第8話同級生の行方 その3

 その場所に着く頃には、空の色が暗くなっていた。


 頼人たちは街外れの、今はもう打ち捨てられてしまった工場群に来ていた。


「あの大きい建物の近くですわ。あそこがアジトなのでしょう」


 トタンで出来たその建物は、所々に穴が空いていて、錆にまみれていた。それでも他の建物よりは綺麗で丈夫そうに見えた。


「ふーん、ここがアジトねえ。確かに人が来なさそうだから、好き勝手したい連中にとっては、もってこいの場所なんだろうね」


「俺が小学生で、家の近くにこんな場所があったら、絶好の遊び場になってたなあ。鬼ごっことか、かくれんぼしたら楽しそうだ」


「する相手がいればの話だけどね」


「うっ……ま、まあともかく、人気がないってのはいいことなんじゃないか。理をバンバン使っていけるぞ、良かったな花凛」


 花凛は目を細めて、じっと頼人の顔を見た。そして、溜息を吐いた後に視線を杏樹に向けた。


「いる場所は分かった訳だけど、どうやって大田島に近付くかよね。何か良い案ない?」


「そもそも、彼らが集会なるものの最中でしたら、全面衝突は免れませんわ。それに、彼らに気付かれないように動いたとして得があるようにも思えません。理という人外能力を使える以上、何も臆することはないでしょう。正面から正々堂々と門扉を叩いて差し上げましょう」


