第4話告白と脅迫

チャイムが鳴り、昼休みになった。今日も頼人と花凛は共に昼食を取っていた。


 初めての妖怪退治から数日が経った。その後も何度か服部からの依頼をこなしていたが、ネズミに勝る難易度の仕事はなかった。悪意の話題も、はな婆の口からは出てこないので、2人は退屈になりつつあった。


「服部さん、今日は来るかな?」


「来てほしいけど、もうちょっと歯応えのある仕事を用意してくれないかしらね。ネズミにも劣るネコやら、イタチやらって面白くないわよ」


 学校で出すべき話題ではないので、2人とも小声で会話していた。はな婆から容易に理関係の話をするな、と散々釘を刺されているのだが、最近は他に雑談に利用できる話題がないので、誰にも聞かれないように配慮して話をしていた。


「まあ、都合良く俺たちと同格の相手が現れるわけないだろ。今は数をこなして、経験を積む期間なんじゃないか」


「それにしたって、弱すぎる! もう戦ってるって意識ないよ。ゴミ拾いくらいの感覚でしかないよ」


 花凛の声が少し大きくなった。


「愚痴っても何も変わらないって。それに声を抑えろよ。周りに聞かれるだろ」


「ああ、ごめんごめん。ダメだね、この話してると、ヒートアップしちゃう。何か普通の話しようよ」


 自前の弁当に手を付けながら、花凛は頼人を促した。


「普通の話、って言われても特に面白いこともないしなあ。そもそも普通の話をするのが久しぶりな気がする」


 頼人は焼きそばパンを一摘み千切って、口に入れた。


「そうねえ。訓練してた時期も、あれが出来ないとか、これどうやんのとか、そういうことしか話してなかったよね最後にした普通の話……あっ」


 花凛の目が大きく開いた。まるで雷に打たれたかのように、体が固まった。


「ど、どうした? 弁当が中ったか?」


 頼人が声をかけると、花凛の硬直は解けて、突如立ち上がった。そして自分の席に戻ると、鞄を漁り出した。目当ての物が見つかると、それを頼人に見られないように後ろ手にして持ってきた。


「なんだなんだ、何を持ってるんだ?」


「ふふふっ、頼人クン。キミは特徴がないことを気にしてましたよね?」


 吹き出すのを我慢しながら、花凛は役者を演じていた。


「ああ、そういえばそんなこと言ってたな。花凛のカチューシャみたいな、トレードマークがあれば良いなって話をして……そうだ! 花凛が何か用意してくれるんだったよな」


「思い出したようですな。ふふふっ、頼人クンのお望み通り、ワタクシは拵えてきましたよ」


「おお、じゃあ今持ってる物がそうなんだな。早く見せてくれよ」


 頼人は身を乗り出して、花凛が隠している物を見ようとしたが、花凛は片手を前に出して頼人を制した。


「落ち着きたまえ頼人クン。物事には順序というものがあるのだよ。まずはワタクシの話を聞くのだ」


「ああ、分かったから手短に頼むぞ」


「頼人クンはせっかちですなあ。そんなんじゃ女の子に嫌われちゃうぞ」


「そ、そんな簡単に嫌われないだろ」


 頼人は身を引いて椅子に座り直した。口ではそう言ったものの、目は泳いでいた。


「頼人は分かりやすいから、からかい甲斐があるよ」


 花凛は演技をやめて、素の笑顔を見せた。


「いいから、話をしてくれよ」


「はいはい、と言ってもたいして話すこともないんだけど。今から渡すものはあたしが作ったアクセサリーなんだよね」


「アクセサリーを作った? お前、そんなこと出来たのか」


 頼人は驚きと疑いの混ざった目を向けた。


「ははーん、信じられないって顔してるね。それじゃあ早速、見せてあげるよ」


 花凛は得意げな表情を見せて、アクセサリーを披露した。


「おお、ブレスレット! ビーズで出来てるのか?」


 色とりどりのビーズで作られたブレスレットは、頼人の関心を引いた。それだけでも花凛は満足だったが、まだ伝えなければならないことがあった。


「そうよ。タイムカプセルを掘り出した時のこと、覚えてる?」


「タイムカプセル自体より、その後のことが鮮明に思い出されるけど、ちゃんと覚えてるぜ。タイムカプセルの中にはそれぞれの手紙と、俺はナイフ、花凛はビーズを入れてたんだよな」


