第16話血を知らぬ牙

 学校では昨日の強盗事件の話で持ちきりだった。ニュースで語られた情報にすぎないのだが、その鮮やかな犯行と計算された逃走劇に感心する者が殆どで、恐怖に煽られる者や、彼らの存在を不審がる者は少数しかいなかった。


 その話題ばかりが飛び交う教室で、事件の一片に介入した頼人は気が気でなかった。不用意に口を開けば余計なことを話してしまうかもしれないと思い、事件のことを振られても、適当な相槌でやり過ごした。


 頼人が二言以上の言葉を話せるようになったのは放課後の神社に向かう道中からだった。長い溜息を吐いた後、横にいる花凛に愚痴っぽく言った。


「なんでこんな日に限って俺に話しかけてくる奴が多いんだ。前までは空気のように扱われていたのに」


「前はみーんな洗脳されてたからね」


「そうだけど、そうなんだけど……」


「まあいいじゃん。変なこと喋らずに済んだんだからさ。そんなことで気落ちするより、強盗団を懲らしめてやることだけを考えておけばいいのよ」


 頼人の愚痴も此処で打ち切られ、そこから一言も話さないまま神社に着いた。


 相変わらず閑散とした境内を慣れた足取りで歩いていき、はな婆の待つ社務所に断りなく入っていった。


「おいーっす。来たよー」


 よく通る声で花凛が挨拶すると、すぐに廊下の先から神社の主が現れた。


「ん? おぬしらだけしかおらんのか? 杏樹とデカブツはどうしたんじゃ?」


「あの2人はやることがあるみたいで……今日は俺と花凛だけなんだ」


「こんな時に優先すべきことがあるのかのう……嘆いておっても仕方ないか。ほれ、上がりなさい」


 機嫌が悪そうに言うはな婆に促され、2人は居間に入っていった。


 定位置に着くと、早速はな婆が頼人に質問をしていった。昨日のことは頼人があらまし程度を伝えていたが、確認の意味を含めて聞いておきたかったようだ。


 一通り聞き終わると、はな婆は小さく唸った。そして腕を組んだまま黙りこんでしまった。


 沈黙に耐えかねた花凛は、何か考えている様子のはな婆に構うことなく、疑問に思ったことを口にした。


「ねえ、よく分かんないんだけど、強盗をしたならさっさと逃げればいいのに、なんで頼人を見つけたら逃げるの止めちゃったわけ?」


「俺をおびき寄せるために大きな事件を起こしたんじゃないか? それにしてもリスクのでかいことやったけど」


 話が聞こえているのか分からないはな婆の代わりに頼人が答えた。


「いくら頼人を捕まえるためっていってもやりすぎじゃない? 理使えるんだからもっとやりようあったでしょ」


「あー、そうだなあ。そもそも理使えるってのもな。もしかしたら紅蓮のこととも関係あるのかも」


「なるほど、だったら頼人が狙われるのも納得いくね。誰だか知らないけど、そいつがやることの邪魔ばっかしてるから排除してやろうって……そしたら頼人だけじゃなくて、あたしたちも狙われてるってことじゃん。大変だねこりゃ」


 大事のように思えない口ぶりで花凛は言った。


「あまり憶測を語るでない。今、はっきりしていることだけを認識しておけばよいのじゃ」


「あっ、聞いてたのね」


「ごちゃごちゃと喋られて聞こえないほうがおかしいじゃろう。それよりも、今後どうするかじゃが……」


 はな婆が本題を話そうとした時、玄関のチャイムの音が鳴った。話の腰を折られたはな婆は少し顔を歪め、玄関に向かっていった。


 しばらくすると、はな婆が2人の子供を引き連れて帰ってきた。その子供を見て、頼人は驚愕の声を上げた。


「あ! エニシくんとユカリちゃんじゃないか!」


「わー、ヨリトにーちゃんだ!」


「ヨリトさん、おひさしぶりです。覚えていてくれてたんですね」


 喜びの表情を見せる2人の子供は、以前頼人に特別な力を披露してくれた双子、東河姉弟だった。


 双子は頼人に近寄り、とりとめのない話を矢継ぎ早に話した。頼人は困惑しつつも、双子の話に相槌を打って反応していた。会ったのは1回きりだというのに、双子は相当頼人が気に入ったのだろうか、臆面もなく接してきた。


「ちょっと、この子たちは誰なのよ」


 花凛が頼人に尋ねると、今までひな鳥のように騒いでいた双子がぴたりと口を噤み、花凛に視線を向けた。2人共、何故か怯えたような顔をしていたが、それを気にすることなく、花凛は頼人の回答を待った。