「よっしゃ、存分に暴れられるってことね。そんじゃ、大田島と愉快な仲間たちをとっちめに行くぞー!」


 花凛は不気味なまでに陽気な調子で、工場に向かっていった。


「わたくしたちも参りましょう。花凛さんを放っておいたら、わたくしたちの見せ場がなくなってしまいますわ」


 そう言って杏樹は早足気味に花凛を追った。


「誰に対する見せ場なんだ……」


 頼人は小さな声で呟いて、のろのろと2人の後についていった。


 工場の敷地内には、案の定ギャングたちが跳梁跋扈していた。


 各々、バイクに跨って走り回ったり、火薬のようなものに火を付けて遊んだり、はたまた転がっているドラム缶に乗って曲芸師の真似事をしたりとやりたい放題だった。


 門の近くで空を見上げながら煙草を吹かしていた1人が、頼人たちの侵入に気付いた。


「おいおいおい、何しに来たんだオメェら。此処は俺たちの場所なんだ。関係ない奴は入れられねえ」


「あっそう、じゃああたしたちは大田島と関係あるから、入っていいってことね」


 門番の忠告を無視して、3人は過ぎて行こうとした。


「おい待てよ。下手な嘘吐いてんじゃ……」


 花凛の肩を掴んだ刹那、門番の手は払いのけられ、顔面に鉄拳が見舞われた。


 不意打ちとはいえ、強烈な一撃を貰った門番は、そのまま後ろに倒れて意識を失った。


 騒ぎに気付いた他のギャングたちが、次第に頼人たちの周りに集まりだした。ぞろぞろと次から次へと、何処から出てくるのか、かなりの人数だった。


「すごいな。この人たち全部を大田島くんが束ねてるのか。なんという求心力だ」


「あんなヤンキー受けしない見た目なのに、よくもまあってかんじよね。セールスマンばりのトーク力でも身につけたのかね」


「言葉に感銘を受けるような、知性を携えた方々とは思えませんわ。ほら見てくださいまし、どなたも目が闘犬のように血走っていますわ」


 四方八方、眉間に皺を寄せて睨みつけてくるギャングたちで埋め尽くされて、進路も退路も塞がれた。


「あ! オメェ、コンビニにいた女じゃねえか!」


 スキンヘッドの男が花凛の前に出てきた。


「さっきはお話を色々とありがとうね。おかげであたしたち、あんたらのアジトまで来れたよ」


「ああ? どういう意味だ?」


「そんなことより、あたしたち大田島に会いたいんだけど。あいつは何処にいんのよ?」


「会わせるワケねーだろ。俺らの仲間をやっておいて、面の皮が厚い奴だな。しっかり教育してやんねーとな!」


 スキンヘッドは容赦なく、花凛の顔に目掛けて拳を振るってきた。花凛は顔色一つ変えずに、その拳を片手で受け止めた。


「あんたにはお礼をしなくちゃね。この場所を教えてくれたお礼と……」


 受け止めた拳を強く握りしめた。スキンヘッドは見る見る表情が強張り、苦痛を示していた。


「あたしを笑った分のお礼だ!」


 叫びと共に、スキンヘッドの脳天に拳骨を見舞った。鈍い音を響かせて、スキンヘッドは倒れた。


「頼人、杏樹。あんたたちはあのデカい建物に向かって。こいつらはあたしが相手する」


「大丈夫ですの? ざっと100人はいそうですが」


「お気遣いどうも。でも、こんなのに3人で手間取ってる暇はないでしょ。建物までの道はあたしが開いてあげるから、一気に駆け抜けてよね」


「分かった。あんまりやりすぎるなよ」


 困惑する杏樹とは裏腹に、頼人はあっさりと花凛の申し出を受け入れた。


 花凛はホルダーの中から、青い源石を取り出した。そして、空いている手を高々く上げたかと思うと、叩きつけるように地面へと振り下ろした。


 直後に、工場までの直線上に水柱が吹き上がった。ギャングたちは水によって押し退けられ、水柱が消えた後はそこに道が出来上がっていた。


「ほら、行きな!」


 花凛の号令で、頼人と杏樹は全速力で工場へ向かっていった。


 突然現れた水柱にギャングたちは度肝を抜かれて呆然としていたが、工場へ走っていく頼人たちに気付き、追いかけようとした。


「あっらあ? 良いのかなあ、あたしを無視しちゃってさあ?」


 花凛はわざとらしく、大声で言った。その一声で全てのギャングの足が止まった。


「あんたたち、見てなかったのかなあ? 今の水柱、どう見たってあたしが出したんだよねえ。それに、門番っぽい奴とハゲだって、あたしがのしてやったんだよ? あんな、ケンカのケの字も知らない甘そうな男と、いかにも箱入りの、か弱そうなお嬢様なんて放っておいても、ボスと右腕さんが何とでもしてくれるでしょ。ここは1番ヤバいことしそうなあたしを足止めするのが得策なんじゃないかなあ? どうかなあ?」


 ギャングたちは揃ったように、互いを見合い、何か確認を取り合った。そして、一同は花凛へと照準を変更して、一斉に襲いかかってきた。


「あんたたち、ちょろすぎ。あたしの見込んだ通りだわ」


 花凛は新しい石から理を引き出して、彼らを待ち受けた。大群を前にして、その顔には怯えや憂いは一切なかった。花凛にとって、この戦いは鬱憤を晴らす絶好の機会なのだから。




 工場の中に無事入ることが出来た頼人と杏樹。内部はベルトコンベアが幾つも並び、壊れたフォークリフトや中身の分からないくたびれた段ボール箱がそこかしこにあった。


「広いなあ。ここで集会とかをするんだろうな。でも、大田島くんはいないみたいだ」


「奥に2階へ上がる階段がありますし、おそらく上にいるのでしょう。追っ手が来る前に向かいましょう」


「追っ手の心配はないよ。花凛が上手くやってくれてるから、絶対来ない」


「たしかに、あのふざけた挑発に彼らは乗せられましたけれど、それでも花凛さんだけで全てを対処できるとは思えませんわ」


「いいや、大丈夫だ。何がなんでもやってやるって目だったから、全員残らず倒すよ」


 頼人は自分のことのように、自信を持って言い切った。


「そう、ですか。長永くんがそうおっしゃるのなら、わたくしも信じてみますわ。花凛さんには大きな負担でしょうけれど、頑張ってもらいましょう」


 花凛への心配を終わらせて、2人は奥へと進み始めようとした。しかし、彼らの歩みの前に、階段から足音が聞こえてきた。


 2人は注意を階段へと集中させた。足音から、降りてきているのは1人だけのようだ。ゆっくりだが、力強い足音は徐々に大きくなり、その正体も同時に見えてきた。


「外が五月蝿いから、またバカどもがアホなことをしてると思っていたんだが、違ったみたいだな。お客さんが来て、はしゃいじまってんのか」


 足音の主は、女性だった。乱暴な口調で女性とは思えないドスの効いた声と、傷むことを厭わない真っ赤な髪を肩まで伸ばし、片手に年季の入った傷の目立つ木刀を担いだ、危険な香りのする人物だ。


