まじさは紅蓮の身に焼き付いていた。特注の特攻服も黒く焦げて炭化し、露わになっていた皮膚は赤く爛れてしまった。


「紅蓮さん!」


 カミナはよろめく紅蓮に手を貸そうとするも、紅蓮はその手を優しく押し退けた。


「大したことない……」


「ボロボロじゃないですか。ここはあたいに任せて、退いてください」


「大したことないと言ってるだろ……」


 強がりにしか聞こえなかったが、カミナはこれ以上紅蓮を制する言葉を発せなかった。紅蓮の目が血気に満ちていることに気付いたからだ。


 その目は空にいる少女に向けられていた。威圧を感じるその視線にウィッチは少したじろいだ。


「あ、あれを耐えるんだー。君ちょっと普通じゃないよ。こうなったら、最強の詠唱で……」


 そう言うと、ウィッチはまた不可思議な言葉を呟き始めた。


「また何かブツブツと独り言を……」


「おそらくあれがあいつのパーソナルだ。呪文のようなものを唱えることで理の力を高めているのだろう。魔女と名乗るだけあるな」


 紅蓮は見た目の悲惨さとは裏腹に、早くも呼吸が整っていた。


「じゃあ呪文を唱え終わるまで攻撃できないんじゃないですか?」


「そうだな。それに詠唱を止めなければ今度こそ無事では済まない。さっさと撃ち落とすぞ」


 紅蓮は火の理を手に集め、カミナは風の理を木刀に注いだ。そして、2人同時に理をウィッチに向かって撃った。


 2つの理は混じり合い、巨大な炎となってウィッチに襲いかかった。しかし、ウィッチはそれを疾風の如く躱し、事も無げに詠唱を続けていた。


「クソッ、避けられた。あいつ、涼しい顔しやがって!」


「空の上にいれば縦横無尽に回避できる、ということか。厄介だな……」


 ウィッチが最初が最初に纏った風は紅蓮たちの攻撃に備える下準備だったのだ。攻撃を回避し、その間に詠唱をして強力な一撃を与えるという戦略のようだ。


 単調な攻撃しか出来ない紅蓮たちにとって、ウィッチの回避能力は大きな障壁だった。手持ちのカードの少なさに若干の苛立ちを募らせつつも、紅蓮は打開する案を考えた。その間にも、ウィッチの詠唱は留まることなく続いていた。


「どうしますか、紅蓮さん?」


「闇雲に攻撃しても理力を余計に消費するだけだ。策を考えるから少し待ってくれ」


「了解です。あのアマ、調子に乗りやがって……こっちも空を飛べればこんな苦戦することもないのに……」


 カミナのふとぼやいた言葉が紅蓮の頭に電流を走らせた。それは無謀とも思える策だったが、勝機を掴むにはこれしかなかった。


 紅蓮はブーツを脱ぎ捨て、火の源石からありったけの理を引き出した。


「紅蓮さん、何か思いついたんですか?」


「ああ。カミナ、お前の風の力でオレを飛ばせ」


「飛ばす? あたいにはあいつみたいに人を浮かせる力はありませんよ」


「浮かせなくていい。空にふっ飛ばしてくれればいい。そこからはオレがやる」


 多くを語らない紅蓮だったが、カミナは紅蓮を信用していた。力強く頷くと、木刀に風の理を集中させ、柔らかな風を纏わせた。


「行きますよ。おりゃあああ!」


 気合と共に放たれた風の理は紅蓮の背中に押し上げ、巨体を軽々と空へ放った。さながらミサイルのように、ウィッチへと直進していく紅蓮。ウィッチも紅蓮が飛んで来るとは思わず、度肝を抜かれたような表情になっていたが、ただ突っ込んできているだけだと見破ると、ひらりと巨体を避けた。


 ウィッチは詠唱を続けながら、紅蓮の行く先に体を向けた。浮遊能力によって同じ土俵に上がってきた訳ではないことは一目瞭然だった。ただただ真っ直ぐ飛んでいた紅蓮も勢いが薄れていくと、重力に逆らえずに落ちていった。


