Bexxxlieve

夢を見ていた

第1話


✗✗✗


老舗というものはどうにも肌が合わないと、ラーファ・ファミリアは呻くようにひとりごちた。煤けて読めなくなった看板の文字や、黄ばんだ壁、店内に入った時に感じる、独特の籠もった匂い。ラーファは思わず顔をしかめた。客の来店を知らせるベルが鳴って、中にいた老父がニタニタと意味もなく笑う。その数年来の付き合いがある友人を迎えるような笑みも、寒気がする。老父はおそらくこの店の主人なのだろう。客はまばらで、暇をしていたのか、自らの席を立って、こちらに杖をついて近寄ってきた。わざわざ杖をついて歩いて来なくてもいいだろう。自分はもうここを出るつもりなのだ。こんなところに気まぐれでも来るんじゃなかったとラーファは後悔して、老父が口を開く前に帰ろうとした。が、

「ちょっと待ってよ、そこのおねえさん?」

いかにも田舎なまりの、青年声。ラーファは嫌々ながらも振り返る。青年はそばかすの目立つ顔をだらしなく緩ませながら、彼女に近づいてくる。何となく雰囲気が老父に似ている。彼の息子だろうか。ラーファはぎっと睨んだ。

「何か御用?」

「そんなに焦って帰ることはないでしょう? いろいろご覧になってはいかがですか? ここ〈ムーラン〉の靴は品質もよく、ご婦人がたにも大変人気がございまして――」

「結構です」

 ラーファは一度辺りを見渡してから、取り付く島もなくこう言い切った。目に映るのはどこか時代遅れな、上品さ・かわいらしさに欠ける品々ばかり。彼女の嗜好にはとても合わないものだ。

「では」

「ちょっと待ってくださいよ。いいじゃないですか、少し見るくらい。ここにあるのは本当に自慢の品ばかりで、そこにいる祖父が必死に、魂を込めて作った靴なんですよ。ぜひ、ぜひ」

 老父が止めるのも聞かず、青年は彼女の肩を掴んで引き戻そうとした。それが彼女の我慢の限界だった。足が高くたかく上げられて、

 ――ガツン! 

と、ラーファの履いていたピンヒールが踵から床に叩きつけられた。

「帰ります」

 家族の馴れ合いに、自分を巻き込まないでほしい。だから、老舗は嫌いなのだ。


✗✗✗


 早足で店を去ったラーファは途中、ヒールが不安定にぐらぐら揺れているのに気がついた。あれだけ思い切り踵落としを極めたのだ。仕方ないといえば仕方ない。今日はなんてついてないのか。自然と溜息が漏れてしまう。普段のラーファならば、あんなところ近寄ることすらしない。今日の彼女にはイレギュラーなことが起こりすぎた。

「あいつのせいよ……」

 ラーファは大通りから外れて、路地裏に入った。煉瓦の家が向き合う、狭く細い道。背中を壁に預けて、一息つく。何故こんなことになってしまったのか。今日は素晴らしい天気だし、買い物に出掛けて、新しいドレスでも新調しようと思っていたのに、何故。

――すべては『あいつ』のせいだ。ラーファは思い返す。

『あいつ』は前触れも無く、こちらの予定を無視して、

「今日はゲルンツェの街に行くからすぐに支度しろ」

と彼女を無理矢理連れ出した挙げ句、適当な宿泊所に荷物を置かされ、

「深夜にパーティがあるから、半日ほど勝手に時間をつぶせ」

とそれなりの額を握らされ、追い出されたのだった。戻ろうにも、『あいつ』の機嫌を害するのは愚かな行為だと嫌になるくらい知っていたので、やむを得ず外に出ることになる。それでも、初めて訪れた町――それも田舎町――でどう過ごせというのか。飯は乾燥してまずいし、水もくさくて飲みにくい、店員が勧めてきた名産品の酒はまずまずだったが、それ以外は全然だめ。辺りは古くさい建物ばかりだし、並べてある品物も流行遅れ、町行く人々もモサモサした髪を恥ずかしげもなく振りまき、ぶかぶかのズボンやスカートを穿いてゲラゲラとみっともなく大口開けて笑っている。

そのせいで流麗に輝く黒髪に、小麦色の肌、深緑のロングドレスを纏うラーファは注目の的であった。別段、ラーファが洒落ているのではなく、彼女が住まう街では同じような格好をした女性がたくさんいる。が、ただでさえ田舎では見慣れない服装に、彼女の切れ長の瞳やあつみのある唇など、女性としてここまで整っているのも珍しいほどの美人である。多くの人の視線を集めるのも不思議はないだろう。しかし、ここまで不躾に見られることに慣れてなかった彼女は、肩身の狭い思いをしながら町を歩く羽目になった。それも一人で。当然、時間も余る。時間を告げる教会の鐘の音を、まだかまだかと待つのもやがて飽きてしまった。深夜は遠い。

