第4話 全滅

 この埠頭は『10号地その2』と呼ばれている埋立地である。縦1.5キロ、横400メートルほどの小さな島で、地図でみるとほぼ長方形をしている。小笠原からの貨客船は、埠頭の南バースと呼ばれる岸壁に停泊していた。


──負傷したが、どうにか動けるな。

 

 膝をさすって感触を確かめた後、蒼汰は南バースを目指して歩きはじめる。幸い道路にはあまりゾンビ達はいない。しかし既に日没の時間は過ぎているので急ぐ必要があった。


 エリアを南北に貫く道路の両側には、巨大な倉庫会社の建屋が並んでいて、敷地内を彷徨くゾンビの姿がちらほらと確認できる。だが気づかれることはなかった。



「ちっ。金属バット持ってくるの忘れちまった……」



 事故で動転していた彼は、素手で危険地帯に入ってしまっている。しかし今更、拾いに戻るのはさらに危険だ。貨客船が係留されてる岸壁は近いのだから、このまま進むことに決めた。



 しかし埠頭内は思いの外、暗い。


 西の空には黄昏の明るさが残っているものの、建物の影などは既に闇と化している。日没後の東京は父島以上に暗かった。


──しまった……。こっちは電力が完全に絶えてたんだ。


 暗闇の中、食人鬼が彷徨く埠頭を進むのは自殺行為である。ついに彼は走り出した。先程の事故で足を少し痛めているのだが、恐怖が勝る。


──船までもうすぐだ!いける!


 ターミナルまであと少し……。だがその時、銃声が響いた。それも1発ではなく、何発も。ターミナル駅のさらに向こう、貨客船の搭乗口あたりから聞こえてくる。


──あの人達、ゾンビと交戦しているのか!


 理由は不明だが、おそらくバンカー船の確保に向かったはずの別働隊が、ゾンビ達と戦闘を繰り広げているのだろう。急いで駐車場に入るが、慌てて車の陰に隠れた。蒼汰の顔が青ざめる。



「そ……そんな……」



 薄暗い中、恐ろしい数の死人達が蠢いていたのだ。この群れは、貨客船の停泊している南バージに向かって移動している。



──さっきは全然いなかったのに!



 100匹か、いや200匹いるのか、それ以上か。駐車場にいる連中だけでも多すぎて数が掴めない。ましてや既に岸壁に回ってしまったゾンビを含めると如何ほどの数になるの、想像するだけでゾッとする。



 つまり別働隊の7人は膨大な数のゾンビと戦っていることになる。



──戦ってる場合じゃねえよ!早く船に戻れ。こんなのキリがねぇぞ!



 蒼汰はゾンビ達に気づかれないよう、物陰に隠れながら岸壁側に回り込む。貨客船の灯りが見えてきたが、地上はゾンビが多すぎてこれ以上は近づけない。そこで近くのコンテナの屋根によじ登る。


──どうなってんだよ!別働隊は搭乗口まで戻れないのか。


 岸壁を埋め尽くすゾンビ達と、貨客船までたどり着くことなく手前で横転してしまったトラックが目に入る。



 ゾンビの大集団に包囲され、船にも戻れなくなった7人。彼らは果敢に発砲して反撃しており、貨客船からも乗船員達による援護射撃が行われていた。


 だがゾンビの大群を前にしては銃など無力だった。


 隊員達の怒声がかすかに聞こえてる。


「ちくしょぉぉぉぉぉぉぉっ!もっと援護してくれぇぇ」

「もう弾がないぞ、誰か弾を……弾をくれ。殺されちまう」

「なんで頭を潰したのに動いてるんじゃ、この化物どもは!」

「小山さんは何やってんだよ!やっぱり見捨てるしかなかったんだよ」



 7人の陣形は徐々に崩れていき、押し寄せるゾンビ達の群れに飲まれていく。戦いは混迷を深め、各々の状態を見分けることができなくなってしまう。だが人間の断末魔の声だけはハッキリと聞こえた。



「ぐぎゃぁぁぁぁっ!化物が嫌だぁぁ助けえぇてぇぇ!」

「おい春日ぁぁ!うわぁっ、離して……」

「ひぃぃぃぃっ、地獄じゃあ」



 蒼汰は、愕然としそのままコンテナの屋根の上にヘタりこんでしまった。



「これでは……とても勝ち目がない……」



 突然、銃声がしなくなった。彼らの弾が切れたのか、全員殺されてしまったのか。



 貨客船をみれば、デッキの上で乗船員達が右往左往している。船側の係留ロープを外して出港するつもりのようだ。だが……既にタラップから大勢のゾンビ達が侵入しはじめている。(簡易タラップを船側に引っ込めたままにしておけば良かったのだが、それは別働隊を見捨てるのに等しかった)



