第14話 彩奈の敗北
あれから5分は経過しただろうか。
まるでビルの解体工事が行われていたかのように、屋上の配管は切断され、転落防止柵は折れ曲がり、貯水槽は倒され古くなった水を床面にぶちまけている。
だがダメージを受けたのは屋上のビル設備と、彩奈だけだった。
「はぁ……はぁ……。痛いわね……」
彩奈は白いブラウスの裾で、掌から流れる血を拭う。この傷は赤髪ゾンビの放った拳を受け止めた際に、皮膚が裂けたできたものだ。しかしこれは彼女の掌が脆いということではない。コンクリートの壁にすら容易に穴を空けてしまう赤髪ゾンビの突きを、他の誰が受け止められるだろう。
「せっかくの服が汚れちゃったじゃない……。絶対に許さないから」
痛みを堪えて赤髪ジャックを睨みつけるが、今の彼女は童顔も相まって本当に子供のようにみえる。室外機の上でしゃがんでいる赤髪は、強がる彩奈を見下ろし鼻で笑っている。
「今の攻撃は惜しかったねぇ〜。オジさんはビビり倒しちゃったよぉ〜」
正直、蒼汰は赤髪ジャックと彼女との間に、ここまで力の差があるとは思っていなかった。彩奈が休まず猛攻をかけても、赤髪には一発だって当たらない。鬼神のような強さを見せつけていた彩奈が子供扱いされてしまっている。
──が……頑張れ彩奈。
今にも負けそうな側を応援することほど緊張することはない。彼女が窮地に立つ度に、蒼汰の心臓も激しく鼓動を打った。だが拳を握りしめながら、彩奈を見守ることしかできない。
例え実力差があろうとも、果敢に立ち向かう他に彩奈の選択肢はない。だがその姿はあまりにも痛々しい。
「はぁ……。はぁ……。よけてんじゃ……ないわよぉぉぉっ」
赤髪ジャックの頭を狙って鉄パイプを振り下ろしたものの、またしても避けられる。その代わりにもの凄い音を立てて室外機を破壊し、武器を中にめり込ませてしまった。
──しまった!
それは中々抜けないらしく取り出すのに手間取ってしまう。その瞬間を見逃さずに赤髪のジャックは彩奈に顔を近づけた。その人体模型のような不気味な顔を。
「ふはは。さっきは貯水槽の架台に当てたんだっけぇ?マジで上手だよぉ彩奈ちゃん」
「くそっ!」
力任せに鉄パイプを引き抜き、傍にいた赤髪のジャックに向けて全力で鉄パイプを振る。しかしこれも全く当たらない。たて続けに蹴りを放ってもゾンビには軽くかわされてしまっている。稲妻のような彩奈の攻撃がかすりもしないのだ。
さすがの彩奈も驚かざるを得ない。
──まるで敵わない!なんてスピードなの。
彩奈は赤髪ジャックをはじめとするスーパーゾンビを「突然変異」と説明していたが、確かに従来のゾンビとは一線を画した存在だろう。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ。なんてゾンビなのよ……」
「もうお終いかい?じゃあ本格的にイジメちゃうとするかなぁ〜」
勝ち目がないと分かっていても、彩奈はジャックを睨み続ける。幼い顔の彩奈だけじゃ迫力が足らないだろうと、自分も塔屋の影から顔を出して奴を睨みつけた。だが耳から流れる血がまだ止まらず、己の無力さを痛感する。
──ちくしょう……。このままじゃヤバいぜ。
倒れた円筒形の貯水槽が僅かに前後に動いていることに蒼汰は気づいた。ビルがゆっくりと揺れはじめたのはその時だった。
「なんだ……?また地震か」
最初は自分の目眩を疑った蒼汰であったが、赤髪ジャックも周囲を見渡しているのでやはり地震であろうと確信する。朝に引き続きということか。
──じゃあこれは、東京タワーの時と同じか──
赤髪ジャックも動揺している。
「ま……まさか。またあの背広野郎が暴れてるんじゃないだろうな……」
すぐさま後方に跳躍して彩奈と距離を置き、高層ビル群に注意を向ける。
この屋上は見通しがよく、西新宿から沸き上がる白煙まではっきりと見えている。数秒して白煙の一部が失せると、半分になった高層ビルの一棟が姿を現した。
「こ……こんなの嘘だろ。ジョーカーって怪獣なんか?」
蒼汰にはとても信じられるものではない。ただのゾンビの一体が、地震を引き起こしビルを破壊してしまうなどありえない。赤髪ですらその力に驚愕しているのだから……。
しかし蒼汰はここで気づく。
──待てよ。じゃあスーパーゾンビ同士は仲間じゃないってことか!
