第15話 作戦
己の頭蓋骨を貫く鉄パイプを握りしめた赤髪ゾンビは、それを勢いよく引き抜いた。脳を晒した人体模型の如き頭が血だらけになっており、もはや目も当てられない。
信じられないことに、繋げたばかりの右肩は完全に接合してしまっている様子だ。朱色に染まった鉄パイプを握りしめ、右腕を大きく旋回させてみせる。
「ククク……」
生殺与奪権を完全に握った赤髪ゾンビ。倒れた彩奈を見て残虐な笑みを浮かべた。
──こんなの彩奈に勝ち目があるわけねぇ!
蒼汰の額から汗が垂れ落ちる。影から幸運を祈ることしかできない自分の非力さが情けなかった。
赤髪ゾンビは裁判官のように彩奈に与える罰を言い渡す。
「いやぁ〜鉄パイプも血だらけになっちゃったねえ。どうせならこれで彩奈ちゃんを滅多打ちにちゃおっかなぁ〜」
転落防止柵を鉄パイプで殴りつけ、激しい金属音を響かせながら少女に近づいていく。
──ごめんなさい蒼汰さん。やっぱり私じゃ貴方を助けられない…。
敵がどんどん接近しているのに彩奈は一向に起き上がろうとしない。既に諦めて観念してしまっているのだろうか。
「ど……どうした彩奈!殺されちまうぞ」
しかし蒼汰の叫びは彩奈には届かない。
──もうこれじゃあ彩奈はアカン!
考えるよりも先に、蒼汰は塔屋の影から飛び出す。急いで右の靴を脱ぐと、それを全力で敵に投げつけた。
「ぬがああああああぁっ」
普段はあまりコントロールのいい方ではないのだが、この時は赤髪ジャックの後頭部に見事に靴が当たった。ゆっくりと振り返った赤髪のジャックは、蒼汰を睨みつける。
「ちっ。あんまりゴミ虫だったから忘れてたぜ、お前のことをよぉ〜」
真夏の強烈な日差しの下、両者はしばし睨み合う。彩奈には蒼汰の無謀な行動が理解できなかった。
──何してるの……。蒼汰さん。
もちろん敵は蒼汰に敵う相手ではない。為すべきことは彩奈が復活するまでの時間を稼ぐこと……。そこで蒼汰は表情を一変させ、笑顔になった。
「バカ、ジャックちゃん。違う違う。靴を投げた奴はあっちに逃げて行ったぞ。早く追いかけないと逃げられちゃうから……」
それは無謀な挑発だった。
だが今は赤髪の注意を自分に引きつける他ない。時間を稼ぐために。
──よーし。彩奈じゃなくて、こっちを見てるな。その調子だ。彩奈に背を見せ続けてろよー。
彩奈が後ろから攻撃を仕掛けれるよう、赤髪の撹乱する……という蒼汰の目論見はあっさりと外れる。なにしろ蒼汰の背後に赤髪のゾンビが立っていたからだ。──15メートルは離れていたはずなのに一瞬で。
しかも蒼汰にはその動きがまるで見えていなかった。
「えっ……消えた!?」
「こっちだよ〜ん」
唖然として後ろ振り返ると、赤髪ゾンビが笑っている。
「やっぱりお前の全身の骨を砕くのが先だよね。その方が彩奈ちゃんの精神を壊せていいよねぇ〜?」
冷たい手を伸ばし蒼汰の前腕を掴む。それはゾッとする感触だった。
「こっ……こいつ。離せ!離しやがれ!」
力に任せて振り払おうとする蒼汰。しかし台に固定された万力に挟まれてしまったように腕は微動だにしなかった。
──う……嘘でしょ。なんてパワーだよ!
前腕を握りしめる力はどんどん増し、食い込むゾンビの指によって皮膚から血が噴き出すことになる。
「ぎ……ぎゃあっ」
あまりの痛みに息が止まった。
「ふひひ。痛いかぁゴミ?まだまだだよぉ〜?」
「がぁっ……ちょっ……タ……タイム……」
赤髪のジャックは嬉しそうに蒼汰の血塗れの右腕を押し潰していく。──あまりに激しい苦痛。それは万力(まんりき)で腕を潰す拷問に等しく、撓骨まで砕けるのは時間の問題であった。
──こんなのは人間に耐えられるもんじゃない!