「悪いが、ここはお前さんたちみたいな、優秀で未来の明るい青少年が来ていい場所じゃねえ。社会科見学しに来たところ申し訳ねえが、お引き取り願おうか」


 口ではそう促してきたが、彼女の木刀を握る手には青筋が立っていた。


「えっと、そうは言いますけれど、こちらも引くに引けない事情があるんです。でも、喧嘩をしに来たとかじゃなくて、ただ大田島くんと話ができればいいんです。だから、会わせてもらえませんか?」


 コンクリートの床に、木刀が振り下ろされた。工場内に響く打音は頼人たちへ警告しているようだった。


「アタシも手荒な真似はしたくねえ。帰れと言っている内に帰るんだ。どんな訳があろうと、ボスには会わせねえ」


 怒りを帯びた視線に、頼人は何も言うことが出来なくなった。眼光に気圧されて、後退りする頼人だったが、隣にいた杏樹は動じるどころか、悠然と女性の前に出ていった。


「彼の言葉を聞いていたのなら、そのような脅しは無意味だとお分かりになりませんこと? もう一度言いますが、わたくしたちには特別な事情があって、貴女方のボスとお会いしなければなりませんの。ですから、此方の目的が達成されないかぎりは帰ることなどありえませんわ」


「そうか、それならば仕方ない。弱い者イジメは好きじゃねえんだが、力尽くで出てってもらうぞ!」


 女が木刀で殴りかかろうとした瞬間、杏樹は咄嗟に袖から棒状の物体を取り出して、攻撃を防いだ。


「あら、いきなり襲いかかるなんて卑怯ではなくて?」


「何言ってんだ。襲ってくることが分かってたから、すぐにそんなもん出せたんだろ?」


 お互い体勢を立て直すため、同時に後ろに引いた。杏樹が手に持っているのは伸縮性の警棒で、持ち手には何やら意味ありげなボタンが付いていた。


「御門さん、なんていうか、法に触れそうな物ばっか持ってるけど、何のために持ち歩いてるんだ?」


「そ、それは……護身用ですわ。このご時世、いつ如何なる時に暴漢に襲われるか分かりませんので。まさか、こんなに役立つとは思いませんでしたわ。おほ、おほほほ」


 一本調子の笑い声を上げて、杏樹は誤魔化した。


「そんなことより、今はこの戦いのことを考えましょう。いくらお相手が一般人だからといって、手を抜いて勝てるような、ひ弱な御方ではなさそうですわ。わたくしも少しばかり、理の力を借りねばなりません」


「だったら、2人がかりで戦えば理がなくても勝てそうなんだけど、流石に可哀想だしなあ」


「長永くんは本当に……」


 杏樹は口に出かけた言葉を飲み込み、接近してくる女性の方へ顔を向けた。


「すぐに終わらせますので、安全な場所まで下がってくださいまし。無論、やり過ぎることはありませんので、ご安心を」


 言われるがままに頼人は邪魔にならない場所に避難した。


 杏樹はストーンホルダーに手を突っ込み、適当な石を掴んだ。石を見なくとも、手に伝わる理の感覚でどの属性の石か分かった。ストーンホルダーに手を入れたまま、警棒を持っている方の手を器用に開いて理を発現させた。


 手の先から現れた、拳大の大きさの土の塊は女に目掛けて飛んでいった。


 女は冷静にその土を木刀で叩き落としたが、その隙に杏樹が詰め寄ってきた。そして、警棒で女の腹部を思い切り叩いた。これで倒れるかと思われたが、女は苦痛を少し滲ませた表情をするだけだった。


