第12話 赤髪のジャック

 出入り口を塞ぐステンレス製の格子を両手で掴む。力を込めると──まるで重機を使ったように──簡単に引き剥がしてしまった。



──おお……すげぇ。



 驚く蒼汰を尻目に、彩奈は蹴りで自動ドアのガラスを叩き割っていく。一通りスペースを作ると、躊躇なく中へと足を踏み入れた。



「気をつけてね。割れたガラスで怪我しないように」


「あ……ああ」



 続いて蒼汰も足を踏み入れるが建物の中は真っ暗だ。ヘッドライトを装着していなければ、まるで様子は分からない。



──うわ……くっせぇ……。



 店内はとんでもない異臭で満たされており、堪らず鼻をつまむ。果物、肉、魚……あらゆる生鮮食品が腐っているのだろう。しかしこの激臭の発生源は別なところにあった。


 彩奈はピョンと飛んで、何かを跨いでみせる。



「足元に気をつけて。あ、そこに死体があるから踏んじゃだめよ」


「え……どこどこ……」


「蒼汰さんの足元」



 彩奈がその場所を照らすと、体全体を溶解させた死骸が静かに横たわっていた。



「ぎ……ぎぇぇぇぇぇ!」



 仰天した蒼汰は腰を抜かし、尻もちをついてしまう。



「何してんのっ。危ないよ」



 きっと店員の腐乱死体なのだろう。そのヴィジュアルは強烈で、既に多くのゾンビを見てきた蒼汰にとっても衝撃的な姿だ。



 念のために鉄パイプで腐乱死体の足をつついてみる。



──どうせゾンビなんだろ。俺は騙されないぞ……。



「って動かん……これってゾンビじゃないのか?」


「それはただの死体。損傷が激しいと、ゾンビにすらならないの。でも一応気をつけてね」


 周囲を照らせば同様のものがいくつも見える。


 ここで一体どんな悲劇が起こっていたのか、今となっては知るすべはない。封鎖された空間であることを考えると、スーパーに立て籠もった人間達の中に既に感染者が紛れていた……と考えるのが自然だろうか。



──内にも外にも逃げ場はなしか……。


 

 店に入ってわずが3分で涙が出そうになる。東京港でゾンビに襲われた時とは異なる、静かな恐怖を感じてしまう。



 若干震えている蒼汰とは対照的に、彩奈は簡単そうに腐乱死体の上を跨いでいく。蒼汰もこれに倣うが精神的にはなかなか厳しい。



──こんなもんは踏みたくない。絶対に。



 意を決して仏の上を跨いでも、その度にビチャッと何かしらの液体を踏みつける音がする。恐らくNPウイルスの混じった死体の液体が周囲にも広がっているのだろう。自然とため息が出てくる。



「なんと死体の多いスーパーなんだ」


「そうね。今日の店はちょっとハズレかもしんない」



 サブ通路を抜け、売り場の中央部に入ったところで彩奈は歩みを止めた。



「ここで二手に分かれて品物を探しましょう」


「え!?」



 本当は片時も彼女から離れたくはないのだが、それでは手伝うどころか邪魔をしてしまう。恐怖を堪えて提案に同意することにした。



「とりあえず必要なのは缶詰とレトルト食品とカップラーメン類かな。できればお米も集めないとね。そうそう、乾電池も必要だったわ。でも一番大事なのは飲料水なんで、蒼汰さんにはとにかく水だけを手に入れてきてください」


 

 一通り説明した上で、彼女は予備のペンライトを蒼汰に手渡す。



「分かったよ。任せてチョ」



 その時だった。


 

 何かが僅かに動いたような気配がした。闇の中にペンライトを向けると……髪の毛もなにもない腐りきった死体がすぐ真横に立っている。蒼汰は心臓が止まりそうになった。



「Aa亞ィィ2veii……爆iixeラァ……」


 

 死体は意味の分からない言葉を発する。──ゾンビだ。


 爛々と輝くその目は焦点が合っていない。唇は失われているので、白い歯が飛び飛びに生えているのが分かる。要するに……想像を超える不気味なゾンビがすぐ傍らにいたわけだ。全く気づいていなかったのだが。



「……え!?……なっ!?」



 漆黒の中でギロリと蒼汰を見つめる大柄の死体。──こいつ……笑ってる。と思った瞬間に、蒼汰の背中のリュックを掴み、ゾンビ特有の低く不気味な唸り声を上げはじめる。興奮しはじめたゾンビは口を開けて歯を剥き出しにした……。


 

 しかし突然の出来事に、蒼汰はまだ反応ができない!