 蒼汰の体は震える。



「マジかよ……全滅したのか」



 ここに至って貨客船側は堪らず、決死隊を見捨てる決断を下した。だが岸壁を離れたものの、進むべき方向もなく東京湾を漂いはじめる。──戻ってくれ!俺はここにいる──と蒼汰は叫びたかった。しかしゾンビ達に気づかれぬようコンテナの上で息を殺し、去りゆく船を見つめることしかできない。


──俺はどうしたらいいんだ。


 しばらくすると貨客船は炎上しはじめる。ゾンビと感染者を島に持ち込むことになることを恐れた船長か誰かが火を放ったものと思われる。蒼汰は思わずコンテナの屋根を叩いた。



「なんてこった!船が……」



 爆発炎上していく貨客船の炎は東京湾を明るく照らす……。まるで灯台のように。


 そして蒼汰はただ1人、取り残されてしまった。


○○○


 貨客船があったからこそ、危険地帯を超えてここまで来たのだ。


──でももう船は無くなっちまった。どうすればいいんだ……!


 帰る場所を失った以上、もはや地上に降りることも叶わず、息を殺して隠れるしかない。どこにも逃げ場はないのだ。別働隊を食い殺したゾンビ達の群れはまだ岸壁を彷徨いているし、岸壁に向かってくるゾンビ達の数も減らない。


 燃え盛る貨客船の炎に照らされる死人達の姿はどれもゾッするほど悍ましい。少しでも物音を立てれば、この腐った野獣達は蒼汰に襲い掛かってくるだろう。



 だが希望はまだ残っている。東京港に着いた頃は、ゾンビの数は少なかった。朝まで辛抱すれば死人達はいなくなっているかもしれない。しかし朝になるまであと8時間はある。


──朝まで。朝まで乗り切るんだ。後のことは後で考えろ。


 蒼汰は覚悟を決めたが、それはゾンビの嗅覚を甘く見た願望に過ぎない。


──まさか!

 

 コンテナの壁をガリガリとひっかく音がしたので、腹ばいのまま地上の様子を伺うと、何百という数のゾンビが一斉にこちらを見ている。既にコンテナは死人達に囲まれていたのだ。



──うわぁっ!気づかれちまってる!


 

 とは言えコンテナの高さは2メートル以上あるので、普通ならばゾンビには登ってこられない安全地帯のはずである。



「ヴェヴェラァッ!」


 しかし今は数が違う。倒れたゾンビを踏みつけて、別のゾンビがコンテナに押し寄せてくる。そのゾンビを乗り越えて新手のゾンビが屋根に迫る。そうこうする内に、コンテナの屋根に腕をかけるゾンビが現れてしまう。



「う……うわぁぁぁ」



 蒼汰は無我夢中で屋根の上を走り、その腐った腕を蹴りとばした。


「離れろ!」


「ニィィバャァァァッ!」



 闇の中でゾンビが叫んで後ろに倒れていく。だがもぐら叩きのように、四方からドンドン腕が伸びてくる。



「やめろ!来るなぁぁ!」



 何度もゾンビの腕や顔を蹴った。時に足首を掴まれ、地上に引きずり降ろされそうになる。すぐさまそのゾンビの顔を蹴ると、顎が取れて落ちていく。慌ててコンテナの中央部に戻る。



 だがコンテナの屋根に上がってしまうゾンビが現れる。その個体はどういうわけか、顔が上下逆さまになっていた。首が折れているらしい。その上、無意味な言葉を繰り返しているので想像を絶するほどに気味が悪い。



「コーチィの……来て、殴りキミが病原……緯度の3%にぁガリィごぇぇヴァッ」


「ひぃっ……」


 

 恐怖で後ずさりする。すると横から伸びてきたゾンビに足首を掴まれ、蒼汰は引きずり倒されてしまった。このままではゾンビの海へに落とされ、蒼汰の体は一片の骨も残らないだろう。



「し……しまった!」



 その時、夜の闇を貫く稲妻のように、何者かが虚空から舞い降りる。



「えっ……!?」



 コンテナの屋根に着地すると同時に、乱入者はジャックナイフを投げる。それは蒼汰の足を掴むゾンビの腕を、裂けるチーズのように切断した。


 間髪入れず上下逆さま顔ゾンビに蹴りを入れると、銃弾で撃ち抜かれた水風船のようにゾンビの頭蓋骨は飛び散った。


「ボゲェェッ!」


 蒼汰は度肝を抜かれた。



──な……なんだこれは!?



 乱入者はゆっくりと傍に寄ると、蒼汰をマジマジと見つめる。



「凄い……信じらんない。やっぱり生きてる人はまだいたのね」



 この乱入者の姿に蒼汰は驚いた。



──お……女!?



 これが石見蒼汰と、垣内彩奈(かきうちあやな)との出会いだった。

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