言葉のフィルタ

阿部2

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 電車に揺られながら、「自動文学の歴史はウィリアム・バロウズの提唱したカットアップからはじまります」と彼女は言った。カットアップとはもともと切り刻まれた印刷物のずれたり重なったり剥がれたりして読めたり読めなかったりするテキストのことでその黎明は1920年代から50年代だが、紙を切るのすら面倒になった人々がコンピュータを導入することで1990年代から2000年代くらいに黄金期を迎え依然現代まで続く研究対象となった。ナイーブ小説生成器は基本的にカットアップであり、文章を形態素にばらして前後に続く長い道のりをそのやり口を一度忘れて条件付き確率に還元してマルコフ連鎖を構成し乱数で動かすだけの手法である。「同時多発的に発見されたナイーブ法すべてがバロウズに影響されたとみるのは無理があります。しかし、それでもなお話をバロウズから始めることには意味があります」と彼女は言った。バロウズは『必要性の代数』なる概念を提唱した。それは「おもちゃみたいなモデル」だと彼女は言ったが一番重要な示唆を含むものだったらしい。例えば「言うことを聞く」という表現を考える。「言うこと」をただ「聞く」だけでいつのまにか服従を意味する成句になる。麻薬も同じだ。軽い気持ちで摂取するといつのまにか支配される。言葉は外宇宙からのヴィールスであなたをあなたの現実にしばりつける。「バロウズが語ったのはそういうことです」と彼女は言った。


 彼女の認識はかなり偏狭なのかもしれないが、彼女にとって小説は人間関係がたどるプロセスを記述するツールだった。彼女はエディプスの神話を持ち出してとてもわかりやすく説明してくれたが、それをぼくが語り直すの恥ずかしいので割愛する。「みなさんそろって神話と同じ結末を迎えてしまいます」と彼女は言った。それから、「小説の生成モデルは微分方程式と確率過程の二種に大別されます」と彼女は言った。「そのどちらも重要です。ある言葉が与えられたときのその一期先の言葉の予測分布をうまくこしらえることができればあとは漸化式で芋づる式です」と彼女は言った。


「一期先予測分布から生成された言葉が望ましくない場合、という表現は正確ではありませんが、望ましいとか望ましくないとかにかかわらずこのステップは実行されるのですが、現時点の情報を踏まえた上でステイトに対して最適な文になるように予言が修正されます。このステップをフィルタリングといいます」と彼女は言った。そう言いながら、彼女は黒板に、

『電車が到着した。彼はホームに降り立った。→(フィルタリング)→電車が到着した。しかし彼の姿は見えない。』

と書いた。


 用語を整理すると自動文学の世界では小説の生成はフィルタリング、スムージング、予言の3種類に分類される。フィルタリングとは、一期先予測分布から生成された言葉を現時点の情報を使って修正することを指す。スムージングとは現時点までの情報を使って過去の言葉を修正することを指す。予言は言葉の一期先予測分布からのサンプルの実現値である。ストーリーテリングとはスムージングのことで、原因があって結果があってそれがまた原因になって結果があって、という連なりがストーリーとなる。また、蓄積されたストーリーは予測分布を適応的に変化させる。このフィルタリング、スムージング、予言のプロセスをまとめて、言葉のフィルタ、あるいは単にフィルタと呼ぶ。


 読みやすさのために、ここで自己紹介をする。水谷隆。中学卒業後プログラミングの専門学校に入学。卒業後株式会社スピリタスに入社し「ママチャリ団子」や「ココパレス」などのサービスに関わる。うつ病の悪化により退職。高卒認定を受け今の大学に入学し在学中。


 ぼくはまだひとつも小説を完成させていないうちから、うつ病という前世紀の作家みたいな病気になってしまった。社会人一年目の末期、毎日泣きながら仕事をしていたら上長の命令で精神科を受診することになった。そこで適当に検索して出てきた病院に電話をかけたところ、「うちは初診の方、受付してないんですよー」と言われた。