「えーっと、こっちの男の子の方が東河エニシくんで、女の子の方がユカリちゃん。前に俺だけ特別な訓練を受けにいった時があるだろ? その時に知り合ったんだ」


「へえ……」


 花凛は自分に刺さる視線に気付くと、2人の子供の顔をじろじろと見た。


「双子、だよね。すっごい似てるなあ。あたしは獅子川花凛っていうの。よろしくね」


 花凛が年頃の乙女らしい微笑みを見せるが、双子はぎこちなく頷いて返すだけだった。


 予想していなかった反応に花凛は首を傾げた。それに言及する間も与えられず、はな婆が話し始めた。


「この神社の話はしたことがあったんじゃが、まさか自力で辿り着くとはのう。なかなかに行動力のある子らじゃ。ちいとばかしタイミングが悪かったが」


「遊びに来るくらいいいじゃん! 最近お婆も来てくれなかったからヒマだったんだよ」


「でも、お婆ちゃんが来ない間もちゃんと練習は続けてましたよ。理の方もそうだし、特別な力だって。その成果を見せたいって気持ちもあって、今日は来ちゃいました」


 エニシとユカリは花凛から完全に顔を逸らし、調子を戻して言った。


「えっ、なになにこの子たち理使えるの? ていうか、特別な力ってパーソナルのこと?」


「パーソナル? 今、パーソナルと言ったのか?」


 はな婆がやけに興奮して食いついてきた。パーソナル関連のことをはな婆には全く説明していなかったことを頼人と花凛は思い出していた。


「そういえば言ってなかったっけ。頼人が持ってる特別な力のことをパーソナルって呼ぶらしいよ。やっぱりはな婆は知らなかっ……」


「その力をパーソナルなどと呼ぶでない! それは……特別な力、じゃ! それ以外の呼称は認めんぞ!」


 予想外の反応に頼人と花凛は戸惑った。何故はな婆の逆鱗に触れたのか知らないが、パーソナルという力は知っていたようだ。


「そ、そんな怒ること? たかが名前じゃん」


「いーや、いかん。その名で呼ぶことは禁じる。それは特別な力であり、代わりの名はない! ないんじゃ……」


 冷静になったのか、力尽きたのか、語気が萎んでいった。


 その場に残った微妙な空気に誰しもが言葉を続けることを拒んだが、この状況を打開する救世主が襖をするりと抜けてやってきた。式神だ。


 式神ははな婆の肩に飛び乗ると、耳元で囁く素振りを見せた。式神が声を発することはないのだが、はな婆には聞こえているようで、しきりに相槌を打っていた。


 式神が話を終えると、はな婆が口を開いた。


「何やら怪しい人物を見つけたらしい。頼人、花凛、今からその場所に向かうぞい」


「もしかして、お婆たちが戦ってる悪意ってヤツ? だったら僕たちも一緒に行くよ。戦ってみたい!」


 エニシは遊びに行くかのように、目を輝かせて言った。


「駄目じゃ。おぬしらを危険な目に遭わせるわけにはいかん。ここで待っておれ」


「えー、ヤダよつまんない。せっかく頑張って来たのにー」


 エニシが不満を言う横で、ユカリも口にはしないが寂しそうな顔をしていた。


 それを見て、はな婆は小さく溜息を吐くと、少しの思慮の後に花凛に目を向けた。


「むう、仕方ない。花凛、おぬしは此処に残って2人の面倒を見ていておくれ。騒動はわしと頼人が見てくる」


「あたしでいいの? 見知ってる頼人が残った方がいい気がするけど」


「いや、頼人から確かめたいことがあるかのう。特別な力、についてな」


 意地悪く頼人に言葉が投げられると、頼人は苦笑いで返した。


 そういう事情もあってか、花凛は拒否することも出来ず、双子のお守りを任せられた。はな婆は手早く準備を済ませ、花凛に「変なことを教えるんじゃないぞ」と言い残すと、頼人と共に神社を後にした。


 見送りを終えた花凛は振り向いてみると、しおらしくしている双子が拝殿の階段に腰を落ち着けていた。


 はな婆と頼人がいないことで彼らは不安になっているのだろう。そう思った花凛は早く2人と仲良くなろうと意気込み、比較的穏やかな口調で話しかけた。


「ボーっと待ってるのもつまんないよね。せっかくだから、お姉ちゃんと遊ぼっか?」


「別に遊びたくない」


 不貞腐れているのか、素っ気なくエニシが呟いた。


「ありゃ、そっか。でも何もしないで待ってるのも勿体無いよねえ。どーしよっかなあ。じゃあ何かやりたいこととかないかな?」


 その問いかけに双子は答えず、目を伏せていた。


 先程までの子供らしい活発で無邪気な様子が消えてしまったように見えた。いきなり知らない人と過ごさなければならないのは子供にとっては苦痛なのだろうと花凛は考えた。だからこそ早く仲良くなりたいのだが、そのきっかけさえも掴めないままだ。打ち解ける方法を考えてみても、良案は思いつかない。


 何か彼らを惹きつける物はないかと、ポケットを探ってみた。花凛が体を弄っている様を双子は静かに見ていた。


「面白いもの、ないかなあ。ガム……ヘアピン……なんだこれ、ゴミ? 大したものは入ってないみたい。うーん……」


 役に立つ物がないことを悟ると、今度は辺りを見回して使えそうな物を探した。


「此処はしょぼい神社だから、面白いものなんてないかあ。ありゃ、はな婆ったらバケツ出しっぱなしじゃん。あたしたちがいるからいいけど、源石が盗まれたらどうするつもりなのよ」


