第13話不出来な学校 その4

 必要な手順を確認した花凛は、伏水が使った技を思い返した。


 使用者の手から直接放たれず、離れた床から突然出てくる、この技術は『発生』というものだ。


 理は体内に取り込んだ後、手を介して発現し、直接放つ『射出』が最も簡単で扱い易い技術である。実際、射出は基礎中の基礎として学ばされ、それが出来るようになって訓練の終了とされていた。


 発生は前述の通り、理を間接的に発現させる技術で、扱いが難しい。一度に要求される理の量と使用者の理力が射出よりも多く、発現させた後に操作することも出来ない。しかし、突然理が現れるので、対応が後手になり、痛手を与えることが容易であるため、使用の複雑さに見合った効果を持ち合わせている。


 伏水もその発生を使っていたのだが、少し様子がおかしかった。普通の発生ならば、わざわざ床に手を着いて発現をしない。はな婆に披露してもらった発生は何のアクションもなく、発現していた。それなのに、伏水はご丁寧に床の色まで一瞬変化させて、どの属性の理かを知らしめてから発生の準備をしていたし、しかも発生させるまでにタイムラグもあった。


 伏水はまだ発生を使いこなせていないのではないか、と花凛は考えた。だから慎重な手順に沿って発生の準備をしているのだろう。そこに付け入ることが出来れば、格段に秘策が通りやすくなる。


 花凛は考えに考え、プランを練った。それが完成したタイミングで、伏水の攻撃が始まった。


 足下に水が沸き上がってきた。咄嗟に前に跳んで回避したが、次は強風が襲ってきた。


「ワンパターンだなあ、もう!」


 花凛は怒気の篭った声を発し、飛ばされないように堪えながら、源石から理を取り込んだ。素早く身体強化に理を回し、伏水に二度目の接近を試みた。


 先程と違って、花凛は足下を気にした。理が発生する前に、前兆として床が変色することが分かっていた。それに対応できるように、速度を抑えながら前進した。


 予測した通り、花凛が通る毎に床は反応を示し、それを見てから速度を上げることで回避できた。次々と襲ってくる理を躱し、順調に伏水に近づいていく。しかし気は緩められない。伏水の顔にはまだ焦りが見えなかった。


 理の効果時間が残り僅かになっていたが、先程追い返されてしまった地点に来ることが出来た。伏水は全く動じず、逃げようともしない。だからといって、足を止めて様子を見る余裕はない。当初の予定通り、足下に注意をしながら突っ込んでいった。


 一歩足を踏み出すと、それに反応するかのように床が赤くなった。既視感のある展開だったが、今度は一気に走り抜けることで回避することが出来た。しかし、その瞬間に予期せぬ事が起こった。


 抜けた先に、花凛が足を出すよりも早く床が青く変色した。そして、そこから大量の水が斜めに吐き出され、花凛を飲み込んでいった。激流に抗うことが出来ず、もがき苦しみながら押し戻されていく。結局また、花凛は伏水の下に辿り着けずにスタート地点に帰ってきた。


「何度来たって同じですよ。あなたが抵抗出来なくなるまで押し返すだけです。あはははは!」


 伏水は高らかに笑い、自信の有り様を誇示した。


 水の束縛から解き放たれ、咳き込む花凛だったが、すぐに立ち上がってまた伏水に向かって走りだした。余裕ぶって理を準備していない隙に、近付こうという算段だ。理は切れてしまっていたが、地雷が仕掛けられていない今なら安心して進めた。


 伏水は復帰の早さに慌てた様子を見せた。手持ちの源石を見遣りながら、発生をしようと手を床につけた。どうあっても発生を使って撃退したいらしい。


 それは花凛にとっては僥倖である。射出を使って妨害される方が面倒だった。最後の土の源石から理を引き出し、全速力で走りだした。


 花凛はおざなりな発生に引っかかる足を持たなかった。伏水は手元に落とした源石を確認して、おそらく最後になるであろう理の準備をした。水の源石に持ち替えて、深呼吸をしてから手を床につけた。