その後、

「初診やってないって、じゃあどうすれば受診できるんですか?」

「どこか別の病院から紹介していただけば」

「どこかっていうのはどこでもいんですか?」

「はい。どちらでも。紹介状を書いていただければ」

「わかりました」

というようなやりとりがあり、近所の内科にいった。

そして「寝れないし食欲もないしだるいし、常にイライラしてるか泣いてるかのどっちかでとにかくつらい」と伝えたところ、「それうちにこられても困る」と言われた。

その後、

「なにか適当な病院に紹介状かなにか書いてもらえればいいんですけど」

「いや、それ、悪いけど、眼科に行って歯医者さん紹介してくださいっていうのと一緒なのよ」

「わかりました」

というようなやりとりがあり、ぼくとしては「それうちにこられても困る」と言われても困るので、途方に暮れて待合室で泣いていたところ、見かねたナースさん(白衣の天使)が、電話帳をしらべて「ここ初診受付してるんでここ行ってください」とメモを渡してくれた。そこで晴れてぼくはうつ病の診断をもらう。

「うつ病だと思います」

「はい」

 うつ病は前世紀後半に猛威を奮ったが、90年代以降の言語活動と名付けられた予防摂取の普及によって激減した。その背景にはやはり自動文学の成果がある。言語活動は人工的にフィルタを置き換える仕組みで、基盤にあるのは抑うつの原因がステイトそのものではなくそのフィルタにあるとみなす仮説である。


 擬人法は単に綴り方の一技法でもあるが、フィルタではもっとも重要な役割を果たす。人間は結果には原因があるという認識を常に持つ。それが人間の知的能力とされるものの源泉である。ぼくらの体にはふたつの歴史、自然の歴史と社会の歴史が刻まれている。自然への適応のみが問題となる種であれば、因果推論の能力は大きな影響を持たらさないかもしれないが一方、社会への適応が淘汰を左右する場合、関心のある事象には事実、他者の意図が介在する。ステイトに対して意図を想定する能力、つまり擬人法こそが人間の持つ世界像そのものである。擬人法は生活が豊かになった現在ではむしろ厄介な存在になりつつある。先進国の善男善女が脂肪を蓄える能力に悩まされるのとおなじことだ。以上は「マキャベリモデル」というものの大雑把な説明である。言語活動はこのマキャベリモデルに基づき、擬人法のプロセスを中断することを繰り返し訓練する。擬人法のフィルタが生み出す認知の代表例を三つ紹介する。


1. 予言への忠誠:言語活動を受けていない人々には当たり前にある予言の能力がどのようなものであるか、我々は推測するしかない。予言の強制力はごくまれな精神病患者に幻聴や妄想という形で発現する。


2. 事象の一般化:言葉のフィルタはこれまでに得た情報から未来を推し量ろうとする。経験されたステイトからスムージングにより学習した因果を、未来の予測に使用しようとする。しかし複雑な問題では、学習によりフィルタが歪んだものになる見込みが高い。フィルタが歪むというのはたとえばこういうことだ。コインを2回投げて、2回とも表が出た。このとき「コイン投げでは表しかでない」と予測することは正当だろうか。コイン投げのような単純で学習機会の多い問題については、事象の一般化によってフィルタが歪むことはまずない。しかし人間関係のようなパラメータの多い問題では、事象の一般化によるフィルタの歪みはほとんど常に起こる。


3. 個人化:マキャベリモデルによれば、因果推論の能力は自身が因果に対して介入できることを前提とする。つまり擬人法では、原因がある以上、自分は結果を換えられるはずだという認識を暗黙のルールとして強制する。これは他者への過適合や必要以上の罪悪感の源泉となる。


 言語活動でみなさんが摂取したナノマシンは細胞を利用して自己を複製させ、言葉のフィルタの機能を一部阻害する。

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