#43 ワガママ


 井の頭営業所で先生と野矢先輩に捕まり尋問を受けた翌日の放課後。

 昨日の話し合いの結論から言うと、逃げずに立ち向かえとのことだった。


『みのりちゃんたちの態度が急に変わって怖い? それは誰でもそうなんじゃないかな? 今までの態度から一転して近づかれたら誰だって怖いと思うよ』


 昨日先輩に言われたセリフが脳裏に過る。先輩からそんな台詞が出てきたときには見逃してもらえるのかと期待した。

 だが―――


『でも、好意を向けているんじゃなくて歩み寄ろうとしているのであれば話は別じゃない?』


 そう言われた瞬間、俺のわずかな希望は霧消した。

 何を考えているのかわからない好意を向けられれば、誰だって疑いもかけたくなる。けど、歩み寄るってことはまずは相手のことを理解しなきゃいけない。

 その上で話も色々として親睦を深めていくものだろう。

 そんな風に説明されても、俺はあいつらが気を使って一緒に居たくもない相手と活動を続ける上部だけの関係だと思っていた。

 あいつらを無理強いさせてまで一緒に活動しようだなんて、俺は思ってないし望んでもいない。

 そんな状況になるぐらいなら俺が消えてしまえばいい。そんな考えだった。


『……なにそれ。意味わかんないっ! 何で逃げるの? 何が嫌なの!? だいたいみのりちゃんたちが気を使ってるとか、一緒に居たくないけど負い目を感じてるから仕方なく一緒にいるとか本気で思ってるの? そんな子達がそんな理由を抱えたまま酷く落ち込んだ状態で最近部活に来てくれないって私たちに相談しに来る思う!?』

『君があいつらからそこまで逃げようとする理由はわかった。だが、理解はできんし賛同もしない。逃げる前に先ずは全力でぶつかってみろ。そこから得られることだってたくさんあるはずだ』


 俺の胸の内をありのまま伝えたら二人からそんな回答が返ってきた。

 今のうちに得られることはたくさん拾ってこい。俺にも三ノ輪たちにもその新しく得た情報は何かの形で役に立つはずだと先生からそんな言葉を受けた。


『話を聞こうともしないで逃げることばかりを考えて行動する君は、ただのワガママだよ?』


 先輩には俺の逃げる姿勢と行動をワガママだと言われた。

 その上で、俺があのとき先輩を助けたときと同じように、逃げずに立ち向かっていけと付け足された。

 こうして逃げて、隠れてた俺はその姿勢を180度回転させられ、現在は乗合研究部の部室の前に立っている。


「来ちまった……あぁ~入りたくねぇ……」


 心の声がボソリと洩れ出ると、左後ろに立つ先輩にジト目を向けられた。


「またそんなこと言ってる……。逃げずにちゃんと向き合うって話になったでしょ」


 いや、そんな現状を作り出し強制実行させてるのはあんたらだよね?

