第14話パーソナル

 鳳学園に生気が満ち始めて数日。本来の学校としての姿を取り戻しつつある一方、頼人たちは少し窮屈な生活を過ごすことになってしまった。


 以前は屋上で昼休みや放課後に、表沙汰に出来ないようなことを誰にも憚ることなく話せたのだが、学園の正常化、及び安全面を考慮し、屋上が使用できなくなった。


 この事に最も憤慨したのは杏樹で、生徒会室に単騎で乗り込み、屋上の常時開放を利己的な主張を展開して訴えた。無論、それは生徒会長の伏水によって整然と並べたてられた正論の前に難なく敗れ、唇を噛むだけに終わった。


 真っ当なシステムに戻った弊害としては、この程度で済んだと思えるかもしれない。なにせ、生徒たちが活き活きと生活し、笑い声が聞こえるようになったというのだから、屋上が使えないくらいのことは代償として安いくらいだ。


 ともあれ、杏樹が底知れない圧力をかけて学園を我が物にしようと企む前に、花凛は1つの提案を出した。


「そろそろ、はな婆も帰ってきてるんじゃない? 久しぶりに神社に行ってみようよ」


 その言葉を受けても、杏樹はむっとした表情を崩さなかった。しかし、その申し出を断る理由もなかったので、黙って頷いて、ついていくことにした。


 こうして10日ぶりに神社に行くことになったのだが、今回は頼人、花凛、杏樹の3人だけではなく、紅蓮もついてきた。


 新たな仲間をはな婆に紹介するというのもあったが、それ以上に紅蓮は大きな役割を持っていた。紅蓮の同行を勧めたのは情動で満ち満ちているはずの杏樹だった。流石に己を制御する頭は持ち合わせていた。ただ、頼人のことに関すると、盲目的になってしまうのが重大な欠陥ではあろうが。




 神社に到着すると、石段の前に白い軽トラックが止まっていた。荷台にはブリキのバケツがいくつも積まれ、それを降ろして運んでいる無精髭の男が、頼人たちに気付いてくたびれた笑みを浮かべた。


「やあ、ちょうど良いところに来てくれたね。このバケツを運ぶの手伝ってくれないか?」


「服部さん? なんか髭が凄いことになってるけど、どうしたんですか?」


「一週間ばかし山に篭ってたからね。まあ僕の顔を哀れんでくれるなら、バケツも軽く運べるはずさ。頼むよ」


 服部は軽口を叩くも、疲れているようだった。色々と聞きたいこともあったが、まずはバケツの運び出しを手伝うことにした。


 服部からバケツを受け取ると、中にはみっちりと源石が詰まっていた。その重さは中々のもので、頼人はバケツ1個を運ぶのが精一杯だった。息を切らしつつ鳥居を潜り、社務所に目を向けると、そこには式神の指揮をするはな婆の姿があった。


「むう、来ておったのか。手伝いご苦労さん。バケツはその辺りに置いといてくれ」


 はな婆の指した場所にバケツを置くと、頼人は額を拭ってからはな婆に話しかけた。


「あのさ、実は今日、新しい仲間を連れてきたんだけど……」


「あーそういうのは後にして、今はバケツを持ってきておくれ。まだ運び終わってないじゃろ?」


 はな婆が無下にあしらった直後、鳥居を潜って続々と使い走りがやってきた。花凛は両手にバケツを持ち、杏樹は頼人と同じく1個だけを一生懸命に、そして紅蓮は器用かつ豪快にバケツを片手に4個ずつ持っていた。


