第10話 EYES

梅雨が本格的に始まり、日傘よりも雨傘を持っていくことが増えた。今日も風が強く、夜になってようやくまともに外を歩けるかなと思う天気だった。先週、湿気にやられてどうしようもない前髪をストレートにしたので、そこに気を遣わなくなったのは嬉しい。でも切りたての前髪になじめず、ちょっと気恥ずかしさもある。


19時が近づき、職場も閑散としてきた。私は疲れ切っていて、さっきから人との会話で適切な言葉が出てこなかったりし、周りの同僚たちに笑われながら、「そろそろ帰った方がよさそうだね」と労われていた。


その言葉に甘えることにして、私は荷物をまとめて席を立った。歩いてドアへ向かおうとした時、通り道のデスクに座っている同僚に話しかけられた。ちょっと小話をしているうちに、荷物を持った彼が近づいたのに気が付き、これなら一緒に帰れるなと内心喜んだ。同僚との話が終わり、「じゃあ、また明日!」とあいさつをすると、私は目の前にいる彼を横目に帰ろうとした。


しかし、彼は道を開けてくれなかった。そしてニヤニヤしながら私の名前を呼び、首元を指した。


「社員証、また忘れてますよ」

「え!?あっ、うそ!いいですか、2回とも何も見てませんよ、忘れましょう。」


私は指摘されて真っ赤になりながら、そのまま街に繰り出しそうになった社員証を取り、急いでデスクに放り投げた。実は2日前も同じことをしており、その時は既に彼と駅に向かって歩き始めていた。自分の指に当たった不慣れな感触に気づき、街中で大声をあげてしまい、彼をびっくりさせたのだった。


私たちはドアを出て、外へ向かって歩き始めた。


「またやっちゃった・・・。」

「だいぶ前から見てたんですよね。」

「何を?」

「いや、だからまた同じことやるかな~って見てたんです。そしたら案の定、喋ってても取る気配ないし、結局荷物を取ってもぶらさげたままだったので。」

「えー、早く言ってよ!」


私はまた気恥ずかしくなりながら、彼の腕を二回叩いた。本当は社員証を取り忘れていたことが恥ずかしかったのではなく、それを見越した彼が私を前から眺めていたということが耐え難く恥ずかしいようで、嬉しかったのだが・・・。


私たちは駅に着き、改札を抜けた。しかし、彼が改札でひっかかり、別の改札でもう一度定期を試していた。その間私は改札を抜けた先にある電光掲示板の前でその様子を眺めており、「待たせてごめん」とでも言いたげな彼の目に見つめられ、心まで溶けそうになった。


電車に乗り、既に暗くなった窓の外を眺めながら、


「最近一緒に帰ることが増えて、日課になりましたね。」

「あー、たしかに。」


彼の特段嬉しそうでもない返事にちょっとがっかりしたが、いつものことなので気にしないでおいた。だけど1つ最近、嬉しいことがある。


彼と真正面を向いて話す時、彼の目が優しいこと。どちらかというときりっとした目元で冷たいイメージもあるくらいなのに、私と話している時、その目元は柔らかく、目じりが下がっている。真っ黒ではなく、灰色のような目元が笑うと、私もつい嬉しくて微笑む。


正直二人の関係性に明確な進展が起こっているとは思えていないが、ときどきするアイコンタクトが最近の楽しみなのである。

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