第9話同級生の行方 その4
階段を一気に駆け上がって、2階に着くと、そのまま作業場に繋がっていた。1階とは趣が異なり、作業用の機械は見当たらず、大量の段ボール箱が乱雑に端に寄せられていて、階段から奥まで整備された道が出来ているようだった。奥には同様に段ボール箱があるのだが、それらは整然と並べられて封もされていた。
そして、その段ボール箱の前で頼人たちに背を向けて、何かをしている男がいた。頼人と杏樹は静かにその男に近付く。近付くにつれ、男の容貌もはっきりとしてきた。
カミナと同じく、真っ赤な髪で、背中に黒に金で縁取られた刺繍で『紅蓮』と書かれた特攻服。特攻服が似合うほど、迫力があり雄々しい体躯の男だ。まさにボス、という風格を漂わせていた。
頼人は首を傾げ、男を凝視していた。そして、記憶の中にある大田島紅蓮のイメージ像と擦り合わせた。何度想像し直しても、目の前にいる男と頼人の知る大田島紅蓮が一致することはなかった。此処まで来て、人違いなのか。それとも彼がボスではなく、大田島は別の場所に隠れているのか。真実はこの男の一声に委ねられた。
「あの、もしもし……」
遠慮気味に声をかける。すると、男は緩慢な動きで頼人たちの方に向いた。
「ほう、客が来てるのは知ってたが、まさかお前だったとは、長永」
「えっと、何処かで会ったことありましたっけ?」
「オレを忘れたのか? まあ、一週間ばかり顔を見ずにいて、しかも髪の色まで変われば仕方のないことか。オレは大田島紅蓮だ。久しぶりだな」
「え……えええええ!!!! お、大田島くんなの?! 嘘でしょ? だって大田島くん、もっとヒョロくて、骨張ってて、猫背で、陰気そうで、分厚い眼鏡かけてて、いつも吃ってて、若白髪がちょくちょくある、比較的普通の人なのに。あと喋り方も低姿勢でこんな堂々としてない。本当に大田島くんなの?」
思いの丈を早口で言う頼人に、大田島紅蓮を名乗る男は動じることなく答える。
「そう言われれば、確かに今のオレは少し変わったか。だが、それは些細なことだ。昔のオレは殻に閉じこもった偽りの姿。今や全てを解放し、何にも縛られることなく、誰にも屈することのない真のオレになったのだ」
「いやいや、殻を破ったからってここまで人が変われるか? 面影が微塵も残ってない、完全に別人としか思えないよ」
「落ち着いてくださいまし。悪意の影響ならば、性格が変貌してしまうことくらい当たり前ではありませんか。それにちょっぴり外見が引きずられることだって、なくはないと思いますわ」
杏樹が宥めるように諭した。
「そう、か。悪意に飲まれてしまったら、見た目も何も変貌するよな。かなり別人だけど、彼は大田島くんだ。そうそう」
頼人は自分に言い聞かせるように呟いた。
「お前が納得しようとしなかろうと、どっちでも構わんがな。それより、お前らは何の用でこんなところまで来たんだ?」
「わたくしたちは貴方の中に芽生えてしまった悪意を取り除きに来たんですの」
「悪意? 何のことか知らねえが、要は不登校児を連れ戻しに来たのか。だが、オレは二度と戻る気はねえ。あんな規律に縛られた所に、オレの居場所はねえんだ!」
大田島は猛獣の雄叫びのように、声を荒げて言った。
「いくら喚いたところで、もう無駄ですけれど。それっ!」
杏樹はブレザーの内ポケットから、1枚の札を取り出して、すかさず投げつけた。その札は悪意を取り除くことの出来る破魔の札である。
札が大田島の顔面に触れる寸前、一瞬にして灰となり散った。舞い散る札の残骸の向こうで、大田島は溢れる怒りを抑えきれずに、歪んだ顔をしていた。
「此処まで来たってことはカミナを倒してきたんだろ? だったら警戒しないはずねえんだ。お前らも理を使えることをよお!」
