第5話不鮮明なままに
「あっ、御門さん。今日もまた一番乗りか」
「ごきげんよう、長永くん。ホームルームが短かったので、すぐに来ることが出来ましたの」
ありふれた会話を頼人と杏樹は交わしていた。
新たな仲間が加わってから3日が経っていた。その仲間は、頼人が1年生の時に同じクラスに属していて、しかも唯一、親睦があった女子だった。そのため、花凛から杏樹を紹介された時は驚き以上に、懐かしさと安心感を覚えていた。
「花凛さんは一緒ではないんですの?」
「途中まで一緒に来てたんだけど、学校に忘れ物したらしくて、引き返した。まあ、あいつのことだから、全速力でこっちに向かってるよ」
「あら、そうでしたの。お婆様もまだいらっしゃらないようですし、少しお話しません?」
「そうだな。どうせ暇だし、久しぶりに何か話すか」
杏樹は応じてもらえたことが嬉しかったのか、頬を赤らめていた。
「良かった。実は長永くんにお話したいことが沢山ありますの。2年生になってからは顔を合わすことさえ出来なかったから……」
「まあ、クラスが違うから仕方ないさ。それにこんなことに巻き込まれてからは、ほとんどの時間を花凛と過ごしてたからな。と言っても、それは昔からではあるんだけど」
「昔から……そういえば、長永くんと花凛さんは幼い頃からお付き合いしていらっしゃるのでしたね」
「そうだな。物心付いた時には、花凛がいた。近所に住んでるってのもあったから、かなりの時間を花凛と過ごしてたよ。特に気が合うってかんじでもないんだけど、長い付き合いが続いてるんだよなあ」
「……長いお付き合いの中で、友情が愛情に変わったりはしませんでしたの?」
杏樹は真剣な眼差しを頼人に向けた。
「それ、結構聞かれるんだよ。異性で仲が良かったら疑いたくもなるのかな。でも、期待に添えるような関係にはなったことないよ。それに今後もないだろうな」
頼人の言葉に、杏樹の視線が弱まり、溜息を吐いていた。杏樹も色恋沙汰が好きなのだろうか、と頼人思った。
「いやあ、面白くない関係でごめんな」
「そんなこと、ありません。素晴らしい関係だと思いますわ」
「素晴らしいは言い過ぎだよ。ただの幼馴染みってだけなんだから」
「その幼馴染みというのが、とても羨ましいと言いますか……」
杏樹は視線を外して、下を見るばかりになった。もじもじと何かを言いたげだったのだが、結局それを発言することなく、花凛が現れて雑談が終わった。
「遅れてごめんなさーい……って、あれれ、はな婆はいないの?」
「おう、花凛。社務所にもいないっぽいし、何処かに行ってるみたいだ。もしかしたら、今日は仕事持ってくるかもな」
「持ってくるなら、でっかい仕事を持ってきてほしいな。まさに世の平和を守ってる、ってかんじのをさ」
花凛は鞄を社務所の軒先に置いて、頼人と杏樹に合流した。
「それで、2人は何をして待ってたの?」
「話をしてただけだよ。花凛と俺の話」
「えっ……」
花凛は苦い顔をして、杏樹の顔を伺った。
「お2人の友情について、お聞きしたんですの。わたくしも、こんなに仲が良い人がいたらなあと羨んでしまいましたわ」
杏樹が微笑むと、花凛もぎこちなく笑い返した。
「ま、まあ、杏樹もこれから一緒に戦っていくわけだし、きっと、あたしたちと仲良くなれるよ」
「俺は今でも充分に御門さんと仲が良いと思うけど、もっと打ち解け合えたらいいな。まずは花凛と仲良くなるのが先だけど」
「え、えっと、既にわたくしと花凛さんはそこそこに友情を深め合ったのですが……」
「そうだよ、だってほら、下の名前で呼び合ってるし」
「うーん、なんかまだ遠慮があるんだよなあ。せっかく同性の仲間なんだから、キャッキャウフフしていいと思う」
頼人は花凛と杏樹の微妙な距離間を察知していた。いがみ合っているとか、険悪な感情があるわけではなさそうだが、妙な溝があるように思えた。
「もう、頼人ったら、何言ってるんだか。あー、そろそろはな婆来るかも、ちょっと見てこようっと」
「わたくしもお供いたしますわ。お待ちになって、花凛さん」
女子たちは足早に鳥居を抜けていった。2人でいれば友好も深まるだろうと、頼人は境内で1人、待つことにした。
少しすると、女子たちは待ち人を連れて戻ってきた。はな婆と、その後ろに服部がいた。
「服部さんも一緒に来たのか。もしかして、はな婆となんかしてたんですか?」