「源石……?」


 エニシが花凛の言葉に反応した。思わぬ所からきっかけが出来そうだった。


「君は源石のこと知ってるのかな?」


「うん、練習で使ってたし……」


「そっか、そういえば君たちも理使いなのよね。ちっちゃいのにすごいわね」


「ちっちゃいは余計だよ」


「あーごめんごめん。でも本当にすごいじゃない。おまけにパーソナルも使えるなんて、羨ましいなあ」


「パーソナル……特別な力のこと、ですよね?」


 ユカリも警戒心は解かないものの、話に入ってきた。


「そうそう。はな婆もなんで名前程度であんなに怒るのかな……まあいいけど。そうだ、せっかくだから君たちのパーソナル見せてよ。どんなのか興味あるのよね」


 花凛の求めに双子は難色を示していた。


 花凛が双子からの返事を催促することなく待っていると、エニシの口元が綻び、やけに活気のある声で言葉を発した。


「いいよ。でも僕たちと遊んでくれたら見せてあげる」


「ん? さっきは遊びたくないって言ってたけど……」


「急に遊びたくなったの! かくれんぼしようよ!」


 躍起になっているかのように言うエニシに、花凛は少し疑問を抱いた。しかし、彼らと仲良くなるには言うことを聞くのが手っ取り早い。その上、パーソナルも見せてもらえるのだから、細かいことを気にする必要はなかった。


「……それじゃあかくれんぼしよっか。鬼は……あたしがやるかな。それでいい?」


「うん、僕たちが隠れる。隠れる方をやりたい!」


「よし、決まりね。じゃあ10秒数えるからそれまでに隠れてね。それと、神社からは出ちゃダメよ」


「わかってるって。おねーちゃんも目をしっかり瞑って数えてよ。薄目とかダメだからね」


 エニシが念を押して言うのを、花凛は適当な返事で流すと、早速かくれんぼを始めることにした。


 両手で目を覆い、ゆっくりと数字を数える。


「いーち、にーい、さーん……」


 花凛の耳には双子の囁きが微かに聞こえていた。隠れる場所でも相談しているのだろう。


「しーい、ごーお、ろーく……」


 その声も聞こえなくなり。今度はそそくさと駆ける足音が耳に入ってきた。


「なーな、はーち、きゅーう……」


 一旦、数えるのを止めて、足音が消えるのを待った。隠れきる前に探すなんて大人げないことをするつもりはないのだ。


 風に揺れる木々と、鳥の囀りしか聞こえなくなったの確認すると、花凛は大きな声でかくれんぼ始まりを告げた。


「じゅう! よっし、始めるよー!」


 勿論、それに応答する声はなかった。


 塞いだ目を開放し、辺りを探しまわる花凛。いくら廃れた神社とはいえ、敷地の広さはそこそこで、隠れられる場所はいくらでもあった。しかし、それを熟知しているのは自分の方である。それゆえ、2人が隠れそうな場所も見当は付いていた。


 さっさと終わらせて、パーソナルを見せてもらいたい気持ちもあるが、子供の遊びに本気になるのは大人げない。


 早く見つけすぎて、2人が拗ねてしまったら、パーソナルを見せてもらえないという可能性もある。簡単な場所にいないことを祈りながら、花凛は手近な隠れ家を攻めていくことにした。それが杞憂であるとは露も知らずに。




 神社を脱出したエニシとユカリは、行く当ても定まらずに彷徨っていた。


「ねえエニシ、やっぱり戻ったほうがいいんじゃ……」


「何言ってるんだよ。これはチャンスなんだぞ。お婆とヨリトにーちゃんのピンチに颯爽と駆けつける僕たち……さいっこうにかっこいいじゃんか! ユカリだってそう思ったからついてきたんでしょ?」


「それは……そう、だけど……」


 双子は頼人たちの助けとなるべく、神社を出てきたのだ。浅はかな考えだと思うかもしれないが、10歳になったばかりの子供に、完璧で整然とした思想を求めるのは酷だろう。


「もし、あのお姉さんにばれたら……すごく怒りそうだよ」


「怒られるのはやだけど、あの人と一緒に待ってるのはもっとやだよ。ああいう見た目の人、ふりょーって言うんだよ。僕たちのこともイジメようって思ってたに違いないよ」


 エニシの熱弁に、ユカリは反論を示すことはなく、押し黙っていた。エニシに乗せられて花凛から逃げてきたのは、ユカリにも少なからずエニシに同意できる部分があったということだ。


 尚も花凛に対する不審感を口にするエニシだったが、だんだんと妄想が激しくなり、花凛が悪の権化だとか、頼人を誑かしているとか語りだしたので、ユカリはそれを聞き流しながら頼人とはな婆の姿を探した。しかし、それらしき人影は疎か、人自体に遭遇することもなかった。


 頼人たちに追いつける兆しが全くないことに気付き始めたユカリは、不安を口に漏らした。


「エニシ、こっちであってるかな? 一旦引き返したほうが良いかもしれないよ」


「戻る時間が勿体無いよ。それに結構歩いたからもうすぐ見つかるかも……お? ユカリ、あっち見てみろよ!」


 ユカリはエニシが指差す方向に目を向けた。


「うん? あれは……カラスの群れが何かしてるの?」


「よく見て、猫がイジメられてる。助けてあげなきゃ!」


 黒い塊の中に僅かに見える白い猫は、体を縮こまらせているだけだった。


 エニシは異様に盛り上がっているスボンのポケットから、馴染みのある石を取り出して構えた。


 構えた小さな手のひらに、灯火のような柔らかい火が灯ると、その火はカラスの群れに目掛けて飛んでいった。一見、小さく弱い火に見えるが、カラスたちには絶大な効果を与えるものだ。カラスたちは怯えて散り散りになり、あっという間にその場から去っていった。