「くっ、用意周到ですわね。ですが、これはどうです?」
杏樹はストーンホルダーから石を取って、大田島に向けたままの掌から勢いよく水を射出した。大きな水の塊は、大田島を飲み込んで閉じ込めたかに見えた。しかし、大田島は苦しむ様子はなく、全身を強張らせると、一瞬にして水の牢は蒸発してしまった。
「オレは自由を手に入れたんだ。その自由は誰も奪うことは出来ねえ。この超常的な力は権利なんだ。自由を許された権利、そして新たな世界を造る権利……フフ……フハハハハ!」
突然笑い出したかと思うと、頼人たちに背を向けて、先程まで見ていた段ボール箱に顔を近づけた。
「これが、この石さえあれば、オレは自由であり続ける。カミナみてえに、力が使える奴を集めていけば、オレの自由は広がっていく……」
大田島は頼人たちの存在を忘れて、悦に入った。段ボール箱の中にみっちりと詰まった源石たちを取り出しては眺め、ニヤニヤと笑っていた。
「な、なんなんですの? 怒り出したと思ったら、急に笑って……気味が悪いですわ」
「悪意が感情を弄んでいるみたいだ。早くなんとかしてあげないと」
「ええ、ですが彼も相当、理の扱いに長けているようですわ。手加減せずに、全力で参りましょう」
「うるせえな。オレの自由をまだ奪う気なのか?」
背中を向けながらも、頼人たちに威圧を与えてきた。その声からは今までの威嚇と違って、明確に敵意を感じた。
張り詰める空気の中、頼人と杏樹は各々、源石を取り出して身構えた。大田島は掲げていた源石を、血管が浮き出るほどの力で握りしめた。痙攣が増していき、とうとう源石は粉々に砕けた。砕けた瞬間、その握り拳から炎が溢れてきた。顔を横に向けて、鋭い目付きを覗かせた。
「……やる気みてえだな。オレは弱い者イジメは嫌いなんだが、引かねえってんなら容赦しねえぜ!」
大田島は振り向きつつ、炎を纏った拳を突き出した。拳から炎がいくつもの玉となって発射され、頼人と杏樹に襲いかかってきた。
杏樹は水の壁を自身と頼人の前に発生させ、凌ごうとした。次々と水の壁に飛び込んでくる火の玉は、2人に触れることなく消えていく。それでも猛攻は止まることなく、力押しによって水が徐々に蒸発していった。
「困りましたわ。本来ならば水は火に有利なのですが、彼の理に押されています。攻撃を止めないと、持ちませんわ」
「じゃあ俺が……」
頼人は掌から球状の水を発現させた。そして、その水塊を壁をすり抜けさせて、大田島に向かわせた。火の玉に当たらないように器用に操作し、且つ大田島に避けられないようスピードを保たせることは、容易ではなかった。火の玉を受けて歪む水面を通して、頼人は目を凝らしながら水塊を操る。
苦心しながらも、なんとか大田島の目の前まで辿り着き、その顔面に叩きつけられた。水塊が弾けて、大田島は怯んだ。
攻撃が中断され、反撃のチャンスが訪れた。杏樹は壁に理を注ぐのを止めると、壁が崩れて消えていった。そして素早く接近しつつ、警棒を取り出して、大田島の顔に目掛けて振るった。
警棒の先端が頬を捉え、抉りこむように流れる。痛烈な一撃を浴びせたかに見えた。警棒が振り抜かれる途中、巨大な手に止められた。
「臆することなくオレに向かってくるとは、肝が据わった女だ。だが、やはり女だな。理を使わずに、こんなもんで殴ってきたところで、痛くも痒くもないわ!」
「残念ですけれど、まだ終わりではありませんのよ」
杏樹は警棒のボタンを押すと、警棒をがっしりと握った大田島の手に電流が走った。
警棒を離すことも出来ず、只管に流れる電撃に、大田島は顔を引きつらせた。しかし、倒れることはなく、歯を食いしばって体に伝わる激痛を堪えていた。
杏樹は大田島の抵抗に驚きを隠せなかったが、それでも容赦なく電撃を流し続けた。大田島が力尽きるまで、決して手を緩めない覚悟だった。