「その通り。そのビーズを使って、ブレスレットを作ったの。ほら、腕、出して」


 花凛に言われるがままに、頼人は右手を差し出した。そして、花凛がその手首にブレスレットを装着させた。


「おお、いいね! 俺の存在を際立たせる素晴らしいアイテムだ。花凛、ありがとう」


 頼人の感謝の言葉に、花凛は微笑みを返した。


「それにしても、タイムカプセルに入れてたくらいなんだから、このビーズって大事な物なんじゃないのか?」


 頼人はブレスレットをまじまじと眺めながら、花凛に疑問をぶつけた。


「ビーズも大事だけど、それ以上にあたしの夢の方が大事だから使ったのよ」


「夢?」


 頼人の視線が花凛に移った。花凛は意を決して、自らの胸の内を語り出した。


「あたしがビーズをタイムカプセルに入れたのはね、雑貨屋さんになりたいって夢があったからなのよ」


「ええ! そんなこと、一度も聞いたことないぞ。ずっと隠してたのか?」


「んー、ちょっと恥ずかしかったからさ、大っぴらには言えなかった。それにガサツで不器用なのは自分でも分かってたから、なれっこないって半ば諦めてたんだよね。でも、もしかしたら未来の自分は凄く器用になってるかもしれないって思って、使わずにいたビーズをタイムカプセルに入れたんだ」


「そうだったのか。でも、このブレスレット、かなり良い出来じゃないか」


「まあ、なんだかんだで小物作りは続けてたからね。継続してきたおかげで、それくらいは作れるようになったのよ」


「凄いな、そんな素振り全く見せてないのに。ちょっと尊敬した」


「ちょっとだけ? そこはお世辞でも褒め称えなさいよ」


 頼人の冗談がしんみりとした空気を一変させた。しかし、それは花凛にはありがたいことだった。そろそろ背中がむず痒くなってきたからだ。


「花凛があまりにも真面目な話するもんだから、からかっただけさ」


 頼人は笑いながらそう言った。その発言に膨れっ面をして返すも、内心に微塵も怒りはなかった。


「ともかく、あたしの全力を込めて作ったブレスレットだから、大事にしなさいよね」


「言われなくても、大事にするよ。本当にありがとうな」


 嬉しさを堪えきれない表情を浮かべて、頼人は言った。


 自分の夢を漸く伝えることが出来た。本来ならば、タイムカプセルを掘り出した時に言うべきだったのだが、勇気が足りずに誤魔化してしまった。その後も、色々な事が重なってしまい、言えずじまいだった。こうして、言うきっかけを設けてもらえたのは、非常にありがたかった。


 胸のつかえがなくなり、午後の授業は心地の良いものとなった。気が付くと、授業は全て終わって放課後になっていた。


 ホームルームが終わると、花凛は最低限の教材だけ鞄に投げ入れて、頼人の席に急かしにいった。急かすとは言ったものの、その口調はいつもより穏やかで棘がなかった。頼人はそんなことを気にすることなく、自分のペースで支度をした。


 下駄箱に向かう途中まで、頼人はブレスレットを何度も見ては、うっとりとした表情を浮かべていた。そんな頼人を見た花凛は、自分を評価されているようで堪らなく嬉しかった。


 下駄箱に着き、花凛は自分の靴を取り出そうとした。靴を取り出す動作は習慣化しているため、意識をすることもない上に、今は頭の中が充足感で満たされていたので、異変があろうとも、すぐに気付くことは出来なかった。


 靴に手をかけて、持ち出した時、下駄箱の中から何かが落ちてきた。それに反応したのは頼人だった。


「おい花凛、何か落としたぞ」


「へ? 何を? どこに?」


「下を見ろって。手紙みたいだけどなんだそれ?」


 頼人に言われるままに花凛は真下を見た。確かに封をされた手紙のようだったが、身に覚えがなかった。しかし、落としたと言われた以上、それを拾う義務が生まれていたので、腑に落ちないものの、人差し指と中指を器用に使って摘み上げた。