「よーし、追い払えた。楽勝楽勝!」


「喜ぶのは後。猫さんが無事か見にいきましょ」


 2人は猫の下に駆け寄った。猫は縮こまったまま、体を震えさせていた。カラスがいなくなったことに気づいていないようだった。


「猫さん、もう大丈夫だよ」


 ユカリは優しく声を掛け、ボロボロになっている体に触れた。


 ユカリの指先が触れた瞬間、猫は飛び跳ねるように起き上がり、ユカリに一瞥をくれるや否や、さっさと逃げてしまった。


「なんだよ、せっかく助けてあげたのにお礼もないのかよ」


「猫さんにはお礼は難しいよ。とにかく、大丈夫そうだったから良かった」


「まあ、そうだね。源石持ってなかったらヤバかったのかも」


 エニシは源石をまじまじと見つめながら言った。


 この源石は神社を出る際に社務所の軒先に置いてあったバケツから拝借したものだ。エニシとユカリはそれぞれ2つずつ持ってきていて、丁度4つの属性を網羅していた。


「準備運動にもなったことだし、早くヨリトにーちゃんたちに追いついて、すっごい活躍しなくちゃ。さあ行こう、ユカリ!」


 源石を空高く放りなげて、上手くキャッチしてからエニシは歩き出した。その後ろにユカリが続き、頼人たちを探す小さな旅が再開した。しかし、その旅はあまりにも早く中断させられることになる。


 2人の背後から轟音が響いたかと思うと、目の前に一台の黒いバイクが躍り出てきて道を遮った。全身さえも黒で統一されていて、フルフェイスのヘルメットからは照り返す太陽の光が2人の目に突き刺さった。


「おいガキ。お前の持ってるそれ、よく見せてみろ」


 篭った男の声がエニシに向かって発せられた。唐突な展開に動揺するエニシとユカリは後ずさりをしながら、バイクに跨った男を見つめるだけしかできなかった。


「最近のガキは返事も出来ねえのか。俺は気が長いほうじゃねえんだ。ほら、よこせ」


 男はバイクから降りると、一気にエニシに詰め寄って源石を持っている腕を取った。エニシは抵抗するも、大の大人の握力に勝てるわけもなく、あっさりと自由を奪われた。


「ったく、無意味に暴れんじゃねえよ……ほう、やっぱりこれは源石か。さっきの火の玉もお前の理だったんだな」


「放せ! 放せったら!」


 エニシは男の手に思い切り噛み付いた。男が反射的に手を引っ込めると同時に、エニシは男の手を振りほどいた。


 男から離れるも、逃げようとはせず、ユカリと共に男の様子を伺った。2人はこの男が悪意に飲まれていることがなんとなく分かった。幼くとも彼らの胸には正義の火は灯っていた。此処でこの男を退治する使命を全うしようとしていたのだ。


「躾のなってねえガキだなあオイ。俺が直々に調教してやってもいいんだが、それは後だ。まずは確保させてもらうぜ」


 噛まれたというのに、大して痛がる素振りは見せなかった。男は淡々とエニシたちに近付いてきた。


 エニシとユカリは目を合わせ、お互いの意思を確認した。そして、一瞬でそれを理解すると、まずエニシが男に先制攻撃を仕掛けた。手に持っていた火の源石の力により、火の玉を男に向けて射出した。


 無防備のように見えた男だったが、不意の攻撃に動じず、難なく火の玉を躱した。男の足を止まらず、元の速さを維持したままだった。


 続けてユカリが水の塊を撃ち出すも、同様に躱された。男はくぐもった笑い声を上げた。


「ハッハッハ! 質はあれだが、お前の方も理使いか。こりゃラッキーだぜ」


 数的不利が分かったとしても男は焦っていないようだった。寧ろこの状況を好ましく思っているとさえ見えた。


 そんな男に構うことなくエニシとユカリは理を射出していった。途切れることなく向かってくる理に、男は回避を最小限に留め、手で払い除けていた。しかしそれでも全ての攻撃から逃れられることはなく、いくつかはまともに受けていたのだが、全くダメージを受けている様子はなかった。


「くっそお、何なんだよコイツ。ユカリ、こうなったら『リンク』するしかないよ」


「う、うん」


 2人は攻撃を中断し、互いの人差し指を合わせた。目を瞑って、意識が混ざり合うまで集中した。以前、頼人に見せた感覚を共有する力、それをエニシとユカリは『リンク』と名付けていたのだ。


