第9話 朝

 世間では4月から7月までにかけて発生した人類の大量死滅を『大崩壊』と呼んでいた。彩奈の身に降りかかった悲劇はその序盤の段階で発生している。


 その頃、都心部では大混乱となっていた。しかし警察機構の尽力により、6日後に混乱は沈静化する。──と言っても一時的なものであるが──お陰で東京のインフラは5月の末まではかろうじて機能することになるのだ。だが結局ウイルスの拡散は止まらず人間の9割9分以上が死滅してしまう。そして今に至るまで人類社会は崩壊を続けており、都心に至っては彩奈たち4人以外の生存者の存在は確認できていない。



○○○


 ジョーカーに襲われた経緯について彩奈がそれ以上語ることはなかった。



「それで医者に行ったのか?」



 蒼汰の問いかけに、肩の傷をさすりながら首を横に振る。



「記憶が曖昧になっているけど、私は無我夢中でゾンビ達から逃げていたと思う……。もう街はパニックになってたから医者にもかかれなかったの」


 

 怪我を負った彼女は大混乱の街の中を彷徨った。しかしどの施設もゾンビと感染者を恐れて扉を閉ざしていたのだ。今いるこの建物は既に放棄されて施錠されており、正面からでは入れなかったという。



「だから避難階段を上って、この屋上にたどり着いたの。それから高熱で1週間は苦しんでたんだ。でも結局、私は死ななかった。ゾンビにもならなかった。結局、治っちゃったのよ」


「不思議な話だ……。初めて聞いた」


「体が治った後で、何故か私の体の身体能力は凄く高くなってて……。それからはゾンビに何度噛まれても、平気な体になってたよ。なんかインフルエンザみたいな感じだね」



 恐怖のウイルスをものともせずに死者達を駆逐する怪人の正体は、感染しながらも病を克服してしまった少女だった。蒼汰はようやく合点がいった。



──確かに……。これが彩奈の強さの秘密だったのか。



「君のような人は他にもいるのか?」


「さあ……。私以外にゾンビに噛まれて生き残った人を見たことがないし……」



 彩奈は少し寂しそうな、稚げな表情を浮かべる。色々と辛い話をさせてしまったようだ。蒼汰はこれ以上の質問は控えることにした。



「スーパーゾンビか……。ゾンビを食うだけならありがたい奴らなんだけどな。人も襲うのなら厄介だなあ」

 


 実のところ彩奈の話だけでは因果関係はハッキリしないだろう。


 しかしスーパーゾンビを通して感染して免疫を獲得したことが、常識を超えた強さを得た理由だと彩奈は考えている。ゾンビではなく、ジョーカーという個体でもなく、あくまでスーパーゾンビ。


 ゾンビ感染症の致死率は100%だが、スーパーゾンビを経由した場合は100%ではないのだろうか?

 

 だがその問いには彩奈は釘を刺す。自分以外にスーパーゾンビから感染した人間は、1人残らず死んでしまったと。今のところ彩奈だけに起こった特別な現象としか言えなかった。


 そして例え生き残っても彼女のような身体能力を得られるという保証は何もない。



「まだまだ話をしたいことがあるけど、今日は疲れちゃった……」



 彩奈は欠伸する口を手で隠す。そのまま椅子から起き上がると簡易テントを張りはじめた。



「もう寝ましょう。みんな、もう就寝の時間よ」


「え。もう寝ちゃうの?」



 蒼汰は腕時計をみるが時刻はまだ午後8時だ。



「暗くなってしまうと何もできる事はないから」



 彩奈はランタンの火力調節ノブを捻り、明かりを弱めていく。



「これも今だけの特別に使ってるの。あまり長時間使っていると、スーパーゾンビ達に私達の居場所がバレちゃうし」


「そ……それは早く消した方がいいなっ」



 4人は、2人ずつ大型のテントに入っていく。蒼汰には奇異な行動にも思えた。



「みんなテントで寝るの?せっかくの建物なんだし、部屋で寝たほうが良くないか。突風がきたり雷雨になったらヤバイぜ……」



 すると突然にテントの入った袋が蒼汰に向けて投げつけられる。蒼汰は驚きながら袋をキャッチした。袋を投げつけた犯人は眼鏡の澪だった。



「下は真っ暗なの!暑いし。晴れてる時はここで寝たほうがマシ」


「はいはい……」



 初日から諍うのは良くないだろうと、反論せず素直に従うことにする。だが袋からテントを取り出しながら、不満気に首を捻った。



──なんだ眼鏡の奴!怒るほどのこと言ったか俺は!?



 (このビルはもともとホテルであり、いくつかの部屋には感染者が宿泊していた形跡が残っている。ゾンビそのものは彩奈が排除したものの、用心のために部屋の使用は最小限に留めているのが本当のところだ。)


 彼女達は予備のテントとマット等を蒼汰に貸してくれたのだが下はコンクリートなのでペグを刺すわけにはいかない。強風でも簡易テントが飛ばないように、重いブロックをつける。



「それじゃあ皆、おやすみなさい」



 彩奈が外のランタンの灯りを消すと、テントの中まで真っ暗になってしまった。


 闇の中で蒼汰はあれこれ考え込む。消えてしまった岩井の行方、父島の家族のこと、これからの自分。考えても考えても不安はつきない。だが気づけば寝てしまっていた。あまりに疲れすぎていたのだ。



 

 そして長かった夜がようやく明けた。




 テントのチャックを開ければ、青空が目に入る。今日も好天のようだ。


 しかしやはりここはビルの屋上であった。蒼汰は改めて自分がゾンビが彷徨く世界に取り残されていることを実感する。

 


 隣のテントのファスナーが開くと、白いパジャマ着の彩奈が四つん這いで身を乗り出す。驚いたことにクマのぬいぐるみを抱えている。



「ふぁ〜ぁ。蒼汰さん、おはよう。昨日はよく眠れた?」


「おかげさんで。ぐっすり寝れたよ」



 彼女は目をこすりながらニコッと笑った。



「私もそう。あんなに安心して寝れたのは……いつ以来かな」



 その笑顔はあどけない子供のようだった。


 しかし蒼汰は重要な……とても重要な質問を彼女にしなければならない。困ったことに事態は深刻で、非常に切迫していた。



「あの……ところで彩奈さん」


「彩奈でいいよ」



──え。そんな。急に呼び捨てだなんて。



 ……などと考えてる余裕は今の彼にはない。



「じゃ……じゃあ彩奈」


「うん」


「トイレって、俺どうしたらいいの?」



○○○



──間に合って良かった。もう少しでビルの屋上から外に向かってやるところだった。



 彼女たちは最上階のトイレだけは使用可能な状態にしてくれていたのである。ただ女子トレイで事を済ませなければならないのが蒼汰には複雑だった。



 トイレを出た彼は、ほぼほぼ真っ暗な廊下に出る。ここで彩奈から受けた忠告を思い出す。


──念のために部屋のドアを開けないこと。そして8階から下にはいかないこと──



 蒼汰は……なんとなく興味本位で廊下を進むことにした。

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