「これで終わりだ」


 ぶっきらぼうに紅蓮は言って、バケツを下ろした。


 はな婆は唖然とした顔で紅蓮を見ていた。はな婆が抱いた感情は想像に難くなかった。


「彼が新しい仲間の大田島紅蓮。見た目はちょっと怖いけど、悪い奴じゃないから」


「はあ、おったまげたわ。花凛くらいなら、わしの許容範囲に収まるが、此奴は……」


「さらっとあたしをディスんないでよね」


 花凛が抗議するも、はな婆は紅蓮から目を離さずにいた。紅蓮は困惑していたが、どうにも返す言葉がなく、ただ頭を掻いていた。


「ふーむ、まあ詳しいことは後で聞こうかね。おぬしらは先に社務所に入っておれ。わしはまだやることがあるからのう」


 紅蓮から視線を外し、はな婆は式神たちに指示を出し始めた。頼人たちのこれ以上の手伝いは却って邪魔になるのだろう。おとなしく頼人たちは社務所に入っていった。




 頼人たちは居間で待っていた。式神たちは全て出払っているのか、完全に4人だけの世界になっていた。場所は違えど、学園の屋上を使っていた時と同じ状況だと言えよう。


「ようやく、わたくしたちだけでお話が出来るようですわ」


 杏樹は言いたいことがたんまりとあったようだ。


「先週の土曜日、皆さんは学校にいらっしゃってたようですけど、その時のことを詳しく教えていただけませんか?」


 杏樹には何が起きて、どう終わったのか程度は伝えていたが、大部分は知らせていなかった。


「確かに、御門さんも知っておくべきだよな。じゃあ花凛、頼んだぞ」


「はあ? なんであたしが?」


「そりゃ花凛が一番知ってるからな。理事長のとこまで行ったのはお前だけだし」


 全てを託された花凛は嫌々ながらも、1から話し始めた。それを聞いている内に杏樹の表情は強張っていった。


 花凛が語り終える頃には、怒りに満ちた表情に変貌していた。杏樹らしからぬ顔とも言えた。怒る理由は1つしかないのだが、それでも、この感情の表し様は並々ならぬものだった。


「なるほど、長永くんはそんな目に遭ってたんですか……」


 感情を抑えこもうとして、震えた声だった。


「そんな大した目には遭ってないよ。ただ眠らされただけだしさ」


「いいえ、これは許されません。悪辣で非道な行いに他なりませんわ。理事長と生徒会長に正義の鉄槌を下さねば気が済みません!」


「やめなって。あの人たちも充分反省してるんだから。杏樹が余計なことしたら、学校がまたおかしくなっちゃう」


 花凛が宥めるも、杏樹は一向に主張を変えず、学園に対しての不満も相俟って愚痴りだした。


 杏樹を落ち着かせるために、花凛はとりあえずお茶でも飲ませておけば良いだろうと考え、台所に向かった。都合よく電気ポットにお湯が入っていたので、杏樹が沸騰する前に温かいお茶を提供することが出来た。


「ふう、お緑茶は体に沁みますわ」


 行儀よく湯のみを持って音を立てずに飲む姿から、杏樹の精神も落ち着いたことが見て取れた。


「茶の一杯でここまで大人しくなるとはな。よく分からん精神構造をしてる」


「あら、大田島くんはお緑茶の素晴らしさを理解していないようですわね、おほほほ」


 紅蓮が皮肉めいたことを言っても、杏樹はもう感情が揺さぶられないようだった。もう一度湯のみに口を付けた後、まともに振り返りをし始めた。


「それにしても、理の力は底が知れませんね。理事長が使っていたとされる洗脳の力や生徒会長の不老の力、それに戸張殿の鍵も……わたくしたちが学んできた理とは一線を画する力のように思えますわ」


「そういえば、頼人は戸張にその力のこと、教えてもらったんじゃなかった? パープリンだかなんだかって」


「『パーソナル』な。教えてもらったって言っても、そんなに深く教えてもらったわけじゃないけど」


「興味がありますわ。是非、そのパーソナルとやらについて説明していただけませんか?」


 杏樹だけではなく、花凛と紅蓮からも視線を浴びて、頼人は少し緊張してしまった。咳払いを1つしてから、戸張が話した内容を噛み砕いて話し始めた。


「パーソナルっていうのは人それぞれが持つ、理に関係した特性みたいなもんなんだ。それが普通の理とは違った特別な力を持った理を生み出したりするらしいけど、その他にも色々な効果を持っているんだって」


「色々ってざっくりしすぎね。具体的にはなんなのよ」


「さあ。そこまでは教えてもらえなかった。とにかく、人によって違った力があるってことだ」


「その力が長永くんの特別な力の正体だった、というわけですね。ですが、何故お婆様はパーソナルのことをお話にならなかったのでしょう。理屈を教えてしまえば、力の覚醒は容易いと思うのですが」


 杏樹は首を少し傾けて、考えてみた。その間に、花凛が自分の意見を口に出した。


「パーソナル自体を知らなかったんじゃないの? カタカナ語だしさ」


「……その適当な理由付けは置いておくとして、可能性は低くない気もしますわ。ただ、明確に定義付けされてこなかっただけで、謎の力としては認識していたのでしょう。ですから長永くんの力を解放させる適切な方法が分からず、同じ力を持つ者と引き合わせることで糸口を見つけ出させようとした、と。まあ、推理しても無駄ですわね。真実を知りたいのなら、お婆様に聞けば済む話です」