 このままだと、また洪水を起こされてしまう。だが、ここで花凛は策に出た。


 急ブレーキをかけて立ち止まり、自分も同じように土の源石を取り出した。


 実は源石から全ての理を引き出していなかった。残しておいた理をこのタイミングで引き出した。そして、花凛は伏水を見定めると、片足のつま先で床を突いた。すると、伏水の手がついている床から小さな土の山が勢いよくせり出した。


 伏水の手はそれによって弾かれ、発生の儀式は中断された。その拍子に源石も落としてしまった伏水は慌てて源石を拾い上げて、一から発生の準備をやり直していた。


 花凛は発生に夢中になっている隙を突き、持ったままだった空っぽの源石を、力強い投法で投げ放った。


 身体強化の力も相俟って、凄まじい速度に達した石ころは見事に無防備な伏水の額に命中した。鈍い音が鳴り、伏水は仰け反った後に流れるように倒れた。


 花凛は急いで伏水に近づき、彼女の様子を伺った。伏水は白目を向いて気絶しているようだった。手加減出来なかったために、額は割れて出血していた。


 成功したとはいえ、やり過ぎだったかと反省した。ここまで見事に策が嵌るとは思ってもいなかった。


 花凛の放った秘策とは、奇しくも伏水の使った発生と同じものだった。だが伏水のものとは違い、それ単体に攻撃力はほとんどない、ひ弱な力なのだが、その分消費する理も少なく、扱いも単純だった。また、伏水と同様に、発生にワンアクションを挟む必要があったが、それは地面を小突くだけで済ませられた。そのアクションから、この土の理の発生を『ノック』と名づけていた。ノックを利用し、相手の足下などに土塊を発生させて、行動を阻害したり、怯ませたりした後、攻撃に転じるというのがはな婆に伝授された技だった。


 今回は接近を異様に嫌がる相手だった上に、それ以外に無警戒だったため、使い終わった源石を遠距離武器として使用することを考えついた。結果、花凛の思うように事が運び、たった一度の攻撃で勝敗が決することとなった。


 花凛はせめてもの情けに、自分のハンカチで額の傷を覆ってやり、伏水の下を後にした。そして遂に、このゲームの終わりに手が掛かった。ポケットに入れていた鍵を取り出し、理事長室の錠前にその鍵を差し込んだ。


 ゆっくりと鍵を回すと、解錠音が義務を果たして通行の許可を認めた。花凛は深呼吸して、頭の中を整理した。理事長には言いたいことが山ほどあった。それをある程度まとめて、問題がないことを確認した後、扉を開けた。


 想像通りの重厚な内装の奥に、白髪白髭の老人が鎮座していた。




「あんたが理事長ね。ご覧の通り、ゴールに到着したわよ」


「ふむ」


 理事長は黒く艶の良い革の椅子に体を預けたまま、花凛を見ていた。


「ふむ、じゃなくて、分かってんでしょ? あたしたちの勝ちよ。だから……」


「だから……どうすれば良いのですかな?」


 花凛は言葉に詰まった。そして、あることに気付いた。


「……勝ったらどうなるのか、教えてくれなかったわよね?」


「ええ。よくお気付きになりましたね。私はあなたたちに勝負を提案しましたが、報酬は提示していません」


 理事長の放送では、勝敗の決する方法について話していたが、勝った場合に得られるものについては一切触れられていなかった。長々と続く演説だったために、その全ての内容に耳と頭が役割を全うしきれなかったのだ。


「このゲームの支配者は私です。あなた達の勝ちを覆すことは出来ませんが、その報酬については今ここで決めてしまえるのです。勿論、私の独断によって……」


「そ、そんなのズルい! あたしがどんだけ苦労して来たか……」


「まあ落ち着いてください。私の独断によって決めることも出来ますが、それで納得していただけるとは露ほども思っていません。ですので、ここは是非あなたの意見を聞きたいのです。いったいどんなものならば、あなた達は満足していただけるのでしょう?」


