第17話思うまま、成すがまま

 花凛たちがファングとの戦いを終えた翌日。世間ではその一片が垣間見える事件が報道されていた。


 市内にて謎の焼死体。身元も判別できないほどに焼け焦げていて、付近にはバラバラになったバイクの残骸が散らばっていた。


 その焼死体の正体は花凛たちにも分からずじまいで、おそらくファングたち強盗団がやったのだろうと結論付けられ、ファングが死んだことを知ることはなかった。ただ、悪意が確実に人々の恐怖を煽り、害を為す存在と化してきたことに、より一層の警戒と緊張感を持たなければならなかった。


事件を報じていたテレビを消した後、今度は卓子の上に乗せられた平べったい小さな石版に、一同の注目が集まっていた。はな婆は1つ掴み、まじまじと眺めた。


「やはりこれは源石じゃな。源石を加工したものじゃろう」


「あいつらはわざわざ源石を作り変えてるってこと? そんな簡単に出来る事なの?」


「なんせ石じゃからな。そう安々と加工は出来まい」


 はな婆は触り心地を確かめるようにメダルの表面を撫で回した。傍目から見ても艶のある表面と歪みのない形が、並の加工技術によって作られていないことを物語っていた。


「これだけの物を作るには相応の技術力と道具が必要となるはずだ。奴らの中に、石の扱いに長けた奴がいるってことだろう」


 険しい表情の紅蓮が言った。はな婆は紅蓮の言葉に眉をひそめた。


「石の扱いに長けた……専門家かあ。石の専門家と言えば……なんだろ?」


「石工じゃ」


「イシク! イシクね。じゃあそのイシクを探せばあいつらの居場所分かるんじゃない?」


「まあそうだろうが、情報が少なすぎる上に、お前や頼人は奴らに顔がバレてるんだ。上手くいくとは思えん」


「うーん、そうかあ。せっかくあいつらに近づくチャンスを手に入れたのになあ」


「いや、大丈夫じゃ。その石工は探させよう」


 探させる、という言葉に花凛と紅蓮は疑問を抱いた。


「あたしたち以外の誰かが探すの? まだバレてない紅蓮ちゃんと杏樹とか? まさか、式神にやらせようってんじゃ……」


「誰か忘れておらんか? 人探し……要は捜査じゃ。それが出来る人間が知り合いにおろう」


「んーと……あー服部のおじさんか! そう言えばおじさんって刑事なんだったね」


「左様。あやつが職権を余すことなく活用すれば、石工を見つけ出すのに時間は掛かるまい」


 はな婆は服部に協力を要請するため、電話をしにいった。


 花凛と紅蓮が暫く待っていると、玄関から人が入ってくる音がした。一直線に居間に向かってくるその人物は無遠慮に襖を開けた。


「遅かったな、頼人。一体何してたんだ?」


「ちょっと、ね。それより、はな婆は?」


 紅蓮が率先してここまでの経緯を話した。


「なるほど、服部さんに……無理難題を押し付けてる気もするけど、大丈夫かな」


「おじさんにも刑事の意地ってもんがあるでしょ。きっと見つけ出してくれるって。そんな心配をするよりも、あたしたちも出来ることをやらなくちゃ」


「出来ることって何をするんだ?」


「そりゃあ特訓よ、パーソナルの」


 花凛は鼻息を荒くして言った。


「パーソナルが使えるようになれば、苦戦することなんてないもの。間違いなく身につけなくちゃいけないものよ」


「パーソナルが使えても、そんな簡単には強くなれないと思うんだけど……」


 パーソナルを会得している頼人が釘を刺すが、花凛には無意味だった。


「使えるものが増えるだけで戦略も拡がるでしょ。強くなる近道はパーソナル、それに間違いはない! さあ、はな婆を待ってるのも時間の無駄だから、外に出て特訓しましょ!」