 そう結論づけて、杏樹はお茶を飲みだした。


「まあね。それにしても、あたしも使いたいなあ、パーソナル。あたしのはどんな力なんだろ」


 花凛がまだ見ぬ力に思いを馳せていると、玄関の扉の開く音が聞こえてきた。片付けを終えたはな婆が戻ってきたようだ。


 重たい足取りで廊下を擦る音は2つあり、おそらく服部も一緒にいることが推測された。


 居間の襖が開き、はな婆と服部が入ってきた。はな婆はさほど疲れているようには見えなかったが、服部は露骨に疲弊していた。


「やれやれ、やっと終わったわい。おー、お茶を用意しておいてくれたのか。助かるのう」


 2人は座卓の定位置に付いた。急須はあったが、はな婆の湯のみは出していなかったので、花凛が取りに行った。そして一息ついたところで、はな婆が話を切り出した。


「さて、まずはわしがいない間に何があったのか。それを聞くことにするかね」


「えっと、じゃあ最初は紅蓮のことから……」


 頼人は同級生の紅蓮が悪意に飲まれたこと、廃工場での戦いのことについて話した。はな婆はお茶を啜りながら、顔色を変えることなくその話を聞いていた。


「なるほどのう。そんなことがあったのか。それで此奴は元に戻ったわけかい」


 紅蓮を見ても動じなくなっていた。とは言っても、拒否感は完全には拭えていないようだったが。


「戦力が増えることは良いことじゃ。街の平和のために尽力してもらうぞ」


「……ああ」


 紅蓮は紅蓮でどう対応すべきか悩んでいた。はな婆との距離感は紅蓮にとって最難題と言えた。


「しかし、おぬしにはまだ疑問が残る。おぬしは源石をいったい何処で手に入れたんじゃ?」


 はな婆が紅蓮にした質問は、花凛が聞きそびれていた極めて重要な質問だった。紅蓮がどう答えるか、一同は固唾を呑んで見守った。


「源石か、それが……全く思い出せない」


 紅蓮の答えは、杏樹が予想した通りのものだった。お粗末な推理と自ら揶揄しておきながら、ちゃっかり的中させるあたり、杏樹の考察力は人並みではないな、と花凛は思った。


「だが、始めからアジトに置いてあったということはない。何かがあって源石を手に入れたのは確かだ。だが、その何かが思い出せん」


「ふーむ、ではおぬし以外の人間はどうなんじゃ? その、カミナとかいう娘は」


「あいつは知らねえ。源石のことをあいつに教えたのはオレだ。だからオレが与えた情報以外は知るはずねえんだ」


 頼人はカミナの証言を思い出した。紅蓮の言う通り、カミナは源石と理の使い方以外は教わっていなかったようだし、それ以上の詮索は紅蓮が拒んでいたと取れる言い方をしていた。