次第に警棒が熱を帯び始めた。始めは負荷がかかりすぎているのかと思っていたが、余りにも熱かった。大田島の手に目を向けると、元の色が分からないほどに赤くなっていて、煙も上げていた。杏樹はその時、漸く気付いた。慌てて警棒を離そうとしたが、既に遅かった。
大田島のもう片方の手が、杏樹の胸ぐらを乱暴に掴んだ。警棒は手から離れ、大田島の手に残った。杏樹を捕らえた大田島の手からは警棒が発した熱と同じ様な熱さが伝わってきた。そのまま吊り上げられて、足が宙に浮いた。いつの間にか、大田島は怒りが混じった笑みを浮かべていた。
「電気マッサージとは気の利いたことしてくれるじゃねえか。おかげで体が軽くなったぜ。この通り、片手で女一人持ち上げられるくらいにな」
「は、離しなさい! レディを粗暴に扱うなんて、紳士のすることではありませんよ!」
「キーキーうるせえな。マッサージの礼をしてやろうってのによ。ほら、どうだ?」
大田島が掴んでいる制服の襟から、火が灯った。じわじわと焦げていき、その熱さが杏樹を悶えさせた。
「熱いだろ? 痛いだろ? 苦しいだろ? これはな、オレが今まで感じていたもんなんだ。誰からも何処からも逃げられなくて、必死に耐えていた……またこれを味わえと言うのか? また耐え忍べと言うのか? なあ、どうなんだ……どうなんだよ!」
「な、何を……うぅ……」
杏樹を掴む手の力が一層強くなった。その時、大田島の腕に痛烈な痛みが走った。思わず手が緩み、杏樹は床に抜け落ちていった。落ちた杏樹を見下ろすと、そこには粉々に砕けた土塊の破片が散らばっていた。そして視界に頼人が入ったかと思うと、杏樹を抱き抱えて一目散に逃げていった。
「長永……やってくれるじゃねえか」
体を揺らしながらみすぼらしく走る頼人を、じっと睨んだ。
頼人はおもむろに大田島の方へ顔を向けると、息も切れ切れに叫んだ。
「あたま、気を付けて! たぶん痛いよ!」
頼人の忠告が終わると、大田島の頭上に巨大な岩盤が落ちてきた。杏樹が戦っている間に、土の理によって、小さな岩を少しずつ天井に蓄積させて、気を伺っていたのだ。土埃が舞い、大田島の行方は分からなくなった。
その隙に頼人は階段近くまで走り、杏樹を安全な場所に下ろした。
「うわっと、火が消えてないな。これで……よっと」
水の力で杏樹の胸元の火を鎮めた。制服はすっかり焦げてしまいボロボロになってしまった。
「……ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。侮っていたつもりはないのですけれど……」
「謝ることはないよ。俺だって、すぐに助けに行けなかったんだし」
杏樹は熱気を浴びすぎた所為で、体に力が入らなかった。腕に力を入れて、体を起こそうにも、上手くはいかなかった。
「ああ無理しなくていいよ。此処で休んでて。様子は俺1人でも見に行けるから」
「そんな、お1人では危険ですわ。もし長永くんに何かあったら、わたくし……」
「心配ないって。後は任せて」
そう言い残して、頼人は土煙の中に飛び込んでいった。
杏樹は不安な気持ちで心が押し潰されそうだったが、動向を見守ることしか出来なかった。
大田島のいた場所に戻ってみると、一枚岩だった岩盤が幾つにも分かれて瓦礫の山を形成していた。周囲を見渡しても人影はなかったため、大田島はまだこの瓦礫の下にいると推測された。
「そんなに凝縮した岩じゃないから、生きてはいると思うけど……も、もしもーし、大田島くーん?」
なんとなく呼びかけてみたが、返事はなかった。
もしや、深刻な事態に陥っているのではと頼人は慌て始め、岩の欠片を急いで除去しにかかった。小さな欠片を手作業で取り除いていると、突如赤黒い腕が飛び出し、頼人の手首を掴んだ。