「蒼汰さん逃げて!」



 その声で我に返った彼は、持っていた鉄パイプで思い切り死体の側頭部を殴った。会心の一撃。敵の頭はひしゃげ、目は飛び出してしまう。



──うげぇっ!これはやり過ぎたか。



 自分の行為に引いてしまった蒼汰とは対照的に、死体は笑っている。



「馬しゃgia……氏ゅA錏ぁぁ」



 ダメージなどお構いなしに死体は顔に迫ってくる。そこでペンライトを持つ左手を押し当てて、ゾンビの頭を引き離そうとした。溶解した肉体に接触したことでウイルス感染の可能性が高まってしまうのだが、手を離せばすぐに噛みつかれてしまうだろう。



「くそ!離れろ」



 だがこのゾンビの力は強烈で、目を飛び出させたままの顔をどんどん近づけてくる。



──やばい!思ったより力がありやがる!



「グしゅゅシュルシュル」



 そして眼前で、信じられないほど口を大きく開けた。



──マジか……!



 ゾンビが肩の皮膚を食いちぎろうとした、まさにその瞬間。左手にかかる強烈な圧力は消え失せ、代わりにゾンビの悲鳴が闇に響きわたった。



「ギャヴェェッ!」



 彩奈の拳が死体の側頭部を砕き、そのまま頭部を引きちぎってしまっていたのである。ゾンビの頭は彩奈の拳にめり込んでおり、蠢く胴体だけが闇の中にとり残されている。



「はぁ……はぁ……。助かった……」



 構えたままの彩奈は、まるで頭蓋骨というグローブをつけたボクサーのようだ。しかしこのグローブはまだ活動を停止しておらず、彩奈の方を見ようと目を動かしている。



「鳥ゥゴ……。グシュル……」


「見ないでこっちを。キモいから」



 その冷酷な言葉がゾンビへの手向けとなる。


 コンクリート製の柱を殴ると、壁面を血だらけにしてゾンビの頭部は完全にバラバラになった。だがそれでも彩奈は攻撃の手を緩めようとしない。足元に落ちた目玉や脳を踏みつけて徹底的に潰し、残っていた胴体までも八つ裂きにしてしまった。


 そうでもしない限り、ゾンビは活動を停止することはないのだ。



──うおお……容赦ねえ……。



 今の彩奈は阿修羅のようだ。今朝、抱きついてきた彩奈とはまるで違っている。しかし振り返ると、眉を八の字にさせて蒼汰の傍に駆けつける。



「大丈夫なの蒼汰さん!?傷は?どこも傷はできてない?」


「ああ、たぶん大丈夫」


「バカッ!たぶん大丈夫じゃないわよ。急いで洗ってきて!」



 ここまで腐乱しきっているゾンビは他のゾンビに比べて感染させる力が強いのである。彼女は経験的にそれを知っており、蒼汰が感染してしまうことを恐れているのだ。



 蒼汰自身は不安に思っていなかったのだが、ミネラルウォーターで洗浄することを勧められ、やむを得ず一人で外に出ることとなる。


 リュックからペットボトルを取り出し手を洗う。それからタオルで念入りに拭きとった。幸い傷はできていなかった。これならば昨日ゾンビの血肉を浴びた時よりも感染する可能性は薄い……と解釈することにした。