「手掛かりはなしか……困ったのう。明らかに第三者の介入は見えているんじゃが……これでは何も見えてこないわい」


 はな婆は腕を組んで黙りこんでしまった。一同も沈黙する中、花凛があることを思い出して沈黙を破った。


「あのさ、あたしそん時に、変な妖怪に遭ったんだけど、それって関係ある?」


「変な妖怪? どんな奴じゃ?」


「見た目が人間の子供みたいなんだけど、動物の尻尾と耳が生えてるの。そんで和服っぽい服来ててさ、名前は確か……和吉っていったかな」


「和吉じゃと?!」


 はな婆は老婆とは思えぬほどの大きな声を出して驚いた。


「び、びっくりした……あの子のこと知ってるの?」


「知っとるわ……しかし、あれの名を聞くのも久方ぶりじゃ。あれは狐の妖怪、つまり妖狐じゃ」


「妖狐かあ。確かにキツネっぽいかんじの耳と尻尾だったかな。それで、やっぱり和吉ちゃんが関係してるの?」


「いや、それはない。あれは小賢しい知恵など働かせん。もっと質の悪いことばかりしおるからのう。あれと対面したのなら、花凛も実感しているじゃろ?」


 花凛は思い出すだけで胃がもたれた。花凛が苦い顔をしただけで、はな婆は理解に至った。


「ま、そういうことじゃ。あれのことは考えなくていい。考えるだけ無駄じゃ。とりあえず源石のことは後にして、次もあるんじゃろ?」


 頼人は学園で起きたことを、先程花凛が説明した通りに話した。


「ほー、そんなことが……まあ、おぬしらが無事で良かったわい。それじゃあ、さっきの話に戻るとしよう」


「え? もう終わりなの? もっとなんかあるでしょ。理事長のこととか、生徒会長のこととか……」


「害がなくなったのなら気にすることはもうないじゃろ。それに今は悪意に接触している輩がいる、ということが重大な問題なんじゃ」


 結局、はな婆は特に深く聞くこともなく、この話を終わらせた。


「何が目的なのかは知らんが、早急に突き止めねば恐ろしい被害を被りかねん。デカブツ、おぬしのアジトとやらに案内してくれんか? 何か手掛かりが残ってるやもしれん」


「あ、ああ。構わん」


「よし、それじゃあ今から向かうぞ。服部、車を出すんじゃ」


 はな婆は隣で瞼を重そうにしている服部へ、無慈悲に雑用を告げた。


「……今から? 僕はもうくたくたなんですが……」


「事は急を要するんじゃ。ほれ、立て立て」


 服部は深く溜息を吐き、渋々と立ち上がった。そして、のろのろと居間を出ていった。


 それに続いて、はな婆も出ていこうとするが、頼人が急いで呼び止めた。


「はな婆、俺たちはどうしたら……」


「ん……ああ、そうじゃのう……境内の掃除でもしておいてくれんか? それが終わったら、わしらが帰ってくるまで自主訓練ということでよかろう」


「えー、だったらあたしもそっちに行きたいんだけど」


「おぬしがいても何にもならんわ。ほれ、デカブツ、行くぞ」


 はな婆はまだ座っている紅蓮を急かして、さっさと居間を後にした。紅蓮も慌ただしく立ち上がり、頼人たちを一瞥してからはな婆を追っていった。


「あらあら、行ってしまいましたわ」


「もう、はな婆ったらせっかちにも程があるわ」


 花凛が文句を言う隣で、杏樹は自分の湯のみを花凛の前に置いた。


「お片付け、お願いしますわ。わたくしと長永くんは先に外の掃除をしておきますので」


「ちょっと、なんであたしがそんなことを……」


「効率を考えてのことです。つべこべ言わずにやってくださいまし。さあ長永くん、行きましょう」


「あっ、ああ。花凛、悪いけど、後は頼んだぞ」


 杏樹に連れて行かれるように、頼人は外に向かった。


 残された花凛は口をへの字に曲げながらも、散り散りに置いてある湯のみをかき集めて、台所に運んでいった。




 境内の掃除があらかた終わると、漸く花凛が社務所から出てきた。


「遅いじゃないか。何やってたんだ?」


 頼人の問いかけに花凛は頬を膨らませて答えた。


「洗い物、すっごく溜まってたから片付けてたのよ。片付けてから家を空けなさいよね、まったく……」


 花凛は、はな婆への愚痴をこぼしながら、拝殿の段差に腰掛けた。


「んで、そっちの掃除も終わったみたいだけど、今から訓練する?」


「言われたことはやっておくべきでしょう。ですが、その前に見ておきたいことがあります」


 杏樹は頼人にいつになく真剣な顔を向けた。


「長永くんのパーソナル、それを此処で披露していただけないでしょうか」


「へ? いいけど、どうして?」


「わたくしもパーソナルを会得できればと思いまして。長永くんが実際に使っている様子を見られれば、コツが掴めるやもしれません」


「そんな上手くいくもんかねえ。パーソナルって人によって違うんでしょ?」


 花凛が横槍を入れてきた。


「だとしても、見ておくことに意味はありますわ。それに長永くんのパーソナル、どのようなものが見たくありませんの?」


「あのピカーって光るやつだよね。うーん、改めて見るのも悪くはないか……そうだね、お披露目してもらおう。頼人、お願い」


 期待の眼差しが頼人に集まった。2人の期待に添えられるかは分からないが、頼人は自分の出来ることをやるだけだった。手を前に出して、意識を自分の心に向けた。そして、その中に燻る微かな波動を引き上げるように、感覚を研ぎ澄ませていく。


 順調に波動は浮かんでいき、発現の一歩手前まで来た。手中に確かな熱量が籠もり始めたその時、頼人の集中が強制的に遮断された。


 突然視界が暗転し、頭に負荷が掛かった。よろめくものの、倒れずに済み、現状を把握しようと視界を塞ぐ物体を取り払おうとした。しかし、それは頼人の手が触る前に、視界を解放し、滑るように頭の後ろに移動した。肩から腰に掛けて、重量を感じ、首には小さな腕が回っていた。


「な、なんだ? 誰が何してるんだ?」


「あー! 和吉ちゃん!」


 頼人がパニックに陥る中、花凛が驚愕の声を上げて、その存在の名を呼んだ。


「わ、わきち? この子が……って、ちょっと、何するんだ、やめっ、くすぐったいって!」


 和吉は足で頼人の胴体を挟み、首に回していた腕を離して体をくすぐり始めた。頼人の弱い部分を執拗に攻め続け、耐え切れずに暴れるが、和吉は振るい落とされることなく、無邪気な笑みを浮かべながらくすぐり続けた。