「確かに手紙だ。でも宛名も何もない。あたしはこんなの持ってた覚えもないんだけど」


「もしかして、ラブレターじゃないのか?」


 花凛は頼人の言葉を聞いた瞬間、体が固まってしまった。辛うじて口が震えるように動くが、声を発するまでには至らなかった。


「……乙女らしからぬ顔になってるぞ。目を覚ませ」


 頼人が花凛の両頬をつねった。軽い痛みと共に体中の筋肉が緩んでいった。


 緊張が解けたが、一向に頼人は頬を放す様子がなく、寧ろ力が強くなっていた。頼人も面白がってやってるようだったので、花凛は自由になった手で頼人の腕を締め上げて制裁を与えた。


「バカ! やりずきなのよ!」


「ごめん、こんな機会滅多にないからつい……って痛い痛い!」


 お仕置きを適度に済ませて、頼人の腕を放した。


「まあ、頼人のおかげで元に戻れたからお礼は言っておくよ。そんで、この手紙がラブレターだとしたら、あたしはどうすればいいわけ?」


 頼人の腕を掴んだので、持っていた手紙は少しよれてしまっていた。


「読めばいいじゃないか。他に選択肢もないだろ?」


「今読むの?」


「そりゃすぐ読んでほしくて下駄箱に入れたんだろうな」


「そうか、分かったよ。読みますかあ」


 花凛は渋々、手紙の封を切った。中には一枚の便箋が二つ折りにされて入っていた。


 恐る恐る開き、文書に目を通した。その内容は、想定していたものとは全く異なった、意味深なものだった。


「どんなラブコールが書かれてるんだ? 俺にも見せてくれよ」


 頼人は茶化してくるが、花凛は反応を示さないまま、便箋を訝しげに見ていた。


「どうした? まさか、ラブレターじゃなかったか? 脅迫文とか……」


「いや、ラブレターだよ。どうやら、この後会いたいんだってさ。悪いんだけど、先に神社に行っててくれる?」


「あ、分かった。どうするかは知らないが、ちゃんと返事するんだぞ」


 熟練者のような口ぶりで言葉を残し、頼人は行ってしまった。


 花凛は頼人が見えなくなるのを確認すると、靴を履き替えて校舎を出ていった。




 鳳学園の裏手には、学園の敷地と同程度の広さを持つ公園がある。その名を大和公園と言う。


 そこはアスレチック設備や、自由に使える広場だけでなく、自然の一部を切り取ったかのように、動植物が集う緑地も含んでいた。


 その緑地の、木々に囲まれた人気のない休憩所に花凛はやってきた。


 手紙にはこの場所が指定されていたが、まだ手紙の主は来ていなかった。花凛は木製のベンチに座り、来るのを待った。


 程なくして、待ち人が現れた。テーブルを挟んだ向かい側のベンチに、その人は腰を掛けた。


「面と向かって話すのは初めてだよね。知っているとは思うけど、一応、自己紹介しようか。あたしは2年E組の獅子川花凛」


 花凛は鋭い口調で名乗った。そして、少しの沈黙の後、花凛を呼びつけた手紙の主が口を開いた。


「わたくしはC組の御門杏樹みかどあんじゅ。お見知り置きくださいませ」


 美しいブロンドの長髪を靡かせて、御門杏樹は応えた。


「手紙を読んでいただけたようで。こうして、あなたとお話できるなんて思ってもみませんでしたわ」


「あたしもだよ。金持ちのお嬢様から呼び出されるなんて、想像したことないよ」


 花凛はテーブルの上に手紙を放り投げた。


「しかも脅迫されるなんてね」


 鋭い視線を杏樹に浴びせた。しかし、杏樹はそれに動じることなく、冷たい視線を花凛に送り返した。


「脅迫、ですか。あなたはそう捉えるのですね。わたくしはこの文章に強制力があると思って認めさせていただいたのだけれど」


 杏樹はテーブルの上の手紙を手に取って、便箋を取り出した。それを見て確かめるように言葉を紡ぎ出した。


「理と悪意について、世間にばらされたくなければ、本日の放課後、大和公園に来るべし。従わないという選択肢を排除した、心配りのある文章を書いたと自負しておりますの」


「心配りがあるとかなんとか、そんなのどうでもいい。あたしが聞きたいのは、なんであんたが理と悪意を知っているかってことだけだ」


 花凛の感情が高まりを見せていくのに反して、杏樹は以前として表情を崩さなかった。


