第5話 鬼神

 絶体絶命の蒼汰の前に忽然と現れた謎の乱入者。女のセミロングの黒髪と、少し短めな制服のスカートが風に靡いている。その姿は女子高生にしか見えない。だがその身のこなしは只者ではなかった。



「ねえ早く答えて!貴方はあの船に乗ってここに来たんでしょ?そうよね!?」



 沈みゆく貨客船を指差しながら興奮気味に尋ねてくるが、この状況下では蒼汰は唖然とするしかない。



「き……君は……」



 少女は祈るように両手の指を組むと、輝くような笑顔を浮かべ、夜空に向かって歓喜した。



「きっと海の向こうには生きてる人が大勢いるんだ。私はそう信じてたの!ずっとね」



 だが生命の危機はまるで去ってはいない。新手のゾンビが屋根に上がってくる。



「グオオッ!ロヴェヴォッジャッ!」



 今度の屍は下顎から上を失っており、直視するのも悍ましい。かなりの体格の持ち主であり、隙きを突いて少女を背後から襲った。



「で……でかいぞ……!」


「え!?」



 気づいて振り返った時には手遅れだった。巨躯のゾンビは後ろから抱きつき、少女の白い腕に腐った爪を容赦なく食い込ませる。幼そうな顔が苦痛に歪んだ。



「い……痛っ!」



 蒼汰はこれから起きる惨劇を想像し、目を背けた。



「グシュルシュル……」


「やあぁっ!舌だけ動いてる。ちょっと……気持ちわるすぎる」



 首を振ってゾンビから逃れようとしているが上手くいかない。このまま蒼汰が傍観していれば彼女の腕の肉はゾンビの爪で裂かれてしまうだろう。それは分かっていた。



「う……うわぁぁぁ!」



 しかし恐怖のあまり後退りしてしまっていた。だが蒼汰の助けなど最初から必要なかったのだ。

 

  

「えいっ!」



 少女はコンテナの屋根を蹴ると、抱きついているゾンビごと舞い上がる。5メートルの高さまで上昇し、そのパワーに蒼汰は絶句する。現実とは思えないムーブだ。



──人間が……あんな高さまで舞い上がっているなんて!?



  少女が高速で月面宙返りすると、ゾンビは力及ばず空中で振りほどかれてしまった。そのまま落下し、コンテナの屋根に激しく巨体を打ちつける。


 間を置かずに回転しながらゾンビの腹の上に着地した少女。衝撃で屋根は砕け、両者はコンテナの内部に落下していく。大事故のような光景を目の当たりにして、蒼汰の体は恐怖で動かない。



 両者がコンテナの床に激突した際に──巨大なエアドロップハンマーで鋼材を打ちつけるような──轟音がした。



「う……嘘だろ……」



 恐る恐る下を覗くと、真っ二つに裂けたゾンビが倒れている。起き上がろうともしなかったのだが、用心深い少女はゾンビの手足を踏みつけた。するとまるで斧で断ち切られたように、ゾンビの四肢は切断されていく。


 腐った手足はもがくように蠢いているが、それをさらに踏みつけて肉片にしていく。



「す……すごすぎる。一体何がどうなってんだ」



 少女の蹴りの破壊力に、蒼汰は脱帽した。



 再びジャンプし、屋根に飛び出した少女。クルクルと回転すると蒼汰の前に着地する。そして自分が空けた穴を覗き込むと、砕け散ったゾンビの欠片に念仏を唱えた。



「南無阿弥陀仏……。もうすぐ成仏できるからね」



 鬼神のような暴れっぷりに反して、どこか優しさを感じる。



「き……君は……何者だ」


 

 屍達には動くものに、より反応してしまう習性があるらしい。ゾンビの大集団は蒼汰に全く関心を示さなくなり、少女にばかり押し寄せるようになった。


 5体のゾンビがコンテナの上に現れ、三方から少女を襲う。しかし彼女が目をカッと見開くやいなや、一瞬で全てを蹴り飛ばしてしまった。5体とも15メートルは吹っ飛んでいる。


 蒼汰には速すぎて何が起きてるのかよく理解できない。



──こ……こんなのは人間の動きじゃないぞ!



 肩にかかるセミロングの黒髪を右手で払う。



「ダメ。ここじゃちょっと戦いにくいわ」



 コンテナの屋根を蹴って、地上のゾンビの群れの中に自ら飛び込んだ。蒼汰には自殺行為にしか見えなかった。


 だが着地の際に、膝で2体のゾンビの頭部を破壊したのを皮切りに、まるで豆腐を殴りつけるようにゾンビ達を次々に粉砕していく。



──馬鹿な!新黒死病が怖くないのか!?



 ゾンビ達の返り血や肉片が彼女の体に付着していくが、彼女は一向に気にしていない。それらには多量の致死性ウイルスがついているはずなのに。


  蒼汰には……もはや少女の方が化物のように見えた。



──あのゾンビ達を素手で倒してる……まるで亡者を駆逐する地獄の鬼だぞ。



 何十体というゾンビ達が襲いかかっても、少女の体に触れることすら敵わない。次々に岸壁から海に落とされて、海の藻屑と消えていく。だが外部からそれ以上の数が流入しているため、ゾンビの数は減ることがなかった。



  一方徐々に動きが鈍っていく少女。いくらなんでも敵の数が多いのだ。


 

 すると彼女は一度屈伸して、大きくジャンプ。10メートルの高さまで舞い上がりゾンビの大集団の中から抜け出した。そして髪とスカートを靡かせながら再び蒼汰の真横にヒラリと着地する。



 さすがの少女も息を切らしていた。その体からはゾンビの匂いがする。



「ペッ。気持ち悪いっ!口にまでゾンビの血が入っちゃった……最悪だわ!もうっ」


「だ……大丈夫か?」


「はぁ。はぁ……。もしかして私の心配してる?大丈夫よ。でもこれじゃあ終わりがないわね。逃げるから貴方も一緒に来て」



 そう言うと蒼汰の腕を掴んで、力技で彼を抱きかかえる。



「え!?」



 蒼汰は無理から「お姫様抱っこ」されてしまったわけだ。彼女の手にはベットリとゾンビの肉塊が付着してるので、もちろん蒼汰の服にもそれが付着する。



「うわわ。やめろっ!ちょっと。俺が感染しちまうよ。アンタ一体なんなん……」


「黙って!洗えば大丈夫だから」



 蒼汰の慌てふためきようなど無視して、コンテナの屋根から勢いよく飛び出す。そのまま跳ねるように凄まじい速度で走り出してしまった。


 あっという間に東京港フェリーターミナル駐車場を抜けると、地面を蹴って飛び上がり、企業の倉庫の屋根の上に軽々と着地する。そのまま地上のゾンビ達を無視して倉庫から倉庫へと飛び移っていく。ここにも数体のゾンビが彷徨っているのだが、軽く蹴散らしてしまう。



──これは現実なのか!?全くもって信じられん。



 だが少女が着地するたびに強力なGが蒼汰の体にかかる。



「つぁあああっ、首がっ……」


「ごめん、痛かった?降ろしてあげたいけど、止まるとゾンビの群れに捕まるわ。諦めて」



 彼女は蒼汰を一度も下ろすことなく、あっという間に有明埠頭橋を超えていく。そして暗闇に包まれた東京の街の中へ消えていった。

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