 とうとう頼人は力尽き、和吉の重みに負けて後ろに倒れそうになった。頼人が傾き始めると、それを察知したのか和吉は頼人から飛び退いて、参道に着地した。


「あー面白かった。おにいちゃん、めっちゃこちょこちょ効くね」


 和吉は倒れている頼人を下駄で突き、反応を楽しんでいた。


「な、なんてことするんですか! おやめなさい!」


 杏樹は和吉の腕を掴もうとした。しかし杏樹の手は空を切り、和吉はその場から一瞬にして消えた。


「あ、あら? 消えた……」


「こっちだよ、お外のおねえちゃん」


 声のする方向に振り向くと、そこには花凛の膝にちょこんと乗っている和吉がいた。


「……瞬間移動でもお使いになるのでしょうか」


「さあね。よく分かんないけど、まともに取り合うと頭痛くなるだけだよ」


 花凛は諦めたように言った。


 訝しげに和吉を眺めていた杏樹だったが、頼人への心配を思い出して、そちらに思考と視線を移行した。頼人は自力で復帰し、地面に胡座をかいて和吉を見ていた。


「ふう、何の前触れもなく出てきたな。せっかく、もう少しで発現できたのに台無しだ」


「本当に、迷惑甚だしい妖怪ですわ。早く追い払ってしまいましょう。花凛さん、その子を抑えてください」


 花凛は杏樹の指示に従うことは出来なかった。それが無駄だというのは分かりきっていたからだ。


「ムリ」


「ムリ、じゃありませんわ。油断している今が好機なのですよ?」


「油断ねえ……」


 少し考えを巡らせた後、花凛は何気なく和吉のふさふさの耳を触ってみた。艶やかな毛に覆われたそれは指先に至高の感触を与え、花凛を虜にさせた。


「おお、すっごく気持ちいい……」


「あひひっ、ちっとくすぐったいよ、おねえちゃん」


 花凛は次第にのめり込んでいき、耳だけではなく頭を撫でくりまわしたり、ゆらゆらと揺れている尻尾にまで手を伸ばした。どこを触っても和吉は抵抗することはおろか、気持ちよさそうに笑うので、花凛も止めどなく和吉を堪能した。


「花凛さん、何をやっているんですか」


「もうたまんないね……癒やし効果がありすぎる……」


 蕩けた表情で撫で続けているばかりで、話にならなかった。杏樹は業を煮やし、自らの手で和吉を取り押さえようとした。


 和吉は花凛の膝で丸くなり、瞼も落ちかけていた。その安寧を壊さないよう、静かにゆっくりと杏樹は近づいていき、全神経を尖らせて和吉に手を伸ばした。


 和吉がまったく反応しないことを確認すると、その手で素早く和吉を捕らえた、かに思えた。和吉は一瞬にして姿を眩まし、杏樹の手は空を切った。


「むう、またしても!」


 悔しさを露わにしながら、辺りを見回した。後ろに振り返ると、和吉は鳥居の下で小躍りしていた。


「あひゃひゃひゃ、鬼ごっこ、する?」


「誰がするものですか。早々に此処から立ち去りなさい。でないと、実力行使に移りますわよ」


 杏樹はストーンホルダーから源石を取り出し、警告した。


「あーあ、せっかく和吉ちゃんが大人しくしてくれてたのに……」


「花凛さん、捕まえる気はないんですの?」


 立ち上がる素振りも見せない花凛に視線を送りながら言った。


「ないよ。今んとこ大した悪さもしてないし、放っておけばいいんじゃない?」


「腑抜けたことを……良いですわ、花凛さんのお力は借りません。長永くん、共にあの妖怪を打ち倒しましょう」


 花凛の助力を完全に諦め、頼人に望みを賭けた杏樹だったが、頼人も思わしくない反応を示した。


「そんなに躍起になることでもないんじゃないか? くすぐられはしたけど、そんなに悪いことでもないし、というか子供のやることだから多少は目を瞑ってあげるべきだと思う」


 頼人に言われてしまっては、杏樹はそれに倣う他になかった。握りしめていた源石を渋々しまい、花凛の隣に座った。


 和吉への敵対心が消えたわけではない。相手が子供であろうと、自分や頼人に危害を加えようものなら、排除するのに躊躇いはなかった。しかし、自分の物差しだけで判断すると、却って頼人からの評価が下がるのは目に見えている。杏樹はこの敵意を胸中に留まらせておき、来るべきタイミングで解き放つ算段だった。


 そんな杏樹の敵対心に気付く様子もなく、和吉は神社の中を探検し始めた。この神社は子供の好奇心を駆り立てるのに充分な廃れ方をしていた。和吉は頼人たちへの興味が薄れ、同時に頼人たちも和吉へ意識を向けなくなっていた。頼人は改めてパーソナルを披露すべく、立ち上がった。


