第3話初めてのお仕事

2週間が経った。


 水ノ森神社には相変わらず、1人の参拝客も訪れていなかった。世間から見捨てられているおかげで、誰からも邪魔されることなく訓練をすることが出来たのだから、頼人たちにとっては喜ばしいことなのかもしれない。


 しかし、その訓練も遂に終わりの時が来ていた。


「ふぬぬ……おりゃあ!」


 掛け声と共に、爆炎が巻き起こった。


「よし、合格じゃ。これで花凛も無事に訓練を終えることが出来たのう」


「やった! これで一人前の理使いになれたのね。早く試してみたいなあ」


「喜ぶのはいいけど、後始末くらいしてくれよ。火が燃え広がっちゃうじゃないか」


 頼人は水を撒き散らして、残り火を消していた。


「ああ、ごめんごめん。興奮して忘れてた」


「そう言って何度消し忘れたことか。花凛が終わるのを待つ身にもなってくれよ」


「あはは……」


 花凛は笑って誤魔化した。1つのことに集中すると他のことが疎かになってしまうのは花凛の悪い癖だった。そのしわ寄せが頼人に来てしまうので、再三注意をするのだが、なかなか直らないでいる。


「さてさて、これでやっとおぬしらにも仕事を任せることが出来るわい。明日からは実践をしてもらうからの、片付けを終えたら今日はもう帰って良いぞ。お疲れさん」


「はーい」


 2人は揃って返事をした。


「実践かあ。悪意と対決できるのかあ。最初の変態には敵わなかったけど、理をマスターした今なら、どんな変態にも負ける気がしないね」


 境内の掃除をしながら、花凛は自信ありげに言った。


「前にもはな婆が言ってたけど、あれはまだひよっこレベルなんだぞ。本当に飲まれた人なら、どれだけの強さなのかまだ分からないよ」


「そうは言うけどね。結構あたしたち、強いと思うんだ」


「比べる対象がないのに強いとか言えるのか?」


「気分の問題よ。強いと思ったもん勝ちってこと。頼人も少しはポジティブに考えなよ」


 花凛の前向きな思考と自信は、何処から湧いてくるのか分からなかった。頼人は呆れつつも、適当に相槌を打った。


 花凛のお喋りが終わるのと同時に、掃除は終わった。辺りはすっかり暗くなってしまったので、2人ははな婆へ挨拶を済ませると、急いで帰っていった。




 翌日の昼まであっという間に時間が過ぎていった。学校からその足で神社に来た2人を出迎えたのは、服部だった。


「おや、土曜日だってのに学校かい? もしかして部活とか?」


「うちの学校は土曜日だろうと授業があるんですよ」


 頼人が答える。


「じゃあ休みは日曜日しかないのか。うわあ、大変そうだ」


「まあ、慣れちゃえばどうとも思わないけどね。ところで、なんで此処にいるの?」


 目を細めて視線を向ける花凛に、服部は笑みを浮かべた。


「花凛ちゃんは相変わらず、大人に対する言葉遣いが酷いねえ。ちょっとは敬語を使ってくれないと、おじちゃん悲しくなっちゃうよ」


「気持ち悪いから、自分でおじちゃんとか言うのやめて。ホント、気持ち悪いから。あと敬語は使いたくないだけだから気にしないで。それなりに敬ってるから察して」


「ハッハッハッ、なんか傷ついちゃうなあ」


 言葉の割に、服部が傷ついている様子はなかった。子供との戯れを楽しんでいるかのようだった。


「そんなことより、どうして此処にいるんですか?」


「ああ、そうだったね。はなさんから君たちが訓練を終えたと連絡があって来たんだよ」


「なんかプレゼントでもくれるっていうの?」


「期待に添える物は用意してないよ。まあ、はなさんが来てからこの話はしようか」


「はな婆出掛けてるんだ。珍しい」


 花凛はそう言うと、社務所の窓を覗き、本当にいないのか確認した。


