第2話 抽選会

 7月末の晴れた日、一隻の貨客船が父島の二見港から出港した。太平洋を北上し東京港を目指すこの船の甲板には蒼汰もいる。彼自身、こんな形で島を出ることになるとは夢にも思っていなかっただろう。岩井が傍にいるのが唯一の救いか。


 灼熱の船上では不毛な対ゾンビ訓練が行われ、男たちの怒声が飛び交っている。


「ぐぁあ〜ぁっ!げるるるっ!ぐぇぇ!」


 胴プロテクターを身につけた蒼汰も訓練に参加しており、ゾンビ役として岩井に襲いかかるのだが、どうしても小学生の演劇のようになってしまう。隊のリーダーである小山は見かねて激を飛ばした。



「岩井ぃ!もっと腰を入れて刺又を押すんだ!そんな優しく押したんじゃゾンビどもは倒れんぞ」


「はいっ!」



 刺又を掴んでの熱血指導。岩井は指示通りに押すと、蒼汰の上半身は折れ曲がる。



「いだだだっ。バカ!そんな本気で押すな岩井」


 

 不甲斐ない蒼汰にも激が飛ぶ。



「石見!お前はもっと真面目にゾンビをやれ!昨日、動画を見せただろ。あの狂気を本気で再現するんだ。こうだよ!」



小山は身振り手振りを交えながら、求めるゾンビの動きを蒼汰に伝える。


 ──なんだそりゃ!演技指導かよ!と不満に思いながらも、返事だけは素直にする。



「へいっ」


 

 こんな滑稽な対ゾンビ訓練に実践的な意味などあるのか疑問は残るだろう。しかし何もしないで都心に乗り込むよりはマシだと思うしかない。それも気休めにしかならないが。



「よーし時間がきたな。いったん休憩だ。お前らは午後からは射撃の訓練をやれ。明後日まで生き延びられるよう思い残すことなくな……」



 発砲音が船尾から聞こえてくる。そこでは他の島民達が海原に向かって射撃しているのだ。だが的(まと)などなく、単に海に向かって闇雲に撃つだけだ。なにしろ誰も彼も銃の素人なのだから、ここでは銃に慣れることが第一の目的なのだ。


 妙ちきりんな訓練から解放され、2人は左舷に移動した。



「あっちぃな〜。船酔い中にこの日差しはキツいわ」



 船の大きな揺れによって蒼汰の三半規管は狂わされ、今にも朝食べたものを戻しそうになる。手すりにもたれ、空を仰ぎ見ながら『島に戻りてえ……』としみじみと願う。だが2人は死霊達が渦巻く本州にいかねばならない。島民達のために……。



  隣の岩井は、首にかけたタオルで額の汗を拭っている。


「はぁ……。在日米軍でも歯が立たんかったと言われるゾンビ達を相手に……刺又だぞ。刺又。こんなもんで対抗できるもんなのか?どう思う石見」



 不安げな岩井を見ていると愉快になってくるのが不思議だ。──もちろん蒼汰も同じ立場なのだが──。蒼汰は笑顔で友人の肩を叩いた。



「うん、竹槍でB29落とすぐらい無理だな」


「だよねぇ〜っ!死ぬよねぇぇ俺!」


「地獄へようこそ。お前も本当についてない奴だよね!岩井くん」



 岩井は他人事のような蒼汰に思わず笑ってしまう。



「お前だけには言われたくないわっ。最後の最後に名前を読まれやがって」


 

 蒼汰は空を見上げる。



──全くその通りだな。俺たちは最高に不運だったよ。



○○○


 世界を滅ぼしてしまった感染症は父島には到達しなかったものの、島民の生活を破綻させてしまう。父島は自給自足が困難な離島であるがゆえに、外の世界の消滅はそのまま貧窮を意味することになる。特に石油関係商品は不足するので皆が往生している。



 発電所も稼働が困難になってきたし、燃料がなければ漁船も使えないので漁もできない。水道も時間帯によっては止まるようになってきた。



 もはや島に閉じこもっているわけにはいかない。必需品を他所から調達する必要がある。(辛抱して数年先まで待てばゾンビ達が白骨化してる可能性もある。しかしながらその前に病死者や餓死者が続出するので、その案は却下された)



