第9話 雨空ロマンス
「・・・やだ」
何度目だろう。私は窓の外を見て顔をしかめた。二日連続で大雨と暴風。湿気で前髪が決まらないし、風でそもそも煽られるからぼさぼさ。何回鏡の前で髪型を直したことか・・・。仕事もトラブル続きだし、やることが多すぎて全く前進した手ごたえを感じられなかった。
あと30分したら18時になってしまうが、明日までにやっておけば今日の自分に感謝するだろう、と思い、マストではないとしてもやるべきことに着手したものの、なかなか進まなかった。そろそろ帰ろうかな・・・そんなことを思っていた。
「あの・・・」
「・・・」
「今、忙しいですか?」
1回目の呼びかけを聞こえないふりをして、2回目で振り向き、さぞ驚いたかのように私は目を大きく開けた。
「ううん、全然!どうぞ。」
今日は彼が私に用事があると分かっていた。あまりにもタイミングが合わないので、もしかしたら話せないかも・・・と思っていたが、律儀に私の所へ来てくれた。
彼は私の隣の既に空いた席に腰かけ、私が伝えたかった仕事の話を伝えた。あまり大声で話すのも周りの迷惑になると思ったが、羨ましいことにほとんどの人がすでに帰ってしまっていた。
彼は私の方に体を向けて私の話に相槌をうったり、自分の意見を述べたりしている。私は彼と落ち着いて話せることが嬉しくて、話の内容よりも話すたびに動くまなざしの虜になっていた。
「昨日電車に乗っているタイミングで連絡が来たので、このタイミングでかあと思ってました。」
彼は昨日私が急ぎの用事と判断して送った連絡についてそう述べた。私としては確かに今日こうやって直接報告すれば済むことだと思った反面、彼に連絡する口実が欲しくて仕方なかった矢先だったので、思わずその面倒な仕事を喜々として引き受け、帰り途中であろう彼に連絡したのだった。少し申し訳なく思い、
「ですよね。そんなに急ぎじゃないから今日でもいいかなと思ったんですけど・・・ごめんなさい。」
「いや、別に大丈夫ですよ?」
私がしおらしくしたのを見て、彼は瞬時に身を乗り出して笑顔で否定してくれた。こういう頼りがいのあるところとか、思ったより寛容な所が好き。
私たちのプライベートな会話をおそらく周りの人々は聞いていると思う、というか、嫌でも耳に入っているだろう。きっと中には、「この2人、こんなに仲いいの?」と思っている人もいるかもしれない。それはそれでちょっと困るかも・・・でも、他の人が普段彼とは話さない話題で盛り上がれている事実が嬉しかった。
「もうすぐ帰りますか?」
「はい、1件引継ぎしたら帰ろうかなって。」
「うーん、もう18時になっちゃいますね。明日の朝やればいいことをやってたんですけど、最悪明日でもいいかな~とは思ってるんです・・・でもなあ。どうしよう。やるか、帰るか悩む・・・。」
そう書類を見ながら唸る私の本心は、「もうやめて帰りましょう」と彼に誘ってもらうことだったが、こういう肝心なところでは何も言わないのがお決まり。だからこそやっぱり望み薄なのかな~と毎回がっかりしてしまうのだった。
「もう集中できないのでやめます。引継ぎやっている間に帰っちゃいますよ」
「まあ携帯からでもできるので、帰りながらやればいいんですけどね!」
そこで話が途切れて、彼は自分のデスクへ戻り、私もお手洗いに行ったり、マグカップを洗ったりした。私が給湯室から出てくると、彼が立ちながらパソコンの電源を切っていて、私が荷物を整理しながら周りの同僚たちと言葉を交わしていても、視界の端に彼がまだ帰らずにいるのが見えた。
・・・もしかして待っててくれてる?
荷物を持って帰ろうと歩き始めた時、近くでまだ仕事をしていた同僚が私を呼んだ。
「えー、帰っていい?」
「いいですけど、1個だけ!」
「仕方ないなあ」
「明日でいいので、この間お客さんからもらったっていうメール、転送してくれない?」
「あ、いいですよ、もし明日忘れていたら、早く送れ!って言ってくださいね。」
「了解。じゃあお疲れ様です。」
こういうやりとりの間に、リュックを背負った彼が私の横まで来ていた。話している間も私の様子を伺っているのが分かり、ああ、待ってくれたんだと嬉しかった。
同僚との話が終わったと同時に、私は彼にわざとらしく聞いた。
「もう帰ります?」
「はい。」
「じゃあ一緒に帰りましょ?」
それを合図に私たちは一緒にドアへと向かい、残っている人たちに一言かけてから職場をあとにした。
外は大荒れ、雨も風も相変わらずだった。
「そういえば全然話変わりますけど、痩せました?」
「そうなんですよ。なんだかんだで太った分を減らせたみたいで、3キロ痩せましたね。まあ、これから先はなかなか減らないと思うんですけど・・・」
「やっぱり?そうだと思った!というか痩せるの早い・・・いいなあ。」
「まあ、あれだけ動いてなければね。」
「確かに。運動もしないし、仕事もしないしで、食べるだけだったでしょうし。」
「いや、仕事はしてましたよ。もし俺が仕事してないってことなら、あの時期繁忙期じゃなかったほかの人たちは・・・」
「違いますって!仕事はそりゃしてたと思いますけど、動いたりすることがなくて、基本デスクワークだったから、仕事の種類が違ったっていうことで・・・!まさか仕事してないだなんて思ってないですよ!言葉のあや・・・」
「わかってますって!」
「ひどい!」
笑ってあしらう彼に私は「揚げ足取り・・・!」と言って噛みついた。一歩後ろにいた私に「はいはい」とでも言いそうな顔で振り向き、「冗談ですよ」と彼は言いながら傘を広げた。
横殴りの雨が量は多くないといっても、ときどき肩に当たる。どうしても天気だろうと仕事だろうと、彼と話して帰る時は「嫌だ」「疲れた」「困った」など、ネガティブワードが並びがちである・・・別にたいしてそう思っていなくても、彼との共通項が決して多くないため、辛さを分かち合うことが1番共感を得られると思ったり、話題に困ると出してしまうのだ。
よく、マイナスなことばかり話す女子は嫌われるというが、それは間違いないと思う・・・ああ、どうしよう。でも楽しい話題なんてそんなにないし、何を話せばいいのか相変わらず分からない。かなりの回数一緒に帰っているわりには、である。
彼の隣をとぼとぼ歩きながらそんなことを考えていた。ときどき横を眺めて、彼の青色のシャツが似合っているなとか、身長高いなとか、半袖からのぞく腕がかっこいいなとか思っていた。もうそれだけで幸せ・・・。
ちょっと前から比べてみれば、帰る頻度も増えたし、話すことも増えたと思うし、彼も私もだいぶ打ち解けたとは思う。それでももっと気が利く会話はできないのかなあ・・・と濁った雨空を見て私は内心涙した。
今日も帰宅したら一人反省会。それでも嬉しく、いつまでも続いてほしい・・・そう思いながら傘越しに彼の笑顔をこっそり眺めた。
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