4月
彼女との再会は「研究室インターン 1」という授業で、鳥海先生の研究室に行ったときだった。鳥海先生は滑舌が悪くて「トリューミンです。よろしくお願いします」というもんだから、トリューミンってどんなつづりだろうと思って研究室のネームプレートを見たら「鳥海」だった。彼女は一年生のころから研究室に出入りしていてその時すでに研究室の主力メンバーだったそうだ。
ぼくのうつ病はたぶん中学生のときにはすでにはじまっていたんだと思う。ぼくは中学生のときいじめられていて不登校になって、そのせいで地元の高校には行きたくなくて親に頼んで専門学校に入れてもらった。でもぼくの受けていたいじめは第三者から見れば大したものではなかったと思う。
「水谷君だよね。わかる?」と彼女は言った。「あーえーっと」とぼくは言った。「覚えてる?」と彼女は言った。「はい」とぼくは言った。「本当に?」と彼女は言った。「はい」とぼくは言った。「どうしたのその髪型ー」と彼女は言った。「髪型の放棄としての坊主です」とぼくは言った。ぼくは中学生のときは色の白い美少年だった(これは本当。ぼくは本当のことしか言わない)ので髪を伸ばしていたんだけど、家に引きこもるようになってから痩せて骨っぽい顔になって長い髪が似合わなくなってなぜか色も黒くなったので坊主にしていた。そんな会話があった日が2011年4月11日で、ちょうど自殺予防ガイドラインが発表されたのと同じ日だった。それから「言葉は葉っぱ。神は紙」と彼女は言った。そう言いながら彼女はジョイントを巻いて、ぼくはもらって吸った。
2011年4月8日のことはまだみんな覚えているだろうと思ってたけど意外とそうでもないので書くけど記録を塗り替えるときというのは不思議なもので、それができるとわかるとなるととたんにみんなできるようになる。難しいのは答えを探すことそのものよりも答えがあるかどうかわからない問題に取り組むことなのかもしれない。福井県立武生中学校の生徒633人が集団自殺したとき、そんなことができるということが多くの人にとって衝撃だった。批判する人もいるけど、もちろんその意見もわかるんだけど、ぼくはこのときの政府の対応は迅速だったと思う。自殺予防ガイドラインの発表は4月11日にはすでになされていた。最初は火が燃え広がるかのように遺書の内容がセンセーショナルに報道されたけどテレビや新聞、ネット広告も13日以降は自殺予防ガイドラインで埋め尽くされていた。ぼくは知らないけど、昭和天皇が死んだときの自粛ムードってこんな感じだったのかな、と思った。飛び火は終わらなかった。鹿児島、岐阜、青森、愛知でも集団自殺は起こったし、個人自殺の数字も明らかに上昇傾向が続いていたし、それはスクリーニング効果で説明できる範囲を明らかに超えていた。あの日以来人身事故は日常になった。年間自殺者数は文字通り桁違いに増え、ずっと10の6乗くらいのオーダーで推移している。「人を殺さない言葉」をまとめた自殺予防ガイドラインの発表は「人は言葉で人を殺せる」という当たり前の事実をみんなに気づかせてしまった。評論家の内田氏は「未曾有の災害のときに」と題した文章でこう述べた。
「災害への対応は何よりも専門家に委託すべきことがらであり、いかなる『政治的正しさ』とも取引上の利得ともかかわりを持つべきではない。私たちは私たちが委託した専門家の指示に従って、整然とふるまうべきだろう。」
多くの人はこの文章に安心感をもらった。ぼくもその気持ちはわかるよ。もう複雑すぎてわからないよ。はやくだれかに解決してもらいたい。あるいは、これは災害なんだ、どうしようもない、ただ過ぎ去るのを待つしかない、だれかにそう言ってもらいたい。でも彼女や鳥海先生のような強い人たちからしたらこんなのは思考停止を促す甘いお菓子だった。鳥海先生に言わせれば「なぜそんなことを研究するのかっていう人もいるんですけどね、ぼくは、うん、そりゃ研究しなけりゃいかんでしょうと思うんですよ。自動文学なんて役にたたないでしょっていう人もいれば、そんなあぶないことを研究して人を殺す道具作ってるんじゃないかとか、ぼくからすれば役にたたないのか役に立ちすぎるのか効果がありすぎるのかどっちなんじゃいっていうことになるんですが、あるストーリーがあって、それが起こり得るわけですが、それが生成されるメカニズムをぼくらが研究しちゃいけないとしたら、それは政府とか一部の人だけが独占するということになるんですね。どっちが本当に危険かということになるんですよ」ということになる。
「遺書の研究をしましょう」
と彼女は言った。
研究室インターンの授業時間が終わるとすぐにフェースブックでメッセージが来て、「水谷君 さっそく探しちゃいました。フレンドよろしくお願いします。」ぼくは感情のやり場に困ってとりあえずトイレに行って喉に指を突っ込んでわざと嘔吐した。痛くてなみだが出るけどこうすると不思議と多少は気分がましになる(友達にはなった)。
ぼくの受けていたいじめは客観的には大したものじゃなかったかもしれないけど、ぼくにはつらかった。具体的になにをされたかを思い出すことはいまではもうほとんどない。不思議だな、少し前まであんなに毎日フラッシュバックみたいなのに悩まされていたのに。「肩パン」という肩の筋肉のところを殴る遊びや「ざんげ」というももの筋肉のところを膝蹴りする遊びの標的にされた。よく「死ね」と言われた。彼女にはしばしば教科書に勝手に落書きをされた。猫の絵に吹き出しがついて「たけし!」とか書いてある意味不明なものだった。なぜか突然胴上げされてその後抑え込まれてパンツを脱がされたとき、直接それをやってきた男子たちよりも笑って見ていた彼女らに腹が立ったのを覚えている。とにかくみんなからなめらればかにされていた。彼女のフェースブックのフィードには「授業開始です。今日はまぶしー」と白い敷石の写真がアップされていた。ぼくにはつらかった中学生の頃のいじめが、彼女にはまったくトリビアルでフェースブックのメッセひとつで帳消しにできる出来事にすぎないという事実がぼくを混乱させていた。いや帳消しになるとすら思っていない、はじめからなかったこと、あるいは単なる子どものころの思い出だった。
「バロウズは作家は記録する機械だって言ってるんだけど、いまやそれは比喩ではありません」と彼女は言った。研究室インターンの最後にはレポートを提出する。ぼくに最初に与えれた課題はニュースをキャプチャした写真から遺書の内容を起こす作業だった。文字を書き写すだけ、記録する機械ってこういう意味なんだっけ。
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