「ああ、ちょっと仕事をね。意外に手間取ってしまったから、遅れてしまったんだ。申し訳ない」
「へえ、はな婆が手間取るなんて、よっぽどだな」
「わしも人間じゃ。いつでも完璧に出来るわけではない。まあ、そんなことより、今日やることについてじゃ。ほら、社務所に入るぞ」
いつものように、一同は社務所の中に入っていった。
「さてさて、落ち着いたところで今日やることを話そうかね」
式神の用意した湯のみに手をかけながら、はな婆は話し始めた。
「本来なら、いつものように妖怪駆除といくところなんじゃが、今日は各自の理力を鍛えるべく、訓練をする」
「えー、訓練するの? もう基礎はバッチリなんだし、普通に仕事をしようよ」
真っ先に花凛が文句を言った。反発を気にすることなく、はな婆は湯のみに口を付け、ひと息入れていた。湯のみを置いた後、花凛に目を向けて、はな婆は話を続けた。
「訓練をする理由は、今のままでは強い悪意に打ち勝つことが出来ないからじゃ。そう毎度、妖怪退治だけしてても実戦経験値しか得られないしのう。訓練で新たな技術を学ぶのは大事なことじゃよ」
「新たな技術って、なんか新しいことを教えてくれるの? ねえ、どんのなこと?」
花凛の簡単に手のひらを返した。この様子に、はな婆は意地の悪い笑みを浮かべていた。花凛の扱いは既に慣れていたようだ。
「それはやってみてからのお楽しみじゃよ」
「勿体ぶらずに教えてよー。減るもんじゃないんだし」
「せっかちな子じゃのう。あともう少しで話も終わるから、大人しく待っておれ。ほら」
はな婆が指で指揮を振ると、小さな式神が花凛の口に大の字になって貼り付いた。口を開けなくなった花凛は、式神を剥がそうとするが、強固に接着されて取れなかった。それでも何とかして自由になろうと、抵抗を続けていた。
勝ち目のない闘いをしている花凛を放って、頼人がはな婆に気になっていたことを聞いた。
「今日は訓練をするってことは分かったけど、それならなんで服部さんがいるんだ?」
「ほっほっほ、此奴が事件を持ってくるだけの存在だと思っておるようじゃが、違うことも出来るんじゃよ。そのために、話に加わってもらってるのじゃ」
「まあ、タダ働きをやらされてるだけなんだけど」
服部は苦笑いを交えて言った。
「服部さんが何かしてくれるの? 訓練の相手をしてくれるとか?」
「理を使えない此奴を、的にするような鬼畜な真似はせんよ。此奴には車を出してもらうのじゃ」
「車って、何処か別の場所で訓練をするということですの?」
杏樹が見計らったかのようなタイミングで聞いてきた。横で暴れている花凛には、目もくれていなかった。
「訓練ではないが、ある場所に行ってもらう。じゃが、行くのは頼人だけじゃ」
「えっ、俺だけ?」
「そう、頼人だけ別の場所で特別授業を受けてもらう。詳しくは道中で服部が話すから、今は割愛しよう。そして残りの女子2人は、わしと共にここで訓練じゃ」
花凛に張り付いていた式神が自然に剥がれ落ちた。漸く声を出せるようになったが、その隙をはな婆は作らなかった。
「時間が勿体無いからのう。そろそろ始めるとするか。頼人は服部についていきなさい。花凛、杏樹、わしらは外で訓練じゃ、行くぞ」
はな婆が立ち上がって移動しようとすると、杏樹が慌てて止めに入った。
「お待ちになってください。どうして長永くんだけ、別のことをするんですか? 説明していただきたいですわ」
「頼人の特別な力を目覚めさせるためじゃ」
特別な力とはな婆が言った時、頼人はさして驚きはしなかった。基礎訓練の時に、はな婆から言われたことが今までずっと頭の中に残っていたからだ。
「でしたら、わたくしたちも特別な力を目覚めるために……」
「無理なんじゃよ。いいから、外へ行くぞ」
はな婆はあっさりと切り捨て、一足先に外へ出ていった。
「納得いきませんわ! わたくしにもその力があるかもしれませんのに!」
「はいはい、あんまし駄々を捏ねてちゃ可愛くないよ。あたしたちはあたしたちで新しい技を身につけようねー」
花凛は杏樹の手を引いて出ていった。出る間際に頼人の方に顔を向けて、口だけ動かしてエールを送った。
「さて、僕たちも行こう。神社の入り口に車を停めてあるから、それに乗っていくよ」
「はい、よろしくお願いします、服部さん」
社務所を出て、訓練を始めようとしている女性陣を横目に、頼人と服部は神社を後にした。