 紅蓮は空中で足掻き、体を縦に反転させた。頭から落ちる形となった紅蓮は視線をウィッチに向けていた。その強い視線を受けても、ウィッチは動じなかった。動じる理由がなかった。


 紅蓮の考えはある程度読めた。最初の突撃で避けられることを考慮し、落下を利用してまた突撃してくるのだろうと。しかし、それは全くの無意味である。ただ落ちてくるだけなら大した労力も使わずに避けることが出来るのだから。


 案の定、紅蓮は大きく手を広げて落下してくるだけだった。芸のない攻撃を軽く避けて、そのまま落ちていく様を眺めようとした。だが、ウィッチが想定していない動きを紅蓮はしていた。


 紅蓮は体を素早く翻し、ウィッチに向かってきたのだ。ウィッチは間一髪で躱したが、躱してすぐにまた紅蓮は突撃してきた。反応しきれなかったウィッチは腕を掴まれた。


「げっ、やっば……というかなんで君飛べるんだよー」


 ウィッチは遂に詠唱を止めた。掴まれた腕を振りほどこうとするも、紅蓮の力には敵わなかった。


 腕を取る紅蓮はウィッチを強引に上空へ引き連れていった。その時、ウィッチは紅蓮が空を飛べる理由を知った。紅蓮の足の裏から炎が噴出していたのだ。紅蓮は炎の推進力によって無理矢理飛行していたのだ。


 ある程度の高度に着くと、紅蓮は勢いよく旋回し始めた。被っていた帽子は彼方へと去り、ウィッチの平衡器官は大きく揺さぶられた。


「何するんだよー! 目が回るじゃんか! 止めて止めて!」


「止めて欲しければ、お前たちの目的と正体を明かすんだ」


「それは絶対に言えないー! 言ったらロックに怒られるもん!」


「ロック? 誰だそれは。お前たちのリーダーか?」


「うげっ……と、とにかく止めろー! 吐き散らすぞー!」


 強盗団の情報を吐く以外に、紅蓮はこの拷問を止める気はなかった。しかし、意外にもウィッチはしぶとく、喚き散らしてばかりで何も話そうとはしなかった。


 情けをかけるのも此処までと、紅蓮は加速して虐め抜こうとした。だが、炎は勢いづくことはおろか、徐々に弱まっていった。


「しまった。理が……」


 気付いた時には遅く、2人は地上に向かって落ちていった。


 ウィッチの方は為す術がないと証明してくれる悲鳴を上げていた。紅蓮は考える間もなくウィッチを抱きかかえ、自分の背を地上に向けた。


 鈍い衝突音が鳴った。デッキ上から大きく離れた路地裏に2人は落ちた。


 ウィッチは目を覚ました。紅蓮に乗っていることに気付くと、飛び退くように起き上がった。


 自分の体を確かめると、何処にも怪我はなかった。そして、目の前で息も絶え絶えになっている紅蓮に視線を移した。


「まさか、わたしのこと守ってくれたの? なんで?」


「……お前みたいなひ弱な体じゃ死んじまうと思ってな……」


「君も無事じゃすまないはずだよ。あんな高い所から落ちてきたのに」


「……痛えのは慣れてるし……結構体は丈夫なんだ……ご覧の通り、生きているだろ?」


 ウィッチは絶句し、紅蓮を悲哀の目で見つめ続けた。それが意味することに紅蓮は思考を割けなかった。もう意識が限界に近付いていた。


「さて……続きといこうか……まだケリはついてねえ……」


「起き上がれもしないのに、どうやって戦おうっていうの? 君ってかなり馬鹿だね。人生損するよ」


 ウィッチは紅蓮に背を向け、たまたま近くに落ちてきていた帽子を拾い上げた。そして去り際に一言、紅蓮に言葉を残した。


「恩なんて感じてないけど、今日のところは引き下がってあげる。また会えるの楽しみにしてるよ」


 紅蓮はウィッチを見送ることも出来ず、空を呆然と眺めていた。何処か遠くから自分を呼ぶ声が聞こえてきた。紅蓮はそれに安堵すると、目を瞑り、意識を眠らせた。

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