 理事長は穏やかな表情で花凛を見た。


 花凛は天を仰いで考えたが、答えはすぐに見つかった。頼人たちも望むことであるのは間違いない答えだ。


「じゃあ、今すぐ生徒全員の洗脳を解いて。そんで二度とあたしたちの自由を奪わないと誓って」


「ほう……」


 理事長は椅子を回転させ、光の差す窓の方を向いた。花凛からは椅子の背もたれしか見ることが出来ず、理事長がどんな顔をしているか分からなかった。しかし、この要望が理事長にとって如何に通し難いものかは考えるまでもなく承知していた。


 しばらく沈黙が部屋を満たした後、椅子の低い唸り声とともに理事長が戻ってきた。整えられた髭を撫でながら、理事長は口を開いた。


「些か豪華すぎる報酬ですな。それとも、あなたはこれが相応しい対価だと考えて提示したのですか?」


「別に価値を天秤にかけて言ってるわけじゃないのよ。当たり前のことを望んでるだけ。どこに行ったって、生徒を雁字搦めに束縛してる学校なんてない。しかも、理を使って完全に制御するなんて頭おかしいわ。あたしは元に戻せって言ってるだけなの。普通の学校を望むことが価値を持つなんて、異常でしょ」


「あなたにとってはそうかもしれませんが、私には今の状態が絶対であり不変、唯一無二の教育環境なのです。それを捨てることは私の教育理念が崩壊することと同義。すなわち、私の人生のほとんどを廃棄物にしてしまうのです」


 花凛は苛ついた。あまりに身勝手な言い分を振りかざし、己の身を守ろうとしているようにしか思えなかった。


「あんたの人生がどうとか、教育がどうとか、そんなのどうでもいいのよ。あたしたちはね、あんたの玩具じゃないの。あんたに弄ばれるほど、あたしたちの青春は安くないのよ!」


「これは遊びでも実験でもないのです。全ては生徒の未来のために、あなた達が社会に与し、大輪の花を咲かせる責務が私にはあるのです!」


「そんなもん押し付けんな! あたしたちは自分で考えたいの!」


「未熟なあなた達に、将来を慮る力はありません! 私に従えば、必ず実り多い人生を送ることが出来るのです!」


 両者の口論に熱が増してきた。終着点も、妥協点も見えない言い合いが部屋に充満してくる中、理事長室の扉が無遠慮に開く音がし、続いて2人の声を制する甲高い声が届いた。


「もういい! やめて、逸郎!」


 2人は言い争いを止め、その声の主の方に顔を向けた。花凛の怒りに満ちた顔はその主を見た瞬間に一転した。


「せ、生徒会長?」


 花凛は見下ろし気味に伏水を見た。額からの出血は治まっていたようだ。伏水の手には血に染まったハンカチが握られていた。


 乱入者としてはさほどおかしい人物ではないのだが、気にかかる言葉が伏水からは発せられていた。それについて考える暇もなく、伏水は花凛を横切って理事長の傍に近寄った。


「もういいよ、逸郎が躍起になる必要はない」


「だ、駄目です! いけません! それでは何もかもが……」


「今回は私の我儘が過ぎたっていうのもあるし、何より理を使える子たちが出てきちゃったから、これ以上続けてもいつか壊されちゃう。ちょっと反省しなきゃ」


「そんな……私たちの今までの努力は……本当の幸せは……」


 理事長は泣き崩れてしまった。子供のように泣きじゃくる理事長を、伏水は自らの胸の中であやした。


 なんとも珍妙な光景だった。花凛はこの2人の関係を邪推せざるを得なかった。親子とは思えない話し方だったし(親子というよりは祖父と孫くらいの年齢差があるように見えたのだが)、理事長ではなく伏水の方が主導権を握っているように見えた。この2人は世間的にはよろしくない関係なのではないだろうか、と考える以外になかった。


