第10話 地震

 元はホテルだけあって、建物の中は綺麗な作りになっている。しかし電気はどこも通っておらず明かりはついていない。お陰で廊下に敷かれているモダンな絨毯の柄もよく見えないし、場所によっては昼間でも真っ暗なままだ。静まり返っているので、1人で歩くには勇気が必要な場所だった。



──確かにこりゃ怖いわ。



 あの子達が真夏でも屋上を好む理由が少し分かった気がした。



 客室には鍵のかかっている部屋と、鍵のかかっていない部屋がある。安全な部屋は開けられるが、感染の危険性のある部屋には鍵がかっており開かないようになっている。



──お、この部屋は開く。



 蒼汰は客室の一つに入ってみた。長らく換気をしていなかったようで、なんとも言えない臭いがする。数カ月手入れがされていないベッドが置いてあるが、ここで横にはなりたくはない。



 とりあえず彼はカーテンを開いて部屋に光を入れ、窓を開けた。幹線道路を挟んで立ち並ぶビルが見える。外から心地よい風が入ってきて蒼汰の体をすり抜けていった。



──いい天気だ。今日も暑いんだろうな。


 

 しばし景色を眺めて後で、蒼汰は窓とカーテンを閉める。客室は再び暗闇に包まれ、元の陰気な空間に戻った。──どの部屋でも必ずカーテンは閉めて──と彩奈に言われていたのだ。夜になって部屋の中から光が漏れていると危険らしい。



 部屋を出て、息詰まるような薄暗い廊下を進んでいくと、突き当りのエレベーターホールに出た。通電していないのでエレベーターも停止している。他の階に移動するには傍の階段を降りていくしかないのだが、それも途中で行き止まりになっており、8階から下には進めない。何しろ階段が崩壊している。


 

「うおっ。やっぱり行き止まりか」



 ゾンビ達を上階に侵入させないための措置であろう。



「ヴ……ヴ……」



 下のフロアからは野獣の咆哮のような、それでいて苦しそうな死者達のうめき声が聞こえてくる。闇に包まれたフロアの中を、ゾンビ達が彷徨っているようだ。



「危なっ!」


 

 蒼汰は慌てて階段を駆け上がっていく。


 どうやら人間の生きていける空間は、このホテルの8階より上階だけらしい。



 塔屋の扉を開けて屋上に戻ると、空には少し雲がかかっている。しかし雲は真夏の直射日光を和らげてくれるのでありがたい。



「もう朝ご飯の時間よ。早く座って」



 マゼンタ色のエプロンをつけた彩奈が笑顔で蒼汰を呼んだ。これから朝食の時間だという。



 屋上には6人掛けの大きなダイニングテーブルが置かれていて、4人は既に席についている。彩奈は携帯ガスコンロを使って、お湯を沸かし、朝食を作ってくれていたのである。



「どうぞ蒼汰さん。今朝はパンとスープしかないけど。その缶詰を開けてみてください」


「ああ……悪いね」



 テーブルの上にはカラフルな柄の缶詰が置かれていた。これは長期保存ができる災害備蓄用のパンの缶詰で、中に円筒形のパンが入っている。さらに彩奈は瓶から錠剤を取り出し、一つずつ皆に配る。



「それからこれも飲んでおいてね」


「なにこの錠剤?」



 お下げ髪のチビちゃんが叫ぶ。



「ビタミンC!これすっぱいの」



 子供の愛加はこの錠剤がちょっと苦手らしく、隣の春香に錠剤を自分の錠剤を渡そうとする。しかし彩奈は愛加の頭を撫でながら、錠剤を飲むよう促した。

 


「駄目よ愛加。ちゃんと飲むの。新鮮な野菜が手に入らないんだから」



 しぶしぶ口に錠剤を入れた愛加は酸っぱい顔をする。それを見て彩奈は微笑んだ。



「よしよし。いい子いい子」



 大航海時代の船員達は野菜不足で壊血病になったという。新鮮な野菜が手に入らないのは今の彼らも同じ。そこで念の為に、錠剤で補うようだ。テーブルの上にはミネラルウォーターの入ったペットボトルも置いてある。