車は頼人の見慣れない景色を窓に移していた。車に乗ってまだ20分も経っていないが、学校を越えていったあたりで頼人は未知のエリアに踏み入っていた。
「目的の場所って、結構遠いんですか?」
「そうだなあ、着くまでに1時間はかからないと思うよ」
「そんなかからないんですね。てっきり、山奥にでも行くのかと思ってました」
「ははは、そっちの方が修行っぽくて雰囲気はあるかもね。荒っぽいことをするなら、そういう場所が適してるんだろうけど」
今時にしては珍しく、カーナビが着いていない車だったが、服部の運転には迷いがなかった。警察という肩書きだけあり、市内を網羅しているのだろう。
「俺は一体、何をやらされるんですか?」
「やらされるって表現には間違いがあるかな。君はただ、ある人に会いにいくってだけだ。会って、君の特別な力を引き出すヒントを貰うんだ」
「ヒントを貰うって、具体性に欠けますね。話を聞くだけなのか、何かを鍵となる物をくれるのか……どうなんですか?」
「実は僕もよく分からない。はなさんがそう言ってただけだから。ただ、物をくれるようなタイプではないかな」
「服部さんはその人を知ってるんですよね? 一体どんな人なんです?」
「うーん、そうだなあ……会ってからのお楽しみってことにしようかな」
「教えてくれたっていいじゃないですか。はあ、怖い人だったらどうしよう……」
どうしても悪い方向に想像が働いてしまった。はな婆が任せるほどの人物なのだから、理に関して造詣が深い人なのだろう。そう考えると、厳格であるというイメージが先行してしまって離れなかった。
服部はネガティブな思考に飲まれた様子の頼人をミラー越しに見て、笑みを浮かべた。子供をからかう大人の図式が見事に完成された。
頼人の想像が完結しない内に、車は目的の場所に着いたようだった。俯いていた頼人は車が止まったことに気付き、外に目を向けた。
「ここが……目的地ですか?」
「ああ、そうだよ。驚いたかい?」
「驚くっていうか、意味が分からないっていうか……」
頼人の目に映っていたのは白塗りの2階建ての施設だった。一見すると公民館のような外装だが、門に『児童養護施設 しんりょく』と記された表札があった。
「理とは縁遠い場所のような気がするんですが、本当にここであってるんですか?」
「間違いなく、この場所だよ。さあ、待たせるのも悪いから、中に入ろう」
2人は車から降りて、施設の中に足を踏み入れた。玄関では初老の男性が2人を待ち受けていた。
「こんにちは。件の少年を連れてきました。面会の方は大丈夫ですかね」
「ええ、準備万端です。では、奥の部屋に案内します」
男性は優しい表情のままに、服部と頼人を導いた。
頼人は辺りをキョロキョロと見回していた。落ち着かない気持ちを誤魔化す意味もあったが、このような施設には初めて入ったので、好奇心も少なからずあった。
「今日は子供たちが見えませんが、何処かにいってるんですか?」
服部が気兼ねなく男性に聞いた。
「シアタールームで映画を見ています。もしもの場合もありますから」
「なるほど、確かにもしもの場合がありえそうですからね」
2人が危惧しているものが何なのか、頼人には分からなかったが、これから会う人物のこともあいまって、緊張と不安に押し潰されそうになっていた。
廊下の突き当たりまで来ると、『所長室』と銘されたドアがあった。そのドアの前で男性が振り返り、服部と頼人に笑顔を向けた。
「私がいると邪魔になるやもしれませんから、ここで待っています。どうぞ、お入りください」
「お気遣いありがとうございます。それじゃあ、頼人くん、特別講師とご対面といこうじゃないか」
「は、はい。はあ、緊張するなあ……」
頼人は胸に手を当てて心臓の鼓動を確かめた。自分が思っている以上に、臆病な心だった。服部がドアノブに手を掛けて、静かにドアを開いた。
服部の後ろについて、頼人は部屋に入っていった。応接室のようにソファーとテーブルが用意されていて、部屋の入り口に背を向けているソファーから、2つの頭が少し飛び出していた。頼人たちに気が付いたのか、その頭は同時に向きを変えて、こっそりと目を現してきた。
「こんにちは。2人とも元気にしてたかい?」
服部が挨拶すると、目だけの2人はその体勢のまま、話しかけてきた。
「元気だったよ! ねえ、今日は何をするの? また遊んでくれるの?」