頼人は驚愕と共に安堵した。一先ず、大田島が無事であることは喜ばしかった。だが、その腕の力強さを実感し始めると、緊張が頼人の気持ちを上書きした。頼人を離さずに動かない腕の先から、微かに強烈な輝きを放つ瞳が垣間見えた。頼人は何かを察知すると、腕を振り解き後退した。
次の瞬間、岩の瓦礫の内部から炎が溢れだし、一瞬にして炎が岩を溶かしていった。
「おわっと、あっちぃ! 凄い理の力だな」
理の力を飲まれた岩は徐々に消えていき、その中から土埃に塗れた大男が姿を見せた。
「堪えたぜぇ、長永……頭がガンガンしやがる……この痛み、きっちりと返してやらなきゃいけねえな」
怒りの篭った声でそう言うと、引き摺るような足取りで頼人の方へ近付いてくる。大田島から発せられる威圧感で、頼人は怖気付いてしまいそうだっだが、逃げる選択肢はなかった。僅かに存在する勇気を後ろ盾にして、逆に大田島に歩み寄った。
「大田島くん、君がまだ冷静でいるなら聞いてほしい。君の心の中に湧いてる怒りだとか、憎しみだとかは悪意っていう目に見えないし、触ることもできない毒によって大袈裟に感じさせられているだけなんだ。だから悪意を取り除くことが出来れば、気持ちが楽になるはず。どうか俺を信じてくれないか?」
大田島は無言で頼人を見下ろした。頼人は破魔の札を取り出して、話を続けた。
「この札には悪意を取り除く力があるんだ。パッと貼るだけで効果が出る優れものでさ。痛みがあったりするもんじゃないから、怖がらなくていい。とにかく一瞬でも貼らさせてくれれば、悪意は消せるんだよ」
「……それを使えば……消える……怒りも……憎しみも……」
図体に合わない小さな声で呟いた。頼人が持っている札を見つめたまま、大田島はうわ言のように何度も先の言葉を繰り返した。
頼人は札を見せつけた状態で、大田島からの反応を待った。しばらくすると、大田島は手をゆっくりと伸ばして、札を取ろうとした。受け入れてくれたと思い、頼人は大田島が自ら終止符を打ってくれることを望んで札を差し出した。大田島が札を掴むと、頼人は手を引っこめて固唾を呑んで見守った。
大田島は札を目の高さに運び、まじまじと眺めた。そして、頼人に視線を戻し、ニヤリと笑って、こう言った。
「消させるものか、何もな」
札をくしゃくしゃに握り込み、丸まった札を投げ捨てた。その流れのまま、驚いて固まってしまった頼人の脇腹に蹴りを入れた。丸太で薙ぎ払われたかのような衝撃を受け、頼人は膝をついた。
「うぐっ……い、いきなり何するんだ!」
脇腹を抑えながら、大田島を見上げた。
「消させない。消させてたまるか。この感情はオレに必要なもんなんだ」
大田島の右手が炎に包まれた。頼人はやるせない気持ちになった。解決手段の最善手を弄ばれて、踏みにじられたことが悲しくてしかたなかった。
その悲しみに浸る暇もなく、大田島は炎の拳を振り下ろしてきた。それを目で確認する前に、体が勝手に反応していた。咄嗟に片手をストーンホルダーに手を入れ、地についていた手を上げて、燃え盛る拳を受け止めた。
炎の熱を感じないよう、水を手に纏わせていた。それでも、大田島の炎は消すことは出来なかったし、拳の勢いにも勝ててはいなかった。ジリジリと眼前に迫る拳の熱気で、目を開けていられなかった。
力を込められるように片膝を立てた。侵攻を止めつつ、準備を整えた。そして、拳を受け流して、体を回転させながら、横に逃げた。勢いのままに立ち上がり、体勢を立て直すために大田島から距離を取った。
最早、言葉を投げかけようとも思わなかった。彼は今まで戦ってきた狂人たちと同じだ。彼が悪意に飲まれていると分かった時点で、そう判断すべきだったのに、出来なかった。その理由は自分でもはっきりとしなかったが、心の中にわだかまりとして残っていた。