「なるほどな、お前さん、名前はなんて言うんだ」


「え? わたくしは御門杏樹と申します」


「杏樹か。あたいに一発入れたのはお前さんが初めてだ。そこらの男連中よりいい根性してるし、戦い方ってのを知ってるようだ。見くびってて、すまねえな」


女はおもむろに背後へ片方の手を回した。


「お前さんもソレが使えるなら、手を抜く方が失礼だな。行くぜ、歯ァ食いしばれよ!」


 女は木刀で杏樹をなぎ払った。その時、杏樹は体に空気の塊が襲ってくるように感じた。


 その衝撃に抗うことが出来ず、杏樹は大きく吹き飛ばされた。積み上げられた段ボール箱の壁に激突し、崩落に飲まれた。


「み、御門さん! 大丈夫?」


 ちょうど段ボール箱の裏にいた頼人は、杏樹にのしかかる段ボール箱を急いで取り除いていった。


「うっ……ありがとうございます。少々堪えましたけれど、無事ですわ」


「良かった、でも今のはいったい何だったんだ?」


「なんだ、 男のほうはこの力は知らないのか?」


 いつの間にか、女が2人の側まで来ていた。女の手には、頼人たちの見慣れた薄い緑色の石が握られていた。


「それは源石じゃないか! なんでそれを……」


「なるほど、色々と合点がいきました。不良集団をたった1人で壊滅させたカミナという女性、それは貴女のことだったのですね」


「ほう、あたいのことを知ってたのか。最後にかっこよく名乗って締めたかったんだがな」


「理の力を使えば、どれだけ屈強な男たちであろうと敵わないでしょう。迂闊でしたわ。尾鰭の付いた話だと思って、警戒していませんでした」


 杏樹はゆっくりと立ち上がり、カミナを睨みつけた。


「その石を何処で手に入れたのか、気になるところではありますが、全ては決着が付いた後に聞かせていただきましょう」


「教えることなんて、1つもありゃしねえよ!」


 怒声と共に、カミナは木刀を振り下ろした。


 既に土の源石を手にしていた杏樹は、瞬時に分厚い土の壁を作り出して衝撃波に備えた。木刀から放たれた衝撃波は土の壁に当たり、食い止められたかのように思えた。しかし、勢いは止まることなく、壁を突き破らんばかりだった。


 杏樹は焦りを浮かべながら、周囲を見回した。先ほどの攻撃で落としてしまった警棒を探していた。カミナを打ち負かすために警棒が必要で、杏樹の頭の中では勝利のビジョンも見えていた。しかし、それがなければ苦戦を強いられることは必至であり、防戦一方の現状を打破することは不可能だと考えていた。


「長永くん、申し訳ありませんが、警棒を探していただけませんか? わたくしが不甲斐ないばかりに落としてしまいましたの」


 自力で探したいのだが、カミナが追撃を何度も加えてくるため、壁の維持に集中しなければならなかった。


「分かった。段ボールのところを探してみる」


 頼人は段ボール箱の瓦礫に向かっていった。


 土の壁に理を注ぎ続けているものの、連続する衝撃波を完全には防ぎきれなかった。時折、亀裂が走り、その隙間から風圧が漏れていた。


 流れてきた風圧が偶然、杏樹の頬に触れると、鋭い痛みが走った。刃物で切られたかのように、一筋の傷跡が出来て、血が頬を伝った。


 その時、杏樹はある事を思い出した。以前、はな婆から訓練を受けた時に教わったことだ。


 火、水、風、土、この4つの属性には相性がある。火は風に強く、水に弱い、水は火には強いが、土に弱いといった具合に、各々の理がぶつかり合う時に有利不利がはっきりとしているのだ。どんなに強力な力で理を発現しても、その理の苦手とする属性を当てられてしまうと、呆気なくかき消されるというわけだ。


 杏樹が発現した土の壁を攻撃している衝撃波は風の理である。風は土に対して強いため、杏樹がいくら土の壁を補強しても、簡単に崩されてしまっていた、というのが真相である。すなわち、風に強い属性で防御をすれば、相手の攻撃を完全に封殺できるということだ。杏樹はストーンホルダーに手を入れて、目当ての石を取り出した。