 リンクを用いて男に対抗しようと考えたのだが、中々意識が繋がらない。2人の中にある焦りや緊張が、リンクの成功を妨げていた。


 隙だらけになった2人を男は見逃さなかった。突然歩調を上げると、その勢いのままにエニシの腹部に膝蹴りを入れた。


 リンクは中断させられた。エニシはよろめきながらも男から離れようとするが、男に強く押されて倒れてしまった。


「へっ、理を使うまでもねえな。所詮はガキってことだ」


「エニシ! よくもエニシを!」


 ユカリは理を放つが、案の定効き目がなかった。男は無力になったエニシからユカリに照準を変えて、ゆっくりと歩み寄ってきた。


 顔さえ見えない黒一色の男はユカリの恐怖心を一層掻き立てた。出鱈目に理を放つだけで、その場から動けなくなった。


 男の影がユカリの足下から徐々に伸びてきて、とうとう体を覆った。最早、万事休すか、とユカリは目を閉じた。


 次の瞬間、ユカリの耳に入ってきたのは悲痛な叫び声だった。恐る恐る目を開けると、目の前から男は消えていた。そしてその代わりに、見覚えのある後ろ姿が映った。


「子供を虐めるサイテーなヤローめ。天に代わって、この獅子川花凛が成敗してやるわ」


 口上を述べ終えると、花凛はユカリの方に振り向いた。


「もう大丈夫よ。エニシを連れて、離れてて」


 ユカリは驚いた表情のまま無言で頷くと、急いで倒れているエニシの下に駆け寄っていった。


「ってーな。女とは思えねえ馬鹿力だ。お前も理使いか」


 花凛に蹴り飛ばされ、倒れていた男は上体を起こしながら言った。


 花凛は男に視線を戻した。そして、改めてこの男の姿を見返すと、あることを思い出した。黒のライダースーツとフルフェイス、この男は頼人が出会った強盗団の男と一致していたのだ。


「あんた、もしかしてファングって奴?」


「俺の名前を知ってんのか。ってことは、アイツの仲間か。くっくっく、こりゃツイてるぜ。上手くやりゃ一気に4人は頂けるってことだ。報酬はたんまり貰えそうだぜ、くっくっくっ」


 不気味に笑いながら、ファングは立ち上がった。シールドによって隠されていたが、ファングの放つ異常な眼力を花凛は確かに感じ取っていた。


「あんたたちの目的は何? どうしてあたしたちを狙うの?」


「んなの決まってんだろ。金だよ、金。こんなガキ攫うだけでありえねえくらいの大金が手に入るんだ。やらねえはずがねえよなあ」


「……雇い主ってのがいるのね。そいつはいったい何者なの?」


「誰だっていいだろ。どうせお前には関係のないことだ。お前は大人しく、俺に嬲られてりゃいいんだよ!」


 ファングは雄叫びを上げながら、花凛に突進してきた。


 特別速いわけでもないその攻撃を花凛は軽くいなすと、ファングの背中を蹴ろうとした。すると、ファングは素早く身を翻し、手のひらを花凛に向けた。


 そこから射出された理は花凛の顔に目掛けて飛んできた。花凛は反射的に躱した後、器用にその理の尻を掴んだ。


「ははーん、こいつが頼人の言ってた噛みつく理ね」


 必死にもがく土塊の理の先端は大きく裂けていて、そこにはずらりと鋭い牙が並んでいた。ガチガチと音が鳴る程に噛む力は強いらしく、喰らいつかれてしまったらひとたまりもない破壊力を有しているようだった。


 観察を終えた花凛は土塊を握りつぶし、視線をファングに移した。ファングの手に何やら見慣れない物が収まっていた。


 理を発現した以上、ファングはその手に理源となる源石を持っているべきなのだが、花凛たちが普段使っている源石とは形状が著しく異なっていた。無骨さのない、平坦で持ちやすい形状で、言うならばメダルのような見た目をした物だった。


 その物体に釘付けになっていることに気付いたファングはわざとらしくそれを掲げて、自慢するかのように喋りだした。


「こいつが珍しいか? そりゃそうだろうな。なんてったって特別製だ。お前らのもんとは使い勝手が違うのさ。こんなふうにな」


 ファングは新たに2枚のメダルを取り出すと、3枚のメダルを指の間に挟んだ。そして土、水、火の属性を持った噛み付く理を連続で射出してきた。


 花凛は少々動揺したが、次々と襲いかかる理を噛み付かれないように叩き落とした。決して強い攻撃ではなかったが、メダル状である利点を知るには充分だった。


 通常、理源となる源石は手のひらにすっぽりと入るくらいの大きさだ。そのため、他の属性と使い分けるにはいちいち持ち替え無くてはならない。頑張れば2つ持てなくもないが持ち手が安定しないため、動きながら理を発現するのは難しくなる。一方、ファングが持っているメダルだと、源石よりも薄い作りなので、いくつもの属性を常に切り替えて発現できる。すなわち、瞬時に属性を使い分けて、相手に有利を取りやすくなるということだ。


 もし、ファングが強力な理を使ってくるのならば、花凛も身体強化だけではなく、他の理で対抗しなければならなくなる。そうした場合、ファングの属性の切り替えに付いていくことが出来ずに打ち負けてしまうのだ。


