第17話 最期の時

 赤髪のジャックとの対決から1週間が経過し、蒼汰の体調は日増しに悪化していった。傷つけられた腕を通して恐怖のNPウイルスに感染してしまっていたのだ。



「う……うぅ。痛ぇ……」



 彩奈達と一緒に生活することなど無理な話で、現在は感染者として最上階の1部屋に隔離され、ベッドの上で唸ることしかできない。


 幸いこの建物はホテルだったので、ダブルベッドの置かれた立派な寝室が存在していた。しかし文明が崩壊している以上、立派な部屋と言えど壁に備え付けられたエアコンや照明は飾りに過ぎない。お陰で盛夏の今は、部屋の気温は常時30℃を超えているし、昼でも薄暗い。


 それにしても腕の痛みで全く眠れないことには往生する。辛すぎて昨晩もほぼ寝ていない。明け方に15分ほど意識を失っていたが、それも悪夢に苦しめられ、睡眠と言えるものではなかった。


 彩奈の巻いてくれた包帯の隙間から、真っ黒になった右腕が見える。異臭を放っており、とても自分の腕とは思えなかった。



──くそ……。右腕はもう腐ってるじゃないか。



 社会が崩壊している以上、医療機関など存在しない。致死率100%と言われる病を患ってしまったにも関わらず、治療などしてもらえない。せめてちゃんとした麻酔でもあればと願った。鎮痛剤では、まるで痛みが取れなかったのだ。



 こんな部屋で1人でじっとしていても絶望的になる。だが体を起こそうとするだけで激しく息切れを起こしてしまう。どうにもならず、悔しさで自然と涙が浮かぶ。



「ちくしょう……赤髪の奴め」



 無事な左手で涙を拭っていると、ドアをノックする音がした。



「お〜い。入りますよ〜蒼汰さん。体温計もう終わった?」



 部屋に入ることができるのは、NPウィルスに免疫を持っている彩奈しかいない。──その他の者が入れば蒼汰と同じく、死に至る病に侵されることになるだろう。


 水や食料を部屋まで運び、蒼汰の看病してくれているのだが蒼汰に感謝する余裕などない。問いかけに答えず、ただ無言で天井を見つめている。



「体温は……まあまあね。ちょっと下がってきてる。良かったじゃん」



 脇から体温計を取った彩奈は、液晶部分を見せないようにして嘘をついた。だがチラリと見えたので蒼汰には分かっている。──40.8℃と表示されていたことを。



「水は?もういいの」


「はぁ……はぁ……。うん……」



 病についてなんの情報も持っていないことが、蒼汰には恐ろしかった。覚悟を決めた彼は目を閉じ、問いかける。


 

「はぁ……はぁ……。教えてくれ。俺はゾンビになってしまうのか?それとも……」


「それは……私だってそんなに詳しくはないし」



 彩奈は困惑して顔を逸すが、蒼汰は食い下がった。



「でも……彩奈は知ってるはずだ。感染者がどうなるのか」



 額の上の濡れタオルを取り替えた後で、蒼汰の方を見ずに彼女は答える。



「感染者の4割は多臓器不全でそのまま死亡……。残りの6割は心停止後にゾンビ化がはじまる」



──多臓器不全か……。



 頭が真っ白になってしまった。彩奈が「でも……」と話を続け、蒼汰を安心させようとしているが、まるで会話が耳に入ってこない。



 弱々しく彩奈を見つめると、蒼汰は謝罪した。




「ごめん……こんなつもりじゃなかった。俺はただ……君を手伝いたかっただけで……」


「もう寝なよ。あんまり暗い事を考えないでさ」


「寝れないんだ……」



 蒼汰にはもう彩奈を困らすようなことしか言えない。困り果てた彼女は黙って部屋から出ていく。しばらくして廊下から話し声が聞こえてきた。



「どうなんですか。石見さんは……」



 尋ねているのは眼鏡の坂崎澪だった。



「澪ちゃん。話は上でしよっか。ここじゃ蒼汰さんに迷惑だから」


「でも私の父親は1週間持たなかった……」


「澪ちゃん!上に行くよ」



 彩奈は澪の腕を引っ張り、険しい表情のまま強引に階段を上がっていった。



──こっら眼鏡……。聞こえてるってのバカたれめ……。



 蒼汰の顔が引きつっている。



  あんな奴でも俺を心配してくれてるのだろう──などとポジティブに考えようとしたがやはり納得がいかない。



──くそっ。一気に恐ろしくなってきたじゃねえか!