「あなたの質問を優先して聞いてあげる道理はありませんの。わたくしがあなたを呼んだ意味を考えてくださいな」


「……何が目的なの?」


 杏樹の冷静さに引っ張られる形で、花凛は大人しくなった。その様子を見て、杏樹はほんの少し口角が上がった。


「ふふっ、見た目に似合わず、お利口さんで嬉しいですわ。これなら、お話も早く済みそう」


「そう思うなら、とっとと目的を言いなさいよ」


「ええ、その通りに。わたくしはあなたに警告をしに来たの。それはとても重要で、深刻で、緊急なものですから、手紙にも書かせていただいたあなたたちの秘密をカードにして、あなたに飲んでいただこうと思ってますわ」


「で、その警告とやらはなんなのよ」


 杏樹の蒼い瞳が花凛を睨んだ。穏やかそうな見た目からは想像も出来ない目つきに、花凛は一瞬たじろぎ、唾を飲んだ。


「今後一切、長永頼人に近づかないこと。ただそれだけですわ」


「はあ?」


 予想だにしなかった警告に、呆れ混じりの声が出た。しかし、杏樹は真面目な顔を崩さずに、流暢に語り出した。


「進級してから、あなたは長永くんと常に一緒にいるではありませんか。それがわたくしにとって不快極まりないことなんですの。始めのうちは幼馴染みという間柄なので大目に見てあげてましたが、最近は学校だけでなく、放課後も共に過ごしているようで、わたくしはもう堪忍出来ませんでしたの」


 花凛はなんとなく察することが出来た。杏樹は頼人に惚れていて、自分に嫉妬しているのだと。


 おおよそ、目的が分かったが、尚も杏樹の語りは止まらなかった。よほど鬱憤が溜まっているらしい。態度には出ずとも、その口は正直だった。


「幸いにも長永くんの鞄に付けておいた盗聴機能の付いた発信器で、あなたたちが理という力を身につけて、悪意を持つ人間を秘密裏に退治しているということを知ったものですから、これは使えると思いまして、その情報を人質にしてあなたをここに呼び寄せたんですの。そしてまた、この情報と引き換えに、あなたと長永くんの関係を終わらせてあげようという算段なのですわ」


 全てを言い終えた杏樹はほんの少し得意気な顔になっていた。花凛は杏樹に聞こえるくらいの溜息を吐いて、言葉を返した。


「まあ、色々とツッコミたいところはいっぱいあるけどさ、あたしと頼人はあんたが想像しているような関係じゃないし、今後もそんなふうになることはありえないよ。だから、あたしのことは気にせずに恋愛を楽しんでくれていいよ」


「そう言って、わたくしを安心させておいて、長永くんを頂こうとしているんじゃないかしら? 見た目通りに性格が悪いわね」


 否定しなかったところ、杏樹が頼人を好いているのは確定的だった。しかし、恋愛脳はかくも恐ろしき。どうあっても花凛を除け者にしたいようだ。


「めんどくさいなあ……頼人に盗聴機能のある発信器付けてたんでしょ? だったらあたしと頼人の会話聞いてるはずじゃん。その会話のどこに、あたしが頼人を落とそうとしてる節があるのよ?」


 この際、どうやって発信器を付けただとか、何故そんな物を持っているのかだとかは気にしないことにした。今は事を穏便に済ませることに専念した。


「わたくしの疑惑が確信に変わったのは、あなたたちがタイムカプセルを掘り起こしに行った時ですわ。あなたは散々、長永くんをこき使っておいて、タイムカプセルが見つかったと思ったら可愛い女子をアピールしたいのか、変な演出をしてみせる。その後、暴漢に襲われた長永くんがいたぶられるのを待って、颯爽と助けようとして逆に返り討ちに遭い、か弱い女子をアピール。無事に長永くんが暴漢を撃退したら、最後はあざとい声で『ありがとね』なんて言ってギャップ女子をアピール。わたくし、腸が煮えくり返りそうでしたわ。そして今日のお昼、遂に攻めなさったようで。プレゼントを送ってその気にさせようなんて、腹立たしくておかしくなりそうでしたわ」


 まさか、タイムカプセルの時から発信器を付けられているとは思わなかった。花凛は数多の感情に先立ち、気持ち悪いという言葉で頭が埋め尽くされていた。


「……随分と頼人に入れ込んでいらっしゃるのね。でも、あんたがアピールしてると思った行動は、あたしの本心の行動よ。それが穿った解釈をされてしまっては、あたしは釈明の余地もない。だからあたしを信じてほしい。本当に頼人とは恋愛関係にないの」