 花凛はそれを唖然と見守りつつ、2人の口から全てを明かされるのを待った。落ち着いてきた理事長は涙を手で拭いながら、静かに立ち上がった。伏水は理事長を見上げて優しく笑った後、花凛の方に向き直り、頭を下げた。


「ごめんなさい。あなたの要求通り、学校関係者全ての洗脳を解除します。そして二度とこのような真似をしないと約束します」


「そ、そう。それならいいけど、その、あんたたちはどういった関係なの?」


 野暮なことかもしれないが、聞かずにはいられなかった。


「そうですね。こうなった以上、あなたには教えておかなければなりません。私と理事長……鳳逸郎は、姉弟なんです」


「あーやっぱりね、恋愛に歳の差なんて関係ないもんね、うんうん……って、キョーダイ?!」


 2人が禁断の愛を育んでいると決めつけていた花凛は心底驚いた。考慮のしようがない回答だったので、とにかく驚くことしか出来なかった。


「キョーダイって、お兄ちゃんと妹ってこと? いやいや流石に年離れすぎでしょ」


「逆です。私が姉で逸郎が弟です」


「はあ? ええ? 生徒会長がお姉ちゃん? じゃあ理事長は子供なの? 分けわかんない」


「気持ちは分かりますよ。普通の人なら、妄言にしか思えませんからね。簡単に言ってしまうと、理の力で年をとらないんです、私」


「ひえー、マジで? 理ってそんなところにまで影響させられるんだ。じゃあ永遠にその姿のままってわけね」


「ちょっと違いますが、そんな感じだと思っていただいても良いです。とにかく、この不老の力のおかげでずっと高校生でいられるのです」


「ふーん、でもなんで高校生を演じるの?」


「……それが今回の件、いえ、この学園の根幹をなしているのです」


 理事長が話に介入してきた。真っ赤になっていた目も落ち着き、先程まで大泣きしていたとは思えない紳士の姿に戻った。


「この鳳学園は姉さんの願いを叶えるために、私が創設したのです。その願いとは、自分の理想の青春。それを追い求めて40年も姉さんはこの学園で過ごしてきました」


「理想? それが洗脳して意のままに操ることなの?」


「いえ、それは1つの試みでしかありません。この学園が創設されて以来、いくつもの方法で、私と姉さんは学園を変化させてきました。それは姉さんの理想を他の生徒たちに背負わせるものではなく、姉さんが常に生徒会長となって、学園生活の可能性と希望を開拓していったのがほとんどです。ですが、それでも姉さんが満足するには至らなかったのです。洗脳という手段を取ることになったのは、最近になってからです。自分の持つ理想とは何か、それが果たして自分を満足させられるのか、と考えるようになった姉さんは人心の統一によって、全てを自分の思うがままにすることを決心しました。そして、今日に至るまで私たちの支配は続き、姉さんは自身の答えを探していた、ということであります」


「要は楽しい学校生活を送りたくて色々とやって、そんでエスカレートした結果、洗脳することにしたってわけね」


 花凛の言葉に伏水が反応した。


「そうです。ですが、洗脳が完全に効かない子たち、つまりあなたたちが現れたことで計画に綻びが生じてきたんです。あなたたちが1年生の時は、大きな問題はなく、私たちもそれほど気にしてはいなかったんですが、2年生になってから事態は変化を示し始めました。まず、獅子川さんと長永くんが同じクラスになったことで、2人の洗脳の効力が薄まっていったのです。そして、元々洗脳が効いていなかった御門さんがあなたたちと共に過ごすようになり、勝手に屋上を使用しだす暴挙に出ました。更に同時期に、大田島くんが無断欠席をするようになり、私たちはあなたたちによって、他の子たちの洗脳が解けてしまうことと、あなたたちがこの学園の異変に気付き、解放を求めて行動をしだすことを恐れました。その不安を拭うために、あなたたちに強力な洗脳をかけるプランを急ピッチで練りました。そして、怪しまれないように、理の力を持つ戸張くんを編入生として招き、あなたたちの行動を監視するように命じました。この時ようやく、あなたたちが理を使えることが分かったんです」