「そんなわけないでしょ。わざわざ所長室に呼ばれたんだから、大事な話をしに来たんだよ。そうだよね、おじさん?」
2つの声はとても似ていたが、初めの声は落ち着きなく、やや早口気味で、後の声はしっかりとした話し方だった。
「まあ、そんな感じだ。君たち2人の力を借りようと思ってね」
「遊べないなら、俺も映画見たかったよ。ちぇっ」
「そんなこと言っちゃダメでしょ! 私たちを頼ってくれてるんだから、力になってあげなくちゃ」
「はいはい、分かってるよ。まったく、姉ぶりやがって……」
文句を言っている頭が少し沈んだ。微かに残っている眼は、隣を睨んだ後、頼人に視線を向けた。
「それで、そこのにーちゃんは誰なの?」
頼人は緊張の消えない状態であったため、その問いに即座に答えられなかった。代わりに服部が頼人の紹介をし始めた。
「このお兄さんは長永頼人っていうんだ。君たちと同じ、理の力を持っているんだよ」
「えっ、 理の力を?」
驚きを真っ先に示したのは頼人だった。姿を完全に見ていないが、言動から察するに、話している相手は子供だ。子供が自分と同じように理を使うなど、到底考えられなかった。服部は頼人の反応に、満足した表情を浮かべていた。
「オサナガヨリト……うん、覚えた。ヨリトにーちゃんね。それじゃあ、僕たちも自己紹介するよ。まずは僕から……」
ソファーから勢いよく、少年が飛び出してきた。
「僕の名前は、
少年はそう名乗ると、頼人に近付いて握手をしてきた。頼人はいきなり手を取られて、少年の為すがままに握手に応じた。
それが終わりを迎える前に、もう1人がソファを飛び越えて、正体を現した。顔立ちや背格好は少年とほとんど変わらないが、肩まで伸びた髪が少年との差異を示していた。
「初めまして。私の名前は
なんともややこしい名前の双子だ、と頼人は心の中で呟いた。
「自己紹介も終わったことだし、本題に入ろうか。とりあえず、座ってお話しよう。さあ、頼人くんも」
服部に促されて、頼人は双子が居着いていたソファーの反対側に回った。背の低いテーブルを挟んで、頼人と服部は双子と対面する形になった。
「さっきもちょろっと言ったけど、エニシくんとユカリちゃんには協力してもらいたいことがあるんだ。それはこの頼人くんに関してなんだけど……」
まだ頭の整理が出来ていない頼人は、服部の言葉が右から左へと流れていた。少なからず、ここで話をしている、ということが当初の目的であると認識して良いと考えていた。
「彼に君たちの力を見せてあげてほしいんだ。これは特別な理の力を持つ、君たちにしか頼めないことなんだ。いいかな?」
「ええ、構いませんよ。ねえ、エニシ?」
「うん。でもそれが終わったら、遊んでよね」
「いくらでも遊んでやるさ。ちゃんとやってくれさえすればね」
「よっしゃあ! ユカリ、さっさとやろうぜ。時間がもったいない」
エニシは立ち上がってユカリを急かした。呆れた表情でユカリは見上げていたが、小さく溜息を吐くと、ゆっくりと腰を上げた。
「エニシ、そんな浮かれてたら上手く出来ないよ。少し落ち着いて」
「分かってる分かってる。ばーちゃんも言ってたもんな。深呼吸して……」
エニシは目を閉じて、深呼吸を2度繰り返した。
「……よし、これで大丈夫っと。ユカリも準備はオーケーだな?」
「私はいつだって大丈夫よ。それじゃあヨリトさん、私たちの力をお見せしますね」
「お、お願いします」
頼人は上ずった声で返事をした。これから何が起きるのか、見当がつかなかった。膝の上で握られた拳が微かに湿りだした。
双子は向かい合い、それぞれ右手の人差し指をお互いの額に静かに当てた。少しの間を置いて、2人の指は同時に額から離れた。すると、額と指先を電気のような、光のような、素性の分からない細い糸が繋いでいるのが見えた。指に付いている糸を、お互いに付けられた糸に重なるように額にあてがうと、2本の糸は結合して強く発光した。一瞬の発光の後に、2人に付いていた糸も消えてしまっていた。
「な……なんだ今のは? 今のが特別な力?」
「フッフッフッ、これからが本番だよ。ユカリ、頼んだよ」
エニシはそう言うと、ソファーの後ろに隠れた。
「それではヨリトさん、少しお付き合いお願いします。手を出して頂けますか?」
頼人は腰を少し浮かせて、言われるがままにユカリの前に指を広げた手を差し出した。
「あ、こんなに近づかなくてもいいですよ。あと、グーにしてください」