「信じろですって? 赤の他人をどうやって信じろというの? あなた、やっぱり誤解していらしてるわ。初めからわたくしはあなたと取引きや駆け引きをしようと思ってないですし、それは出来ないはずなの。あなたが長永くんの目の前から消えることは絶対なんですのよ!」


 杏樹に苛立ちが見え始めていた。彼女の怒りを収める方法は、頼人に近づかないということを飲まなければならないのだが、提示された要求が実にあやふやなもので、下手をすれば2人の活動に支障をきたす可能性もあった。


 それを踏まえずとも、杏樹の身勝手な言い分に大人しく首を縦に振ることは考えられなかった。


 お互いに引けない状況であることは明白だった。それは即ち、実力によって押し通すしか方法がないということだ。


「あたしはあんたの言うことなんか聞かない。あたしが頼人と一緒にいることを禁じられる謂れはないし、それを憎まれる道理もない。あんたが納得できないというのなら、どんなことをしたって従わせる。あんたがか弱いお嬢様だからって手加減しないよ、覚悟してよね」


 宣戦布告をしてベンチから立ち上がった。そして、テーブルに足をかけて、杏樹に飛びかかろうとした時、強烈な向かい風が襲いかかってきた。


 不意の出来事に、花凛の先制攻撃は不発に終わった。風に押されて、ベンチに足を引っ掛けてしまった花凛は後転して地面に頭を打った。風の正体を確かめようと、すぐに起き上がった。それらしきものは見当たらなかったが、杏樹はまるで動じることなく、不敵な笑みを浮かべて鎮座していた。


「意外と簡単に、出来るものなんですのね。これなら、わたくしが力ずくであなたを従わせるというのもありですわね」


 テーブルの陰から現れた手に、源石が握られていた。


「今の風、あんたが……まさか、理を使えるなんて」


「あなたたちの行動は全て筒抜けでしたからね。勿論、訓練の様子も聞き漏らさずにいたんですの。ただ、この石だけは手に入らなくて困ってたのですが、今日こっそりとあなたの鞄から拝借させていただきましたわ」


 杏樹のもう片方の手に、火と水の源石が器用に指で挟まれていた。花凛は地面に落ちた鞄の中を、急いで見てみると、確かに持ってきていたはずの源石が、一つ残らず消えていた。


「くそっ、盗まれてたのか。学校だからって安心してた……あたしのバカ」


 花凛は呟くと、再び杏樹を睨んだ。


「でも、いくら理を使えたからって、所詮は付け焼き刃。あたしたちがそれを自由に使えるようになるまでどれだけ時間がかかったか、知ってるでしょ? 今の風だって、たまたま……」


 花凛の顔を、水の塊が素早く横切った。目で瞬時に水を追うと、それは空中で留まっていた。


「動かすのも、そんなに難しくないんですのね。ごめんなさいね、わたくし、やれば出来るタイプなんですの」


 水は再び、花凛に目掛けて飛んできた。今度はしっかりと目視しているので、余裕を持って回避できた。


 しかし、攻める術を持っていないため、このままでは防戦一方になるのは目に見えていた。花凛は回避行動の流れのままに、林の中に逃げ込んでいった。


「あら、大口を叩いた割にはみっともなく逃げるですのね」


 杏樹はゆっくりと立ち上がり、林に消えていった花凛を追って、優雅に歩を進めた。


 花凛は身を隠せるほどの大木に隠れていた。足音も聞こえず、攻撃が来る様子もなかったので、落ち着いて状況を整理することにした。


「ヤバいなあ。あいつ、理ばっちり使えるっぽい。そうなると、こっちも理を使わないと勝ち目がないんだけど……あっ、そういえば」


 花凛はポケットを弄り、掌に収まる大きさの石を取り出した。緊急時に使えるように、土の源石を1つだけ持ち歩いていたのだ。


「良かった、これで戦う手段は確保した。だけど、上手く接近できるかな」


 土の属性は、理の使用者の生命力や身体能力を強化させることが基本である。勿論、土を発現させることも可能だが、それは他の属性より難易度は高い。


 花凛は理の扱いが大雑把で、どの属性も雑に発現させることしか出来ず、土に至っては身体能力の強化しか出来なかった。それでも、元々腕っぷしに自信があったため、力が純粋に向上する土の理と相性が合って、愛用していた。


