第18話 埋葬されていた男
最期の会話の後に一体何が起きていたのだろうか。いきなり河川敷に埋められていては想像もつかない。辺りを見渡してみても「オオアレチノギク」という背の高い雑草が広がっているだけだ。
考えても仕方がないので、とりあえずジーンズについた泥を払う。
「まさか埋葬されていたとは……」
後ろを振り返ると、右岸側には欅(けやき)の大木が立っており、その奥にグラウンドが広がっている。堤防の向こうには街が広がっていて、一際大きな塔が聳え立っていた。
──お……。スカイツリーも見えるぞ。やっぱここは東京か。
しかし父島出身の蒼汰はまだ都心の地理に疎く、これだけでは場所の手がかりとはならない。
迷子となってしまった蒼汰は途方に暮れた。しかし1つだけ確かなことがあった。世界を支配しているのは相も変わらずゾンビだということだ。
「グシュ……グシュシュ……」
忌まわしいゾンビの鳴き声に、蒼汰は驚いた。
草むらに身を隠し様子を伺うと、1体のゾンビがグラウンドを彷徨いている。彼は極力音を立てないよう、ゆっくりと欅の大木の近くに移動する。
──木の上に逃げれば、ゾンビも追ってはこれないだろう。
この怪物は、骸骨に真っ黒な肉がいくばくか付着しているだけ……そんな状態の化物だ。ゾンビというより動く骸骨と言った方がいいかもしれない。
──怖っえー!なんだよアレ!
骸骨となった死者に追われるなんて、そんな恐ろしいことはない……。
ここで1つの疑問が生まれる。──彼自身も死者(ゾンビ)ではないのか?と。
だが今の蒼汰には、そんな疑問を感じる余裕などない。
緊張しながら、骸骨をやり過ごそうとしているうちに、自分の右腕が変化していることに気づく。
重症化し、皮膚が腐り落ちてしまったはずの悲惨な右腕。あの痛々しい右腕が元通りなのだ。
「治ってる。マジかよこれ……」
さすってみるが、まるで痛みを感じない。皮膚感覚も復活していて、指も自由に動かせる。神経までもが修復されたのだろうか。
右腕の指で、そうっと額に触れれば体温も平常通り。気づけばあの憎らしい頭痛も吐き気も消えている。体はすこぶる快調だ。自分がゾンビだなんてとんでもない。
彼は草むらの中で1人歓喜した。
──完全に治ってんぞ!すごくね?なんで治ってんの!?
致死率100%と言われたゾンビ感染症からの生還。こんなことは前例がないはずだ。──ただしあの子を除いて。
ところが舞い上がっていた蒼汰に、最悪の不運が訪れる。
藪の中から突然、赤いワンピースの女が襲いかかってきたのだ。彼女の目にはアイスピックで深々と貫かれており、生者ではない。ゾンビだ。
この女ゾンビは、いきなり蒼汰の肩に掴みかかってきて、首に噛み付こうとする。
「シュアアアアガァッ」
「なにっ!」
骸骨を警戒するあまり、女ゾンビの接近にまるで気づいてなかったのである。
奇襲に度肝を抜かれて、蒼汰はとっさに目を瞑ってしまった。
「うわぁぁぁぁぁ!」
己の間抜けな運命に絶望しながら命を落とす……はずだったのだが、いつまで目を閉じていても何も起きない。
恐る恐る目を開けてみると……。
「あれ……」
気づけば自分は堤防の階段に立っていた。ここは河川敷に昇り降りするための階段である。自分は確かに草むらの中にいたはずなのに……。
──ど……どうなったんだ。ゾンビは?アイツも消えちまったぞ。
いくら辺りを見回しても女ゾンビの姿はない。
肩に違和感を感じる。触れてみると、何かがモゾモゾと動いている。切断された女ゾンビの手だけが彼の肩を掴んでいたのだ。
「なっ……なんだこれ!?キモッ」
慌てて手を階段に払い落としたが、まだ指だけが元気に動いている。とりあえず蹴っ飛ばして堤防下のコンクリート道路へと捨てた。
不条理な出来事の連続に、蒼汰は動揺していた。
しかし異変はこれだけに留まらない。グラウンド越しに見えたはずのスカイツリーが、何故か河川の向こう側に位置を変えている。
──な……なんでだ!?なんで骸骨と女ゾンビが対岸にいるんだ。
本来あるべき位置にあるべき建物がない。ゾンビ達も含めて景色の全ての向きが逆転している。
女ゾンビに至っては欅の枝に体を貫かれていた。体は上下逆さまで、足を空に向けて足掻いている。車のようなものに跳ね飛ばされたのか、かなり高い枝に刺さっている。
「誰があんなことを……」
全てが悪夢のような光景に思える。
──本当の自分は未だにベッドの上にいて、これは夢なんじゃないだろうか。
何もかも違和感だらけであるが、女ゾンビに食われてしまうよりはずっとマシだろう。心が落ち着いた蒼汰は、彩奈の手紙をポケットにしまった。
「ふぅ……。なんだか知らんが助かったぜ。運が良かったな」
同じ失敗を繰り返さないためにも、まずは近くにゾンビがいないか確認する必要がある。
急いで階段を駆け上がると、不思議な感覚が蒼汰を包んだ。ついさっきまで呼吸するのも辛かったはずなのに、どういうわけか息もあがらない。
自分の体が恐ろしく軽くなっているのだ。
「す……すごいな。調子良すぎだぜ」
あまりに体が軽いので、試しに堤防の上を全速力で走ってみる。雑草が風に煽られて凄い角度で靡いていく。
──スゲー!やっぱりこれは夢なんだろうか?妙な夢だな……。
走っても走っても、まだまだ加速できる。一歩跳ねるだけで20メートルは進んでるようだ。
「どぉぉぁりゃああああ!」
10秒近く加速し続けたのだが、それでも最高速度には至らならない。だが恐ろしいスピードで動いている景色に恐怖を感じた。そこで止まろうとしたのだが、今度は逆に止まらない。
まるで氷の上を滑るように靴が路面を滑っていく。
──バカな!
