ニノ九 孤独の狂人
建物の真ん中くらいだろうか、死期が壁に近づいた途端、壁が水のような形と音で人一人が余裕で歩ける様なスペースが作られた。そして、それと同時に、その中に不気味なトンネルの様な通路を確認する。それは俺の心の知らないところに続く通路の様にも思えた。「水運んでくれてありがとな、でもここからは蝕月と行くから来ないでくれ」そう背後の彼女に白い石のようにシンプルに言って、彼女は瞼と頭を軽く下げ、コップとともに先ほどの部屋に向きを変えて歩き始めた。
「気をつけろよ、この先は妖刀の住処だ、あいつらは俺なんかよりも賢いし、今日は飯がない、お前の肉も削がれるかもな…」
死期はそう言って俺のことを笑いながら、ゆっくり中に入り始める。その後ろ姿は暗がりのせいか、夜行性の獣が放ような、狂気に満ちた殺気を帯びていた。
「わかった」
静かに俺もその暗闇に足を踏み入れる。中は、先ほどの広い空間と似ているが、中に入れば入るほど暗く、不気味だった。そして、その通路はうねり、上下し、あっという間に入り口の光も跡形もなくなっていた。「なんだか居心地が良いな」
俺の声は通路の中を反響し、かなり遠くの方で、「そうだろう」と死期の声で反響して返ってきた。少し面白かったので、小さな声で笑った。
「直接話そう、急いで来い」
俺は走って死期の声と気配を頼りに死期の元にたどり着くと、なぜか彼は“黒く輝いて”いた。近づくほどその奇妙さは、はっきりと理解することができた。黒い空間の中で黒い光が輝いているのだ、それは俺が望む光だった、闇でもなく光でもない新しい“光”だった。「蝕月、俺は本当に面白いな」そう言って彼はまた笑いながら、暗い火を灯し先に進む。彼の隣を歩きながら話を聞くとどうやら妖刀なら誰でもこの火を着火できるらしい。でもそれには自分の力を理解する必要があって、そこまで行くまでに妖刀は力を捨て、ただの妖刀を隠して生きて行くらしい。確かに刃の宮を歩いている時に、何となく感じる人間はいたが、ほとんどの人間は俺を睨んで憎んだ眼差しを向ける者がほとんどだった。しかし、反対に嬉しそうな視線を向ける妖刀も少なからずいた。
死期は俺の事をあざ笑うような目では決して見なかったが俺にはわかる、死期は俺からとてつもなく遠いところにいる。もしかしたら俺は死期を殺さねばいけない立場だ、でもきっと彼はそれを理解している。そう思っていると、死期は突然口を開き「蝕月、お前とは確実戦う事になる、俺をがっかりさせるなよ」と淡々と表情を変えずに言った。その顔には嘘偽りはなく、炎々と揺れる炎が音を立てながら死期の顔を照らしているだけだった。
「…….ああ」
ほぼ嘆息のような俺の返事に、死期は何も言わず少し笑って、再び歩き始めた、俺も気を取り直して歩き始める。「蝕月、お前は人を殺した事があるか?」
死期は目に見えない何かを探していた、俺の方にも目を向けずに何かを探していた。「いいや」彼の言っている事は心臓の音を止める事だ、俺は確信に似た何かを持って言葉を返す。「そうか」死期はその時すでに答えを通り過ぎていたのだと思う、妖刀は妖刀を呼び、紛い物は嫌う。だが、死期からは紛い物の匂いも妖刀の匂いもしない、彼自身の匂いしかしない。彼は既に終わらない落とし穴を落ち続けているのだ。火の燃える音は、俺たちの会話を繋ぎ止めてくれる鎖のような、終わらない殺し合いのような、地獄に感じた。再び死期はゆっくりと話し始める。
「人を殺す時は、その人間だけ死の際に立つ、その先に何があるのかわからない完全不可思議な世界に恐怖を感じて、俺はそれを見る時だけ自分の心を見つけられる」
死期の手にある火は大きく燃えずに、口と顔だけが喜び、大きく動いていた。そして、その時まで俺が感じていた恐怖とは、道端に落ちている、“虫の死骸程度の物”と感じてしまうほどの恐怖を感じた。それと同時になぜか自分にも近い物があると、いや、できたのかもしれないと思った。
「俺にはわからない….」
認めたくない気持ちが生まれたということは、認める必要がある感情が生まれたことになる。黒い檻の中で自分を自分と認め続けるような、空のような絶望に心で栓をして気づかないふりをするような、どちらにせよそれは現実逃避だ。
「面白い奴だな」
死期はそう言いながら手の炎を握り消した。しかし、通路は暗くならずに怯えた光が、足元をかすめている。
通路を抜けると、そこは最初にいた大きな空間に、色とりどりの足場や建物が並んでいた。家らしい屋根のついた建物から、ゴツゴツした岩を無理やり壁に押し込んだものまで多種多様だ。だがそこから覗き向けられる視線は、どれも同じで死期に向けられる、殺気を込めた視線だった。
「蝕月、刀を抜け、守りたいものがあるのなら」
死期はそう言って鞘から刀を抜き、彼は少し心に近づく。俺も視線の数を“理解”し、刀を抜く、ここを生き残らないとあいつには会えない、そう思うと怒りや殺気が勝手に溢れ出してくる。
「申し訳ないが今日は、飯がない、隣のこいつが邪魔してきたんだ。これは俺が悪い、今日は少し遊びたい気分だったんだ」
死期はそう言っているが、刃を抜き、柄を疼くように握っている。こいつはここにいる自分より弱い人間を皆殺すつもりだ。死期の声が建物の中を反響し天井の方まで響き渡る。それと同時に視線は急に目隠しをするように消える。俺は理解してもらえたと思い、刀を収めようとする。