「僕の方で依頼をしててね。それでいないんだよ。そろそろ帰ってくるはずだけど」


「悪意に絡むことですか?」


「いや、そっちじゃない。まあ大したことじゃないさ。気にしなくて良いよ」


「はあ、そう言われると気になってくる……」


「今は何とも言えない話だからさ、いずれ機会があったら話すさ」


 服部は朗らかに言った。


「じゃあその機会が来るのを待ってますよ。なるべく早くにお願いしますね」


「早くじゃないと忘れるからね。これからは特に、ゴタゴタしそうだし」


「花凛よりは記憶力あるから、覚えていられるかな」


「あたしは物覚えが悪いだけで、記憶力はあるから!」


 花凛が一際大きな声を出した。


「物覚えが悪いことを引き合いに出して意味があったのか? 余計に印象が悪くなってる気がするけど」


「……それは盲点だったかも。で、でもホントに記憶力は悪くないから!」


 頼人と花凛の掛け合いを聞いて、服部は声を出して笑った。


「ハッハッハ、全く君たちの漫才は面白いなあ。息ピッタリだ。異性間でこんなにも仲良くなれるなんて、羨ましい限りだよ」


「そうですか? 毎日うるさいし、強引だし、結構大変ですよ」


「頼人がいつもナヨナヨウダウダしてるからでしょ! あたしが頼人を良い方向へと導いてあげてるの」


「あー分かった、分かってるって。花凛がいなかったら、俺はダメ人間まっしぐらだからな。感謝してるぜ?」


「頼人……あたしも頼人のおかげで暴走せずに済んでるから、いつもありがとう」


「よせやい、照れるだろ」


「そう言うなって。あたしも恥ずかしいんだからよお」


「なんでい、お互い損な性格だなあ。ノワッハッハッハ」


「素直じゃないってことよ。アッハッハッハ」


「……お2人さん、もう気が済んだかい?」


 服部が言いづらそうにしながら割って入った。


「服部さんが漫才って言うから、ここまでやったんですよ」


「そうよそうよ、折角やってあげたのにその冷めた目、やめてよね」


「いや、すまなかった。そんなつもりじゃなかったんだ」


 茶番も終わりを見せると、タイミングよく、はな婆が帰ってきた。


「あ、はな婆だ。おかえりー」


「いやはや、時間がかかってしまったわい。遅れてすまんのう」


「こっちも暇潰しは出来てたから大丈夫だよ。そうですよね? 服部さん」


「あ、ああ、そうだな。充分すぎるほどに潰せたよ」


 ニヤニヤ笑う頼人と花凛に反して、服部は困惑した表情をしていた。はな婆はその様子を不思議に思ったが、用件もあるので探らなかった。


「まあ、ともかく全員集まったから、社務所で今日のことを話すかね」


 はな婆がそう言うと、4人は社務所の中へと話の場を移した。


「昨日も言った通り、今日からは現場に出てもらうわけじゃが、その前に注意事項がある。心して聞くのじゃ」


「はーい。ちゃんと聞くよ」


 花凛は元気良く返事をした。一方、頼人は真剣な面持ちで、黙って頷いた。


「それでは、注意事項の1つ目。理を使っているところを見られないように行動せよ」


「えっ、難しすぎるんですけど。こっそりやれってことなの?」


「まあ人目に付かない場所で使うのが鉄則じゃな。理の力を知られるわけにはいかないからの。じゃから、悪意に飲まれた者を見つけたら、人のいない場所へと誘導しなければならないのじゃ」


「誘導が無理な場合は? 悪意に飲まれた人が大勢の前で暴れ出したりとかさ」


「やむを得ない場合はこれを使ってもらう」


 はな婆は袖からお札を取り出した。


「これは忘却の札じゃ。これを貼れば、その場で起きたことを忘れさせられるのじゃ。じゃが、乱用してしまうと、面倒なことになりかねん。どうしても、悪意に飲まれた者を誘導できない時のみ使うのじゃ」