「わ、分かった……はい、これで大丈夫?」
「ありがとうございます。では、これからやることを説明しますね。後ろで隠れているエニシが、ヨリトさんの指が何本立っているのかを当てます。ですので、ヨリトさんは適当に指を立ててください」
「まるで手品だな。まあ、いいや。それじゃあ……ほい」
頼人は人差し指と中指を拳から開放した。
「2本! チョキの形!」
間を置かずに、ソファーの後ろから元気な声が飛んできた。
「おお、当たりだ。すごいな……すごい……手品だ」
「手品じゃない! これが僕たちの力なんだよ!」
エニシはソファーの陰から顔を出して抗議した。
「エニシの言う通り、これが特別な力なんです。エニシは見てなくても、私がヨリトさんの指を見てたから分かったんです」
「ユカリちゃんが見たら、エニシくんが見たことになるの?」
「だいたい合ってるけど、見たことになるって言うより、僕も見てるんだよ。ユカリの目を通してね」
頼人はエニシの言うことが、どういった意味を持つのか理解できず、頭を捻った。頼人が混乱していることを察した服部は助け舟を出した。
「言うなれば、2人は視覚を共有したんだ。ユカリちゃんが見てるものはエニシくんにも見えるし、逆にエニシくんが見てるものも、ユカリちゃんは見えてるということだ」
「なるほど、視覚を共有する力か。確かに普通の理とは違う力だ……」
「視覚だけじゃない。聴覚、触覚、嗅覚、味覚の五感全てを共有できる上に、お互いの思考のやりとりも可能になる、とんでもない力なんだ」
「えっへへ、どう? ビックリでしょ?」
エニシは元の位置に戻って、得意そうな顔を見せていた。
俄かには信じ難かったが、服部の言葉に嘘が混じっているとは思えなかった。目の前にいる幼い双子の力を認めざるを得なかった。だが一つ、頼人は腑に落ちないことがあった。
「2人が特別な力を持っていることは分かりましたが、これが理による力なら、理源はどこにあるんですか? 源石を持っているわけでもないのに」
「鋭い所を突いてきたね。実はエニシくんもユカリちゃんも、理を取り入れてはないんだ」
「理を取り入れてないのに、理の力を使えるんですか? なんかよく分からないなあ」
「ああ、よく分からないな。よく分からないけど、使えるんだ。だからこそ、はなさんが君を2人に会わせようとしたんだよ」
服部の言葉の意図が見えなかった。頼人は眉間に皺を寄せて、次の言葉を待った。
「悪意がばら撒かれたあの日に、君は理源なしで理を発現したそうじゃないか。その力と一緒なんだよ。技術や過程を飛ばして、君の中に備わっている特別な力……それを扱えるようにするためには、特別な力を間近で見るべきだ、ということなんだろうね」
「見て学べ……と。でも、まだ自分の力がはっきりしてない段階だけど、彼らの力と俺の力は同じ毛色をしているとは思えません」
「まるまる同じものなんて存在しないさ。それに、そこが重要なんじゃないと思うよ。とにかく、今日はこの2人の力を観察して、君の力に繋がるパーツを探ろうじゃないか」
「ちょっと待ってよ。僕たちはまだ遊べないわけ? もう見せたんだから遊ばせろよー」
大人しく頼人と服部の話を聞いていたエニシが痺れを切らした。ユカリも言葉には出していないが、退屈そうな表情をしていた。
「ああ、ごめんごめん。そうだな……じゃあ頼人くんと庭で遊んできていいよ。頼人くんは色んな遊びを知ってるはずだから、教えてもらいな」
「いやいや、服部さん。俺はそんなに遊び知らないですよ。それに遊びに付き合ってる暇は……」
言い終わらない内に服部が頼人の耳に顔を近づけた。
「大丈夫だって。彼らと遊んでる最中に、理を観察すればいいんだから。あまり身構えずに、自然体になった方が、彼らにとっても君にとっても得られるものは大きいはずだよ」
服部は頼人の背中を軽く叩き、そのまま扉の方へ誘った。双子も遊べるとなって嬉しいのか、小躍りしながら先に出ていった。
「すみません、こんな時間までお邪魔してしまって……」
夕焼けに空が染まる中、頼人と服部は施設の入り口で別れの挨拶をしていた。
「いえいえ、あの子達も楽しんでいたようで。よければまた、いらっしゃってください」
頼人たちの見送りは、双子に引き合わせてくれた初老の男性がしてくれた。この男性が施設の所長だった。
「それで、どうですか? 何か掴めましたかね?」
所長の視線が頼人に移った。