 どうやら、伏水たちは学校外での出来事を完璧には把握していなかったようだ。本当に学校のこと、自分のことを中心にしてしか物事を考えられないのだろう。花凛は哀れに感じた。


「情報は少ないけど早めに処理したかったから、今日を使って再教育しようってことになったのね。まあその結果があたしたちの勝ちだったわけだけど」


「充分に時間を取ってからでも、結果は変わらなかったでしょう。私たちは戦うための理が貧弱ですので。それにこうして負けたことで、自分が迷走していて、逸郎にまで負担を掛けていたことが分かりました」


「姉さん、私は負担になど思っていません。全て姉さんのためを思って、共に行動したのです」


「ありがとう。でも、本当は知ってる。この学園は私のために作ったものなんかじゃなくて、逸郎の夢だったってこと。私がそれに便乗してしまったから、逸郎も困ってたはずだよ」


「姉さん……」


 理事長の目に再び涙が見え始めた。


「これからは逸郎が思うように学園を動かしていって。私は、まだ諦められないから自分の夢を追うけど、逸郎の作った素敵な学園でそれを追わせてほしい」


「姉さん、私は……私は嬉しいです……うっ……」


 理事長は再び大泣きし、伏水に飛びついた。何はともあれ、はた迷惑な洗脳が解かれることは確実だっため、花凛としては何も言うことはないし、彼らのこれからの矜持にもどうこう言うつもりはなかった。


「獅子川さん」


 理事長の頭を撫でながら。伏水は穏やかな口調で言った。


「月曜日から、洗脳は解除します。ただ、いきなり解除すると、頭の処理が追いつかずパニックになってしまう人が出てきてしまう可能性があります、なので、少しづつ洗脳を解いていく形となりますが、よろしいですか?」


「あ、うん。それはもうあんたたちに任せる」


「ありがとうございます。必ず全ての人を元に戻して、皆が皆らしく過ごせる学園にします」


「そこで泣きじゃくってるのを見ると、ちょーっと不安になるけど、頼むよ」


 花凛にからかわれ、伏水は苦笑した。花凛はこれ以上は自分がいても困るだろうと思い静かに去ろうとした。扉に向かって歩き出した直後、あることを思い出して振り返った。


「そういえば、頼人と戸張が戦ってるはずなんだけど、どうなったかな?」


 理事長が顔を花凛の方に向けた。顔を赤くし、嗚咽を漏らしながらも、必死に応えた。


「今から、わ、私の方で戸張くんへ連絡を入れておきます。ご安心、ください、うっ……」


「あー……ありがと。あたしも見てくるわ。じゃあ、またね」


 花凛は反転して、扉に向かった。そして廊下に出ようとした時、またあることを思い出し、振り向いた。


「あっ、まだ聞きたいことあったわ」


 伏水と理事長は同時に花凛を見た。


「なんで杏樹を呼ばなかったの? あの子もあんたたち的には秩序を乱す生徒なんじゃないの?」


 2人共、あからさまに言葉に詰まっていた。そして、少し間が空いた後、伏水が言った。


「御門さんは……この学園はおろか、県内でもトップクラスの成績を誇っていますし、あのミカドグループのご息女ですから、変なことを仕掛けるわけにはいかなかったのです」


「へ? そんだけの理由で省かれたの?」


「えー、他にもありますよ……うん、御門さん、綺麗ですし、孤高の存在ですし、あと……英国貴族の血筋ですし」


「はあ、まあよく分かんないけど、それでいいわ。じゃあ、ごゆっくり」


 色々と濁された気がするが、大した理由がないことは分かった。今は頼人と紅蓮が心配だった。見返すことなく理事長室を出て、早足に中庭に向かった。




 花凛は中庭に出ると、銅像の辺りを眺めた。銅像にもたれかかっている紅蓮と、そこから少し離れたところで大の字になって空を仰いでいる頼人を見つけた。銅像の更に先には刺客として立ち塞がった教師たちが散り散りに倒れていた。


