第12話 キャラメルがとける夏
長引く梅雨は終わりが見えていない。蒸し暑さが舞い戻り、さっきは通り雨がザーザーと降っている音が聞こえていたが、いつの間にか久々の晴れ間が戻り、何日ぶりかも分からない燦燦とした光が外に降り注いでいた。
私はオフィスから離れた部屋で仕事を終え、オフィスに戻るために廊下を歩いていた。ときどき見えるほかの人たちが会議や休憩に勤しんでいる様子を横目に歩みを進め、前から来た疲れ切った同僚に声を掛けたりした。
さっきから薄々感じていたのだが、私の後ろを誰かが歩いている。横に視線を向けた時に察知した限り、私が苦手な別チームの上司な気がするのだ・・・普段ほとんど関わりがないが、他の社員からもあまり評判がよくないのと、ただ単に私が人見知りで、何を話せばいいのか分からないため、万が一話しかけられたらどうしようと思い、歩調を早めた。
角を曲がって数秒後、「面談と残業ですか?」と背中越しに声が聞こえた。私は意を決して返事をするしかなくなり、くるっと振り向いた。
「・・・え!びっくりした!Cチームのリーダーかと思ってました・・・。」
そこには私が予期していた人物ではなく、彼がいた。たまたま今日の服装が例の上司と似ていることもあり、完全に勘違いしていたということになる。私の悲鳴に逆に驚いた彼はちょっと私と距離を一度離すと、笑って答えた。
「違いますよ、というか気づいてるだろうなと思ってたんですが。」
「誰か後ろにいるなとは思いましたよ。でも、話しかけられたらどうしようかな~と思っていたので少し歩くのを早めたんですけどね・・・振り返ったら全然違う人っていう、笑。」
私たちは笑い声を上げながら、廊下を進んだ。
「まあ、良く言えば仕事がしたくて出勤しましたが、悪く言えば仕事が終わらないってことですけどね。」
私は今日休日出勤している理由をそう返事した。内心は普段この日は彼に会うことができないので、仕事はさておき彼に会えたうえ、話しかけられたことが嬉しかった。私たちはオフィスに着くと席も離れているため、そこで自然と別れた。
約1時間後、定時を迎える時に私はちょうど仕事が終わったので、帰り支度を始めた。ふと前の方を見ると、彼が上司と話してはいたが、自分の名前を退勤者一覧に記入していたので、彼もそろそろ退勤することが分かった。
私は片づけをしながら自分の上司と話をしていたが、思ったより話が弾んでしまい、この間に彼が先に帰っちゃったら一緒に帰るチャンスを逃してしまう・・・と内心ひやひやしていた。結局、私が周りに失礼しますと声を掛け、オフィスをあとにしようとしている時もまだ彼は椅子に座っていた。
しかし、私は見てしまった。私が歩き去る様子に目を留めた彼はさっと瞬時に立ち上がり、荷物をまとめはじめていたのだ。なんだかちょっと嬉しくて、私はちょっとゆっくり外までの道を歩いた。なかなか私を追う足音は聞こえず、私の勘違いだったのかと若干心配になった。しかし、私が外へ出ようとした時にバタバタと駆ける音が聞こえた。私はなんだか彼が可愛く感じて、「自分の自惚れだったらだいぶ残念だけど」とは思いつつも、緩む口元を引き締めることは無理だった。
外に出てちょっと歩いた時、「あっ」と後ろから声が聞こえた。振り向くと彼が数メートル後ろにいた。私は振り向いたまま彼を待った。タイムカードを押し、私の横へ彼が並んだ。
「お疲れ様です。また私を脅しにきたんですか?」
「いや、たしかに背格好は似てますけどね・・・」
私たちは先程の話題を出し、そのまま色々な世間話をしながら駅へと歩いた。
ホームへの階段を上がっていると、ホームに電車が入り、ドアが開く音がした。
「間に合うかも。」
彼はそう言うと少し階段を上っている歩みを早めたが、ちょっと自信がついた今日の私は彼の右腕にそっと触れ、
「次にしましょう・・・?」
と引き留めた。
「わかりました。」
彼がどんな顔だったかは分からなかったが、特に焦る様子もなくそう返事が返ってきた。もう少し翻弄させてみたかったのにな、と残念な気持ちが湧いた。それでも次の電車が来るまで5分以上あったので、長々と彼と話をすることができた。
「昨日はあまりにも忙しすぎて、他の人から仕事を頼まれたり、話しかけられたりしても正直丁寧に対応できなかったので、申し訳なかったなあ・・・。」
「俺も昨日全然やる気なくてなんだか・・・って感じでしたよ。」
「周りを見る余裕がまったくなくて。今日はだいぶ色々出来たので良かったです。」
「たしかに、忙しそうにしてるな~って思ってました。」
さらっと彼はそう言ったが、つまりそれは仕事中に私の様子を見ていたというこに他ならないだろう。私は恥ずかしさとその彼の行動への嬉しさで一瞬黙り込んだ。気持ちを悟られないように、
「私は今日、超大量の荷物を抱えて落としそうになってる姿を見て笑ってましたよ。」
と冗談めかして言ってやった。
ホームに電車が来るアナウンスが流れた。話すとき、私は少しでも彼の顔が見たくて、彼の目を見ながら話そうとする。前はそんなことできなかったし、彼の体を正面を向いていることが多かった。しかし、最近は彼のつま先は私の方を向き、エスカレーターに乗れば、上からこちらを見下ろしながら話を続けてくれる。そしてこうやって話している時に、茶色い目でこちらの目をしっかりと見て話してくれるのだ。
みてくれは冷たい目元だが、話している時の目元はその茶色い目が優しく、笑えば目じりが下がっていつまでも見つめて欲しいと思ってしまう。まるでキャラメル、とたまに思っているくらい。
真夏が近づいてきている。じっと電車を待っているだけで汗をじわりと感じる。そんな不快さはあるものの、彼と1秒でも長くいられるなら、電車を1本遅らせてでもその価値があると感じる。
私たちの夏、そう、彼を好きになって2年目の夏は始まったばかり。
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