 文句を言ってやろうかと思ったが口には出さず、その代わりに大きな溜め息が吐き出された。


「……昨日話したやつは俺の身勝手な幻想だしただのワガママですよ?」

「それでもいいじゃん。ちゃんとした会話すらしないで逃亡を図るワガママよりかは断然マシだよ。それに、そのワガママぐらいはぶつけちゃってもいいと思うぞっ♪」


 私のヒーローだもん♪ などとよくわからんことを言いながら俺の左腕に絡み付いてきた。

 えぇい、絡み付くな鬱陶しい暑苦しい。あと何か柔らかいしいい匂いするから早く離れてください。

 どうにかして引き剥がそうと腕を思いっきり引っ張ってみたり体を左右に揺さぶってみたりと色々と試したが、野矢先輩の力が思いの外強くて引き剥がすのに失敗した。

 つか、俺はあんたのヒーローじゃねぇよ。


「先輩、とりあえず離れてくれませんか……?」

「しょーくんすぐに逃げるからム~リ~♪」


 俺のお願いを無理の一言で片付けさらに力を込めて締め上げてくる。

 ……何でこの人はこんなに上機嫌なんだよ。


「ほら、早く中に入るよっ」

「わかった。わかったからそんなに引っ張らないでください」


 腕をガッチリとホールドされたまま無遠慮に開かれたドアの向こうへと俺たちは足を踏み入れた。


 # # #


 今日の授業が終わった私と美浜さんは部室の中で彼が来るのを待っていた。

 昨日先生から電話がかかってきて―――


『塩屋が明日そっちに行って話をすることになったから聞いてやってくれ。その上で今後どうするのか君らで決めるといい』


 ―――そんなことを言われた。

 本当に来てくれるのかしら?

 彼が確実に来るなんて保証はどこにもない。

 けど、ここに来るって聞かされれば私たちは待つしかない。


「外から聞こえる声ってシーマンじゃない?」


 昨日のことを振り返りながら考え事をしていると、美浜さんにそう声をかけられた。

 先生の言うとおりちゃんと来てくれたけど、中に入る気配がない。

 何してるのよ。入って来てくれないと話を聞くことができないじゃない。

 ドアのところまで行って開けてしまおうかとも思ったけど、彼自ら中に入るのを待つことにした。

 すると、ドアの向こうから今度は女性の声が聞こえてきた。この少し甘ったるい声と喋り方は野矢先輩かしら?

 二人して揉めているようだけど何してるのよ。

 そんな声もすぐに途絶え、それと同時にノックなしで突然ドアが開かれた。


「ちゃちゃ~ん! 優しくて癒し系生徒会長の望羽ちゃんがきたよ~♪」

「……どれも大ハズレなのでノックぐらいしてください、なんちゃって生徒会長」


 入ってくるなり『ちゃちゃーん』って効果音をつけて万歳するかのように両手を上げる先輩。

 そんな無遠慮の野矢先輩に引きずられる形で一緒に入ってきた塩屋くんに、自身の台詞を大ハズレで一蹴され、さらに“なんちゃって”と余分なレッテルを貼らる先輩。

 それがよほど不快だったのか「それどういう意味!?」などと抗議の声を上げながら、彼の左腕をバシバシと叩いていた。

 忙しい人たちね……。


「こほんっ! ……私は少し生徒会に顔出してくるから後はよろしくね~」


 塩屋くんの背中をグイグイと私たちの前にまで押し付けた先輩は、それだけを言い残して立ち去って行った。

 先程まで騒がしかった空間がガラリと変わって、沈黙に支配され重苦しい空気に包まれる。

 誰一人とも口を開こうともせず、室内に設置されている時計の秒針だけが響き渡っていた。

 そんな空気に耐えきれなくなった美浜さんが先に口を開く。


「……聞かせてくれるかな。ここに来なかった理由」

「……そうね。理由がわからない以上私たちもどうすることもできないわ」


 私たちのそんな声に彼は「わかった」と短く返事をし、一度深呼吸をしてからゆっくりと口を開いた。


 # # #


 嫌だった。

 話の冒頭で彼の口から出てきたのはそれだった。

 その拒絶の言葉にどんな意味が込められているのかわからない。

 私たちの今までの態度とかが嫌だったのか、それとも一緒にいるのが嫌だったのか。

 ……もし、後者なのであれば私たちにはどうすることもできない。

 美浜さんと一緒に謝罪して、彼本人からももう気にしていないって聞いていたのに何故……。

 この短い会話の間に理由を考えてみても、結局わからないままだ。


「イヤだったって……私たちちゃんと謝ったじゃん。シーマンも、もう終わったことだから気にしてないって言ってたじゃん」


 涙ぐみながらそう訴える美浜さんに対し、そうじゃないと否定する塩屋くん。

 あなたはそうじゃないって言うけれど、何が違うって言うの?