だが、今はそれを気にしている場合ではない。再び源石から水の理を引き出した。生半可な水の力では大田島の猛火に阻まれてしまう。そこで、コントロールが出来る限界まで水の理を溜めて、圧倒的な水量で押し切ることにした。
掌の上で徐々に体積を増やす水の球体を弾けさせないよう、集中しながら大田島の出方を伺った。
大田島は完全に正気を失ったようで、低い唸り声を漏らして頼人を睨みつけていた。頼人の企みを知る由もなく、ただ我武者羅に炎の弾を乱射してきた。
杏樹のように、複数の理を同時に扱うことは出来ないし、器用に少しだけ防御用の水の理を用意することも出来ない。そのため、水の球に攻撃が当たらないように躱し続けるしかなかった。
大田島も理を温存しているのか、激しい攻撃はしかけてこなかった。なんとか無傷で避けているが、体力は減り続けるばかりで、しかも水の球への供給も安定しなくなってきた。安心して身を隠せる場所はなく、このままでは攻撃に移れない可能性も出てきた。
頼人は役に立つものはないかと、辺りを見回した。あるのは壁に追い寄せられた大量の段ボール箱だけだ。有効に使う方法を考える暇はない。とにかく事態を立て直すために、攻撃を避けながら、壁に走った。
段ボール箱は組み立てられているものと、畳まれたままのものの2種類があった。頼人は畳まれた平面の段ボール箱を1枚、源石を持ったまま指を使って取り上げると、それを使って向かってくる炎を防いだ。長らく放置されていたのか、湿り気を帯びていた段ボール箱は炎を受けても容易には燃えなかった。何度か攻撃を抑えては、頼人側の側面が黒く焦げてきたところで、別の段ボール箱に切り替えることが出来た。
安定した防御壁を手に入れたことで、水の球への供給も捗るようになった。球は頼人の顔の2倍以上に膨れ上がった。制御も利かなくなってきて、球状を保つことも困難になった頃合いで、いよいよ限界だと悟った頼人は、一転して反撃へと打って出ることにした。
段ボール箱の盾を投げ捨て、手のひらの上に留まっている、ありったけの理を凝縮した水の球を発射した。
道中の炎の弾を掻き消しながら、大田島に直進していく。大田島は攻撃を止めて、迫り来る水の球を待ち構えた。受けきるつもりなのだろう、体は熱気に包まれ、蒸気が立ち上っていた。
頼人にはこれ以上、手を加えることは出来なかった。ただ自分の力が大田島の力を超えてくれることを願うばかりだった。
水の球が大田島に直撃した。飛び散る水しぶきが、その衝撃の強さを物語っていた。
大田島は前のめりの姿勢のまま、荒い呼吸をしながら佇んでいた。血走った眼は頼人だけを見続けていた。次第に体が揺れ始め、足が不安定になっていた。そして遂に両膝が崩れて、地に手が付いた。
頼人は深く溜息を吐くと、理が空になった源石をストーンホルダーに戻し、ゆっくりと大田島に近付いていった。
ずぶ濡れの大田島を見下ろす。もう理も尽きたであろうことは彼の様子から見て取れた。悪意を取り除くため、破魔の札が入っているポケットに手を入れた時、大田島が力なく頼人の腰にしがみついてきた。
「やらせはしない……オレは戻りたくないんだ……あんな空っぽな教室に、オレの居場所なんて……ないんだ……」
途切れ途切れの言葉が、頼人の手を止めた。頼人は真一文字に閉じていた口を開こうとした。しかし、それを大田島が遮った。
「オレは絶対に屈しない……オレがオレであるために、オレの世界を造るために。だから……」
不意に大田島は頼人から離れた。濡れていた服や髪がいつの間にか乾いていることに気付いた。だが頼人がそれに気付いた時には遅かった。大田島の手のひらから炎の波が襲ってきた。