「えっと、それが……あまり芳しくないと言いますか……」
「そうですか。其方のことは詳しくないので何とも言えませんが、気を落とさずに、前を向いてください」
「ありがとうございます」
返す言葉がそれ以上出なかった。成果を得られずに退散することを、申し訳なく感じていた。
「今日は本当にありがとうございました。双子にも感謝を伝えておいてください。それでは」
「ええ、分かりました。また会う日までお元気でいらしてください」
挨拶を済ませると、服部と頼人は停めてある車へと向かっていった。疲労からか、頼人の足取りは重くなっていた。
「はあ、結局手掛かりは得られなかったなあ。遊んでる間も、2人が能力使っているのは分かってたのに……」
車に乗り込んですぐ、頼人は溜息混じりに呟いた。
「しっかりと観察は出来ていたんだ。それだけでも無駄ではなかったはずだよ。考えるのは後でも出来るからね」
車のエンジンがかかり、緩やかに進み出した。頼人は施設の方へ目を向けると、2階の窓から2人の子供が此方を見ていることに気付いた。目を凝らすまでもなく、その正体はエニシとユカリだと分かった。
双子は遠のく車に、大きく手を振っていた。頼人もそれに応えて、控えめに手を振り返した。
「元気な子たちでしたね。あの元気はどこから来るんだろう」
「所長さんも、手に負えない時があるって言ってたからね。あの双子は特別、元気なんだろうね」
ここで頼人は気になっていたことを服部に聞くことにした。それは頼人の今の悩みとは無関係の、双子のことについてだった。
「そういえば、気になっていたんですけど、あの2人はどうして理が使えるんですか? やっぱり悪意を引き金にして、目覚めたんですかね」
「いや、それがどうも違うみたいなんだ。彼らは施設に来た時から、あの能力が使えたらしい。もしかしたら、生まれつき理が使える体質なのかもね」
「……これは聞くべきではないんでしょうけど、その体質のせいで施設に預けられているんでしょうか」
「どうだろうね。そればっかりはあの子たちの両親にしか分からないよ。何にせよ、詮索は無用だよ。あの子たちは今、充分に幸せなんだから」
「そうですね。すみません、余計なことを聞いてしまって」
「謝らなくていいさ。君はあの子たちのことを理解しようとして、そういうことを聞いてきたんだろう? 君の気持ちには間違いはないさ」
服部は優しい口調で諭した。悪気はないにせよ、双子の内情に深く関心を抱いてしまっていた。服部の言う通り、彼らは今の生活を楽しんでいる様子だった。それ故に、彼らの環境が目に付いて仕方なかった。
服部がその感情を正しいと見ているにも関わらず、頼人は放った言葉に後悔を感じていた。
疲れもあってか、その後は車中で服部と会話を交わすことはなかった。長い沈黙の末に、くたびれた車は闇に飲まれつつある神社に戻ってきた。
境内に入っていくと、人の姿は見えず、明かりの灯っている社務所に微かな気配があるだけだった。そのまま2人は社務所の扉を潜っていった。
「ただいま帰りました。はなさん、いますよね?」
服部の声が届く前に、床を擦る音が聞こえていた。式神を携えて、はな婆が奥から現れた。
「随分と遅かったじゃないか。まさか、遊んでたんではなかろうな?」
「遊びはしたけど、それが訓練だったかな。ていうかさ、相手が子供だってのには驚いたよ」
「そうじゃろうな。ましてや、自分より若い者が理を使いこなしておるんじゃ。良い刺激になったろう。どうじゃ、何か掴めたかの?」
はな婆の問いかけに頼人は一瞬、顔が強張った。それをはな婆は見逃さなかった。表情の一片を見ただけで、全てを察したようだ。
「……簡単にはいかんよ。それだけ頼人の力は複雑で難解なものじゃ。おぬし自身の手で少しずつ解き明かしていくのじゃ」
「うん。自分の力なのに、何も分からないままじゃ気持ち悪いからな。絶対、使えるようにするよ」
頼人は強い眼差しをはな婆に向けて、決意を表した。
「よし、それじゃあ今日はこの辺で解散としましょうか。お嬢さん方はもう帰ったのかな?」
服部が少し草臥れた口振りで言った。
「ああ、ちょっと前に訓練を終えて帰らせたわ。おぬしらを待つ道理もなかろう。さあ、おぬしらもさっさと帰りなさい。明日はいつも通り、妖怪の駆除をやるからの」
服部と頼人は、はな婆への報告を終えて社務所を後にした。服部は再び車に乗り込み、頼人と軽く言葉を交わしたあと、ゆっくりと車を走らせて去っていった。