 花凛は紅蓮と頼人を急かしつつ、1人勇んで居間を出て行った。


「前のめりな女だな、獅子川という奴は」


 紅蓮は立ち上がる素振りも見せず、後を追おうとしている頼人に声をかけた。


「良くも悪くも素直な性格してるんだよ。まあ、そういう所が羨ましいって感じることもあるけど」


「……お前も割と素直な性格してると思うぞ」


「俺を素直って言うなら、紅蓮も素直ってことになるよ」


 頼人は茶化し返すと、花凛に叱られる前に居間を出ようとした。一歩、足が廊下に出た時、あることに気付き、紅蓮の方に向き返った。


「そういえば、御門さんの姿が見当たらないけど、まだ来てない?」


「ああ。だが、今日中に終わらせると言っていたから、遅れて来るんじゃないか?」


「今日で終わるのか。かなり無茶をしてるように見えたけど、大丈夫かな……」


「おーい、頼人! 紅蓮ちゃん! 早く来なさいよー!」


 しびれを切らした花凛が外から大声で呼んできた。杏樹への心配は後回しにして、頼人は急いで呼び声のする方に向かった。




 生徒たちがいなくなった教室に1人残っている杏樹は、教室の真ん中に位置する自分の席に行儀よく座って、分厚い書類に何度も目を通して不備がないことを確認していた。


 満足いくまで書類との睨めっこを続けて、最早無敵の書面であると確信した時、杏樹は厳かに立ち上がった。そして書類を手に持って、宿敵の待ち受ける場所へと向かっていった。


 『生徒会室』と記された教室の前に着くと、扉を軽くノックして返事を待った。


「どうぞ」


 予想していた声とは違う声が聞こえて杏樹は訝しんだが、導かれるままに扉を開いた。


 扉の先には目的としていた生徒会長の伏水が書類の散らばる机を前に鎮座していた。そして、杏樹を呼び込んだ声の正体は壁際に突っ立って杏樹を見ていた。


「戸張和巳……何故このような場所に……」


「君を待っていたんだ。まあ先に、君の最初の目的を果たした方が良いんじゃない?」


 杏樹は見透かされているようで癪に障ったが、戸張から目を離して伏水の元に歩み寄った。


「生徒会長殿、屋上利用の許可を頂きたく書類を作成してきました。お目通し願いますわ」


 杏樹は書類を伏水に差し出した。その書類の分厚さに伏水は驚いた。


「ほ、本気みたいですね。正直これほどの熱情を傾けるほど、屋上に価値があるとは思えませんが……」


「その書類を読んでいただければ、会長殿にも屋上の価値がお分かりになるはずですわ。ささっ、早く読んでくださいまし」


「他にもやることはあるんですが、まあいいでしょう」


 伏水は机の上を片付けて、杏樹の書類にゆっくりと目を通していった。読み切るには時間が掛かりそうだったので、待っている間に戸張の要件を済ませることにした。


「それで、わたくしへの御用とはどういったものですの?」


「その言い方は正確じゃないな。僕が君に用があるんじゃなくて、君が僕に用があるんだろ?」


 ますます癪に障らなかった。戸張の言ったことに間違いはなかった。だからこそ、疑問に思わずにはいられないことがあった。


「……不自然なまでに見抜かれていますわね。まるで心を覗かれているようですわ」


「ああ、その通りだよ。僕は人の心が覗ける。そういうパーソナルを持っているから」


「成る程。でしたら話が早く済みそうですわ。わたくしが貴方に聞きたいのはそのパーソナルのことですもの」


 心が覗かれているという言葉に杏樹は動揺しなかった。まだ戸張の言うことを信用していないというのもあるが、別に自分の本心が見られたとしても、戸張程度に見られてもさしたる問題はなかったからだ。


「わたくしもパーソナルには大変興味を持っていますの。出来ればご教授願いたいのですけれども」


「言っとくけど、僕もパーソナルの全てを把握しているわけじゃない。だから詳しくは伝えられないけど、いい?」


「知っていることを教えて頂けるだけ充分ですわ」


「そう。じゃあ、パーソナルがどんな力かってことは長永からざっくりと聞いているだろうから、もう少し詳しくパーソナルの力を教えよう」


 戸張は傍にある椅子に座ってから話し始めた。


「パーソナルは人が持つ性質の中で、理に関する特性だというのは知っていると思うが、パーソナルの根底には心の理が強く関係しているんだ。人間が唯一持っている理が無意識的に作用する形でパーソナルは発揮されている」


「無意識? 理を無意識で発現させているということですの?」


「いや、パーソナルはあくまでも特性だ。心を理として意識してしまうと、心の理の部分が反応してしまうんだ。必要なのは心の理の芯の部分、つまり自分自身だということだ。理使いがパーソナルに目覚めづらいのは、心を単なる理だと認識してしまうからってのもある」