 そう言って、頼人と花凛に札を何枚か渡した。


「こんな胡散臭いお札に、記憶を吹っ飛ばす力があるなんてね。はな婆の理は色々と恐ろしいなあ」


「俺たちが使えない理だから、ズルい感じだ」


「そんなことで引け目を感じるでないぞ。では、次の注意事項じゃ」


 はな婆は一つ咳払いをして、続けた。


「2つ目は器物損壊に気をつけろ、じゃ」


「まあ、そりゃそうだろうな。普通に犯罪だし、それに不自然に破壊されてたら、理の存在を仄めかすことになるからな」


「左様じゃ。分かっておっても、いざとなると忘れてしまうこともあるじゃろう。特に花凛は熱が入ると他のことに気が回らんからのう」


 花凛は苦笑いをした。本人も自覚しているので、否定はしなかった。


「そういうわけじゃから、頼人は花凛が過剰に暴れそうになったら注意してやっておくれ」


「俺は仕事が多いわけね、了解」


「頼むよー、頼人クン!」


 軽い調子で花凛は言った。実際、頼人はそこまで面倒だとは思っていなかった。昔から花凛の暴走を止める役目を担ってたからだ。


「注意事項は以上じゃ。後は訓練中に言ったことを気にしておれば、問題なかろう。それじゃあ、ここからが本題じゃな。ほれ、服部」


はな婆の隣で、出番を待っていた服部がようやく口を開いた。


「はい、君たちの初めてのお仕事は僕からお話しよう。というよりも、基本的にお仕事は僕の方から頼むことになるから、宜しくね」


「警察なのに、一般の人に頼み事するなんて、無能極まりないわね」


「こら、失礼なこと言うなって」


 花凛の暴言に即座に頼人が反応した。


「そう言われても仕方ないのは承知してるよ。なんせ、僕ら警察の管轄外のことだから、専門家に頼むほかないのさ」


 花凛にきつく言われても、服部は笑顔を崩さなかった。


「それで本題なんだが、最近この辺りで農家さんの畑が荒らされててね。その犯人を突き止めてほしいんだ」


「え? それって専門家がやる必要あるの? 普通に泥棒とかがやってると思うけど」


「僕も現場を見たんだけどね、一目であれは専門家に任せるものだと察したよ。相手は人間じゃないからね」


「人間じゃない? まさか、動物駆除をやらせるつもり?」


「いやいや、違うよ花凛ちゃん。妖怪だよ」


 聞きなれない単語が服部の口から出てきた。頼人と花凛は視線をはな婆へと移した。


「はな婆、妖怪ってなんのことだ?」


「おや、 説明しておらんかったかのう。まあ良いか。妖怪とは、理を使えるようになった獣のことじゃ」


「えー! 動物も理を使えるの?」


「生きとし生けるもの、全てに理は与えられているのじゃ。獣が使えたとて、何の不思議もなかろう。寧ろ、わしら人間よりも理には敏感じゃ。妖怪になったことで、知恵を得た奴らは、古き時代より、人々を困らせていたのじゃ」


「妖怪って本当にいるのか。見たことなんてないんだけどなあ」


「近代になってから、多くの妖怪は人との関わりを避けて、山や森でひっそりと暮らしているんじゃ。しかし、中には人里へ降りてきて、悪さをする連中もおる。そんな妖怪を退治するのが、わしの本来の仕事なのじゃ」


 はな婆の鼻の穴が大きく膨らんだ。


「そうだったんだ。只の寂れた神社の主じゃなかったのね」


「寂れたというのは余計じゃ。趣のあると言っておくれ」


「どっちにしろ、参拝客がまるで来ないのは事実でしょ?」


「別に来なくても構わん。妖怪退治の仕事があれば、食っていけるのじゃ」


「そんなこと言って、ホントは寂しいんじゃないの?」


 花凛が意地悪そうに言ったが、はな婆は動じずに話を進めた。


「ともかく、じゃ。妖怪を退治することも、治安を守ることになるのじゃ。おぬしたちが働かない理由にはなるまい。それに悪意に飲まれた者よりも、妖怪を相手にするほうが楽じゃろうから、最初の任務に選んだのじゃ」