久しぶりに1人で帰ることになった頼人は、重みを増している両足に鞭を打ち、自転車を自宅へと向かわせた。
空は徐々に闇が増していた。頼人は途中で自転車から降りて、ノロノロと歩いて自宅を目指していた。その理由としては、ペダルを漕ぐのが億劫だということもあるが、今日の出来事を振り返るのに適した時間であると考えたのが最大の理由であった。しかし、いくら考えても答えに辿り着くどころか、問いさえ見つけることは出来なかった。
頼人は呆然と前を見ながら、自転車のハンドルを力なく押して歩いていた。すると、人ひとりいない住宅街で珍しく人影を見た。
50mほど先の十字路で、女性と思しき人物が横切っていった。それだけなら、まだ頼人の意識に介入するほどの問題ではなかったが、その後の異様な光景が全ての思考を中断させた。
女性が横切り、視界から消えてすぐに、地べたを這いずる男が女性の後を追って現れた。男を視界に捉えたのは一瞬だったが、悪意の存在を確信した。頼人は自転車に跨り、急いで男を追っていった。
十字路を曲がると、先ほどの女性の姿とその真後ろまで迫っているヤモリのような格好の男を視認できた。
頼人は流れるような動作で鞄から赤い源石を取り出して、男に目掛けて火球を投げつけた。見事に火球は命中し、男の背中を炎上させた。男が悲痛な叫び声を上げると、それに気付いた女性も悲鳴を上げて逃げていった。
背中を叩いて火を消そうとしている隙に、頼人は自転車を飛ばして男に接近した。
慌てふためく男を前に、頼人は自転車から降りて様子を見ていた。これで無力化したとは言えないが、害はなくなっただろうと踏んでいた。
「熱がってるところ申し訳ないけど、悪意を取り除かせてもらうよ」
頼人が札をポケットから取り出そうとした時、男は叫びを止めてカエルのように飛びかかってきた。
不意の攻撃に、頼人は反応することが出来なかった。男の頭が頼人の腹部に衝突し、後方に倒されてしまった。掴みかけていた札は、その衝撃で手から離れて地面に落ちた。
「あと少しだったのに……あと少しで美女とお近づきになれたのに……君のせいで、あの子が怖がって逃げちゃったじゃないか。どう責任を取ってくれるんだ!」
依然として四つ足の状態で、男は怒鳴った。
「あの人が逃げたのは、どう考えてもあなたのせいでしょ……明らかに不審な見た目なんだから……」
頼人は体を起こしながら、反論した。
「不審? 僕のどこが不審なんだ? 至って普通を装ってたんだぞ。普通を装いつつ、あの子に……ぶつかろうとしたんだ。ほら、少女漫画でよくあるだろう? 曲がり角でぶつかって、恋に発展するやつさ。都合良く曲がり角でぶつかるのは無理だから、背後からのパターンで妥協したけど、それでも2人が恋に落ちるには充分だろうと考えてたんだ。不足はないはずだったのに、なんで僕はあの子じゃなくて、ありふれた男子高校生とぶつかってしまったんだ!」
悪意に飲まれた者と対面するのはこれで3回目だったが、この男もこれまでの者と変わらず、意味不明な理論を展開していた。
「こっちとしては、あのお姉さんにぶつかられなくて助かったよ。一般人に害が及んだら、大事になるかもしれなかったし」
「黙れ! 君には責任を取ってもらうぞ。今の僕はとても苛立っている。それを解消するために、僕に為す術なくやられてしまえ!」
男は再び、飛びかかってきた。同じ手は食らうまいと、頼人はするりと躱して距離を取った。
悪意に飲まれた者に対して、近距離で戦っても利はない。こと肉弾戦を挑もうものなら、箍の外れた行動をする相手に分があるのは明白だ。花凛のように身体能力を強化させれば、それでも構わないだろうが、リスクを負ってまですることでもなかった。悪意を持つ者との戦いの基本は、距離を置いて理の術で制圧することが最も賢いやり方なのである。
しかし、頼人はここで欲が出た。折角だから、この男を利用して自分に眠る力を引き出せないかと考えた。男の一連の動きを見て、この程度なら一捻りで鎮圧させられそうだった。自分の力は実戦でしか発揮できない類の力なのかもしれない。ならば、この貴重な場で出来るだけコツを掴んでおきたかった。
頼人は手にしていた源石をしまい、男を見据えながら、右手を前に突き出した。あの時、初めて悪意を持つ者と対峙した時、自分の右手に力が宿っていたことは覚えていた。頼人は右手に神経を集中させて、理を引き出す時のように、力が体を巡るのを待った。