彩奈が戦意喪失してしまった理由を、蒼汰は身を持って体験している状態だ。
──蒼汰……さん。
倒れていた彩奈の表情が変わった。
「じゃぁ。そろそろポキンといっちゃおうかぁ。まず複雑骨折1箇所目〜」
赤髪が絶望の言葉を発したその瞬間、何かが空から猛スピードで落下してくる。
「だぁぁぁっ!」
それは戦意喪失し、倒れていたはずの彩奈だ。落下しながら踵落としの態勢に入っている。突然のことに、さすがの赤髪ゾンビも反応が遅れた。
「な……なにっ!」
敵の頭をかすめたものの彩奈の踵はギリギリでかわされてしまう。しかし危険を感じたジャックはとっさに蒼汰の腕を離し、後ろに跳んだ。解放された蒼汰は、地面に倒れそうなるのを堪えた。
「だぁっ。助かった!はぁ……はぁ……」
彩奈は蒼汰を庇って、ゾンビの前に立ちはだかる。
「大丈夫!?蒼汰さん」
「いや……あんまり……大丈夫じゃない」
右腕の皮膚は全体が紫色に変化している。痺れて感覚が鈍くなっているのが自分でも分かっている。
怪我の酷さを知った彩奈は、赤髪ジャックを睨みつける。彼女がここまで怒りの表情を剥き出しにすることは滅多にない。
「はぁ……はぁ……。アンタって本当に最低っ」
鉄パイプを真上に投げて、赤髪ジャックは大道芸人のように背中側で受け止めた。凶器は太陽光線を反射して眩く銀色に輝いている。
「まぁ〜だ生意気な感じなのがイイねぇ彩奈ちゃ〜ん。コイツで頭蓋骨を叩き割られた後もその調子で頼むよぉ」
鉄パイプを高々と振りかざした赤髪のジャック。彩奈を殺すべく勢いよく凶器を振り回しながら突進する。
「ウヒャヒャッ!プシャアッと脳みそぶち撒けた彩奈ちゃんを見たい……」
しかし再結合したての肩はまだ完全には馴染んでないらしく、鉄パイプを振り下ろそうとしたその瞬間、動きが止まってしまう。
「なっ……こんな……」
その一瞬を彩奈は見逃さない。あっという間に加速してゾンビの懐に入るや、無防備になっていた胸部に全力で中段蹴りを決めた。
「やああっ!」
「がっ……がぁはぁっ……」
その蹴りの衝撃は凄まじく、赤髪の死人はダンプカーに跳ねられたようにふっ飛ばされてしまう。対面の転落防止柵の上部に激突したものの勢いは殺せない。そのまま放物線を描いて屋上から落下していく。
「うわぁぁぁ」
地上までは50メートルの高さがあるので路面に落下したならば、普通は潰れて動けなくなるはずだ。だが彩奈は分かっている。
──これぐらいでアイツは死なないわ!
だが、まずは蒼汰の怪我だ。一度、戻って蒼汰の手をとる。治療が可能か確かめたいのだ。
「動かせる?蒼汰さん」
「いや……ダメ。右手が痺れてえらいことになってる」
もちろん応急処置を施す時間などない。
──どうしよう。アイツ、ビルの壁に掴まってる。
彩奈が正面から挑んだところで、勝ち目の薄い相手であることは明白。そこで蒼汰は密かに練っていた作戦を彼女に伝えることにした。
「彩奈、聞いてくれ」
作戦を聞いた彩奈は不安そうな表情で蒼汰を見つめる。
「……上手くできるかしら。あまり自信がないの……」
難易度はハッキリ言って高く、結果は運に左右されるだろう。だが2人が同時に生き残る道を探るとすれば唯一の方策だと思われた。
「すまん。変な作戦だよな。でも他に思いつかなかったんだ」
「うん……。じゃあやってみる。でも蒼汰さんは大丈夫なの?」
「大丈夫!俺は意外にしぶといんだぜ」
痛みを堪えながら蒼汰は微笑む。それに応えて彩奈も笑顔で頷いた。
「おまたせぇ〜。待たせちゃったぁ?ごめんねぇ」
2人が振り返ると柵の上に赤髪のジャックが立っている。僅かな時間で地上から舞い戻ってきたのだ。ただし鉄パイプは落としてきたようである。その代わり、別のゾンビの腕を持っていた。
「今の蹴りはちょっと効いたよぉ。俺の胸が凹んでるもんなぁ」
そう言うとゾンビの腕を齧って食べはじめる。
「もうお腹が空いちゃった。こんなゾンビじゃなく、早く可愛い彩奈ちゃんの足を引きちぎって食べたいなぁ〜」
骨が剥き出しになったゾンビの腕を屋上から投げ捨てて、長い舌を出してみせる。だが今の彩奈には挑発は通じない。
「今度はさっきみたいにはいかないわよ……」
蒼汰の作戦通り、すぐに跳躍して塔屋の上に着地する。
「ん〜。それでどうしようっての彩奈ちゃぁん?」
塔屋には添えつけられた長い避雷針がある。彼女はそれを掴んで、力を込めると折ってしまった。これで長さ3メートル近い鋭い鉄の棒を、武器として手に入れたわけである。
「なるほどね……。槍みたいにして戦うつもりなんだぁ。考えたねぇ〜それじゃあかかって来て」
赤髪ジャックは手招きしてみせる。まだ余裕があるらしい。
「それじゃあ……行ってやる!」
彩奈は避雷針を持ったまま塔屋の上で全力で疾走する。
──行け!彩奈!