「黄ニス」
が死期は、地面に逆手に持った刃を突き立て黒い液体を展開し、その中に刃をつける。その時だ、夜の星が一斉に輝き出すように、大量の能力と視線が俺たちに向けられる。俺は空間を壁にして防ぎ、大きく天井目掛けて、飛び上がる。
死期の方は確認できなかったが、大声で笑って、紙を破り捨てるように命が刈り取られる音が聞こえた。
「御免」
天井から降りると同時に、死期の後を追う人を狙って、斬撃を飛ばした。死期は俺と目配せしたが先ほどの彼とはまったく違う、生き生きした本物の目をしている。それを確認したと同時に俺は背後から蹴られ、壁に叩きつけられる。
「…….うっ! 」
埃が俺を包み、視線はそれを貫いて来る。俺は立ち上がり朧を展開し、朧と同時に地面を蹴り飛び上がる。そして刃を納め、体の前で鞘に力を一杯貯めて、素早く抜く。力と力が強くぶつかり合い、乾いた石のように火花が散る。
「否(いな)ー陰(かげ)り」
黒く輝く大きな斬撃は、人を両断し、建物を二つにした。両断された人は切り口から、血や臓器までもが灰色に侵され、跡形もなく粉になって行った。
「なんだ、こいつは…」
それを見たほとんどの妖刀達は怯え、自分の建物に帰って行ったが、死期はそれを許そうとしなかった。一つ一つ建物に入り、数分後にはその中から一つ気配が消えている。中から出てくる彼の目は、血走り興奮していた。
俺は周りの妖刀を切り刻み、死期の元へ空間を蹴って行く。死期は俺の事を睨み、進行方向に黒い液体を発生させた、俺はそれに飲まれ、心の中に大きな穴が空いた感覚に陥る。それと同時に刀は、積み木が崩れるように、バラバラに解けて行った。
「綺麗な“迷い“だな」
死期の手には、黒い靄のようなものが乗っている。俺はすでに身体中の力が抜け、床にしがみつく事しかできなくなっていた。死期は優遊と刀で空間をなぞり、その靄を中に丁寧に置いて閉じた。再び建物に入り始め、次々と人の気配が無くなって行く、俺は朦朧とする意識の中、朧を円盤状の形に変え、そこに陰りを作り、自分の“影“を作った。妖刀達が俺の体めがけて刃を刺そうとした次の瞬間、影の中から無煇さんが現れ、刃を弾き、周りの妖刀を自身の影から同時に攻撃し、俺の解けた部品や刀身を拾い集めてくれる。
「影海(かげうみ)に入ったら、白く輝く影を見つけたので、事態がお前だと教えてくれた。」
無煇さんが言うには、この世界と並行して存在する、永遠に続く黒い影の世界があって、そこには無煇さんと人の動きと光の緩急や方向によって決まる黒い影の三以外存在していないのだとか、その中で俺の陰りは何故か光のように明るく輝いていたのだ。
「まったく、自分で風上と作ろうとしているのか?」
無煇さんは俺を両手で抱えながら、俺達が来た出口に飛び込んだ。そしてそのままうねり上下する通路を走り抜けて、最初に来た、黒い空間にたどり着く。
「出口はどこにあるのだ」
「ここは地面の奥にある、妖刀達が住む場所なのです」
俺はそう言いながら、無煇さんの肩を軽く叩いて降ろしてもらい、震える手で自分の刀を組み直した。その時間はとてつもなく長く感じた、金具の音が空間に響き渡り、その振動が永遠を作り出していた。そして、最後に鞘に納刀するときには俺の刀はもう絶対に壊れないと根拠の無い実感があった。
「蝕月、終わったか」
「はい、終わりました」
俺が立ち上がると、背後の通路から、柄と床を叩く音が聞こえる。その気配からは暗闇のような虚空が感じ取れたが、先ほどのようなすんだ池を悠々と泳ぐ鯱のような狡猾さと殺気は感じ取れなかった。そして、死期は通路を抜けると、建物の中心にある。黒い玉座に腰掛けて、玉座から生える勇ましい二本のツノに自刀を置いた。
******
ひりつく空気の中、死期はおもむろに空間を指でなぞり、先ほど奪った俺の霞を悠々と眺めていた。彼には宝石やその他価値のある物よりもきっと輝いて見えているのだろう。だが俺にとっては、そこらに生えている雑草のような、どうでもいい生き物だった。
「死期、お前はそれを集めても何も変わらない“決して何もだ」
それを聞いた死期は、顔を強張らせながら玉座からゆっくり立ち上がる。そして、その場から一瞬にして俺の目の前に飛んで来ると同時に、力強く刃を振りかざした。しかし、死期のその刃には強さも埃もない“ただの鉄の塊”に過ぎなかった。俺は自刀を素早く抜刀し、思い切り死期の刃を揺さぶり、彼の溝地を思い切り足裏で蹴り飛ばした。俺は、死期が玉座の背もたれに衝突するのを確認するより早く、彼の首筋に切っ先を向ける。
「死の淵はどうだ?」
俺は切っ先を引いて、納刀し、死期背後に出入り口に向かって歩き出した。今の俺には必要ないが、それは今の俺だからだ。人は一秒後には一秒前の自分では無い、似ているが確実に違う。老化し進化し確実に死に向かって歩いている。だから、あるもので戦うしか無い。そう思いつつ出口に向かって歩いていると後ろから冷えた溶岩のような、かすれた声が聞こえた。
「蝕月、またな」
俺は柄下を二回叩いて、笠のつばに触れる。そして、振り返り出口まで歩くと、砂を刀で切り分けて、新しい場所に帰るのだった。
「…面白いやつだ」
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