「よーりーとー、大丈夫?」


 頼人に近づきながら、花凛は声をかけた。


「おお、花凛。終わったみたいだな、お疲れ様」


 頼人は少し顔を花凛に向けた。疲れた顔をしていたが、怪我一つしていないようだった。


「まあ、あたしにかかれば、ちょろいもんよ。それより、戸張はどうしたの?」


「たぶん理事長のところに行ったんじゃないか?」


「ふーん、じゃあ行き違いになったのか」


 理事長は思いの外、迅速に連絡を入れたようだ。後始末を速やかに行うことで、洗脳を解く約束の証明としているのだろう。


 約束ついでに花凛は大事なことを思い出した。頼人を見下ろしながら、それを確認した。


「それはいいとして、あたしとの約束、覚えてるわよね?」


「約束……って、ああ、俺が戸張くんとの決着をつける前に終わらせたら、ってやつか」


「そうそう、頼人は結局、戸張を倒せなかったみたいだし、プリンはおごってもらうかんね」


「いや待ってくれ。そんなの約束って言わないし、というか戸張くんと戦わなかったから、決着をつけるも何もなかったんだよ。だから無効だ、無効!」


 素早く上体を起こして、頼人は抗議した。


「ん? 戦わなかった、ってどういう意味よ」


「なんでか知らないけど、戦う前に俺を指導してくれてたんだ。それが今の今まで続いてて、結局戦えずに終わったってこと」


「なんだそりゃ。でも、あたしが先に終わらせたのは事実だし、プリンは絶対よ」


「はあ、まじかよ……」


 頼人は折角起き上がらせた体をまた寝かせ、やるせなさそうに溜息を吐いた。


 花凛としてはどういう事情が入ったにせよ、戸張を足止めしてくれていたのは助かった。少しは労いの言葉でもかけようかと思ったが、それを良いことにプリンをチャラにしようと駄々をこねられるのは面倒だった。


 色々と感謝を伝える方法を考えてみたが、綺麗に伝えることは出来なさそうだった。結論として、言わなくても分かるだろう、という希望的観測に身を委ねることにし、それを気付かせる些細な行動に望みを託した。


「ほら、もう帰るわよ」


 頼人に一歩近づき、手を差し伸べた。頼人は横目で花凛を見ると、驚いた顔をして固まった。


「なに? どうしたの?」


「……花凛、お前も乙女っぽくなったんだな」


「なっ、どういう意味よ」


 勘付かれたかと思い、花凛は焦った。だが、頼人は動揺の見える花凛の顔には目もくれず、上体を少し起き上がらせて、手を花凛に向けた。その手もまた、差し出された花凛の手には一切興味がなく、一直線に目的地へ伸びていった。


「これ、スパッツだろ。ようやく、自分の身を案じられるようになって嬉しいぞ。良かった良かった」


 頼人は花凛のスカートの裾を摘み、何度も頷きながらひらひらと羽ばたかせた。


「こ、こんの……バカヤロー!」


 感謝の念など一気に吹っ飛び、花凛は頼人に跨って、頬に制裁を加えた。


 花凛の怒りは収まらず、紅蓮が目覚めて力づくで止めるまで頼人の頬はいじめ抜かれてしまった。


 それから数日間、頼人は花凛から『変態おたふく』と呼ばれることとなった。

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