「それじゃあ今度こそ、発現させてみよう」


「お願いいたしますわ。邪魔が入らないよう、わたくしも細心の注意を払っておきましょう」


 和吉は手水場で遊びに夢中だった。頼人と花凛はもはや全くの無警戒だったが、杏樹だけは最低限の意識を和吉に向けていた。それでも、頼人のパーソナルの発現を見逃さまいと視線を忙しくさせていた。


 頼人は先程と同じ手順を繰り返し、邪魔の入った段階まで辿り着いた。次第に手が発光し、パーソナルが発現しようとしていた。


 花凛と杏樹はその光に目を奪われた。しかし、それは前兆に過ぎない。頼人の手のひらに光が集約し、徐々に形が表れはじめた。実体を持つかの如く光は変形し、明度も落ち着いてきた。そして、直視しても眩まないほどになった時、頼人のパーソナルは遂に姿を見せた。頼人の手には光を放つ剣が握られていた。


「おお、カッコいい……」


 その美しき光の剣に感嘆の声を上げる花凛。一方、杏樹は黙ったまま剣を凝視していた。


「あたしが見たやつとは違うのね。パワーアップしたってこと?」


「うーん、どうだろうな。よく分からないけど、この形で落ち着いたんだよ」


 頼人は剣を軽く振りながら言った。パーソナルとして、この力を使えるようになったが、それでも全てを把握したわけではなかった。


「使いやすい形にはなったけど、これを維持するのに結構理力が要るみたいでさ、乱用はできないんだ」


「なるほど、それに頼りっきりってわけにもいかないのね。ここぞって時に使っていけばいいんじゃない?」


「そうだな。でも、これがどれくらい強いのかはまだ分かってないんだよなあ。試し斬りってのをしておきたい気もある」


 刀身をまじまじと見ながら頼人は言った。光で輪郭がぼやけているため、剣としての機能を有しているのか不安だった。ましてや、理の力がどの程度含まれているのかさえ分からないのだから、いきなり実戦投入するのは憚られるのだ。