 杏樹が強く念じると、土の壁は一瞬にして炎に成り代わった。巨大な炎は衝撃波を通すことなく、寧ろ盛んに燃え続けていた。


「ふう、これでひとまず安心できそうですわ。わたくしとしたことが、基本を疎かにしてしまうなんて……慢心はよくありませんわね」


 新たに立ち塞がる炎の壁を前にして尚、カミナは強引に衝撃波を飛ばし続けた。


 杏樹はこれを好機と捉え、炎の壁をそのままカミナに向けて押し進めていった。余裕が出来たため、頼人の方を振り返ってみた。まだ見つからないのだろうか、頼人は一心不乱に段ボール箱の瓦礫を漁っていた。


 そこで杏樹は炎の壁がカミナの近くに行ったことを確認すると、壁でカミナの周囲を囲い込んだ。こうすることでしばらくの間、動きを止められると考えた。


「長永くん、わたくしも探しますわ」


「あの人放っておいて大丈夫……そうだね。でも探してない場所はあとはこの辺りだけだから、すぐに見つかるはず」


 頼人はそう言いつつ、無残に転がっていた段ボール箱を持ち上げた。すると、運良くその下に黒光りする警棒が落ちていた。


「言ってるそばから見つかった。じゃあこれ、どう使ってあの人を大人しくさせるかは分からないけど、頼むよ」


「ええ、お任せください。そして、ご心配なさらずに見ていてくださいまし」


 頼人から手渡された警棒を手に、杏樹は再びカミナの下へ向かった。


 杏樹のコントロールから外れた炎は、カミナの力押しによって勢いを失っていた。いよいよ、突破できる程に炎は薄くなり、カミナが木刀を横に薙ぎ払うと、炎は消えて無くなってしまった。


「時間稼ぎをして、何か策でもあるのか、それとも苦し紛れの悪足掻きだったのか。答えを教えてもらおうか!」


 カミナは木刀を振り下ろし、鋭い衝撃波を飛ばしてきた。


 空気の刃は杏樹へ一直線に向かってきた。今までの衝撃波とは違い、明らかに殺傷性のある攻撃だったが、それに怯むことなく杏樹は警棒を振るった。


 見事に空気の刃はかき消えた。警棒の先端からは仄かに残る炎が見えた。


「武器に理を乗せることで、威力が増す……思った通りですわ。貴方の嫌に火力のある攻撃には、こういうトリックがあったのですわね。早速試させていただきましたが、属性の相性も相まって、容易く対処できましたわ」


「ああ? 何言ってんのか分からねえが、これで終わりだと思うなよ」


 次々と刃が襲ってきたが、それを軽く去なしながら、杏樹は素早くカミナに接近した。


 近付いた先に、カミナの木刀が待っていた。木刀を振りかぶったところで、杏樹は警棒で防ぐのではなく、空いた手を翳した。


 木刀と手のひらの間に土の板が発生し、攻撃を受け止めた。そして無防備なカミナの太腿に警棒を充てがい、ボタンを押した。


 悲痛な叫びと共に、カミナは力なく崩れ落ちた。彼女の戦う意志だけは最後まで消えず、体を震わせながらも、必死に立ち上がろうとしていた。足下に落ちた木刀を取ろうとしていたが、杏樹はそれを阻んだ。木刀を拾い、カミナを見下ろす。