「君たちの訓練が終わって、タイミング良く舞い込んだ案件だからね。使わない手もないってことなのかな。僕としては解決してもらえれば、誰だって構わないし、そんな深刻なものでもないから君たちでもなんとかなると思うよ」


「そうですかね。妖怪を見たことないから、結構不安ですよ」


 頼人は弱気を示した。今まで、人間相手を想定してただけに、正体が掴めないものを退治することに戸惑いを隠せなかった。


「まあ、大丈夫だよ。僕も見たことあるけれど、賢いカラスみたいなもんだったさ。今回のも、犯人はネズミくらいの大きさの妖怪だと思うし、恐れる必要はないよ」


「うーん、そうは言われても、やっぱり妖怪って聞くとどうしても……」


「はあ、頼人ったら、簡単に怖気付いちゃうのね。あたしが一緒にいるんだから、大丈夫に決まってるでしょ?」


 花凛は頼人の頬を突つきながら、話続ける。


「それに、頼人もあたしも理を使いこなせるんだから、どんな奴が相手でも返り討ちに出来るって! あたしたち、強いのよ? 訓練、頑張ったでしょ? ほら、ノープロブレムじゃない」


「ノープロブレム、か。ノープロブレムとは言い切れないけど、2人だからな。上手く出来る……よな」


 花凛の言葉で少し気持ちが前向きになってきた。花凛は満足げに口角を上げて頷いた。


「よしよし、それじゃあ頼人の気が変わらない内に現場に行こうよ。ほら、おじさん、案内してよ」


「まだ説明してないことがあるんだが……」


「そんなの行きながら話せばいいでしょ。はい、レッツゴー!」


 服部が断る間も無く、強引に椅子から引っ張りあげられた。


「はなさん、何とか言ってやってくださいよ」


「まあ良いではないか。やる気に満ちているのを萎えさせてはいかんしのう。2人とも、ワシは用事が残っておるからついていくことは出来ん。もし、無理だと思ったら、引き返してきなさい」


「心配しなくても大丈夫だって。じゃあ、行ってくるね」


「花凛が暴走しかけてるけど、ちゃんと止めるから。はな婆も用事、頑張って」


 頼人はそう言い残して、先に出ていった花凛と服部の後を追った。




 彩角市は県内有数の発展した都市ではあるが、一部の区画では未だに時代に乗り切れていない状態である。現に水ノ森神社付近も、住宅地としてはあまり宜しくない環境であり、人も少ない。その少数の住人のほとんどは大なり小なり畑を持ち、生業としているのであった。


 妖怪が荒らしたとされる畑は、神社からさほど遠くなかった。到着して、一行が最初に目にしたのは、作物の凄惨たる姿だった。


「うっわあ、酷いことになってるね。ぐっちゃぐちゃにされてるじゃん」


「確かに、これは動物が食い荒らしに来たって感じじゃないな。潰されてたり、バラバラにされてたりしてる」


「妖怪は人を困らせるのが好きだからね。しかも、自分たちの存在に気付いてもらいたがるから、こうやって食べずに暴れ回ったのさ」


 畑を眺める頼人と花凛の後ろで、服部は説明した。


「ふーん、かまってちゃんってわけか。案外可愛らしい性格してるわね」


「身勝手に付き合わされる人間の立場にもなって欲しいものだけど。服部さん、畑の中に入りましょう。近くで見れば、何か手掛かりが見つかるかもしれません」


「そうだね。理の痕跡とかがあれば、犯人の下に辿り着くかもしれない」


3人は畑に降り立った。


 足が土の中に静かに沈む。畑の中に入ったことのない頼人は、味わったことのない感触に少し驚いた。そして、注意深く歩いていると、土が異常に柔らかい場所が、いくつかあることを発見した。