「じゃあ、あたしが相手になろっか?」


 花凛はしれっと物騒なことを言ってのけた。


「いや流石にそれは……やっぱり斬っても大丈夫な練習相手なんて、都合が良すぎるか」


「でしたら、あの妖怪を相手にすれば良いのでは?」


 剣の観察をひとしきり終えた杏樹が、さらっと酷いことを呟いた。


「あんたねえ、和吉ちゃんは子供なんだから……あっ、でも和吉ちゃんに頼めば手伝ってくれるかも」


「一言加えなくとも、気付かれないように不意打ちをすれば……」


「違うっての。和吉ちゃんを斬るんじゃなくて、和吉ちゃんの作る人間を斬ればいいのよ」


「人間を作る? どういうことですの?」


 杏樹が怪訝な顔で説明を求めた。


「あの子は本物っぽい人間を作り出せるの。本当に本物にしか見えないのに、あの子が手を叩くとパッと消えちゃうのよ。すごくない?」


「なんとも伝わりづらい言い方をなさいますね。要するに実体に近しい幻を作り出すということでしょうか」


「そうそう幻。だからその幻を試し斬りに使えるんじゃないかなってね。どう、頼人?」


「本物の人じゃないなら、俺も抵抗なくやれそうだ。でも、あの子が頼みを聞いてくれるかな」


 自由奔放な和吉が素直に言うことを聞いてくれると頼人には思えなかった。


実は花凛も確固たる自信があったわけではない。しかし、所詮は子供。それらしい対応をすれば、大人しく従ってくれるかもしれないと考えていた。


「まあ、やってみないことには始まらないね。おーい和吉ちゃーん!」


 花凛は飛び上がるように立ち上がり、和吉の名を叫んだ。


 手水場の水で遊んでいる和吉は耳をピクリと動かすが、反応はそれきりだった。呼び寄せようとするのは諦めて、頼人たちは自ら和吉に近づくことにした。


「ねえ、和吉ちゃん。お願いしたいことがあるんだけど、いいかな?」


 優しい口調で花凛は尋ねた。


「んー? 遊んでくれるの?」


 柄杓を握ったままで和吉は手水場から顔を逸らし、腰を屈めている花凛に視線を向けた。


「遊びかどうかは分かんないけど、和吉ちゃんの作る人を出して欲しいんだ。ほら、あたしに使った人たちみたいのを」


「またお人形遊びしてくれるんだ、いーよ。そいじゃ……」


「あーちょっと待って!」


 柄杓を持ったまま手を叩こうとする和吉を、花凛は慌てて止めた。


「どうしたの? おねえちゃん?」


「出来れば、1人だけにしてくれないかな? いっぱいいると、こんな狭い場所じゃ動きづらくなっちゃうし」


 和吉は手を止めて、目を丸くしていた。何か考えているのか小さく唸っていたが、やがて声を出した。


「わかった。そしたらね、わちき、すっごいの出すよ。頑張ってね」


 打つ寸前だった手の距離を戻し、即座に叩きなおした。


 子供の手から鳴る音とは思えないほど響き、木霊した。その音が消え失せると、鳥居の方から足音と何かがかち合う音が聞こえてきた。


 頼人たちは鳥居に視線を向けた。そこには大仰で派手な甲冑を纏い、手に血の跡が残る刀を持った武士と思しき人物が現れていた。


「い、いやいやいやおかしいだろ。こんなのと戦えってのか? というか花凛はこんなの戦ったのか?」


 動揺する頼人に、花凛は苦笑いをして言葉を返した。


「あはは……あたしはただの不良しか相手してなかったよ。まあ……あれよ、試し斬りにはおあつらえ向きな相手じゃん。良かったね」


「嘘だろ……で、でも、こいつは幻だから刀で斬られても大丈夫だよな?」


「……当たらなきゃいいのよ、当たらなきゃ! ヤバそうだったらあたしたちも加勢するから、とりあえず戦ってみて、ファイト!」


 花凛は杏樹の腕を掴み、下がっていった。


 頼人は引き止めようとしたが、武士が刀を構えていることに気付き、自分も臨戦態勢に入る他なかった。


 一応の武士道精神は持っているのか、頼人が丸腰だったので、様子見で距離を保ってくれているようだ。それを悟ると頼人も落ち着きを取り戻し、冷静に光の剣を発現させることが出来た。


「おー、なんかすごいの持ってるんだねー」


 柄杓を手の中で回しながら、和吉は好奇の目で光の剣を見ていた。


「でも、さぶきちもすごいよ。やっちゃえ、さぶきち!」


 軍配よろしく柄杓を振りかざすと、それを合図にさぶきちと呼ばれた武士は頼人に迫ってきた。


 刀を大きく振り上げ、頭をかち割らんとするさぶきちに、頼人はすかさず光の剣で守りを固めた。この剣に防御能力があるのかは未知であったが、咄嗟に取れる行動はこれしかなかった。


 刀と剣が交わった。無事に攻撃を受け止められたかに見えたが、そもそもの力量が均衡を築こうとしなかった。戦の世界に生きているだろうさぶきちの腕力は、典型的現代っ子の頼人では全身全力で相手しなければ防ぎきれないものだった。頭上に向けられた刃を辛うじて止められているだけで、その防衛線も少しずつ後退していた。


 それは花凛や杏樹から見ても瞭然のことであった。杏樹が助けに行かないように押さえつけていた花凛は腕の中での抵抗が強くなっているのを感じた。


「花凛さん、離してください! このままでは長永くんがやられてしまいますわ!」


 杏樹は解放を懇願したが、花凛はそれを許さなかった。


「ダメ。まだ頼人は本領発揮してないでしょ、助太刀には早すぎるのよ」


「そんなことを言っている場合ですか! 助けないと大怪我してしまうかもしれないのですよ?」


 杏樹の言い分は尤もだが、花凛にも譲れない部分があった。


「杏樹もまだまだね。本当に頼人のことが好きなら信用してあげなさいよ。」


「……信用?」


「そう。信用は友情の到達点で、愛情の入り口、ってね。あんたの愛が本物なら、当然頼人を信用してあげなきゃ」


「信用、信用……」


 杏樹は何度も呟くうちに、自然に抵抗を止めていた。これで安心した花凛は杏樹の拘束を解き、共に頼人を見守ることにした。


 そうこうしている内に、頼人とさぶきちの攻防に動きが出始めた。押しているさぶきちの刀が小さな悲鳴を上げだした。


 どういうわけか、刀に限界が来ているようだ。頼人は緊迫した状態ながらそれに気付き、打開策を考えた。考えたが、刀を防ぐのに精一杯な現状で、出来る事など1つしかない。この光の剣にありったけの力を注ぎ、刀を粉砕するだけだ。頼人は遮二無二、パーソナルを引き出した。


 頼人の感情に応じて、光の剣は突如眩く発光した。その瞬間、頼人は腕に掛かっていた負荷が軽くなったのを感じた。光によって視界は遮られていたが、剣と競り合っていた刀の感触は消え、抵抗していた力はその勢いを減らすことなく前進していった。