「俺が嫌がってるのはお前たちの態度だ」

「私たちの態度? 確かに今までは散々酷い言い方ばかりしてきたわ……ごめんなさい。だから、これからはそれを改め―――」

「そうじゃねぇよっ!!」


 私が全部言い切る前に遮られるように大きな声で否定された。

 いきなり大声を出されて思わずビクッってなってしまった。そんな姿を見た塩屋くんはバツが悪そうに目を逸らす。


「俺が言いたいのは今の現状のことだ。まだ俺に罪悪感とか残ってんのか? 何で今までの態度を一変させて急に優しくするんだよ。お前らのしがらみはとっくに外れてるはずだ。なのに何で無理して一緒に部活をやろうとしてるんだよ。お前らはもう自由なんだぞ」


 彼が嫌がっていた内容。私たちが今までの態度から優しく接するようになったことだった。

 何よ、それ……

 勝手にまだ罪悪感が残っているとか思い込んで、それが理由で無理して一緒にいるって勘違いして、そんな優しさなんて要らないと拒絶する。

 確かに、彼に対する罪悪感が完全に払拭されたのかと言われるとそうではない。

 だけど、それとこの件は別問題。

 私のちょっと酷い言葉にもちゃんと返してくれるからそれが楽しくて調子に乗ってしまった。

 そういった面を反省して、美浜さんと今までのような酷い言動しないよう改善して、優しく接してあげようってことになってそう接していたのに……

 その優しさを彼は拒んで逃走をしていた。


 ……本当、すごく不愉快な理由だわ。

 そんなワガママで自分勝手な理由が通じるとでも本気で思っているのかしらこの男は。

 この事に関して美浜さんはどう思っているのだろう。

 私の隣に立つ美浜さんに視線を向けるも、彼女は俯いてしまい顔の表情を窺うことができない。


「……みのりん」


 視線を前に戻したと同時に美浜さんに声をかけられ再度彼女に視線を向けると、怒りに満ちた彼女の顔がそこにはあった。

 今にも噴火しそうなレベルでかなり怒っているようだ。


「分からず屋で人の話を聞かない人には強引に聞かせるしかないね。逃がさないようにガッチリつかんで」

「……そうね。彼には少し罰が要りそうね。一度二人でサンドにして引き伸ばしましょうか」


 バネのようにグルグルと捻くれた性格の人に私たちの説得を聞き入れるとは思えない。説得しようとすれば、先程のように私たちの言葉を遮って逃げ出すに決まっている。

 だから、彼の発言を一切許さず逃げることも許さない手段を私たちは取ることにした。


「―――だから、俺のことを気にして―――」

「―――塩屋くん」


 この部屋に入ってからずっと否定の言葉を並べる彼の言葉を静かに遮り、私と美浜さんは同時に彼に手を伸ばした。


 # # #


 俺みたいなやつに気を使う必要なはい。

 廃部にしてしまえば、今後こいつらが俺に関わることは無くなるだろう。

 そうなれば、こいつらだって生き生きと今後の学校生活を送ることができにる違いない。

 そんな言葉をこいつらに投げかけ、活動停止ピリオドを告げようとした。

 だが、三ノ輪によって声を遮られ、その直後にバチンッと教室内に響き渡った。

 一瞬何が起きたのかわからなかったが、両頬がジンジンと痛みが伴ってきたこによって俺はようやく二人に叩かれたって理解することができた。

 ……叩かれた? コイツらの腕はまだ・・俺の方に伸びたままだから叩かれたって表現は何か違うな。叩きつけられたって表現の方が何かしつくり来るな。


「―――いっつぅ……いきなりなんだよ」

「うっさい! 黙っててっ!」

「うるさい! 黙りなさいっ!」


 俺の抗議の声なんて一切耳を傾けず、ヒリヒリと痛む両方の頬を今度は今度は引っ張り始めた。

 叩かれて痛いところをさらに攻撃するとかこいつら鬼かよ。


「さっきから黙って聞いてたらシーマンばっかり言いたい放題言って、今度は私たちの番だかんねっ!」

「今までの私たちの行いを反省して今後あなたに優しくするつもりでいたけど、その行動を全面否定して拒絶までするとはいい度胸ね。わかったわ。前言撤回よ。あなたがそこまで言うのならそうしてあげましょう」