「これ以上はやるだけ無駄ですわ。貴女にもプライドがあるのなら、負けをお認めになった方が良いんじゃなくて?」


 カミナは唇を噛み締め、悔いた表情で杏樹を見上げていた。やがて諦めたのか、顔を下げて抵抗を止めた。


 勝敗が決したことを確信した頼人が駆け寄ってきた。


「良かった。無事に勝ったみたいだ。その警棒もスタンガンと同じだったのか」


「ええ、あれよりはほんの少し強力な仕様ではありますけれど。ですから、この御仁も当分は動けません」


 杏樹は警棒の先端に電光を走らせてみた。


「さて、では先に行く前にお聞きしたいことを聞いていきましょう。お喋りくらいは出来ますよね?」


「……ああ、だがさっき言った通り、教えることなんてひとつもねえ」


「強情ですわね。敗者は勝者に従わなければならない、というのは貴女方の世界ならば常識ではなくて?」


 喧嘩腰と取られても間違っていない口調だったが、カミナはそれに感情を示すことなく、ぽつりと話し始めた。


「悪いが本当に何も知らねえ、お前さんたちが知りたいことなんてな。ボスは上にいるってことしか、あたいは有益な情報は持ってねえ」


「じゃあ、その石はどうやって手に入れたんだ?」


「ボスがくれた。使い方も教わった」


「大田島くんが? 彼も理を知ってたってことなのか? でも、源石はどこで手に入れたんだろう」


「さあね。そんなに知りたきゃ、直接聞いてみな。あたいにさえ教えてくれなかったことを、お前さんたちに話してくれるとは思えないけどな」


 カミナはこれを最後に口を噤んだ。


「うーん、色々と分からないことが増えてきたなあ」


「考えていても何もなりませんわ。上に行けば全ては明かされるはずです。頑張ってくれている花凛さんのためにも、先を急ぎましょう」


「そうだな、花凛のためにも……それにしたって、矢鱈と時間かかってるな。あれくらいの相手なら、理を使えば苦労しないはずなのに」


 花凛のことが気がかりだった。だが、立ち止まっているわけにはいかない。頼人と杏樹は足早に階段へと向かっていった。




 四方から襲いかかってくるギャングたちを、流れ作業のように倒していく。掌打、裏拳、肘打ち、飛び蹴り、かかと落としにハイキックと巧みに技を使って捌いていた。


 身体能力を強化していたので、どんなに逞しい巨漢でも恐るるに足らず、一撃の下に沈める。もはや敵無し、天下無双の勢いだ。


 花凛の怒りも次第に治り、先に行った頼人たちのことを考える余裕が出来てきた。


 無事に大田島に会えただろうか、もしかしたらカミナという人物と闘っているのだろうか、はたまた大田島が手をつけられないような状態まで悪意に飲まれてしまっているのだろうか……いや、そもそもまだ探している可能性もある。頼人たちを逃がしてから、そんなに時間は経っていないはずだ。そう、時間は経っていない。だって取り巻いている不良連中は最初の頃から全然減ってないじゃない……あれ、減ってない? もう色んな技使って倒しまくってたけど、減ってない?


 花凛は異常な事態に気付いた。冷静に辺りを見回してみると、やはりギャングたちの数が全く減っていない。


 驚きと戸惑いで花凛の動きに一瞬の隙が生まれた。正面にいたギャングの金属バットが花凛の脳天目掛けて振り下ろされた。


 反射的に顔を背けることしか出来ず、直撃は免れないはずだった。だが、バットは花凛の目の前でぴたりと止まり、ギャングは微動だにしなくなった。


「え? ど、どうしたのよ。もしもし、おーい」


 蝋人形のように固まったギャングに声を掛けても反応はなかった。そして、周りにいた他のギャングたちも、同様に動かなくなっていた。


「なんなのよ、何が起こってんの? ちょっと、誰か説明してよ! おい、おーい!」


 まともな人がいないかと、叫んでみた。しかし、それに返事をする者はなく、周囲は気味の悪い静寂が支配していた。


 しばらくすると、どこからか笑い声が聞こえてきた。子供のような無邪気な声だ。その声のする方向に視線を向けた。門の側にある詰所の屋根に、子供がいた。ただ、一目見て普通の子供ではないことは分かった。


 藍色の浴衣を身に纏い、腰には黒くふさふさとした尻尾が伸びていて、おかっぱ頭の頂点には、人のものではない、獣の耳が2つ並んでいた。


「妖怪、かな。あんなに人間っぽいのは見たことないけど。ねえ、そこのボク……いや、女の子? いやいや、どっちでもいいや。そこのキミ! キミがコイツらに何かしたの?」