「所々、妙に地面が柔らかいですね」


「気付いたかい。これは妖怪が土の中に作ったトンネルがあるんだ」


「トンネル……モグラみたいなことをしたってことですね」


「ああ、そうさ。地下から畑に侵入して、作物を荒らしていったんだ。だから、畑の下には妖怪の通った跡が残っているわけさ」


 頼人と服部が会話をしてる最中、花凛は足踏みをして、トンネルを探していた。


「このトンネルを辿れば、妖怪の居場所を突き止められるんじゃない?」


「そうだったらいいんだけど、畑の外は四方八方コンクリートで舗装されてしまって、痕跡はないんだ。残念だけど追いかけるのは無理だね。でも、そんな必要もないかもしれない」


「えっ、どういうこと?」


 花凛は首を傾げて、服部の次の言葉を待ったが、ニヤニヤと笑みを浮かべるだけで何も言わなかった。


 頼人は視線を下に落として、服部が言わんとすることを考えた。ここまでの情報で、妖怪を見つける術があるとすれば、服部の今までの発言に答えがあるはずだった。そして、その答えは意外に簡単なものだった。


「そうか、妖怪はまだこの畑にいるのか。人間に、自分がやったと気付かせたいから、ここでまた何かをするつもりなんだ」


「ご名答。ただ荒らすだけでは動物でも出来るからね。仕上げをするために残っているわけだ」


 服部は期待通りの答えが返ってきて、満足そうな顔をしていた。


「ははあ、なるほどね。まだいるのね、この下に。じゃあ、後は楽勝じゃない」


 花凛はブレザーのポケットから青色の石を取り出した。


「おい、ちょっと待てって。いきなり何をする気だよ」


「トンネルの中にいるんでしょ? だったら水を使って、無理やり地上に出せばいいのよ」


「その案は良いかもしれないけど、そうすると、いきなり妖怪とご対面することになるじゃないか。まだ、心の準備が……」


 ここにきて、頼人が再び弱気になりだした。花凛は目を細めて、頼人を見た後、溜息を漏らした。


「頼人の準備が出来てなくても、あたしの準備は終わってるから。もう、やるよ。はいやりまーす」


 頼人が止める間もなく、花凛はトンネルがある土の中に片手を突っ込んだ。もう片方の手に握られている水の源石が仄かに輝く。その瞬間、土に入れた手の隙間から、水が少し溢れ出した。


