ニノ六 傷と瘡蓋

私が起きる頃には、私の隣の布団で寝ていた風さんも隣の部屋で寝ていた、霜さんと軟創さんもいなかった。昨日の出来事が嘘で、もともとこの世に私一人だっただけなのかもしれないと思うほど外も静かだった。昨日はあの後、霜さんに連れられて別の建物に移動し、軟創さんに建物と布団を増設してもらい、その中で私と風さんが寝たのだ。寝床に入った途端身体の力が抜けて、睡眠と言う底の見えない暗闇に気持ちよく落ちていった。そして、気づけば眩しい光と葉が風に揺れる音とが、私を包み気持ちよく起こしてくれたのだ。

「今日も頑張るぞ」

私は寝床の脇にある椅子にかけた服に寝巻きから着替えて、部屋の扉を開け、木製の螺旋階段を段々と降りる。そして、階段を降り切ると、長方形の部屋を四等分したうちの一つを太陽の光が照らしていた。その光の下はとても暖かそうだったが、私は風さん達が囲んでいる丸いテーブルの椅子に座った。

「おはようございます」

私の足音を聞いていたのか、すでにテーブルから見える銀色の口の細い容器は温められている。「おはようございます、昨晩からよく眠れましたか?」私はまだ暗闇と暖かさの間を歩いていたらしく、自分にもわからない声を出しながら頷いた。「一応、二人の体格に合わせて作ったのですが、あっていたみたいですね」軟創さんはそう言いながら私の顔を見て、朝露を浴びる葉のような笑顔で笑う。

「とても居心地が良かった辱い」

それを聞いた軟創ちゃんは、少し頬を赤らめて、蜂蜜入りのお茶を飲みそれを濁した。不意に日差しが私の足首をかすめる。外を見ると、窓の外側は大きな唸り声を立てながら、私たちには目視できない魔物が、雑木をかき分けて行った。

た。私はその音に耳を澄ませ、目を閉じる。どんどん小さくなるその音はやがて私の手が届かないところまで行って、別の耳に澄まされていた。

「良い風だったか?」

風さんは私を悟る様に、心地の良い視線を送ってくる。「はい、」風さんはそれを聞くと、小さく笑って立ち上がり、銀色の容器の火を止めた。そして、小さな口からお茶に光を当てつつ、把手付きの容器に注ぐ。その光加減は、今まで見たどんなガラス細工よりも繊細で、煌びやかにみえた。「お待たせしました」風さんから渡されたその生きた宝石を一口飲むと、私の中に何かが取り付いたみたいにゆっくりと体が温まり始める。

「おいしい?」

霜さんがそう聞くまで私は、自分が静かに飲み続けていたことに気づけなかった、「はい、とってもおいしいです」慌てて私がそう言うと、霜さんはとても嬉しそうな表情を浮かべた。私がお茶を飲み終わるまでの時間はあっという間だった。

「そういえばそろそろ散歩にみんなで行くのだけれど、一緒に行きますか?」

朝は決まって打羅さん達全員で決まった日替わりの四ルートを歩くらしい、私たちもこれから修行するところなので、朝の空気を吸うのも兼ねて一緒に行くことにした。




  ******




外に出ると、太陽にもう一度荒く起こされた気分になったが、気分はとても高揚していた。そして、みんなが外に出るのを確認してから、建物の錠を閉めて打羅さんたちの家に移動し始める。太陽の光を浴びた木の葉は川で洗ったみたいにキラキラしていた。すると、私たちが歩くさらに奥の方から打羅さんたち四人の人影が見えるのを確認して、私達は建物と建物の“ちょうど半分“にある散歩の入り口で四人が来るのを当たり障りのない話をして待った。辺りにはまだ、夜の残り香が残っていて、角の立った匂いがした。

「あそこに見えるのが打羅さんの作業場です」

霜さんは、風さんと同じく打羅さんの助手で、打羅さんが刀師で灯龍さんが柄師、静詩さん、志保さんは鍔師、鞘師で助手といっても三人の事も手伝っているのだそうだ。

「すごいですね」

 素直に私は感心してしまった、霜さんはもちろんの事。打羅さん達は更にすごいと思った。ふと妲己さんの事を思い出す。きっと元気にしていると信じる事ができるから、私は今も自分に真剣にいられるのかもしれない。

「そんな事はないですよ、こんな楽しい環境で生き残れないのだったらきっと楽な環境でも生き残れませんしね」

打羅さんに手を振りながらそう言う彼女は濁った池が少しずつ澄んでいくみたいに小さく微笑んでいた。私も打羅さん達の方に体を向ける。その隣にいた軟創ちゃんは少し嬉しそうだったが、悲しそうにもしていた。

「紫狐さんは今どこに住んでいるの?」

唐突に私に向けられたその質問には、あまりにも時間が足りなかった。不意に「わからない」と答えてしまった私は、自分の心の狭さを鞭で叩かれるような感覚で理解する。そして、自分で作った心の闇に食い殺されそうで、たまらなかった。

「おはよう、さあ行こうか」

私はそのあとも顔に泥を塗って考え続けた、時々木の隙間から漏れる陽射しに顔を照らされたが、そんな事は御構い無しに、考え続ける。

「今日からよろしく」

志保さんから握手を求められたので、私は手を握る。気づくと私の心の闇も思考も木花の蕾くらい小さくなっていた。「よろしくお願いします」志保さんは長いこと私の目の奥を確かめて、「困ったら言ってね」と言って私の横を歩き始めた。知らぬ間に私は一人で考え込んでいたらしく、隣にいた風さんも霜さんと静詩さんたちと話していたし、軟創ちゃんは灯龍さんと打羅さんと話していた。

「この辺りは寒いでしょう?」

志保さんは目の前のきり混じりの空気を指揮するみたいに操りながら、歩いていた。「刃の宮よりは寒いですね」そう言って、鼻から力強く空気を吸うと、鼻の奥が痛くて涙が出る。「まあ、少しずつ慣れた方が楽だからね」私を見て笑いながら志保さんは言った。先ほどから操っていた霧は眼鏡の度が合うみたいに空に溶けて、空に浮かぶ雲は段々と色を取り戻しつつあった。




*******




それから、散歩から帰ってきて、打羅さん達の家で朝食を済まし、私達は蝕月さんと軟創さんを背に家を後にした。そして、風さんとも別れて花畑を横断し大きな広場に着いた。

「そうなんだ、雷の力か….」

志保さんは何かを考えながら私の横を歩いている。きっと訓練の内容を考えているのだろうが私はそんなことよりもきになっていることがあった。「志保さんの能力はなんなのですか?」朝、空気を操る力を見てから気になって仕方がなかった。空気の動きは風の動きにも似ていたが、とくだん、暑くなかったし、寒くもなかったのだ。

「それじゃあ、これでわかるかな」

そう言って、志保さんは道の脇にあった大きな木に触れる。すると、上から小さな小鳥達が志保さんの肩めがけて降りてきたのだ。私の方を無言で見てきたが私は理解できなかった。「まあ、そのうちわかるから、焦らないで行こう」志保さんは私が何か言う前にそう言って先に歩き出す。

 円の反対側に行くに連れて、誰かが暴れていると勘違いするくらいの川の音が遠くから聞こえた。

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