「いやほんと。色々と悪いですね……」



 蒼汰は目一杯申し訳なさそうにしてるにも関わらず、斜め向かいに座っていた眼鏡女子がパンを齧りながらボソッと毒づいた。



「ヒモってこういう感じなのかしら」



 一瞬目元をピクッとさせたものの蒼汰は聞き流した。今は何よりも食事が優先である。メガネと争っている場合ではない。ペットボトルの水を飲むと生き返る。


 一口パンを頬張れば、味のついていない食パンなのに、お腹に染み渡る。


 

 考えてみれば、昨日の朝に船を降りてから食べ物は何も口にしていなかった。美味くて涙が出そうになる。



 対面に座っていた彩奈はパンを頬張りながら、蒼汰の経歴について尋ねてきた。



「蒼汰さんの話をもっと聞かせてくださいな。昨日は聞きそびれちゃったし……」


「え?俺の話?」


「父島で何をしてたの?3月に高校は卒業したんだよね」



 ──誇りある無職生活を送っていた──と言っても彼女たちには理解してもらえないだろう。しばし返事を躊躇った。



──そこかぁ……。世界が崩壊しても、この質問は来るのかぁ……。



 触れられたくない質問を突きつけられ、蒼汰はなるべく遠くの空を見ながら返事をすることにした。



「えっとだね……。無職とフリーターの狭間というか……」


「え?」



 彩奈の顔が固まる。微妙な立場だったのに、さらに女子達の蒼汰を見る目が変わってきた……ような気がした。


 

──頼むからこの話は回避できんかな?なんだったらこの屋上にゾンビが乱入してきてもいいから。

 


 良からぬ解決法を妄想してみても、問題は全く解決されない。



「いや……その……。浪人生的なですね……」


「浪人生……的な?的なってどういうこと?」



 苦しい釈明を続けていると、本当に異変が起きた。


 大地が揺れているのだ。地震のようだ。他のビルの屋上で羽を休めていた数百羽という鳥たちがいっせいに空へと逃げ出しはじめる。


 子ども達の顔が青ざめていることに気づいた蒼汰。内心ではかなり動揺していたものの、皆の不安を増大させまいと冷静を装う。



「噂には聞いてたけど、都心は本当に地震が多いんだな〜」



 彩奈はテーブルの上に置いてあった双眼鏡を掴むと、大ジャンプ。10メートルは離れていた転落防止柵の前に、彼女はヒラリと着地する。



「うわっ!」 



 突然のことに、蒼汰は驚いて後ろにひっくり返りそうになった。



──なんだ!?いったいなんだってんだ。



 彩奈を追いかけたが、その間も地響は続く。確かにこんな地震は少しおかしい。彼女が双眼鏡を向けてる先をみれば……東京タワーが見える。



「何?何?何が起きてるのか教えてくれ」


「後で!集中できない」



 仕方がないので、裸眼で見つめていると東京タワーが少し傾いていることに気づく。地響きが発生する度にその傾きが大きくなっていく。信じられない出来事に理解が追いつかない。



「な……なんで東京タワーが倒れるんだ?もしかして生き残ってる人たちがやっているのか?」



 双眼鏡を目から離した彩奈は、首を横に振る。



「たぶん……あれはゾンビの仕業。でもあれほどの事ができるとしたらスーパーゾンビだけ……。それもジョーカーだと思う」



 そんなバカなと疑わずにはいられない。しかし彩奈は本気でそう考えている様子だった。



──ジョーカー!そいつは確か彩奈を襲ったゾンビだったな。



 蒼汰の額に汗が滲んだ。本当にそんなことを成し得るゾンビが存在するなら、どうしようもない。このホテルがジョーカーに見つからないことを祈る他ないだろう。



 頼りにしている彩奈ですら、顔が青ざめている。

 


「まさか、この近くにアイツがいるなんて……」



 そう呟くと、いきなり蒼汰に抱きつき胸に顔を埋めた。



「なっ……!ど……どうした彩奈」


「蒼汰さん……ずっと私の傍にいて……。お願い!私1人じゃダメなの……」

 


 表情は見えないが、体の震えは伝わってきた。



──彩奈がこんなに怯えるなんてな。


 

 蒼汰は自嘲的に笑みを浮かべた。

 

 

──足の折れた椅子よりも頼りにならない男にすがるなんて、よっぽどだぞ……。




 顔も知らないゾンビだが、ジョーカーという男に無性に腹が立ってくる。ゾンビがいるであろう方角を睨みつけ、拳を握りしめた。

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