「ひゃっひゃっひゃっ、わちきはキミって名前じゃないよ。わちきは和吉わきちっていうの、ひゃっひゃっひゃっ」


 和吉と名乗った妖怪は、陽気に尻尾を振って花凛を見ていた。


「んじゃ、和吉……ちゃん? まあ子供だから、ちゃん付けでいいか。和吉ちゃんは何か知ってる?」


「おねえちゃん、面白いね。わちき、とっても楽しくて、笑っちったよ」


 薄々と感じていた嫌な予感が当たりそうだった。


「まさかとは思うけど、コイツらが一向に減らないのも、こうして固まってるのも、和吉ちゃんの仕業なの?」


「あひゃひゃ、そうだよ。遊んでくれてありがとね」


 悪びれる素振りも見せず、和吉は笑いながら言った。


「おねえちゃんとはもっと遊びたいからね、だからね、止めたの。おねえちゃん、もう大丈夫だよね。続きやろ!」


 和吉は両手を2回、大きな音を立てて打った。すると、時が止まっていたギャングたちは再び動き始めた。


「はあ? なんなのよ、この子……っと、あぶな!」


 ギャングたちは容赦なく襲いかかってきた。


 再び戦いを強いられ、なぎ倒していくが、やはり彼らは何処からともなく現れているようだ。


 妖怪の手によって、この事態が起きていることは分かったので、ギャングたちは普通の精神状態ではないことは当然で、彼らが本当に生身の人間であるかも疑わしい。無限に湧いてくることを考えれば、それが正しいと思うのは自然だ。この全てのギャングを和吉が操り、生み出しているのなら、それを止める術は1つしかない。和吉を無力化することだ。そのためにも、和吉に近づく必要がある。


 花凛はギャング撃退に区切りをつけ、彼らを押し退けて和吉の下へ行こうとした。しかしそれを見越してあるのか、和吉までの道のりには図体の大きい男たちばかりが並べられていた。


「くっそお、子供のくせに抜け目ないわね」


 花凛はストーンホルダーに入っている土の源石から理を取り出した。


 本来なら火や水を使って一網打尽にしてしまうのが正解なのだろう。しかし花凛は今、それが出来る状態ではなかった。


 花凛は土の身体強化以外が得意ではない。他の理を使おうとすると、大味な発現しか出来ない。しかも、それをしようにも若干時間がかかってしまう。そのため、このような周りに敵だらけな状況では安易に発現してしまうと、袋叩きにされてしまうのだ。


 前に進めず、また終わりのない戦いを強要される中、花凛は無い知恵を絞りに絞った。


 目の前に立ち塞がるのはラガーマンばりの屈強な男たち。彼らの間を抜けていこうにも、後ろにいる連中は幾重ものスクラムを組んで待機していて隙間がない。最奥で観覧している妖怪は一向にその場を離れようとしない。なんとかしてこの鉄壁から引き離すことが出来れば、勝機はある。だとするのならば……あまり賢いやり方ではないが、これしかない。


 花凛は大男の鳩尾を殴って怯ませると、腕を掴んだ。そして、狙いを和吉に定めて大男を投げ飛ばした。


 ニヤニヤと笑みを浮かべているばかりだった和吉も、思いもよらない攻撃が来て驚いた。


 驚きはしたものの、軽やかに大男を躱して、また笑顔に戻った。


「いやあん、ちっとびっくりしちった。でもこんなの、わちきには効かないよー……あらら?」


 和吉が訝しげな視線を送る先で、花凛はまた手際良く男を捕まえて、投げてこようとしていた。


「んーまだやるの? わちきのカレーな躱しっぷりを見てなかったのかな?」


 2回目の投擲攻撃も難なく避けてみせた。花凛はそんなことを御構い無しに、遮二無二男たちをぶん投げた。


 屋根の上で下駄を鳴らしながら踊るように避けていた和吉だったが、いつの間にか端に来てしまっていた。どうすべきかと辺りを見回していると、枯れ木が近くに立っていた。その木の横枝に乗れそうだったので、和吉は躊躇いなく飛び移った。


 花凛はその瞬間を逃さなかった。宙にいる和吉に目掛けて、素早く男を投げつけた。


 タイミングは完璧で避けることは不可能に見えた。だが、和吉が慌てて手を叩くと、投げられた男は一瞬にして消え去った。


 滞りなく枝に移動できたが、着地の際にふらつき、落ちそうになった。咄嗟にしゃがんで、枝にしがみついた。上下に大きく枝が揺れる。揺れが収まると、枝に座り直してようやく下界に目を向けた。