「自分自身……ようやくパーソナルというものが分かってきましたわ。何も難しく考える必要なんてなかったんですわね。ふむふむ……」


 杏樹は納得した様子で何度も頷いた。戸張は杏樹に構わずに話を続けていった。


「かと言ってパーソナルが必ずしも多大なる力を持っているってわけではないんだけど。要は才能の具現化だから、あまり期待しすぎない方が良いかもよ」


「あら、心が覗けるパーソナルも流石にわたくしの才能までは見透かせないみたいですわね。おーほっほっほ!」


 杏樹の煽るような高笑いに、戸張は溜息で返した。


「これでもう満足みたいだね。他になんか聞きたいことある?」


「パーソナルはもう充分ですわ。ですが、貴方に関することで1つ質問がありますの」


「……へえ、何?」


「貴方、何を企んでいらっしゃるの?」


 戸張の眉が一瞬上がった。杏樹はそれを見逃さなかった。


「どういうこと?」


「どういうもこういうも、貴方怪しすぎますもの。疑うのは当然ですわ。理事長と生徒会長が異分子の排除のために貴方を呼んだようですけれども、それにしては排除の対象である長永くんにパーソナルを教えるといった明らかに理事長たちの意に反する行動を取ってらっしゃったようですし、かと思ったら長永くんからの協力要請を跳ね除けて、現在に至るまではぐらかしてるようですし、貴方の言動には不可解な点が多すぎますわ」