 強烈な光は収まっていき、頼人はその剣の行く先を見据えることができた。さぶきちの刀は真っ二つに折れていて、その先には厳しい表情をしているさぶきちの顔があった。光の剣はそのさぶきちの首に目掛けて刃を向けていった。


 頼人が憂う間もなく、剣はさぶきちの首にめり込んだ。そして、何事も無く通過していった。


 頼人は確かに剣が首を刎ねる瞬間を見た。しかし、さぶきちの頭は健在していて、首にも傷さえ残っていなかった。


 剣を保つ理力はなくなり、静かに光は消えていった。頼人はさぶきちから離れ、様子を見た。剣の一撃を加えてから、さぶきちは全く動かなくなっていた。


「ありゃ? ありゃりゃ?」


 和吉は首を捻って、そればかり言った。どういう結果がさぶきちにもたらされたのか、この場でそれを知る者はいなかった。


 和吉は納得のいかない様子だったが、仕方なしに両手を打った。すると、さぶきちの姿は瞬きの間に跡形もなく消えた。


「おにいちゃんの勝ちでいいや。わちき、あんま楽しくなかったけど。それじゃあね」


 不貞腐れたように言うと、何の予兆もなく和吉もさぶきちのように消えてしまった。


「……余韻に浸る間もなくいなくなるのか。あの子には振り回されっぱなしだ」


「でも、言うこと聞いてくれたんだから感謝しないとね。今度会ったら、お菓子でもあげようかな」


 頼人は声の方に向くと、花凛と杏樹が既に近付いていた。


「長永くん、大丈夫……ですか?」


「ああ、大丈夫。ちょっと、疲れたけどね」


「そうですか。良かった……」


 杏樹はやけにしおらしかった。頼人は少しだけ疑問を抱いたが、それよりも今はパーソナルが発揮されたさぶきちとの戦いについて語りたかった。


「この光の力ってのはよく分からないな。紅蓮の時には直接的なダメージを与えるものじゃないって思ってたけど、今回は刀を折った。でもそのまま武士の首をすり抜けていったし……どういう仕組みなんだろう」


「うーん、あたしから見ても何が何やらさっぱりだわ。都合のいい感じにやってくれる力なのかな?」


「それじゃあ何にも分かってないのと一緒じゃないか。御門さんは何か気付いたこととかない?」


「……難しいですわ。あのひと振りを見て判断できる代物ではない、としか」


「そうかあ。御門さんでも分からないか」


 頼人は溜息を吐いて落胆した。


 結局徒労に終わったように思えた。学んだことと言えば、長時間の使用は出来ないということくらいだった。だが、その効果は未知数ながらも強大であるのは確からしいので、切り札として使えるだろうと考えた。


 こうして頼人のパーソナルのお披露目会は蟠りが残ったまま幕を閉じた。そこからはな婆たちが帰ってくるまでの時間は長くなかった。


 渋い顔をしたはな婆が紅蓮と服部を引き連れてやってくると、その面持ちから不穏な事態を読み取れた。


「おかえり。どうだった?」


 花凛は持ち前の明るさを抑えて尋ねた。


「……厄介なことが起きているようじゃ。わしは少し考え事がある。デカブツ、説明しておいてくれ」


 はな婆はそそくさと社務所に入っていった。服部も役目を終えたことを確認して、挨拶もそこそこに帰っていった。


「なんか只事じゃない雰囲気があるけど、何があったんだ?」


「……覚えてるか? アジトの2階には大量の源石があったことを」


 紅蓮は険しい顔で、低く唸る獣のように言った。


「ああ。そういえば、あれ、まだ残ったよな。それがどうしたんだ?」


「その源石が1つ残らず消えていた」


「えっ、それって……」


「何者かが奪っていった、ということでしょう」


 杏樹は冷静に推測を述べた。


「そうだろう。そして、そいつはオレに源石を渡したヤツと関係しているはずだ」


「あの場所に源石があることを知っている人物は限られるからか。回収しに来たってことか」


「じゃあ、その源石はまた悪意に蝕まれた人たちに渡されちゃうってこと? それってヤバくない?」


「あれだけの源石があるのですから、悪意が広がっていけば、それだけ被害の大きさも増していくでしょう。さながら、テロリズムのように……」


 杏樹の言葉に一同は凍りついた。今までは悪意による被害は大事にならずに済むレベルだったが、それらが同時多発し、尚且つ理を用いて暴走しだすならば、密かに彼らを処理することも難しくなるし、勝てるかどうかも分からない。大混乱は免れられないように思えた。


 その恐怖が訪れるのを待つしか出来ないのだろうか。頼人の新たな力、パーソナルは不安を拭うには軽すぎた。そして、平和を守るということが若人たちには重すぎる責務だということを後々、嫌というほど知らされることとなる。

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