 しかし、接近戦のみを強いられている現状は、明らかに不利である。杏樹が遠くから理を放っていれば、容易に近づけない。無理に突破しようとしても、返り討ちに遭う。どうにかして、杏樹に隙を作らせるしか勝つ方法はないのであった。


 大木の根元で思案していると、突風が吹いてきた。幸いにも木が防いでくれているため、事なきを得たが、この風は杏樹が近づいてきたことを示していた。


また、大木に小石が投げつけられたかのように、ポツポツと何かが当たっていた。横の木を注視してみると、雨粒のような水滴が無数に打ち込まれているようだった。


「さっきもおかしいと思ってたけど、何で理を2つ同時に使えるのよ。やれば出来るで済ませられる才能じゃないって」


 異なる属性の理を続けざまに取り出すことは疎か、一緒くたにして取り出すなど、花凛にも頼人にも出来なかった。それを、源石を触ったのも初めての素人が平然とやってのけているのだから、天才と表現せざるを得ない。


 努力を上回る才能に嫉妬しつつも、この状況を打開する案に考えを巡らせていた。


「いっそ思い切って、正面突破する? でも、絶対阻まれるよね。水の弾を頑張って避けても、風吹かされてバランス崩されるだろうし……ていうか、さっきから攻撃止める気配ないな。見えてないなら、やるだけ無駄じゃん……あっ、そうか」


 会心の閃きが花凛の頭脳に降ってきた。早速、それを実行しようと、源石から理を取り出した。


 その理を、身体強化に費やして準備は整った。意を決して、花凛は大木から飛び出していき、隣にある木に移っていった。


 身体が強化されていたので、強風に負けずに素早く移動ができ、水弾が当たってもダメージにはならなかった。更に言えば、多量の理を分散して使っているのだから、致命傷になることはなかった。あくまで、この水弾は牽制するためのものだと、花凛は理解していた。


 そして、おめおめと姿を晒したことで、杏樹はその牽制を抑えた。強風はそのままに、水弾をより大きいものにして、仕留めにきた。


「見つけましてよ。わざわざ、姿を現すなんて愚かですわね」


 隠れていた大木と比べて二回りは小さい木では、水の塊を防げないことは明らかだった。花凛は飛んでくる水の塊を引きつけてから、また別の木の下へと移動した。


「ぐう、すばしっこい……ですが、逃げているだけではあなたに勝ち目はありませんわ」


 杏樹は再び水の塊を発現させて、花凛に目掛けて放った。当然のように花凛は木から離れて、新しい木へと移った。勿論、杏樹はそれを追ってまた水を放つ。そんな繰り返しが幾度となく繰り広げられた。