その間に、男は体を翻して頼人に向き直っていたのだが、自分に向けられた手のひらに何は無くとも警戒を強いられ、四肢の先に力を込めたまま、出方を伺っていた。
しかし、いくら待っていても変化が訪れることはなかった。何かが起こる気配は一片たりともなかった。男は頼人の顔に目を向けると、眉間に皺を寄せて、必死な顔付きになっていることに気付いた。そして、様子見が無駄であったと悟り、溜め込んでいた力を解放して、頼人に飛びかかった。
頼人は集中していたとはいえ、男の攻撃に反応できないほどに没頭していなかった。後ろに退いて、また同じ状況を作ろうと考えていため、迷わず回避行動に移行した。
片足を大きく下げて、そのままもう片方の足共々、体を退かせようとした時、頼人は体に異変を感じた。
その異変は頼人の足を鈍らせて、想定していた回避行動を妨げた。体がふらつき、仰け反りそうになった。それを堪えようとしたが、腹部に強烈な痛みが襲いかかり、耐えきれずに倒れてしまった。
受身も取れずに、地面に打ち付けられて全身に激しい痛みを覚えた。更に、体を強く圧迫されて身動きを封じられた。頼人の視界には舌舐めずりをする男の顔だけが映っていた。
「何を企んでるのかと思ったら、ハッタリをかましてただけかい。待っているのが無駄だったじゃないか。こういう小狡いヤツって嫌いだなあ!」
男の手が頼人の首に掛けられた。躊躇いを一切見せることなく、男は指に力を入れていった。
頼人は抵抗を試みるも、既に体の自由は奪われていた。慢心が招いた結果とはいえ、殺されるなど思いもしてなかった。意識が薄れ、視界がぼやけていった。首に残る感触だけははっきりとしていた。
視界が何物も捉えなくなる寸前、強く絞まる首が突如としてなくなるのを感じた。同時に、体にのしかかっていた圧力も消えた。
解放された頼人は激しく呼吸をして、意識を回復させた。そして、徐々に蘇る視覚が現状を知らしめてくれた。
頼人に馬乗りになっていた男は、仰向けに大の字になって気絶していた。そして、自分の体に影が落ちていることに気付いた。頼人は頭を後ろに向けた。
「あ、あなたは……」
「大丈夫だよ。落ち着いてからにしよう」
全てを察しているかのようにその女性は優しく声を発した。頼人は女性を見て戸惑っていた。何故なら、この女性は男に付け狙われていた人だったからだ。
頼人の呼吸が整うと、女性は微笑みを向けて話し始めた。
「うん、落ち着いたようだね。キミの疑問を投げかけられる前に、答えられることだけは答えておくよ。あの男はもう無害だ。心配しなくていい。ボクもキミたちと同じだから、後処理を気にする必要もないよ。それと、助けようとしてくれてありがとう。キミの行動に間違いはなかったよ。その勇気を誇りに思っていい」
「いえ、その……えーっと……」
至れりつくせりの説明と、急に褒め称えられたことで、発する言葉に迷った。頼人をまっすぐ見つめる女性の眼もまた、それを助長させていた。
「あの……此方こそ、ありがとうございます。同じってことは、貴方も理を使えるんですよね? それならどうして、さっきは逃げていったんですか?」
振り絞って出た言葉は、女性の説明を受けての問いだった。女性は少しの間、黙って頼人の目を見つめ続けていたが、一つ瞬きをすると、口を開いた。
「ごめんね。多分それを話すと、今のキミを余計に混乱させちゃうだけだから、言えないよ。ボクの正体も気になるだろうけど、しばらくの間、忘れてくれてていい。何より今日は、大事な子たちと出会ったんだから、その子たちと、その子たちの力を忘れてはいけないよ。じゃあ、ボクはこの人を連れていかなきゃいけないから、もう行くね」
頼人に言い聞かせるように穏やかな口調で言うと、女性は男を難なく抱えて、元来た道を戻っていった。そして、少し歩いた後に、思い出したように振り返って、一言残していった。
「キミならきっと、出来るよ。キミの心がそう言ってる」
女性が小さく手を振って別れを告げると、強い風が吹いてきた。砂埃で一瞬目を塞いだ隙に、女性の姿は消えていた。ただただ、唖然とするしかなかった。頼人の頭の中に女性の最後の言葉が、張り付いて離れなかった。
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