「どうだ、すげえ便利だろ? 携帯もしやすくて至れりつくせりの形してんだ。羨ましいだろ?」


「小手先の道具で勝負は決まらないのよ。大事なのは、自分自身のパワーとセンス!」


 強がりのように聞こえる言葉を吐いた後、花凛はファングに飛びかかった。


 鮮やかな跳躍から繰り出される飛び蹴りは、ヘルメットに覆われたファングの頭に狙いが定まっていた。


 花凛の攻撃に対して、ファングは顔の前に手をかざして待ち伏せた。そして、足が近づいた時、手のひらから鋭い牙を持つ理を発現させ、食らいつかせた。


 花凛の足に牙が突き刺さった。身体強化のおかげで深くは刺さらなかったが、強烈な痛みが走った。痛みを堪えながら理ごと押し切ろうとするも、敵わずに押し返されてしまった。


「パワー? センス? 今の攻撃にそんなもんがあったか? うり坊の突進にしか見えなかったな。笑わせてくれるぜ」


 無様に倒れ、未だ喰らいつく理を引き剥がそうとする花凛を見下しながら、ファングは高らかに笑った。


 やっとの思いで理を引き剥がした花凛は、息を切らしながらストーンホルダーに手を伸ばした。土の源石を取り出して再び身体強化をすると、噛まれた足を気にしつつ立ち上がった。


「また性懲りもなく突っ込んでくんのか? 少し味気ねえが、楽に対処させてくれるならいくらでも突っ込んできてくれて構わないぜ。ほら、来いよ」


「……余裕ぶったこと、後悔させてやる!」


 花凛は傷ついた足を浮かせ、つま先で地面を軽く小突いた。するとファングの足下が急にせり上がり、ファングは大きくバランスを崩した。


 ノックによる奇襲に成功した花凛は一気にファングに駆け寄り、腕を掴んだ。そして一本背負いの要領でファングを担ぎ上げて、力の限り投げ落とした。


 しかし、ファングが地面に体を打ち付けることはなかった。体が落ちる間隙の瞬間に、水の理を発現させた。


 地面から発生したその理は歯の抜けた大きな口でファングを器用に挟み込み、衝撃を和らげた。そのままファングの体を飲み込みつつ花凛から引き離れると、主を丁重に立ち上がらせて蒸発した。


 奇襲が失敗してしまったことにより、戦況はファングの有利に傾いていった。数多の理により花凛の接近は拒まれ、じわじわと体力と理力がすり減らされていった。


 遠くから見守るエニシとユカリにも、花凛の劣勢は一目瞭然だった。ユカリは理の牙によって傷ついていく花凛を見るのが耐えられなかった。


 唇を噛み締め戦闘を見るユカリの傍で、腹部の痛みが治まってきたエニシは大きく深呼吸した。ユカリはエニシの方に目を向けると、同様のタイミングでエニシも顔を向けた。


「助けに行こう。このままじゃおねーちゃんがやられちゃう」


 ユカリの気持ちもエニシと同じだった。助けたいと思っていたが、それ以上に不安がよぎった。


「私たちの力でなんとかなるのかな。さっきも全然効いてなかったし……」


「なんとかなるのかな、じゃなくて、なんとかするんだよ! 今ならリンクを使う余裕もあるし、絶対大丈夫だよ」


「リンクを使って……どうするの?」


「うっ……リンクで……えっと……とにかくリンク使えば勝てる! だから、行こう!」


 ユカリは無鉄砲さに呆れてしまい、溜息が出た。しかし、この状況でも立ち向かえる勇気には救われた。


「もう、本当に何も考えないんだから。作戦を考えよう。少しでもお姉さんの助けになるために」


 依然として劣勢の花凛を心配しながら、ユカリとエニシは案を練った。自分たちを守ってくれた人のために。仇なす暴徒を鎮めるために。


 幼き勇者たちが画策しているなど露にも思っていない花凛は、襲いかかる理たちを躱しながら、いつか来る好機を待っていた。


 ファングは様々な属性の理を絶え間なく発現させていた。それは止めどなく理力を消費しているということだ。理力が枯渇してしまえば、戦う手段は限られる。自分の理力消費を抑えていれば、必ず攻守が逆転するタイミングが来るはずだと考えていた。


 幸い、ファングは射出の連射だけしかしてこなかった。これならば身体強化だけで充分回避が出来る。持っている土の源石に気を配りながら、必要最低限だけ消費していった。


 次々と飛んでくる理を避けるだけでなく、その大きさや速さも見定めていった。理力が少なくなれば当然大きさや速さも劣化していく。弱まったタイミングで攻撃に移りたかった。


 意外にもその瞬間はすぐにやってきた。ファングの理が見るからに弱まっていた。


 花凛は理を充分に取り込み、飛んでくる脆弱な攻撃をなぎ払いながら突っ込んでいった。


 ファングは火力のない攻撃を続けて足掻いていた。しかも一歩も引かずに、近づいてくる花凛をそれで撃退しようとしていた。その光景に、少し違和感を感じた花凛だったが、選択の余地はもうなかった、


 手が届く距離まで近付こうという時、ファングは射出を続けていた腕を下げた。そしてわざとらしく肩を竦めてみせた。その一連の所作の最中にファングが仕掛けた罠が発動した。