──まあ感染はしないと思うが、普通に汚いしね……。



 上空からギラギラと照りつける太陽のせいで汗が止まらない。せかっくなので使用しなかったペットボトルの水を飲むと、少し生き返る。



「はぁ……外も暑いな」



 木陰のベンチに腰を下ろすとため息が出てくる。たった一匹のゾンビすら手に負えず、大方の予想通りの結果──ただの足手まとい──となってしまったことに凹んでいる。



 落ち込むがままに道路を眺めていると、ガソリンを積載したタンクローリーが一台、放置された車両に混じっていた。



──こんな暑い日に大丈夫かよ。爆発しないだろうな……。



 廃墟の中で一人きりでいると、ロクなことを考えないものだ。何を見ていても不安になってくる。そもそも路地から不意にゾンビ達が出てこないとも限らない。



「早く出てこないかな彩奈……」



 既に1時間は経過しているように感じられたが、腕時計を見ればまだ15分も経っていなかった。ここで待っている時間はとても長く感じられた。



「蒼汰さん!」



 ガラスの破片を踏みつける音が聞こえてきた。ようやく現れた彩奈は、まるで登山家のように膨れ上がったリュックサックを背負っている。



「無事に終わったわよ。これで1週間分ぐらいの食料にはなるからね」




 15分ぶりに彼女の声を聞いただけで、蒼汰は嬉しくなった。落ち込んでいた気持ちもどこへやら……。



「何か持とうか?」


「いいよ。別に重くないし」


「でも……俺が何しにきたか分かんねえし……」



 しばらく考えてから、彩奈は胸のポケットから4本パックの単3電池を取り出した。



「じゃあこれ持ってて。ポケットに入れてると結構邪魔なの」



 蒼汰はガクッと項垂れる。命の危険を乗り越えて運ぶのが単3電池だけとは悲しすぎる。



──トホホ……。



 自分は一体何をしに死地に足を踏み入れたのだろうか?そう思った時……。


 



 ドシュンッ


 ドシュンッ



 妙な音が廃墟と化した街中に響きはじめる。何かが跳ねてるような音。それはどんどん2人に接近していた。



 うなだれていた顔を上げると、鳥よりもずっと大きな物体がビルとビルの間を行き来しているのが目に入る。──ラジコンだろうか。



「なんだありゃ……」



 その物体は次第に近づいてくる。人の形をしているようで、ビル壁を蹴ってスパイダーマンのように飛んで、また別のビルの壁を蹴って進む。1回の蹴りで100メートルは飛んでいただろう。嫌な予感はするが、深く考えたくはない。



「彩奈。アイツは一体なんなの」



 呑気に「それ」を指をさし尋ねると、彼女の顔は青ざめていく。



「なっ……。蒼汰さん、隠れて!死にたくなければ今すぐに」




 理由は分からないが、ただならぬ事態が発生しているらしい。



「な……何?どうしたの急に!?」



 彩奈は蒼汰の手を引いて今出たばかりの店舗の中に避難しようとするが手遅れだった。それはあっという間に2人の前に着地してしまい、隠れる時間など与えない。



──速い!



 彩奈はそのスピードに驚愕する。神速でゾンビを蹴散らす彼女をしても「それ」の動きには脱帽する他なかったのだ。



「いよぉ〜彩奈ちゃん。まだこんな場所をウロウロしてたのかぁ。そんなに良い匂いさせてたら駄目じゃないのぉ。俺に見つかっちゃうだろ?」




 突然に現れた「それ」は生存者なのかと疑うほどに流暢に彩奈に語りかけている。


 しかし生存者でないことは一目瞭然。何しろ人体模型のように頭蓋骨の右半分が切断されて、剥き出しの脳が見えているのでゾンビに間違いない。背はさほど大きくないが、肩幅は広く体格はガッチリしていた。燃えるように赤い髪の毛が逆だっているのが印象的な死人だった。年齢で言うならば歳は30といったところだろう。



 急なことに蒼汰の理解が追いつかない。だがその凶悪な容姿のゾンビを前にして、自然、警戒心は高まる。


 

──コイツもゾンビか!しかし人相の悪い野郎だな。チンピラ臭が半端ねぇぞ。




 すぐに蒼汰は鉄パイプを持って構える。


 だが突然、彩奈は蒼汰のリュックを掴んで路地に押し込んだ。彼はバランスを崩して尻もちをつく。



「痛っ。なにすんだよ彩奈」


「貴方はそこに隠れてて。後は隙を見つけて逃げるの!」


「どうしたんだよ急に!一人で帰れって、そりゃ無茶だぞ」



 彼女は蒼汰の手から鉄パイプを取ると、悲壮な表情で赤髪のゾンビと向かい合った。



「昨晩言ったでしょ。あいつがスーパーゾンビなの。恐るべき身体能力を持ち、高い知能を有するゾンビ。奴は赤髪のジャック……」



 彼は自分たちの運の悪さを理解した。


 

──この人体模型ヅラがそいつなのか!いきなり出会っちまうとは……。



 赤髪のゾンビは腕を組み、まるで生きている人間のように嘲笑する。



「フハハハ!赤髪のジャックだと?そういえば前も言ってたなお前。勝手に人に名前をつけないでくれるか?」




 彩奈が負けるはずがないと蒼汰は思い込んでいる。用心深い性格だから大袈裟に言っているのだろう……と。だが心には一抹の不安が残っている。



「さあて。久々に生身の人間が食えるぞ……。さすがにゾンビを食うのに飽きてきたからなぁ」



 赤髪のジャックはジリジリと彩奈との距離を詰めていく。

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