「ああ……準備……」


 頼人の口から未練たらしく言葉が漏れた。


「ほれほれ、もうすぐトンネル全体に行き渡るから、それまでには気合い入った顔しときなよ」


 花凛は余裕を見せながら、理を発し続けた。


「いやあ、凄いね花凛ちゃん。これほどまでに使いこなせるようになってるなんて驚きだよ」


「まあね。おじさんはもう邪魔だから下がってなよ。後はあたしたちの仕事だから」


「頼もしい発言だ。それじゃあ後ろで見守ってるから、宜しく頼むよ」


 そう言うと服部はそそくさと畑の外へと逃げていった。


「よし、これで心置き無く理をぶっ放せるね。頼人、もう大丈夫だよね?」


 花凛は頼人の様子を伺った。どうやら覚悟は出来たようで、手にはしっかりと源石が握られていた。


「ここまで来たら、やるしかないよな。花凛、お互い無理はせずにいこうな」


「うん、一緒に頑張ろ。そんで、初めてのお仕事、成功させよう!」


 花凛の言葉を合図に、前方から水の柱が噴き出した。降り注ぐ水の粒に紛れて、小汚い生物が落ちてきた。


「あれが妖怪かな? おっきいネズミにしか見えないけど」


「良かった、鬼とか天狗とかじゃなくて」


 予想していた妖怪とは遠くかけ離れた見た目だったため、頼人の心に落ち着きが戻ってきた。


 花凛が地面から手を抜くと、水の柱は勢いを無くしていった。水が消えると、横たわっていた妖怪は2足で立ち上がり、2人を睨んだ。


「なんてことしやがる、このヤロー。折角、地下で次の作戦考えてたのによお。おかげで、思いついたこと忘れちまったじゃねえか。水の泡だよ、ちくしょーめ!」


 2人にもはっきりと聞こえるほどの声で、妖怪は捲し立てた。


「喋った、あのネズミ喋ったよ!」


「誰がネズミだ! んな下等な生物と俺様を一緒にすんじゃねえよ!」


 ネズミの妖怪は声を荒げながら、少し近寄ってきた。


「随分な態度のネズミだな。まあ言葉が通じるなら、争わずに事が済みそうだ」


「だから、ネズミじゃねえって言ってんだろ!」


 一段と大きな声でネズミの妖怪は否定した。


「ああ、ごめんなさい。そんなことより、この畑荒らしたのあなたですよね?」


「そうだ。俺様が1人でここらの畑をメチャクチャにしてやったぜ。なんか文句あるか?」


 頼人を見上げるネズミは鋭い目つきをしていた。しかし、頼人はその眼光に怯えることなく、平静を保っていた。


「やっぱり、あなたがやったんですね。畑を元に戻せとは言いませんが、もうこんなことしないでもらえませんかね?」


「ハッ、やなこった。俺様の生き甲斐は、人間を困らせることなんだよ。それをやめちまったら、俺様は何を楽しみに生きていけばいいんだってんだ」


 ネズミは一層、険しい表情になっていった。頼人は苦笑いで誤魔化して、花凛に耳打ちした。


「どうする? 話し合いで解決出来そうにないけど」


「そんなの、最初から分かってたことよ。だから、予定通りに体に教えてあげればいいだけ」


「まあ、そうなるか。でも2人掛かりでやるのは少し気が引けるなあ」


「同情しないの。悪党なのよ? 割り切りなさい」


「おい、ゴチャゴチャと何言ってるんだ」


 ネズミが苛立ちの篭った声を発した。これ以上花凛と話していても、状況は良くならないと思い、頼人はポケットから赤い源石を取り出しながらネズミに通告した。


「申し訳ないけど、あなたには教育しなければならないようです。少し痛いかもしれませんが、覚悟してください」


 言い終わるや否や、頼人はネズミ目掛けて炎を放出した。しかし、ネズミは即座に察知して、素早く回避した。


「おうおう、やる気か。いいぜ、俺様もお前らにはムカついてんだ。逆に自然の厳しさを教えてやるよ」


 ネズミは両手で土を掬うと、大きな口を開けてそれを口いっぱいに含んだ。


「何か分からないけど、注意した方が良さそうだ。花凛、あんまり前に出すぎるなよ」


「うん、とりあえず様子見ね」


 2人は源石から理を取り入れながら、ネズミの様子を伺った。


 ネズミは鼻で大きく深呼吸し、口の中に貯まった土を一気に飲み込んだ。そして、少しふらついたかと思うと、次第に体が大きくなっていった。


「うわ、おっきいネズミがもっとおっきくなった。これ、土の理の力かな」


「体内に土を取り込んで理を引き出したのか。人間には出来ない芸当だ」


 ネズミは園児ほどの大きさに成長した。大きくなっただけでなく、爪が長く伸びて戦闘向けの体になっていた。


 唸り声を上げたかと思うと、勢いよく頼人に突進してきた。予め身構えていた頼人は炎の壁を作り出して、攻撃を防ごうとした。


「こんなもんで俺様は止められないぜ!」


 ネズミの爪が炎を切り裂いた。あえなく壁は消滅して、ネズミは勢いのままに頼人を爪で貫こうとした。爪先が頼人の腹に触れかかった時、花凛がネズミの腕を掴んだ。


「あらら、割と簡単に止まっちゃったじゃん」


 ネズミの腕は一寸も動かなくなっていた。花凛は腕を引き上げて、ネズミを宙に浮かせると、思い切り地面に叩きつけた。


 地面は大きく凹み、ネズミに与えられた衝撃の大きさが知れた。しかし、ネズミは何事もなかったかのように、すぐに起きあがり、花凛の手を跳ね除けた。


「人間のメスの分際で、やるじゃねえか。だが、俺様にダメージ与えたきゃあ、もっと強烈な力を用意すんだな」


 ネズミは花凛の靴に唾を吐いて挑発した。茶色味を帯びたヘドロのような唾を受けて、花凛は眉をひそめた。そして躊躇うことなく、ネズミの横腹に蹴りを入れた。しかし、ネズミは花凛の攻撃を難なく受け止めた。