 花凛の両脇から夥しい数の刺が生えた巨大な土の壁がせり上がり、花凛に迫った。


 それは見掛け倒しではなく、強大な力を有している理だった。渾身の蹴りで破壊しようとするが、びくともせずに花凛を挟み込んでいった。


「あーあ、バカな奴だ。いや、俺が賢かっただけか? お前がスタミナ切れを待ってたことくらいお見通しなんだよ。」


 ファングは理力が切れたかのように理をコントロールして、花凛をおびき寄せたのだ。


 無数の刺と圧力に抵抗している花凛だったが、皮膚に突き刺さる刺が花凛の膂力を奪っていった。いくら理で強化しているとはいえ限度がある。理を再度取り込む隙もなく、窮地に陥っていた。


「無駄に粘りやがって。こっちはさっさと終わらせたいんだがよ」


「うぐぅ……諦めてたまるもんか。こんなの……根性で……」


「はっ、根性程度でなんとか出来るわけねーだろ。もうお前の負けだ。俺の理に食われちまいな!」


 ファングは指に挟んでいたメダルの1枚を手のひらに滑り込ませた。おそらく追い打ちを仕掛ける準備に入ったのだろう。


 理を全て吸いきったのか、メダルを無造作に捨てた。そして射出の構えに入り、理を徐々に肥大化させていった。


 花凛はファングを睨んだ。その瞳には諦めなどなく、強い闘志が籠っていた。全ての力を出して、危機を脱しようとしていた、


 だが、無常にもファングの理は容赦なく花凛を食い潰さんとしていた。ファングの手の上で大きく育った獣のような理が今まさに投げられようとしていた。


 ファングがその理を射出しようとした瞬間、大きな火の玉が飛んできた。火の玉はファングの腕に命中し、射出間近の理は暴発して消えていった。


「クソッ、誰だ!」


「へへーん、僕たちだよ」


 土の壁の両端からエニシとユカリが顔を出した。エニシの手には火の理の残滓が灯っていた。


「お前ら……すっかり忘れてたぜ。だが、お前らとのお遊びはもう終わってんだ。すっ込んでろ!」


「僕たちの本気はこれからだよ。行くよ、ユカリ」


「うん、エニシ。花凛さん、もう少しだけ待っててください」


 エニシとユカリは同時に動き出した。エニシは手ぶらのままファングに向かっていき、ユカリは手に持った火の源石を使い、火の玉を射出した。


 既に双子の実力を知っているファングは、先程の妨害してきた火の玉のことなど頭から抜け落ち、彼らの攻撃を回避しようとしなかった。


 まず火の玉がファングに直撃した。ファングに触れると、火の勢いは強まり、黒いスーツを熱く焦がした。


「ぐあっ! チッ、どういうことだ? 威力が上がってんじゃねえか!」


 水の理を使って火を消す間に、エニシが傍までやってきていた。


 何の用意もなく突っ込んでくるエニシを人質にしようと考えたファングは、低く構えて飛び込んでくるのを待った。


 エニシは接近しながら片手を前に出した。するとそこから火の玉が現れ、ファングの顔目掛けて打ち出された。フルフェイスを焼き焦がすほどの熱に耐えかね、遂にファングは素顔を晒しだした。


 頬が痩けて、黒ずんだ肌をした相貌で、目は酷く濁っていた。焦りからか荒い呼吸をしているが、口の隙間から見える歯は所々が抜けていた。


「ガキがっ! 理源を隠してたのか!」


 ファングは明瞭になった声で叫んだ。


「隠してなんかないよ。僕は持ってないだけ。源石はユカリが持ってるから」


「ああ? 何言って……まさか、パーソナルか!」


 ファングが答えにたどり着く間に、エニシとユカリは攻撃の準備に入っていた。


 ユカリは土の源石に持ち替え、理を取り出した。そして、取り出した理は2人を繋ぐ見ない糸を通じて、エニシに渡っていった。


 エニシとユカリが持つ特別な力、リンクはお互いの感覚を共有するだけではなく、理の力も共有する。2人分の理力を有した状態になり、更には理の受け渡しも可能になるのだ。


 土の理によって身体強化をしたエニシは、ファングの鳩尾を思い切り殴った。強烈な一撃にファングはよろめき、持っていたメダルも手から落ちていった。


「これが僕たちの本気の力だ。どうだ、まいったか!」


「ぐっ……ガキが……調子に乗りやがって……調子に……」


 目を大きく見開いて喘ぐファングはスーツのポケットに手を入れて、メダルを取り出した。


 花凛はそのメダルのただならぬ気配に気付いた。今までのメダルとは違い、黒い色をしたメダルだった。


 エニシたちだけでは太刀打ち出来ないだろうと感じ、花凛は衰えなく圧力を加えてくる土の壁から脱するため、近くにいるであろうユカリに声をかけた。


「ユカリちゃん、そこにいるよね? あいつが落としたメダル持ってきて! 緑色のやつ!」


「え? どうしてあんな物を……」


「説明してる暇はないの。お願い!」


「わ、わかりました」


 了解の声を聞くと、花凛の視界にメダルにへと向かって走っていくユカリの姿が現れた。ユカリの到着を気を緩めずに待ちながら、ファングの動向にも注意を向けた。


 ファングはメダルを手にすると、異常なまでに苦しんだ。そのもだえ苦しむ姿に、エニシもたじろいでいた。


 次第にファングの体から黒煙のようなものが吹き出てきた。エニシはその不気味な様子を目の当たりにして、とりあえず攻撃してみることにした。


 火の理を射出したが、ファングの纏う黒煙に阻まれてかき消された。何度も打ち出してみるも、全てファングには届かなかった。


 エニシの攻撃を受けながらも、黒煙はファングの体を完全に覆っていった。形状が変化していき、煙から液状のものへと変貌した。流れ落ちる合間に、少しづつ固まっていく様子が伺えた。それが完成体となるのに一刻の猶予もないように見えた。