 ―――だからその錆びまみれの耳穴をこじ開けてよく聞きなさい。

 俺にそんな罵声を浴びせながら引っ張る力をさらに強めてきた。

 何なら捻りも加えて痛さ倍増である。


「いはいいはいいはいっ! ははひへくへっ!」

「うるさいわね。黙りなさいって言っているでしょっ!」

「……あい」


 あまりにも痛くて声を上げていたら三ノ輪に怒られてしまった。

 ……なにこの理不尽。俺もう泣いていいよね?

 二人から物理的に俺の発言を封じ込められていると、眉間にシワを寄せブスッとしたままの美浜が先に口を開いた。


「シーマンがさっき言ってた縛りってなんなの? もしかして私たちのことをロープとかで縛り付けようとかしてたの? 何でそんなことされなきゃいけないわけっ!?」


 ……そっちの意味じゃねぇよ。んなことしたら俺が監禁罪で確実に少年院行きになるじゃねぇか。


「……美浜さんにはあとで正しい情報を教えるとしましょう。そんなことより、あなた、この部活を廃止にしようと目論んでいたわね?」

「―――ぐっ!」


 くっそ……。何で俺が考えていることがお見通しなんだよ。

 確かにそんな考えが俺の脳裏にずっと流れていた。それが一番の最善の策だと思ったからだ。

 その方が、コイツらが俺に関わることも無くなるからだ。


「急に優しくされたのが嫌だったですって? 何なのかしらそのふざけたワガママは。今回は聞いてあげるけど、今後はそんなわがままが私たちに簡単に通用して聞いてもらえるだなんて思わないことね」

「廃部とかあり得ないからっ! 野球部とかの下見とかどうすんの? この部活仲間と一緒に行けると思って結構楽しみにしてたんだよ? 人の楽しみをシーマンの都合だけで奪おうとしないでよっ!」

「それに、私たちはあなたの部下ではあるけど、奴隷でもなければ操り人形じゃないの。勝手に人の人間関係を決めないで。すごく不快よ!」


 こうやってこいつらの話を聞いていると自分自身が情けなくなってくる。

 逃げてばっかの俺を取っ捕まえてまで、こうやって正面からぶつかって来るやつは今のこの時代あまり居ないだろう。

 大体のやつが諦めて放置して二度と関わらなくなる。

 学生であり、異性ともなれば尚更だ。こんな面倒な異性との交友関係なんざ疲れるだけだから関わりたくもないだろう。

 だが、こいつらはこうやって真っ正面からぶつかって来る。そんな姿を見せられたら、俺も一度出した答えを考え直さなければならない。


「私たちはやりたいように行動するっ! もうこれは決定事項だかんねっ!」

「これに対するあなたからの異論反論反対否定逃亡は一切認めないわ。もし無許可で逃亡なんて図ったときには椅子に縛り付けて尋問するからそのつもりでいなさい。わかったわね?」


 俺が発言できる隙間が一切ないほどの怒濤の捲し立てに加え、強制執行を宣言した二人。

 異論反論は一切許さないし聞かないとか悪魔かこいつら。

 まぁこうなってしまった原因が俺にあるわけだから何も言えないんだが……

 ただ、ここであっさりと許容する訳にはいかない。

 俺が原因でコイツらが陰口を叩かれるのはあまり好ましくない。

 最後の抵抗を試みてみるか。


「いやいや、ら―――」

「シーマン?」

「塩屋くん?」


『返事は?』


 最後の抵抗を試みた結果、光を失った視線を向けられてしまった。


「……あい」


 そんな目を向けられた俺は完全にビビってそう返事するしかなかった。

 その後、三人での話し合い―――一方的な説教からようやく解放され、千切り取られるんじゃないかと思うレベルで痛かった頬を擦りつつ、残りの活動時間を過ごすことになった。

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