なんと赤髪のジャックを無視して大ジャンプ。そのままビルから飛び降りてしまう。
「な……何っ!」
呆気に取られたゾンビは、屋上から消えゆく彩奈の姿を目で追う。
ここからが作戦の本番である。
「たぁっ!」
彩奈は落下しながら、地上の車に目掛けて避雷針を投げつけた。地上の道路には車が多数放置されたままの状態だ。
その中の一台は休憩中の蒼汰が眺めていた、スタンドの名前を記したタンクローリー。つまり中に詰まっているのはガソリンというわけだ。
避雷針は、凄まじいスピードでタンクローリーを貫く。そして真夏の直射日光を浴びて圧力を増していたタンクの中から、揮発したガスが勢いよく噴出。それと同時に火花がガスに引火。
一瞬でタンクローリは激しく炎上を始める。
「よしっ!」
蒼汰は痛めていない左手でガッツポーズをする。
──すげぇぞ彩奈!一度のきりのチャンスを成功させた。
そのまま放物線を描くように落下しながら、彩奈は対面のビルの窓に突っ込む。(対面のビルとは幹線道路を挟んで30メートルは離れていた)
窓ガラスがあるので飛び込んだ彼女も傷だらけになったが、そのまま部屋へ転がりこんだ。
次の瞬間、タンクローリーは大爆発を起こす。そして一帯は大炎上し、地上の道路に溢れていた何百体というゾンビ達は業火に包まれていく。
爆発炎上による熱波はこのビルの屋上まで達するほどなので、地上はまさに地獄だろう。
しばし呆然と業火を見つめていた赤髪ジャックであったが、彩奈の姿が見えなくなってしまったことに気づき激怒した。
「あれだけかまして……逃げやがったのかぁぁぁぁ。ふざけやがってあのアマァ」
怒れるゾンビは屋上の転落防止柵を引き抜くと、鉄製の柵を引きちぎって地上に投げつけた。そして両腕を広げ、天に向かって吠えた。
「ヴガァァァァァァァァッ!クソアマがぁぁぁぁぁぁぁ!」
赤髪は怒るだろうと想像はしていたが、予想以上の剣幕だったので蒼汰はドン引きするしかない。
──こ……このチンピラ丸出しの暴れっぷりはヤバい……。
すぐに赤髪ゾンビは塔屋に近づいてくる。蒼汰は必死に死角に隠れる。
「オラァァァァッ!でてこいっゴミ野郎。逃げ場はねぇぞ」
聞いたことのないような重低音が壁から伝わってくる。ジャックはこの時、コンクリートの壁に何度も肘打ちを入れていたのである。信じがたいことに壁の砕ける音が聞こえてきた。
「お……おいマジかよ……。冗談だろ」
赤髪ゾンビが壁を殴りつける度に建物全体が振動しているのが分かる。
──ひぃぃっ!怒り過ぎだろ!
「もう面倒だぁっ!そりゃぁぁぁ」
次の瞬間、塔屋全体が砕けて崩れ落ちてしまい、屋上全体が煙に包まれた。蒼汰は倒壊に巻き込まれないように尻もちをついて下がるので精一杯だった。
煙が風に流されていくと、上段蹴りの態勢の赤髪ジャックと目があった。獲物を発見したゾンビはニヤリと笑う。
「見つけたぁ〜。だいぶ探しちゃったよ僕ちゃんはよぉ」
時間を稼ぐ。常人の蒼汰にできることはただそれだけ。
「よ……よう。久しぶりだな。まあ落ち着けよ。君は誤解している」
「分かってるよなぁ〜ゴミ野郎。このストレスは全部お前にぶつけられちゃうんだからよぉ」
この最悪のゾンビの狙いを想像して、蒼汰はゾッとする。
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