 花凛の行方を示す男たちの視線が、この木の下に向いていた。


「あっ、やっば」


 花凛は守備の薄い枯れ木への道を、既に抜けて近付いていた。そして、助走を目一杯つけたドロップキックを枯れ木にお見舞いした。


 ぐらりと枯れ木は傾き、音を立てながらゆっくりと倒れていく。和吉は衝撃で枝から滑り落ちた。地面にぶつかる直前に、花凛が飛び込んでキャッチした。


「よーし、捕まえた! もう逃げられないよ」


 しっかりと抱え込み、抵抗が出来ないようにしたのだが、和吉はやけに大人しくなっていた。


「ひゃっひゃっひゃっ、捕まっちったか。わちきの負けだね。悔しいけど、楽しかったからいいや」


「あのねえ、楽しいとか、楽しくないとかの問題じゃないの。こっちは先を急いでて、妖怪なんかに構ってられないんだから」


 溜息まじりに愚痴を言った。


 和吉の処遇をどうすべきか、判断に困った。子供ということもあったので、軽く説教でもしてから解放することにした。和吉を掴んだまま、顔が花凛に向くように持ち直した。


「いい? 人様の迷惑になるようなことはしちゃダメなのよ。和吉ちゃんも嫌なことされたら困るでしょ? だからもう悪さはしないの。分かった?」


 和吉は返事もせず、口を半開きにして花凛の目を見つめていた。


 花凛は瞳の奥から頭の中を探られているような錯覚に襲われたが、目を逸らすことは出来なかった。不思議な魔力でもあるのか、意識が和吉の瞳に奪われていた。次第に視界はうねり、黒一辺倒の景色から、絵の具をぶちまけたかのように、様々な色が浮かんできた。そして、それらの色は混ざり合い、醜い色に変化した。


 形容しがたい色に支配された視界は、徐々に花凛の目に馴染んでいるようだった。それゆえ、花凛はその夢から醒めていたと気付くのに遅れてしまった。


 不意に我に返る。全身の神経が蘇り、状況を把握しだした。まず始めに花凛の脳に送られた情報は、和吉が消えていることだ。


「あれ? いない……」


 気が抜けたような、か細い声で呟く。ゆっくりと周囲を見回すと、溢れんばかりにいた男たちはすっかり消え失せて、伸びている者が僅かに残っているだけだった。


 それを呆然と眺めていると、空から何かが落ちてきて、花凛の頭に直撃した。


「いてっ! 何よ、もう……って、これ源石?」


 落ちてきた石を拾い上げて確認すると、間違いなく源石だった。


 空を見上げると、また石が降ってきた。今度は1つではなく、複数落ちてきた。頭を抱えて、石を回避した後、もう一度空を見た。すっかり闇に染まり、星が点々と現れている空からはもう何も落ちてくることはなかった。その代わり、和吉の声が何処とも知れずに聞こえてきた。


「遊んでくれたお礼に、それあげるね。また今度、遊ぼうね! じゃあねー!」


 天に響く声を最後に、辺りは静寂に包まれた。


 花凛は状況の整理がつかず、拾った源石を見つめながら、固まった。


 まるで狐に摘ままれたようだ。唯一、足元に散らばる源石だけが、和吉という存在の証明だ。彼女が一体何者で、何故邪魔をしてきたのかは分からない。それよりも、今は頼人たちを追いかけることが先決だろう。


 花凛は視線を工場に向けて、歩き出そうとした。しかし、一歩目を踏み出した時、足が鉛のように重くなっていることに気付いた。それを感じるや否や、全身に脱力感が満ちて、倒れてしまった。


 この原因は分かりきっていた。理を惜しげもなく使い、全力で暴れまわったため、体に限界が来ていたのだ。


 花凛は立ち上がることを諦め、天を仰ぎ見る。


「あーダメだ、体動かないや。もっとスマートに戦えるようになんなきゃなー。はあ、後はお迎えを待つしかないか」


 深くなる闇の中、視界の端で微かに灯る光。その先で頼人たちに待ち受けているものなど、花凛には知る由もなかった。

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