「オレは負けられねえんだ!」
大田島の叫びとともに、炎は強く、大きくなった。炎の勢いに飲まれて頼人は後方へ大きく吹き飛ばされた。段ボール箱の山を突き抜けて壁に衝突しても尚、炎の波は容赦なく頼人に圧力をかけてきた。
理も切れていた大田島が復活した理由。それは彼が頼人にしがみついた時、ストーンホルダーに入っていた火の源石を盗んだからである。それにより、大田島は力を取り戻し、攻撃を仕掛けることが出来たのだった。
猛撃が終わった。頼人の中に残っていた水の理が守ってはくれたが、それでも多大なるダメージを負った。動く力は微塵も残っていなかった。はっきりとしない意識のまま、大田島を見た。
ぼやけて見えるシルエットが少しづつ大きくなってくる。大田島はまだ攻撃をしようというのか。それが悪意によって引き起こされる行動なのだろう。ただただ暴力性を増して、己が満足するまで破壊し尽くす。あれほど凶暴と程遠かった大田島を、このような猛獣に仕立てあげたのだ。
頼人は悔しくて仕方なかった。ひ弱だった自分も、理を使えるようになって強くなったはずなのに、戦い方も理の力も大田島は自分よりも上だった。自分はまだ弱いのか。弱いがために、救うことが出来ないのか。今、目の前にいるクラスメイト一人、救う権利がないというのか。
頼人は体を必死に動かそうとした。たとえ救う力がなくとも、戦わなければならない。力がないことを言い訳にして諦めたくなかった。辛うじて動いた左手を、大田島に向ける。
自分の中に僅かでも残っていないものかと、理を探す。しかし、先程の攻撃を防ぐのに全てを使ってしまった。それでも神経を尖らせて、力の源を探す。どこかに、微かでも良いから、戦う力を。
何かが心に触れた。それを感じた瞬間、体の内側が温かくなっていった。この感覚には覚えがある。初めて悪意と対峙し、花凛が襲われた時に感じたものだ。
あの時は何も分からずに、みなぎる力を漠然と感じていたが、今は違う。この力の正体ははっきりしている。これは、はな婆が言っていた特別な力だ。
理を扱えるようになった今、この力を具象化して発現させることが出来るはずだ。頼人は手の先に力を集中させた。
手順通りに集中させると、その力は頼人の意思を汲み取るように、手のひらから姿を現した。
それは工場を照らす切れかけの蛍光灯よりも、明るく美しい光を放つ物体だった。眩しさは感じず、直視し続けていられたが、光に包まれたそれがどのような形をしているかは分からなかった。
その発光体は勝手に手から離れ、海中を漂うようにふわふわと大田島の方に向かっていった。そして途中でぴたりと動きを止めると、一本の光線が発射された。
文字通り光の速さで、その光線は大田島の額を貫いた。それは外傷を与えることはなく、ただ額を通過しただけのように見えた。しかし、大田島は光線を受けた瞬間、異様な様子でもがき苦しんでしまった。
頭は抑え、半狂乱と化した大田島に、発光体は続けて光線を打ち続けた。光線が当たる度、大田島は断末魔の叫びを上げた。それでも彼は倒れることなく、よろめきながら頼人に向かってきた。
発光体は大田島の様子を察知したのか、攻撃を止めた。そして、固定化が解かれたかのように揺蕩い出し、少し間を置いてから大田島に突撃していった。
発光体が大田島にぶつかった瞬間、工場内は真っ白な光に包まれた。頼人もこれには思わず目を瞑ったが、瞼を貫通するほどの光量だった。
光が弱まるのを感じ、頼人はゆっくりと目を開いた。心なしか辺りが暗く感じた。視覚が順応できていないというのもあるが、存在を主張していた発光体が消えていたせいでもあった。
視界の真ん中には仰向けで倒れている大田島が映っていた。頼人は考える間もなく、立ち上がって彼のもとに駆けつけた。
