#42 逃げる心


 私たちが塩屋くんに謝罪したあの日以降、私たちの環境は変わった。

 具体的に何が変わったのかと言うと、彼が姿を見せなくなった。

 あの日から3日経った今日も、彼の姿を部室で見ることができていない。

 最初は学校をサボっているのかと思いきやそんなわけでもない。ちゃんと登校して授業を受けているのは私も美浜さんも直接確認できている。

 けど、彼とここ数日まともな会話ができていないのは確かだった。

 美浜さんとは少し話してはいるみたいだけど、それでも一言二言程度。内容も「整備課に行くから無理だ」と美浜さんが一緒に部室に行こうと誘っても断られてしまうだけだった。


 授業合間の休み時間を使って少しでも塩屋くんと話そうとしても、気づけば彼の姿は教室から消えていることばかりだ。

 ……避けられているのかしら。

 前回の話し合いでは何の問題もなかったはず。それなのに、何故彼は私たちを避けているの?


 ……わからない。

 何がいけなかったのか。

 彼が、何を考えているのか。

 今後どうすればいいのか。

 もう、わからない……


「シーマン、来ないね……」


 ポツリと呟かれた美浜さんの声は静かな部室に虚しく消えていく。

 いつも元気な美浜さんだけど、そんな彼女も肩を落とし沈んだ表情を浮かべていた。

 元気のない美浜さんにどう声をかければいいのかわからず、結局私も黙ってることしかできずにいた。


「こんにちは~」

「邪魔するぞ」


 私たちの重苦しい沈黙を破ったのは、生徒会長である野矢先輩と、この部活の顧問で銀バスの清掃員でもある児玉先生だった。


「はぁ……。何でこの二人はノックをしてくれないのかしら……」

「まぁ細かいことはいいじゃないか」

「そうだね~ごめんね?」


 絶対この二人悪いだなんて微塵にも思ってないわよね? 先生は謝るどころか開き直ってるし……。

 会長はともかく、先生はもっと気にするべきなのではないかしら。

 そんなことでは社会に出たときに―――もう社会人だったわね。これでも。

 そんなことだから塩屋くんにあんなこと言われちゃうのよ。


 ちなみに、野矢先輩は湯本くんのあの一件の後、ちゃんと入部届けを書いて提出し、それを児玉先生が受理したようで正式にメンバーとなっていた。

 今回ここに来ているってことはもう生徒会の仕事は無いのね。


「三ノ輪、何か私たちに失礼なことを考えてないかね?」

「……いえ、何も……」


 そんな涙目で言われてしまったら何も言えないじゃない。

 そのやり方卑怯だわ。

 ……今度私も実践してみようかしら……。


「それより、今日はどうしたんですか?」


 このままだと、変な方向に話が進んで行きそうな予感がしたので、軌道修正を試みる。

 どうやら、職員会議が終わって部活の様子を見に行こうと移動をしているところ、生徒会が終わった野矢先輩と合流。そのまま一緒にここに来たらしい。


「……ん? 塩屋はどこだね?」

「シーマンなら吉祥寺営業所で作業があるってさっき……」

「作業? あいつがやる作業はこの一週間はないはずだが……」


 どうやら私たちは嘘をつかれていたようだ。

 何で……何でなのよっ!

 あの時、もう終わった話だから怒っても恨んでもいないって言ってたじゃない!

 それなのにどうして、私たちに嘘をついてまで避けているの?

 本当はとても怒っていて、顔も見たくないぐらい恨んでいるってことなの?


「……シーマンにひどい発言してたのを改めて、私もみのりんも、シーマンに優しく接するようにしてたのになぁ……」


 やっぱり身体で代償を払えってことなのかな……

 ポツリと呟かれた彼女は両手で肩を抱くようなポーズを取り、目尻には涙を浮かべていた。

 いつも明るくて元気な彼女の姿はそこにはない。

 怖がっているような印象が強く焼き付いた。


 もし、あの出来事がなければ、彼は今ごろ普通に学校生活を送れたのかもしれない。

 周りには友人に囲まれ、彼女だってできていたのかもしれない。

 それができなくなった今、私たちに体を使った代償を求めてくる可能性が無いとは言い切れない。


「そんなわけがあるかっ! ……ちょっと待ってろ」


 美浜さんのポツリと呟かれた言葉は先生の耳にしっかり届いていたらしく、やや怒鳴るかのように言い放った先生はスマホを手に取って廊下へと出ていった。

 私と美浜さんが抱えている不安。先生の言うとおりそんなはずがないと、私たちはそう信じるしかなかった。


 # # #


 乗合研究部の部室に着いた途端、何とも言いがたい重苦しい空気が漂っていた。

 いつも元気な印象が強い美奈ちゃんは泣き出しそうなのを堪えているし、クールで凛とした印象の強いみのりちゃんも希望を失った瞳をしている。

 そんな二人の言葉を聞いた先生が一言怒鳴り付けて教室を出ていく。


 そんな、あまりにも突然すぎて私は現状を把握できずにいた。

 ……今回ばかりは私、邪魔者かな?