「そう……」


 戸張は曖昧な返事をしたきり、口を閉ざした。それは追撃を加えても無駄だと悟るのに充分な材料だった。


「答えていただけないのなら結構ですわ。今日の収穫は充分ですもの。パーソナルの情報、教えていただき感謝しますわ」


 杏樹は戸張から顔をそむけ、書類を読むのに必死になっている伏水に視線を移した。


「どうでしょう、生徒会長殿。屋上の開放を検討していただけますか?」


「まだ読みきってないんで、何とも言えませんよ。それに先生方にも相談しないといけませんし、すぐには判断できません。ですので、後日改めて此処に来てください」


「分かりましたわ。出来るだけ早く、お願いしますわね。それでは、わたくしは失礼させていただきます。御機嫌よう」


 杏樹は踵を返して、未練もなさそうに退出していった。呆気なさに口が開いたままの伏水に、戸張が声を掛けた。


「何も驚くことでもないでしょう。ああいう女なのは会長も知っていたはすです」


「そうですが、それにしてもあっさりしすぎてて……この書類のことに関してはともかく、戸張君へのことも諦めが早いかなって」


 伏水は書類を見ながらも、しっかりと杏樹たちの会話を聞いていた。それが原因で読み進めるのも遅れたのだが。


「あの女の執着は恐ろしいもんですよ。もしこうして対話の機会を設けていなかったら、何をされるか分かったものじゃありません」


「分からないんですか? 心を覗けるのに?」


「意地の悪い冗談はやめてください。あなたも知っているくせに」


 戸張の口元が少し緩んだ。それは他人から見たら、笑っているのかさえ判別出来ないほど、微細な変化だった。




 鳳学園から少し離れた位置にあるマンション。その一室のベランダから、双眼鏡を使って、学園を眺めている輩がいた。


 ちょうど生徒たちの下校時間で、彼はその生徒たちを一人残らず見ていった。


「違う……違う……違う……」


 品定めをするかのように、生徒を見ては呟いた。しかし彼の求める人物は一向に現れなかった。


「やっほー、スパイダー。調子はどう?」


 玄関の扉が開くと同時に、女の声が彼の耳に入ってきた。その声に反応することなく、彼は生徒の観察に夢中になっていた。


「ちょっとスパイダー? 返事くらいしてよー。寂しいじゃんかー」


 女はベランダにいる『スパイダー』と呼ばれた男の傍に来ていた。それでも尚、スパイダーは女を空気のように扱って、ブツブツと同じことを呟き続けた。


「ねえ……あんまり熱中してるとマジモンの変態みたいに見えるよ?」


 その言葉にようやくスパイダーは双眼鏡から目を離した。


「俺を下賎な連中と同一視するな」


「どう見ても変態だよ。ブツブツ言っててキモいし」


「お前は人の神経を逆撫でするのが得意なようだな。わざわざからかいに来たのか?」


 スパイダーの語気が荒くなってきた。既に女の方に完全に向き直り、仕事を放棄していた。


「ロックから様子見てこいって言われたから来たんだよ。ターゲット、見つかったー?」


「見つかっているのなら、こんなに苛立ちはしないだろうな。俺にこんな任務を押し付けておいて、アイツこそ何をやってるんだ?」


「ロックは焼死体があった場所に行ったよ。あれがファングかどうかの確認と、ヤバい物があったら回収しとかないといけないからって」


「あれは十中八九ファングだろう。誰が奴を殺したのか知らないが、迷惑なことをしてくれる。これ以上目立ったことはしたくないというのに」


「んー、そうだね……」


 女は室内に後退りするようにして戻った。


「聞く限りでは原型を留めていないほどに焼かれていたようだが、お前が昨日遭遇したターゲットに殺されたという線はないか?」


「どうだろうねー……」


 生活感が一切ないリビングをグルグルと回りながら生返事をした。


「……何にせよ情報が足りない。今まで確認した学生のターゲット2人以外にも、別のターゲットがいる可能性まである」


「別のターゲット……あっ、そうだ!」


 女は足を止めて、スパイダーの方に顔を向けた。


「前任者がいたって話あったじゃん。炎を使う大男! そいつがファングを殺したんだよ。きっとそうだ、間違いない」


「ほう、盲点だったな。炎使いならファングの死因にも合致する。まさかお前がそこまで冴えた考えをするとは」


「ま、まあね。さーてと、犯人も特定できたことだし、ロックに報告に行かなきゃ。じゃ、引き続き任務よろしくー」


 女はそう言ってそそくさと部屋を去っていった。


 女の任務という言葉に、自分が放り出していた仕事を思い出し、スパイダーは再び双眼鏡で学園を見回した。


 ターゲットとなっている人物は現状で2人。どちらもこの鳳学園に通っている生徒だということは遭遇時の制服から特定していた。スパイダーに課せられた任務はそのターゲットたちを見つけ、隙を突いて捕縛することである。


 伝え聞いた情報だけで2人を探さなくてはならないのが大問題であり、特に男のターゲットは身体的特徴に乏しく、精々腕にブレスレットのような物を身に着けていることくらいしか情報がなかった。反対に女のターゲットはセミショートくらいの長さで金髪という目立つ特徴を有していたので、そちらを優先的に探すことにしていた。


 改めて、学園内を見ていたのだが、少し目を離している間に生徒の数はすっかり少なくなっていた。どうやら下校時間のピークを過ぎてしまったらしい。もしかしたら見ていない間にターゲットは帰ってしまったかもしれない。あの女の言葉に乗らずに黙々と観察を続けていれば、という後悔の念が押し寄せていた。


 それでも、まだいる可能性を信じてスパイダーを学園の至る所にレンズを向けた。


「金髪……金髪……金髪……」


 またしても呟きながら見ていくと、その言葉に反応したかのように、お目当ての金髪が映しだされた。


 ターゲットと思しき人物を見つけ、息が荒くなったスパイダーは校舎から出てきたその金髪の女子生徒を追っていきながら、焦点を正確に合わせていった。


 ぼやけていたその姿がくっきりと見えてきた。金髪であることは確かだったが、その髪は腰まで伸びていた。明らかに前情報と異なる人物な上に、ターゲット以上に特徴が多い女子生徒だった。端麗な風貌に蒼い瞳。とても一般人とは思えない、気品のある女子生徒だった。


 スパイダーはその生徒がターゲットではないと分かってからも、どうにも目を離すことが出来なかった。それは女子生徒の美しさに見とれていたからではなく、どこか見覚えのある人物だったからである。


 女子生徒が校門を出る頃に、その正体を思い出した。あれはミカドグループの社長令嬢の御門杏樹だ。


 杏樹は何年か前に社長の御門厳一郎と共にテレビに出演していた。その時より成長しているとはいえ、蒼い瞳と美しく伸びるブロンドの髪が証明材料として充分だった。


 世界有数の大富豪でもある御門社長の娘。歩く金塊とはこのことだ。付き人1人も従わせず、帰っていく様子にスパイダーは悶えた。ターゲットを捕らえるよりも、あの娘を攫う方が金になるのではないか。この機会はそうそうないかもしれない。双眼鏡を握る手が湿り気を帯びてきた。スパイダーの目は依然として杏樹を捉え続けていた。