「大田島くん……?」
頼人はしゃがんで心配そうに声を掛ける。
「まさか、死んでなんてないよな……大田島くん、起きてくれ!」
肩を大きく揺さぶると、大田島の口が少し開いた。
「やめろ、頭に響く……」
「ああ、良かった。怪我とかしてない?」
頼人は手を離し、大田島の返答を待った。
「散々かまし合った相手だってのに、心配なんざかけるとはな」
「それはそうだけど……あっ、そうだ悪意を取り除かないと」
破魔の札を大田島の額に貼った。しかし、札は何の反応の示さなかった。
「あれ? おかしいな、悪意が取れない。ま、まさか悪意がなかったとか?」
「いや、あっただろう。オレの中にずっとのさばってた気味の悪い感覚が、今は全然感じねえ」
そう言うと大田島は目を開き、静かに体を起こした。
悪意がどうして消えたのか気にかかるところだが、一先ず目的は達成できて、安堵の溜息を漏らした。
「言っとくが、学校に戻りたくねえのは本音だ。今もその気持ちは変わらねえ」
「……居場所がないから?」
「そうだ。あそこはつまらん。四六時中勉強を強いられて、成績を求められて、何が面白いんだ」
大田島は頼人の目を強い眼差しで見た。悪意がなくなってもその威圧感は健在で、頼人は身動いだ。少し躊躇いがあったが、勇気を出して返答した。
「こう言うのもあれだけど、友達がいないからじゃないか?」
「友達だと?」
「大田島くん、休み時間とかいつも1人だし、放課後になったらすぐに帰っちゃうし、仲が良い人いないでしょ?」
「確かにいないが、それは些細な問題だ。オレは学校っていう場所に嫌気が差したんだ」
「俺も学校はそんなに良い場所とは思ってない。大田島くんの言う通り、勉強ばっかでさ。でも友達がいるから、そんなに辛くないんだ」
「辛く……ない?」
「そう。今日の授業つまらないだとか、この問題分かんないだとかを話す相手がいると、その人も同意してくれたり、教えてくれたり、はたまた話題を変えてきたり、色々と反応してくれるからさ、それで勉強のことは気が紛れるんだ。それだけじゃない。昼休みに一緒に飯を食べたり、放課後に一緒に帰ったり、休みの日に遊びに出かけたり……楽しみを作って共有できる、そういう存在なんだ。嫌なことってたくさんあるけど、それ以上に友達がいると楽しいって思うことの方が多いんだ」
大田島は黙って、頼人の話を聞いていた。眼光の鋭さは薄れつつあった。
「学校って場所を勉強だけの場所って捉えるんじゃなくて、友達を作って楽しいことや辛いことを分かち合う場所だと考えれば、きっと面白いと思うんだけど、どう?」
「……今更、友達を作れるのか?」
「時期なんて関係ないよ。友達になろうと思えばなれるもんさ」
「だが、きっかけがない」
「きっかけ、か。そうだな……」
頼人は目を細めて思案した。しばらくすると、急に何かを思いついたのか、目を見開いて立ち上がった。
「そういえば、俺、期末テスト頑張らなきゃいけないんだ。だから分からないところを教えてもらいたいんだけど、誰かいないかなあ」
わざとらしく言う頼人に大田島の口元が少し緩んだ。そして巨体を立ち上がらせて、尖りのない目で頼人を見下ろした。
「オレが……教えようか? 分かる範囲ならばな」
「おお、助かるよ。よろしく頼むな」
頼人は笑顔で言葉を返した。大田島もそれに釣られて、口角が上がった。こうして頼人と大田島は友情を育む一歩目を踏み出したのだ。
頼人は次に喋ろうと口を開きかけた時、外からけたたましいサイレン音が聞こえてきた。
「むっ、警察か。この場所を嗅ぎつけたのか?」
「うわ、流石に見つかったらヤバいかなあ」
「お前たちはここで待ってろ。オレらが囮になるから、その隙に逃げろ」
「それじゃあ、大田島くんたちが危険じゃないか」