 花凛は攻撃のタイミングを見計らいながら、付かず離れずの距離を保つちながら回避していた。


「……んー、そろそろかな」


 杏樹の放つ水の塊が、盾になっている木に当たるや否や、花凛は強風を物ともせずに、杏樹に一直線に向かっていった。


「自分からやられに来るなんて、飛んで火に入るなんとやら、と言ったところですわね。この一発で終わりでしてよ!」


 杏樹は水の源石を掲げた。その先から水の粒が現れ、少しずつ大きくなっていった。少しずつ、少しずつ……かなり悠長な肥大化だった。


「………あら? なんで大きくならないんですの?ふん! おりゃ!」


 水は杏樹の気合いとは裏腹に、遅々として変化がなかった。


 おかげで花凛は何も躊躇うことなく、突っ込んでいくことが出来た。杏樹は慌てて、出来損ないの水を放つも、花凛は鮮やかに宙に跳んで回避し、杏樹の御前に降り立った。


「ひっ、イヤ……」


「思った通り。あれだけバカバカ理使ってたら、源石も簡単に空になるわね。さあ……」


 怯えて立ち竦んでしまった杏樹を凝視した。今にも泣き出しそうになっているのにお構いなく、花凛はゆっくりと杏樹の顔の前に手を出した。


 そして、中指を親指で抑えながら、額に照準を合わせると、渾身のデコピンが放たれた。杏樹は犬のような悲鳴を上げて、顔を仰け反らせた。


「これであたしの勝ち。もう喧嘩はお終いね」


 頭に釣られて、体を倒しそうになる杏樹を、花凛は優しく支えた。


「え? なんで……、というか、お終いって……」


「もういいでしょ。抵抗できない相手をボコボコにするなんて、鬼みたいなことしないよ。あんたも嫌でしょ。よいしょっと、じゃあ休憩所に戻ろっか」


 2人は休憩所へと戻り、ベンチに並んで座った。花凛は日が暮れて、空がオレンジ色に染まっているのに初めて気付いた。


「はあ、もうこんな時間かあ。今日は神社に行けないかな」


 杏樹は花凛に反応することなく、黙って俯いていた。


「しかし、びっくりしたなあ。まさか、理を使えるなんて。全く警戒してなかったから、てんやわんやだったよ」


「……それでも勝ったのはあなたですわ」


 目を合わせることなく、杏樹は呟いた。


「あなたに従って、もう脅すような真似はしません。長永くんとの関係に口を出すこともしません」


「ん……結構素直に引くんだね」


「わたくしは愛のために、邪の道を進もうとも、人の道を踏み外すような愚者ではありません。闘いに応じた以上、その掟を守るのは当たり前です」


「邪の道って……まあ、一応は安心していいみたいね。あ、そうだ。ちょっと失礼するよ」


 花凛はブレザーの内ポケットから、はな婆からもしもの時のためと託された悪意を取り除くお札を取り出して、杏樹の顔の前にかざした。


「悪意に飲まれているのか、確かめているのですね。ご心配ならさずとも、わたくしは至って正常ですわ」


「お札が反応しないから、本当みたいね。見た目だけじゃ分かんないから、無礼なのは許して」


「いえ、そんなこと気になさらないで。それがあなたの務めなのですから」


 杏樹はそう言うと、顔を曇らせたまま立ち上がった。


「それでは、もう用は済んだでしょう。これからの発展と活躍、影ながら祈っていますわ。さようなら」


「あー! 待って待って!」


 花凛は杏樹の腕を掴んで引き止めた。


「まだ、何か言い足りないことがありますの?」


「あるよ、大ありだよ。寧ろ、これが一番話したかった。あのさ、せっかく理を使えるんだから、一緒にこの街を守ろうよ。あんたの才能、活かさなきゃ勿体無いって」


「あなたと一緒ということは、長永くんも、ですよね。わたくしが長永くんに近寄るのは、あなたにとって不都合ではなくて?」


「何言ってんのよ。別に困ることなんてないから。それに、あんたは頼人のこと好きなら、コソコソとしてんじゃなくて、正々堂々真正面からアタックかけなさいよ。そういうチャンスも含めて、一緒にやってくの、悪い話じゃないでしょ」


 杏樹の力を借りたいという気持ちはあるし、恋路を応援する気がないわけではないが、本心は発信器やらなんやらを常に気にしなくてはならないのが嫌だったからというのが申し出の大きな理由だった。


 杏樹は訝しげに花凛の顔を見たり、考え込んで下を向いたりした。そして、暫しの沈黙を経て、口を開いた。


「本当にいいんですの? わたくしは邪魔になりません?」


「邪魔になるわけないよ。仲間が増えたら、嬉しいもん」


「そうですか。でしたら、わたくしもあなたたちの使命の一端を担わせてください」


「ああ、良かった。断られてたらどうしようかと思ったよ。それじゃ、これからヨロシクね、杏樹」


 花凛は微笑みながら、右手を差し出した。杏樹は白く細い手で、握手に応じた。


「ええ、よろしくお願いいたしますわ、獅子川さん」


「花凛って、呼んでよ。もう他人じゃないんだから」


「分かりましたわ。花凛さん」


「いや、呼び捨てでいいよ」


「それは駄目ですわ。御門家の跡を継ぐ者として、どんな相手であれ最低限の礼儀を示さなければ……」


「まあ、下の名前で呼んでさえくれればいいか」


 様々な常識が壊れている人だが、根が腐っている訳ではないし、上手くやっていけるだろう。後は頼人とはな婆にどうやって説明するかだ。今日はもう遅いし、まずは帰って頼人にメールでもしておこう。そんな事を考えながら、花凛は杏樹と共に公園を後にした。

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