「こんなもんか? もっと腰の入った蹴りをくれよ」


 ネズミは飛び上がり、お返しにとばかりに花凛の腹を蹴った。めり込むほどの痛烈な一撃に、花凛は表情を歪めた。


 尚も足を引っ込めずに押し切ろうとするネズミに、炎の矢が襲いかかった。矢はネズミを弾き飛ばして、炎上させたが、ネズミが体を震わせるとたちまち消えてしまった。


「遠距離攻撃なんて卑怯じゃねえか! 男なら体張って戦いやがれ!」


「ネズミに説教されたくない」


 頼人は炎の玉を手のひらに浮かべて、次の攻撃の準備に入っていた。


「花凛、まだ大丈夫だよな?」


「うぇ……結構いいのもらっちゃったけど、大丈夫」


 腹をさすりながら、花凛は応えた。


「はあ、あたしも未熟ね。あんな安い挑発に乗るなんて、ちょっと油断してたかな」


「案外あのネズミも強いから、気を引き締め直そうぜ」


 花凛との会話を終えて、頼人はネズミに向かって、準備していた炎を放った。 花凛も再び土の源石から理を取り入れて、攻撃の体勢へと移った。


 放たれた炎は形状を変えて、矢となった。炎の矢は一直線にネズミに向かっていったが、今度は簡単に避けられてしまった。


「視界に入ってりゃあ、こんなトロいの屁でもねえな。いいから、テメエがかかって来いよ!」


 炎の矢はネズミを横切り、遥か前方へ行ってしまったかのように思えた。しかし、矢は速度を落として大きく旋回し、ネズミの背後に迫っていった。ガラ空きの背中に炎の矢は命中した。当たった衝撃でネズミは前につんのめりそうになったが、土煙のような鼻息を吐いて踏ん張った。更に、背中の炎も勢いが弱まり、消えてしまった。


「完全制御は威力が落ちるなあ。とりあえず、ネズミの動きは抑えられそうだけど」


「それで充分。隙をついてあたしが一発ぶちかます!」


「分かった。援護は任せてくれ」


 頼人はまた炎の矢を出して、ネズミを牽制した。花凛は源石をポケットに入れて、全力で戦える姿勢を作った。ネズミの動きに目を凝らして、気の緩む瞬間を待っていた。


 炎の矢は縦横無尽にネズミを狙った。全く命中する気配はなかったが、動きを縛ることは出来ていた。後は、どうにかして矢だけに気を向かせることが出来れば、花凛が攻撃に移れそうだった。


 そこで頼人は新たな技を試すことにした。訓練でも使ったことはない、即興で思いついた技だが、もはや手足のように炎を操れるので、上手くやれる気がしていた。


 ネズミも慣れてきたのか、炎の矢を捕らえようと躱しながらも、手を出してきた。ギリギリでその手から逃れるも、ネズミには余裕の笑みが見られた。


「ちょこまかとウザってえなあ。だが、次はないぜ」


 ネズミの言葉を気にかけることなく、頼人は炎の矢に指示した。顔面目掛けて飛ぶ矢を、ネズミは避ける素振りも見せずに待ち伏せた。ネズミの鼻先で、炎の矢は止まった。ネズミの手に矢は捕まってしまったのだ。


