第4話 弾む息の真相は

今日こそ定時で帰ろう、そう思っていた。数時間前までは。急ぎの仕事があるわけでもなく、帰ろうと思えば帰れたのだ。しかし、日々の日課をこなしていると、いつの間にか定時を回り、小休止をいれ、のんびりしていたら、もはや疲れも感じていなかったため、帰ることを諦めた。


一度寒い中外での用事を済ませ、戻ってきた。最後のメールをチェックし、連休明けには休みを取っていたので、引継ぎを完了させてからパソコンの電源を落とした。隣に座る同僚と、連休の予定を話し、持ち帰りでやろうと考えているものを鞄に詰め、「じゃあまた来週ね」と、私は席を立った。


視界の端に彼も帰り支度をしているのが入ったが、すぐに帰りそうなわけではなく、身の回りを整理し、近くにいる上司と笑顔で会話を交わしていた。私は特に一緒に帰りたいと強く願ったわけでもなかったので、そのまま職場に挨拶をして、部屋を出た。いつもなら一緒に帰りたいだろうが、ここ最近あまりにもタイミングが被っているため、たまには自分から引くことも大切だと思ったのだった。


更衣室を出て、階段を降りたところで彼らしき男性が更衣室に向かうのが見えた。私は一度「やはり待っていようか」と考えたが、気を取り直し、そそくさと外へ出た。タイムカードを押している時に、バタバタと人の気配がしたが、それが本当に彼なのか確証はなかった。しかし、これで追いつかれたら意味がない。後ろ髪をひかれつつも、私はゲートを出て駅へ向かおうとした。


コートのポケットに入れていたスマホを取り出し、ラジオでも聞こうと思った矢先だった。LINEの通知が1件光っており、そこには「彼、今職場でたよ!」と同僚からのメッセージがあった。


私はソワソワしながら彼女に返事を書いた。あれこれとやりとりをしていく中で、「かぶりたかったのでは?」と返事が来て、ちょっと期待しつつも、偶然が重なっただけで、むしろ彼も帰ろうとしていながらすぐ退勤しなかったのは、私とかぶりたくないがために時間調整をしたのだと、自分に言い聞かせた。それはそれでショックだが・・・。


私は彼の行動が、私を避けたのか、それとも彼女が言うように、タイミングを計ったが間に合わなかったのか、部屋を出たところから回想し、検証した。しかし、客観的な証拠がないため、何も進展しなかった。


駅のホームに着き、2分ほど待つとホームに電車がやってきた。私はいつもと同じ場所に乗り、すっかりオフモードでSNSをチェックしようかと、スマホを取り出し、アプリの立ち上がりを待っているところだった。ふと顔をあげて、そろそろドアが閉まるというベルを聞いていた時、目の前を見慣れた顔が横切った。


彼が小走りで、隣のドアに向かっていたのだ。しかし、彼はドア付近に立っていた私に気がつき、「あ、」と声を出した。私はそのまま彼が行ってしまうと思ったため、会釈をして内心動揺していたが、諦めてスマホに目を落とした。


私の予想とは裏腹に、彼はブレーキをかけ、私のいるところへ乗車した。息を切らして、すぐに閉まったドアに少しよろめきながら手を当て、


「いるとは思わなかった」


と、弾む息を整えながら、私を見下ろした。


「こっちのセリフです。驚きました。それじゃあ、あれからすぐ出たんですか?」


私は焦っている気持ちを悟られないように、努めて冷静に返事をしたが、目の前に彼がいることに喜びと驚きを隠すことはなかなか難儀だった。


たった二駅という、時間で言うと約5分間。それでも嬉しかった。


最寄り駅で下車し、1人になってから私は何度も考えた。

彼は私と一緒に帰るために、タイミングを計っていたのだろうか。それとも帰りたくなくてタイミングを計っていたのだろうか。そして、「いるとは思わなかった」というセリフは、「会いたかった」なのか、「避けたのに」だったのか。


マイナスな方にしか考えられず、涙で視界が滲む。それでもここ数回一緒に帰れていることや、ここ数か月のやりとりで冗談を言い合ったり、長い時間気兼ねなく話したりしたことを思い出す。そうすると少し希望もあるのでは、と思ってしまうのだった。


どちらにしても彼がドアから滑り込んできた、あの時の男らしい表情と声は私にとっては魅力的で、何度も頭の中で繰り返すのだった。

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