「うちの連中はギャングだなんてカッコつけてるが、所詮は暴走族だからな。警察に追われるのは慣れている。心配は無用だ、じゃあな」
大田島は階段に向かって走りだした。
「あっ、大田島くん! 明日は学校、来てくれるよな?」
頼人は後ろ姿に向かって叫ぶと、大田島は右手を軽く挙げて反応してくれた。階段を下りるのを見送ると、杏樹のことを思い出して、自分も階段の方へ駆けた。
杏樹を抱えながら、一階へ降りる。サイレン音は耳障りなまでの大きさになっていた。
「あ、あの、長永くん」
杏樹が上ずった声で話しかけてきた。
「ん……どうかした?」
「わたくしはもう、大丈夫ですわ。ですので、その、ご無理をなさらずとも……」
「ああ……まあ、確かに結構辛いな。日頃から筋トレとかして鍛えておけば良かった……」
「そういう意味ではなくて……あれほどの激しい炎を浴びてしまったのに、お体の方は大丈夫なのですか?」
「あれはやばかったけど、今はなんともないな。精々頭が少し痛いくらいだ。よいしょっと……だからそんな気にしなくていいよ」
「ですが……やはり……わ、わたくしも歩けるくらいには回復しましたわ。ですので下ろしてくださいまし。これ以上は、恥ずかしくて……」
ここで漸く、杏樹の顔が赤くなっていることに気付いた。
「あっ、ごめんごめん、そういうことか。じゃあ、仕方ないな」
頼人は膝を突いて、杏樹が下りられるようにした。杏樹は地に足が付くと、頼人の腕からすぐに離れて先に歩き出した。
「危うく理性のたがが外れるところでしたわ。でも、勿体無い……」
杏樹は名残惜しそうに呟いた。
工場の入り口まで戻ってきた。依然、サイレンの音は響いていたが、それに負けないくらいのバイクの騒音が聞こえだしていた。
そして、バイクの音が一層大きくなったかと思うと、あっという間に遠くに行ってしまった。それに釣られるように、サイレンの音も次第に小さくなっていった。
「いなくなったみたいだ。大田島くん、捕まらなきゃいいんだけど」
「わたくしたちも、此処から離れましょう。警察が戻ってくる可能性もありますし。彼らの犠牲を無駄にしてはいけませんわ」
「犠牲って言い方は違う気もするけど……あっ、そういえば、花凛はどうしたんだ?」
すっかり花凛のことを忘れていた。杏樹も同様に「あっ」と反応し、苦笑いした。
「わたくしも頭の中から花凛さんのことは消えていましたわ。花凛さん、役目は果たしてくれたようですけれど、無事なんでしょうか。もしや、多勢に無勢で屈してしまい、今は彼らに市中引き回しにされているのかも……」
「んなわけあるか!」
ぬるりと扉から花凛が現れた。疲れきった顔をしていたが、大きな怪我もしていないようだ。
「うわお! いきなり出て来ないでくださいまし。心臓に悪いですわ」
「お化けみたいに言わないでよ。ていうかね、あたしがあんな連中に負けると思ってたの? 所詮は素人に毛が生えた程度のチンピラよ」
「それにしては手間取ったんじゃないか?」
「色々とめんどくさいことがあったのよ。で、あんたたちの方こそ、どうなったのよ? なんかデカブツとキツそうな女が出てきて、雑魚たち叩き起こして逃げてったんだけど」
「ああ、それは……長くなりそうだから、帰りながら話すか」
「ええ、早く帰りましょう。ほら、花凛さん、行きますよ」
事態を把握していない花凛だったが、杏樹に手を引かれるままに外へ出た。頼人も2人の後に付いていく。
日はとっくに落ちていたようだ。電灯もなく、工場から漏れる灯りが眩しく感じるほどだった。頼人は、ひっついて話す花凛と杏樹を見守りながら、今日の出来事を振り返っていた。
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