 5月の島民集会の結果、本州に向かう第一次決死隊を結成することが多数決で取り決められた。


 この決死隊に課された使命は、まず無事に島に戻ってくること。ただしこれが実に難しい。なにしろ片道1000キロも離れた場所まで航海するので、膨大な燃料が必要になる。現地で膨大な燃料を調達できなければ再び小笠原まで戻ってこれないだろう。戻ってきたところで燃料がなければ、大事な船も港のモニュメントと化してしまう。


 電力の止まった大都市で、非常用電源だけで果たしてうまく燃料を補給できるだろうか?不安があってもやるしかない。失敗すればゾンビ列島にただの特攻するだけどなってしまうが。


 他にも島で不足している医薬品の補充や、生活必需品、食料の調達など……やらねばならないことが多い。



 もちろん異論も出た。「膨大な燃料を失ってしまうリスクを取るよりも、その燃料で島民生活を豊かにすべき」「ウイルスを島に持ち帰ってしまったら大変なことになる」など。どれももっともな意見だろう。


 しかし危機は迫っている。父島と母島を合わせて2500人の島民達を養っていくだけの資源はもはやない。ジリ貧路線をとれば、年を越せずに倒れていく者も出てしまうだろう。この危機感が異論を押しきったのだ。

 

 こうして決死隊に島の命運が託されることになったのである。ただしそのメンバーは僅か10名に限られ、島民集会で行われるくじ引きでメンバーが決定される。(船の操縦に必要な乗船員を除いて、わずか10名のみが死霊の地に足を踏み入れる……)



 重大な、そして名誉ある任務だ。だが「自分は選ばれたくはない」というのが蒼汰の率直な気持ちだった。致死率100%のウイルスが蔓延し、ゾンビ達が彷徨く世界に足を踏み入れるなんて……誰でも嫌なはず。



 運命のくじ引きが行われたのは6月27日のことである。村の小学校の体育館に村民全員が集結し、夕方より緊張の抽選会がはじまるのだ……。家から体育館に向う道中で蒼汰が岩井と合流すると、神社で願掛けしてきたことを伝えた。



「賽銭箱に500円玉を入れたんだ。これ絶対、抽選外れるよな。神社の神様〜見ててくれてますよね〜!500円玉だよ500玉円!」


「お前っ!俺は福沢諭吉を投入したんだぞ。普通これぐらいだよ」


「アホだな岩井、金がもったいねぇぞ。大事にしろ」


「なんでだよ!今が大事なんだろ」



 悲しいかな蒼汰にとっては500円でも大金なのであった。



──絶対……絶対に選ばれてたまるかよ。



 体育館の壇上の前に村長が立つと、大きな抽選箱に手を突っ込み、中から取り出した紙に記された名前を読み上げる。その度に館内にどよめきが起きた。そして5回目に読み上げられた名前が「岩井修二」だった。



「ア……アイツ!名前呼ばれやがったぞ。万札入れてドヤってたのに」




 壁際で様子を見守っていた友人の顔は固まって動いてない。ただ体全体がプルプルと震えているのが見えた。隣にいた岩井の母親も動揺しているようだ。しかし友人を同情する余裕などない。何しろ彼の運命はまだ抽選箱の中にあるからだ。



「頼むっ。外れてくれ!マジ頼む!」



 自分が外れるよう、目を瞑り合掌して必死に神仏に祈る。そして最後の1人の名が読み上げられる瞬間がきた……。



「え〜。石見蒼汰さん」



 その瞬間に、体育館内は安堵の声で溢れかえった。「良かった」と胸をなでおろす島民達は賑やかに話しはじめる。そんな中で蒼汰は1人叫ぶ。



「嘘だろっ!俺もかよぉぉ!」



 そして頭を抱えて、人目もはばからず床に倒れ込んでしまった。



「そ……蒼汰!おい蒼汰!しっかりしろ」



 父親が驚いて彼を起こそうとしているが、しばらくこのままでいたい。


──ああ、運が悪いな俺は。戦時中なら激戦地に送られちゃうタイプなんだろうな……俺と岩井は。

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