ジョーカーからみて蒼汰と赤髪のジャックにはさしたる違いはなく、どちらも踏みつけて構わない蟻のような存在なのかもしれない。
地響きが続く間は赤髪のジャックから笑みが消えている。遥か遠方にいるジョーカーが気になって仕方のない様子だ。
「ちっ。あの野郎……まだ都心にいやがるのか。早くどっかに消えやがれ!」
この一瞬の隙を彩奈は見逃さなかった。
──今だ!
あっという間に距離を詰めると、赤髪の頭めがけて鉄パイプを全力で振り下ろす。
「死ねっ!」
「こ……このアマッ……」
頭部への攻撃を間一髪でかわした赤髪のジャックだったが、肩で受けてしまい、そのまま骨を砕かれ右腕を切断されてしまう。肩をつけたまま右腕は床に落下し、それ自体が生き物のように激しく動き回った。
「ぐ……ぐぁぁぁ俺の右腕がぁっ」
堪らず赤髪は後ろに跳躍して距離を置こうとするが、その動きを読んでいた彩奈も同時にジャンプ、間髪入れずに次の一撃を決める。
「しまった……」
「もう……消えてぇぇぇっ!」
剥き出しの脳に鉄パイプが突き刺さり、そのまま頭蓋骨を突き破った。
「ぐ……ぐぎゃぁあああああああ……」
冷たい血が銀色の棒を伝い、ポタポタと床に落ちて血溜まりをつくる。
それは大番狂わせを可能にする奇跡の一撃だった。興奮した彩奈は思わず片手でガッツポーズした。
──ついにやった!私が赤髪を倒したんだ!
恐るべきスーパーゾンビの脳を破壊し、危機を脱したことに彩奈は安堵する。自然と笑みが溢れた。
「はぁ……はぁ……。やったよ……蒼汰さん」
残った左手で壊れた頭を押さえながら赤髪ゾンビは激しく苦しんでいる。
「こ……こんなはずではぁ……。この俺が……こんな無様な……最期を……」
しかしそれは赤髪の演技だった。
「って嘘だよぉ〜ん。苦しそうに見えたかぁい?ゾンビだっての僕ちゃんわぁ〜」
「あっ!」
油断していた彩奈は、手首を掴まれてしまう。
「しまっ……!」
彩奈がいくら力を込めてもゾンビの手は微動だにしない。パワーの差を見せつけた赤髪ゾンビは舌なめずりする。
「彩奈ちゃんは随分強くなったねぇ〜。ウハハハハハッ」
敵の握力は、彩奈の骨をミシミシと軋ませるほどに凄まじい。痛みに耐えきれず青ざめていく彩奈は、本当に幼子のような弱々しい表情を浮かべてしまう。
「いたっ……痛い……」
痛みに耐えられず、ついには鉄パイプまでも落としてしまう。だが最後に残された気力を振り絞り、全力の蹴りで応戦する。高速旋回する下腿がゾンビの脇腹に入ったものの、敵にはまるで効いていなかった。
──そんな!
ゾンビは、絶望の色を浮かべた彩奈の表情に満足した。
「うひひ、いい顔するなぁ。なんだか俺は興奮してきたぞぉ。ようやく彩奈ちゃんを痛ぶれるんだから……な!」
お返しとばかりに膝蹴りを腹に決め、彩奈の体をくの字に折る。
「がぁ……がふっ」
砲弾のように飛んでいく彩奈の体。危うくビルから転落してしまうところだったが運良く転落防止柵に跳ね返され、床に体を打ちつける。
──息が……できない!
もう彼女は立ち上がることができなかった。うつ伏せに倒れたまま、腹部を押さえて苦しそうに咳き込む。──まるで病院のベットでもがく子供のように。
「ゲホッ……ゲホッ……」
赤髪のジャックはすぐには彩奈にトドメを刺そうとはしない。まずは落ちた右腕を拾いあげ、それを強引に肩の切断面にねじ込んだ。すると切断面は見事に接合し、指も問題なく動きはじめる。
蒼汰は敵の回復力に脱帽した。
「な……なんだそりゃ。反則だろ……」
赤髪のジャックは全てが、明らかに死者の常識を超えている。
──傷口から再生して結合したのか?ゾンビの癖に全然死んでねえぞ。
必死に目の前で起きていることを整理しようとする蒼汰だったが、考えるほどに敵の力に混乱してしまうのだ。
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