そこで暇をつぶすために、渋々老舗の立ち並ぶ街路に立ち寄り、ひとつ覗いて見たのだが……失敗だった。あの店の人には悪いことをしたと思うが、あのニタニタ笑いが頭にこびりついて離れない。何が楽しくて笑っていたのか。こっちは初対面だというのに、不気味で、非常に不愉快だった。

「あっ」

戯れに触れていたヒールが呆気なくも折れてしまった。彼女はすぐにしゃがみ込み、細いヒールを目の前に落胆する。

「気に入ってたのにっ!」

 散々だ。これではここから移動することもできない。何か新しい靴を。近くに靴屋は――あるが、絶対に戻りたくはない。だとしても、ずっとここで待っているわけにもいかない。待っていれば、『あいつ』が自分を心配して探してくれるかも、という淡い期待が一瞬浮かび上がったが、即座に萎んだ。あるはずがない。『あいつ』が自分を連れてきたのは完全なる気まぐれだ。ラーファは確信する。気まぐれに放置することだって大いにあり得る。このまま切り捨てることも、あり得るのだ。大体、自分を近くに置いているのだって気まぐれから来る話なわけだし、捨てられないよう機嫌を取りつつ、いつ捨てられるかとびくびくしながら毎日を過ごさなくてはならないのだ。ラーファはもう片方の靴を見た。こちらも折ってしまおうか。そうすればまだ、みっともなくはないかもしれない。が、彼女のプライドが許さなかった。どうしようかと逡巡していたその時。

「どうかなさいましたか?」

 顔を上げると、誰かがこちらを心配そうに窺っていた。きれいに切り揃えられた金髪が、首を傾げるのに合わせてさらりと流れた。耳についた透明な宝石が光を反射する。中性的な顔立ちで、性別の判断がつかない。左目の下にはほくろがあり、妙に色気づいた、大人びた印象を受ける。服装は細いリボンで襟元を飾り、皺ひとつないきちんとした格好だった。が、彼女のようにこの町の空気から浮くこともなく とけ込んでいる。

「えっと……」

 するとその人は、ラーファが手にしていた折れたヒールに気がつき、彼女に断ってから受け取って、

「うん、ちょっと待ってて」

と言い残して立ち去ってしまった。ラーファは何も言えず、ただその人の帰りを待っていた。

 しばらくして、その人は一足の靴を持ってきてくれた。それは赤いピンヒールだった。じゃらついた装飾品もなく、唯一あるとすれば、足首を通して固定する革紐くらいだろうか。これも靴に合わせて艶やかな赤に染められている。

「ちょっと行ったところの靴屋のもので。大きさも合ってると思います」

 ラーファはみるみる赤面した。それでは、あの二人に知られたも同然である。それには気づいた様子もなく、しゃがんで彼女に靴を履くよう促した。最初はためらっていた彼女だったが、その人の親切心に負けておとなしくその靴に足を通した。なるほど、足に合っていて、立ってみるとピンヒールであるが、しっかりと体を支えてくれているのがわかる。しかし、何故こんなにも目立つ赤なのか。自分は黒のピンヒールを履いていたはずだが。

「いいでしょう? 昔ながらの技術が詰まっていますから」

 その人はうれしそうに笑った。きっと、この町を愛している人なのだろう。笑顔からどこか誇るようなそんな色が見られた。もしかしたら、例の靴屋と知り合いだったのかもしれない。たまらなく恥ずかしくなって、話題を変えようとラーファはこの靴の色について尋ねてみた。

「え? あ、それは」

 さらりと揺れる髪を耳に掛け、その人は笑った。

「あなたには赤が似合うと思ったからですよ」

「え……」

 反応に困っているラーファを見て、また笑った。

「どうか、彼を許してやってください。悪い子じゃないんですよ。よかったらまた、足を運んでやってくださいな」

 そうして去って行った背中を、ラーファは声を掛けることもできず見送ってしまった。その言葉を理解した時、彼女は耳まで真っ赤になるほど恥ずかしくなってしまった。赤が似合うとはこういう意味だろうか。だとしたら、よっぽど意地悪なひとだ。ラーファはたまらなくなって路地を飛び出した。


✗✗✗


 どこかに逃げて隠れてしまいたかったラーファは、『あいつ』に連れられた場所へずいぶんと落ち込んだ様子で帰ってきた。外はようやく太陽が暮れだしたくらいで、指定された深夜までずいぶんと時間が残っている。『あいつ』に何か嫌味を言われるかもしれなかったが、普段は嫌で嫌でたまらないそれさえも、今では喜んで受け入れられるだろうと彼女は思う。それほどまで、今日の出来事は彼女の誇りという誇りをこなごなに砕いてしまった。自業自得といえばそれまでだけれど、

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