 蒼汰は体を横にして、サイドテーブルに置かれた時計を見る。(ベッドの傍らのサイドテーブルには、夜用の電池式ランタンと小さなデジタル時計が置かれている)



 まだ午後の2時35分だ。



 今日の夜だって眠れないだろう。

 明日はさらに酷い1日になり、明後日はもっともっと辛い1日になるのか。

 それは自分が死ぬまで続く……。



 絶望的な未来に怯えていたが、知らぬ間に蒼汰は寝てしまった。正確には意識を失ったと言ったほうがよい。



 次に目を覚ました時には、闇の中だった。



○○○



 闇。それも漆黒の闇。真っ先に浮かんだのは──ここはあの世か?という疑問だった。しかしそんなわけがないと彼は思い直す。



 おそらく夜になってしまったのだろう。カーテンに閉ざされたこの部屋は、電灯などつかないので夜は真っ暗になるのである。



 しかし眠れたのは朗報だろう。



 72時間、ほぼ睡眠を取れていなかった蒼汰にとって、この目覚めのスッキリ感は久しく味わえていなかった。お陰で常時つきまとっていた死の恐怖が、今だけは消えてしまっている。彼は上機嫌でサイドテーブルに手を伸ばし、電池式ランタンのスイッチを入れようとする。


 しかし腕を全く動かせない。腕どころか足も首も動かない。上機嫌は一瞬で焦りへと変わる。これは睡眠麻痺──いわゆる金縛り──とは感覚的に違っている。体全体にかかる圧迫感が強烈であり、息苦しいのだ。



 恐怖は徐々に増してくる。とにかく息ができない。



──う……嘘だろ、死んじまうぞ!



 漆黒の闇の中で、体も動かせず一人、窒息の苦しみを味わっている。ここが噂の地獄なのだろうか?地獄で再び死ぬのだろうか?

 


──彩奈、助けてくれぇ!



 恐怖のままに手足に力を入れると、妙な感触を得た。自分の体は動かせないのではない。何かに押さえ込まれているだけなのだ!次第にその正体が分かってきた。



 それは土だった。蒼汰の体を重い土が覆っているのだ。



 死にたくない一心で、足掻きまくると、徐々にスペースが生まれて手足が動かせるようになってきた。あと一息……。



「だりゃぁぁっ!」



 全力で体を起こすと闇が消え失せ、代わりに強烈な太陽光が目に入る。



「プハァッ!ゲホッゲホッ。なんだこりゃあ……」



 あまりの眩さでホワイトアウトしてしまった蒼汰の目に、徐々に綺麗な青空が映りはじめる。視線を下げれば雑草に覆われた広い土地が見えた。



──河川敷じゃないか……。なんで俺はこんなところにいるんだ。




 わけもわからぬままに蒼汰は立ちあがった。改めて足元をみると、地面に掘り起こされた跡が残っている。どうやらこの下に自分は埋まっていたようだ。



 江戸時代のフグ中毒患者ではあるまいし、寝ている間に地面の下に埋められなきゃならない理由などあるわけがない。誰の犯行なのか分からないが、完全に殺人事件だと彼は思った……。


 確かに彩奈なら可能かもしれないが、彼女が重症の蒼汰を土に埋めてしまうなんて、そんなことをするわけがない。



──じゃあ一体誰がこんな真似を……。



 傍に何段にも積まれた石があることに気づいた。賽の河原にありそうな小さな石の塔だったが、これは明らかに人の手で置かれたものだろう。


 そして、この石の塔の下には枯れた花が添えられていた。それで蒼汰はピンときた。



──これは墓だ。



 しかし誰の墓なのかは分からない。



 枯れた花の下には1封の封筒が置かれていたので、遠慮なく封筒を破ってみると、中には1通の手紙が入っていた。そこには、いかにも女子という感じの細くて丸い文字で別れの言葉が記されている。


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 ずっと一緒にいたかったのに蒼汰さんは私達を置いて、皆のいる場所へ旅立ってしまった。


 蒼汰さんと過ごせた時間は本当に短かったけれど、貴方に出会えたことは神様の思し召しだったのだと思う。


 最期の会話があんなことになったのは後悔しています。なんでもっと上手く言えなかったんだろう私。最期の時に何もしてあげられなくて、ごめんなさい。



 皆は寂しがって泣いばかりいるよ。私だって……皆の前じゃ泣かないけれど。悲しくて寂しくて仕方がないのが本音なの。


 でもまた会えるよね。


 いつの日か、こんな辛い世界を離れて再び蒼汰さんと出会えますように……。神様に祈ります。


 

 蒼汰さんの名誉ある最後の友達。垣内彩奈より


 天国の蒼汰さんへ  8月○日。



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 河川敷に吹く風が、不思議な手紙を揺らす。

 


──なんてこった!お別れの手紙だ……。それも俺宛の。



 何故、彩奈がこのような手紙を書いたのか、さっぱり理解できない。



 だた自然、蒼汰の目頭が熱くなった。文章の意味はよく分からないが、何故だか熱い気持ちがこみ上げてくる。


 腕で目をこすると、手紙の意味を改めて考える。手紙の日付は蒼汰が眠りについてから2日後になっていることに気づいた。




──嘘だろ!?じゃあこれって……。



 導き出される答えは一つしかない。「蒼汰は死んでしまった」と解釈した彩奈がここに彼を埋葬したのだ。つまりここは蒼汰の墓だったのである。しかしどうにも辻褄の合わない点が、富士山のようにそびえ立っている。


 自分はバッチリ生きている。これはどう考えたらいいものだろうか。



 照りつける太陽の下、地面の上に胡座をかいて考え込んだ。だんだん謎の核心に迫っている気がした。



──つまり俺は自分が生きてると思ってるだけで、やっぱり死んでるのだろうか?じゃあ今の俺ってゴースト的な……。



 体を叩いてみるが、普通に存在しているので幽霊ではないらしい。しかし別の可能性が残っている。


 

──となると……まさかゾンビなのか俺?

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