 人通りのない住宅街を早足で抜けていく杏樹。一仕事終えた彼女は頼人たちと合流すべく、水ノ森神社に向かっていた。


 ここ数日、学園の屋上を再び手に入れるための書類作成に奮起していたが、それも一旦終わって、普段の生活に戻ることが出来そうだった。おまけにパーソナルの覚醒に繋がる情報も手に入れることができ、杏樹は上機嫌になっていた。


 パーソナルの理論は完璧に把握し、後は実践してみるだけだ。それがどのような形になるのか楽しみで仕方がなかった。


 神社に着いてすぐにパーソナルをお披露目できるように、ストーンホルダーは装着を済ませていた。頼人の前でパーソナルの力を見せて驚嘆させたい。頼人に褒めてもらいたい。あわよくば自分に対して特別な感情を抱かないだろうか。そうすれば、自分の恋も実ったも当然。恋人に発展した2人は幸せな青春を送り、次第に強固になっていく愛情はやがて2人を1つに――そして――


 杏樹を妄想から現実に引き戻したのは右足に巻き付いたゲル状の物体だった。足を前に出そうとした時、それが後方へと力を働かせて歩みを阻害した。


 視線を足へと落とすと、そのゲル状の物体は遥か後ろへ一本の糸として伸びていた。糸の先は何処に繋がっているのか分からないほど遠くまで続いていた。糸を振り解こうとしてみるが、ゴムのように伸縮するだけで効果はなかった。手で引きちぎろうとするも、その弾力には敵わなかった。


 抵抗する間にも足をずるずると引き寄せられていた。杏樹はこれが頼人を狙った強盗団の一味によるものだと判断した。


 頼人の話ではファングと呼ばれる男と対峙した時、水の糸のような物が彼のバイクを捕捉して無理矢理に戦いを中断させたそうだ。おそらく自分を襲ったこの糸はそれと同じものだろう。


 まさか自分が狙われるとは思ってもいなかったが、ともあれ悪くはないタイミングだと杏樹は思った。頼人にパーソナルを披露する前の予行練習としては打って付けである。早速ストーンホルダーに手を突っ込み、意識を集中させた。


 頼人は源石を用いずにパーソナルを発揮していたが、それも含めて彼のパーソナルだという結論には以前から至っていた。問題は如何にしてパーソナルが発揮されるのか、ということだけで、それは戸張から解答を得ている。自分の心が赴くままにやればいいだけだ。心が、内なる自分が理と結びつけば、パーソナルという形として現れるのだ。


 杏樹はその力を確かに感じた。そして指の先にそれが溜まってくると、水滴のように落ちた。アスファルトの上に落ちたそれは赤、青、黄、緑の色が混ざり合った小さなガラス玉のような物体だった。


 やがてガラス玉から触手のような短い手足が伸びて自立した。頭のない、丸い人形となってそれは一応の完成となった。


「これがわたくしのパーソナル……なんだか間抜けな見た目をしていますわね」


 杏樹が不満を口にすると、人形は声に反応したのか杏樹を仰ぐように体を傾けた。


「ゴシュジンサマ、ゴメイレイヲ」


「あら、喋れるのですね。有能そうで何よりですわ。では、この水の糸をわたくしに絡めつかせた不埒な輩を懲らしめてきなさい」


「ショウチイタシマシタ」


 人形は体を反転させて、糸の続く先へと走っていった。全てを託した杏樹は糸の引力に抵抗しつつ、自分のパーソナルを考察した。


 はな婆の式神のような擬似生命体といったところだろうか。人語を介した意思伝達が可能なため、式神よりまどろっこしさはないように思える。また、人形の体色も気になる部分だ。あの色はおそらく引き出した理の色を表しているのだろう。つまり、あの人形には4つの理が含まれているということだ。それならば、人形は4つの属性の理を使うことが出来るのではないだろうか。自分を形成している理を使って戦う、それがあの人形の力であり、自分のパーソナルなのだろう。しかし物足りなさも感じる。何にせよ、人形の本質を知るにはこの状況を打破しなければならない。


 杏樹は彼方へ続く糸が切れるのを待った。不安も焦りもなかった。自分の分身も当然のあの人形が、任務をやり遂げられないはずがないと確信していた。




 スパイダーは手のひらから伸びる水の糸を少しづつ縮めながら、片手で持った双眼鏡で杏樹の様子を見ていた。


 閑静で人気のない住宅街を突き抜けるように伸びる一本の道に、都合よく杏樹が入ってくれたのが吉と出ていた。おかげで速やかに糸で捕らえることが出来たし、人目に付く前に終わらせることが出来そうだった。