どうにかバランスを保ちながらアスファルトの上を滑り続けると、摩擦熱により靴底が溶けて燃えだしてしまう。
「あちゃちゃっ!」
もはやルーニー・テューンズのコメディアニメのようだ。
パニックになった蒼汰はとっさにジャンプして、そのまま流れる河川に落下。靴を包んでいた炎は無事鎮火した。
蒼汰しばしの間、ラッコのように川面に浮かんでいた。
──なんで走っただけで靴が燃えちゃうんだ……。
頭を起こすと堤防が遥か遠くに見える。100メートルは離れているだろう。蒼汰はこの距離を跳躍したのである。
「……ちょっと嘘だろ。100メートルは離れてるじゃんか……」
彩奈の言葉を思い出した。
──私はゾンビのなりぞこない。
その言葉を思い出した瞬間、蒼汰は全てを理解した。驚きすぎてそのまま水の底へ沈んでしまう。
──なんてこった。俺も彩奈と同じだったんだ!
夢じゃなかろうかと疑ってみたが、だがこの水の冷たさは現実としか思えない。
沈みきってから、川底を蹴って魚雷のように浮上。巨大な水柱を立て、蒼汰は水面から10メートルは舞い上がる。
「うおおおおおっ!夢じゃない。俺は生きている!」
蒼汰は空中で腕を天に突き出して叫んだ。
再び大きな水柱を立てて落下すると、ラッコのように浮かびながら上機嫌で1人笑った。
「あははははっ!あはははは。全然痛くねぇや」
ひとしきり川ではしゃぐと河川敷に戻る。服はずぶ濡れのままだが、真夏の風がじきに乾かしてくれるだろう。
──はやく帰らないと。
あんな悲しい手紙を残してくれた彩奈のためにも、早く戻ってやりたい。
「そりゃっ」
蒼汰は地面を蹴って疾風のように走り出した。今なら彩奈と競争してもいい勝負だろう。試しにやってみたら川にかかる橋のアーチリブの上だって軽々と走れてしまう。
しかし問題は蒼汰が依然として迷子であるということだ。
「しまった!ホテルはどっちなんだっけ」
途方にくれた彼は、橋のたもとで胡座をかいて座り込んで考え込みだす。しかし食人鬼達が集まってくるだけで何も解決しない。
だが先程まで恐ろしく感じていたゾンビ達も、今はまるで恐怖を感じない。
──しょうがない……。適当にいくか。まずはあの塔に上がろう。
スカイツリーを目指すことに決め、蒼汰は立ち上がる。
「フシュァァァッ!」
腐臭を漂わせた食人鬼達が押し寄せてきたが、少し地面を蹴るだけで、簡単に頭上を飛び越えてしまった。
上機嫌の蒼汰はゾンビ達に手を振って別れを告げる。
「はははっ。じゃあな!」
ゾンビ達は、蒼汰が走り去ったことにも気づかず、獲物を探し続けている。
○○○
この時、堤防の上から一部始終を見ていた者がいた。飼い猫を抱いた白髭の老人が、遠くに消えゆく蒼汰を眺めている。
実は河川敷にいたのは蒼汰だけではなかったのである。
「ゾンビを打ち砕いたと思ったら……いきなり対岸に飛び移りよった!あの男は一体何者なんじゃ?」
しばらくして軽く跳躍すると、同じく橋のアーチリブに飛び乗ってしまう。この男も常人の運動能力を遥かに凌駕している。
──しかし残念じゃな。もしかしたら岩井君が戻ってきたのかと思うたが……やはり違うようじゃね。
実はこの白髭の老人、彩奈が「エース」と名付けたスーパーゾンビの1体である。この男が何故に蒼汰の友人を知っているのかは、まだ謎だ。
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