 ユカリがメダルを拾い上げた時には、ファングは黒い蝋人形のような見た目になっていた。動きも呻きもなくなったその人形の表面にひびが入りだした。それが剥がれきる前にメダルを花凛の下に届けられるだろうか。ましてや届けられたとして、あの異様な物体に勝ち目があるだろうか。ユカリの不安が大きくなる中、花凛の声が思考を止めた。


「ユカリちゃん、それ投げて! 早く!」


「は、はい!」


 言われるがまま、花凛に向けてメダルを投げた。


 緩い放物線を描きながら、メダルは花凛の顔に着弾しそうだった。それを花凛は口でキャッチすると、即座にメダルから理を取り出した。


 両手から強烈な風を噴出させ、刺に溢れた土の壁を粉砕した。息つく暇もなく、ストーンホルダーから土の源石を取り出してファングに特攻していった。


 土の理を握り拳に集中させ、あらん限りの理力を込めてファングの頭部を殴った。塗り固められていた蝋が粉々に砕け、ファングは倒れた。


 体を覆っていた蝋は再び煙に変化していき、天へと上りながら消えていった。花凛が感じていた嫌な気配も同時になくなったようだ。


 力を使い果たした花凛はその場にへたりこんだ。荒い呼吸を整えつつ、ファングの様子を見ていた。


 ファングの呻き声はまだ続いていた。その声は前よりも酷く苦しそうだった。苦痛に耐えながら必死に起き上がると、花凛たちには目もくれずにバイクに向かっていった。


「逃げる気だ。そうはさせないよ!」


 エニシは火の玉を射出しようとした。しかし、花凛同様にエニシも、当然ユカリも理力が残っていなかった。エニシの手のひらで火が一瞬燃え上がっただけですぐに消えてしまった。


 そうこうしている内にファングはバイクに跨がり、力なくアクセルを回して逃げていった。


「逃げられちゃったか……あともう少しだったのになあ」


「いいのよ。2人とも無事だったからね。」


 体力が回復した花凛はゆっくりと立ち上がった。


「あいつのことは置いとくとして……君たち、何か言うことがあるんじゃないの?」


「言うこと? 何かあったっけ? ユカリはなんか思いつく?」


「お姉さんは私たちが勝手に神社を出たことを怒ってるんだと思う。だから、ごめんなさいって言わなくちゃいけないんだよ」


「あー……そうだった。あの、ごめん……なさい……」


 快活な声から一転して、消え入るような声でエニシは謝った。


「ごめんなさい。お姉さんにはたくさん迷惑をかけてしまいました。本当に、本当にごめんなさい」


「何するつもりだったのか知らないけど、すっごい心配したんだからね。いくら理が使えるからって、今みたいに危険な目に遭わないわけじゃないんだから」


「僕たちもまだまだ修行が足りないのかな。あんな奴こてんぱんに出来るくらいに強くならなきゃ、カッコよくないね」


「君が反省するべきところはそこじゃない」


 花凛はエニシの額に軽くデコピンした。突かれる瞬間に目を瞑って痛がる素振りをするのはなんとも子供っぽかった。


「ふふっ、お仕置きも済んだことだし、帰ろうか」


「えー、なんで僕だけなんだよ。ユカリにもデコピンしろよー」


 エニシの非難を聞き流し、花凛は来た道を戻っていく。その両手にはしっかりとエニシとユカリの手が握られていた。




 ふらふらと走るバイクは遂に電柱にぶつかってしまった。投げ出されたファングは体を持ち上げることも出来ず、地に伏せていた。


「うっわあ、派手に転んだねー。痛そー」


 聞き覚えのある声がファングの耳に入った。顔を上げると、まさに見知った女が立っていた。


「い、いいところに来てくれたな……どうも体が上手く動かねえんだ……助けてくれねえか……?」


「ファング、あれを使ったでしょ」


「ああ……こんな副作用があるなんて知らなかった……これさえなければあいつらも……」


「なかったとしても勝てなかったよ。あの女の子、かなり強いもん」


「お前……見てたのか……」


 ファングの視界はだんだんとぼやけていた。女がどんな表情をしているのかさえ分からなくなっていた。


「ファングのパーソナルさー、噛みつく理だっけ? めちゃめちゃ使えないね。やっぱりわたしの考えは間違ってないなーって思った」


「おい、どういう意味だ……」


「もうお喋りはいっか。あの子たちの情報はわたしが伝えとくから、バイバーイ」


 ファングの頭部を足蹴にして、女は笑った。その手には鈍く輝くメダルが握られていた。

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