 思いがけずに現れた大金塊に任務を投げ捨てて飛びついてしまったが、もはや任務など気にすることではなかった。


 スパイダーの頭の中は既に身代金の活用方法のことばかりで満ちていた。生涯遊びつくせる大金が手に入るのは確定的だ。何をするにも困らないだろう。寧ろ、金の使い道に困るのではないだろうか、などとレンズに映る社長令嬢を眺めながら考えていた。


 まさに杏樹以外は眼中にない状態のスパイダーは、奇妙な人形が近づきつつあることに全く気付いていなかった。スパイダーの足下にまで辿り着いた人形は右手らしき部位をスパイダーの顔に合わせて突き出した。右手の先端が黄色一色に染まりながら窪んでいくと、その窪みの中で石が錬成され始めた。


 石が少しづつ肥大化し窪みの中に収まりきらないほどになると、それはスパイダーの顔に向かって発射された。


 視野の外にあった人形の先制攻撃は見事に命中し、スパイダーの額に手痛い一撃を与えた。思わず双眼鏡を落とし、額を押さえた。


「くっ、なんだ? 攻撃された?」


 スパイダーは混乱した様子で辺りを見回した。しかし、足下には全くの無警戒であったため、人形は難なく次の攻撃に移行できた。


 スパイダーの背後に回りこむと、今度は左手を砲台に変化させた。赤くなった砲台から放たれた火炎弾はスパイダーの後頭部を激しく燃やした。


 スパイダーはもがき苦しんでいたが、杏樹を繋ぎ止める糸だけは残っていた。しかしそれも千切れそうなくらいに細く弱っていた。


 人形はスパイダーの頭を超えるくらいに大きく跳躍した。そして、両足の色を緑色に変化させ、足の裏から風を放出した。風の力を利用して、スパイダーの頭頂部に目掛けて加速しながら落下していき、凄まじい勢いで衝突した。


 度重なる攻撃でスパイダーは膝をつき、水の糸も蒸発した。人形は杏樹の命令を見事にこなしてみせたのだった。




 足に絡みついていた糸が消えると、杏樹は糸の伸びていた方に向かって歩き出した。どうやら人形が解除してくれたようだったので、後は自分を襲った人物のご尊顔を拝みに行こうとしていた。


 だんだんと学園に戻ってきていた。背後から襲われたことを考えても、学園を出た時から付け狙われていたのだろう、と杏樹は推測した。しかし、自分が理使いであることをしっている者の犯行にしては温すぎる気がした。あの程度の糸で拘束されても、パーソナルを使うまでもなく解除できそうではあった。結局、それ以上相手から仕掛けてくることもなかったし、かの強盗団の実力に拍子抜けしてしまった。しかし、だからこそパーソナルを試すのに都合が良かったし、こうしてその犯人を逆に捕らえることが出来そうなのだから万々歳だ。


 暫く歩き続けた杏樹は道の真ん中でぽつんと転がっているガラス玉を見つけた。その色合いから、自分の忠実なる下僕の成れの果てであることは明白だった。


「先程よりも貧相な見た目になってしまっていますが、しっかりと役目は果たしてくれたようですわね。ご苦労様ですわ」


 杏樹はガラス玉を拾い上げ、手のひらに乗せた。


「それで不届き者の姿が見えないのですが、何処に行ってしまったんですの?」


 ガラス玉は微かに揺れるだけで言葉を発することはなかった。もう殆ど力は残っていないのだろう。暫くするとガラス玉は徐々に小さくなっていき、最後は完全に消失した。消えても尚、下僕に語りかけるように杏樹は独り言を言い続けた。


「折角、彼奴らの情報が手に入ると思ってましたのに。まあ、嘆いていても仕方ありませんわ。こうしてパーソナルが使えるようになったことが最大の収穫ですものね。まだまだ謎の多いお人形さんですが、後でゆっくりじっくり、観察させてもらいましょう」


 杏樹は優雅に振り返ると、再び神社へと向かい始めた。下僕が落ちていた少し先に、蓋のずれたマンホールがあることには気付かなかった。

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