「ふう、手こずらせやがって。こんなセコいもんで俺様を倒せると思ってたのか?」


 矢は抵抗するも、両手でしっかりと握られていたため、逃れることは出来なかった。


「ったく、活きがいいなコイツは。ムダだってのに、暴れんなよ」


「ムダじゃない。まだ、俺の炎は生きているからな」


 ネズミの手の中で、炎の矢は小刻みに震え出した。すると、先端が伸びてネズミの顔面を貫こうとした。ネズミはなんとか避けたが、驚いた拍子に矢を離してしまった。


「上手くいったか」


「ああ? 伸びたくらいで勝ち誇るなよ。また捕まえて地面にでも埋めりゃあお終いだろうが」


 炎の矢は再び動き出し、ネズミを撹乱した。今度は出鱈目に動くだけで、明確にネズミを狙わなかった。それでも、ネズミは構うことなく、近づいてきたら手を出して捕らえようとした。しかも、案外あっさりと、ネズミの手に落ちてしまった。


「おいおい、言う割りには瞬殺じゃねえか。笑っちまうぜ」


 ネズミが地面に矢を突き刺そうとした時、腕を目掛けてもう1本の炎の矢が飛んできた。ネズミは反応が遅れて、避けきれなかった。矢が腕を掠り、焦げた痕が付いた。そしてまた、捕らえていた矢を逃がしていた。


「お前は伸びたと思ってたんだろうけど、あれは分裂してたんだよ。さあ、ここからは2本の矢を相手にしてもらうぞ」


 頼人は得意気な表情を見せた。新たに編み出した、分裂する炎は同時に2つを操ることになるのだが、思いの外、操作に苦戦することはなかった。


 速度や動作の精度が落ちることなく、2本の矢がネズミの行動を縛りつけた。ネズミは2つが死角に入らぬように立ち回るので精一杯だった。


お膳立ては完璧だった。それは花凛も分かっていた。前傾の姿勢で、いつでも飛び込んでいける状態だった。


 2本の矢がネズミの顔を横切った。見失うまいと振り返る。背中を見せた。花凛に迷いはなかった。


「おらぁ! スキありだあ!」


 声と共にネズミに接近し、渾身の力を込めた鉄拳を脳天に打ち込んだ。鈍い音が鳴り響いた。ネズミは地面に倒れこみ、動かなくなった。頭部には拳の痕が鮮明に残っていた。


「やったかな? いや、やりすぎたかな?」


 花凛はしゃがんでネズミを突ついた。すると、ネズミの体が萎んでいき、元の大きさに戻った。


「どうだ? もう抵抗してこないよな」


 頼人もネズミの傍に寄ってきた。


「うん、気絶してるみたいだから、終わりだね。あたしのスーパーパンチ、かなり効いたみたい」


 花凛はネズミを摘み上げて、頼人に見せた。


「はあ、終わったか。見た目の割りに苦労したな」


「ネズミの割には強かったね。でも、ヤバいってほどでもなかったかな」


 花凛は物足りなさそうな顔をして、気絶しているネズミの顔を眺めた。


「それにしても、頼人、炎を分裂させて操るとか、いつの間に身につけたのよ」


「いや、思いつきでやってみただけだから今回が初めてだ。これ、結構使えるかも」


「ほほう、頼人クンは戦いの最中でレベルアップしてたのね。スゴいじゃん」


 視線をネズミから頼人に移した。白い歯をちらつかせて花凛は笑った。


「こんな弱そうなのに割と苦戦しちゃったから、あたしたちまだまだ未熟なのかも。実戦を通してもっともっと強くならなきゃね」


「その通りだな。この先、どんな奴を相手にしていくのか全然分からないけど、今の力じゃ不安しかない。訓練だけじゃ身につかない応用力とか判断力を鍛えていければいいな」


 頼人は手を顔の前に持ってきて見つめた。常人が及ぶことのない力を身につけても、まだそれは赤子のように非力であった。


 2人にはこの町を守る、という自覚はまだ足りないが、力を求める心は充分であった。そして、2人とも大それた理由を盾にして強くなりたいと思っていなかった。2人が2人、それぞれが異なる思惑を巡らせながら、この戦いは終わった。


 しばらくすると、服部が土に足を取られないようにゆっくりと2人に近づいてきた。頼人は花凛に目配せをして、一緒に服部の下へ走っていった。

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