 ふとそんなことが頭に過ったけど、私も入部した以上何が起きたのか正直気になる。だから、思いきって何があったのか二人に聞いてみることにした。


 数ヵ月前、みのりちゃんと美奈ちゃん、しょーくんの三人が関わる大きなトラブルがあって、それが原因でしょーくんの入学が大幅に遅れた。

 その日の内に謝りに行って、対応してくれた家族には謝罪できたけど本人にちゃんと謝罪ができていないことが心残りだった。

 だから、ちゃんと謝ろうと決めた二人は月曜日にごめんなさいと頭を下げた。

 結果的には許してくれて、もう終わったことだから気にするなって言われたんだって。

 すごいと思う。ここまで器が大きくすることってできるんだって感心したぐらいだ。

 それからは、二人とも今までの言動を改めて優しく接しようとした結果―――


「……しょーくんに何故か避けられてる、ってことなんだ……」

「……はい」

「えぇ……」


 ちゃんと謝って和解したにも関わらず、何故か避ける行動を取るしょーくんに二人は困惑し、ひどく落ち込んでいた。


「……やっぱり、私たち嫌われたのかなぁ……」


 本当にそうなのかな?

 もし仮に本当に二人を嫌っているのであれば行き先なんて言わないはず。

 それに、話しかけても無視して口も一切聞かなくなるはず。


 あっ……。嘘の行き先を教えた可能性があるかも……


「……あいつ、シフトを強引に捩じ込んでいやがった。井の頭営業所にいることが確認とれたよ」


 電話が終わって教室に戻ってきた先生がそう告げる。

 これでしょーくんが嘘をついているって線は完全に消えた。

 きっとしょーくんは何かに怯えている。けど、何に対して怯えているのか全くわからない。

 だったら、しょーくんが怯えている何かを聞き出して取り除いてあげよう。もしそれができないのであれば、軽減することぐらいはできるはず。

 前に彼に言われた「一人で抱え込まないで人を頼れ」を今度は私がしてあげる番だ。

 退学した先輩達に襲われそうになり、怯える私を救いだして優しく包んでくれた彼のように、今度は私が彼の事を救って優しく包み込むんだ。


「みのりちゃん、美奈ちゃん」

『……はい』


 辛そうな表情を浮かべる二人に私は―――


「今回の件、生徒会長の私に任せなさいっ♪」


 この子達の不安もできるだけ解消してあげようと元気で明るくピシッと敬礼して見せた。


「……いったい何をする気だ?」


 私の声に申し訳なさそうに眉をハの字にして「わかりました。よろしくお願いします」と返事をする一方、児玉先生は私の行動に不信感を抱いているのか疑いの目線を向けてくる。

 先生酷くないっ!? 一応この学校の生徒会長なんだよ?

 もう少し信用してくれてもいいじゃんっ!


「先生ひどいよっ! 私はしょーくんのところに行ってお話しするだけだよ!」


 私の説明に本当かよと言いたげな顔をしつつも取り敢えずは納得してくれた。

 あの先生? 私のことを疑いすぎじゃないですか?

 私泣いちゃうよ? 泣き叫んじゃうよ?


「二人とも。今回は私たちに任せなさい。塩屋が何を考えての行動なのか私も気になるからな。野矢と一緒に井の頭営業所に行ってくるよ」


 先生の説得もあり今回は私たちがしょーくんと対談をすることになった。

 その後は、先生の指示でこの日の部活は途中で切り上げて先に帰宅させることになった。


 学校から先生が運転する車で移動して営業所に到着。先生が個室会議室の使用許可を事務所で貰って、しょーくんがいる整備工場へと向かった。

 中には前にしょーくんが運転した一番古いバスが止まっていて、一番後ろのドア? 鉄製の蓋みたいなのが三枚開けられていた。

 どうやらバスのエンジンルームらしい。

 バスのエンジンって後ろにあるんだね。初めて知った。

 さて、運転席にいるであろうしょーくんのところに行くとしようかな。

 快調にエンジン音を響かせるバスの側を先生と一緒い歩いてしょーくんのところへと向かった。


 # # #


「省吾ー! 今日のチェックはストップだ!」


 目の前に立つ整備課の瀬戸山さんの合図でエンジン出力テストの終わりを告げられる。

 フル回転させていたエンジン出力を徐々に落とし、速度メーターが“0”になったのを確認し、サイドブレーキを引いてエンジンを切る。前のドアから外に出ると、野矢先輩と児玉先生がすぐ横で待ち構えていた。

 何でこの二人がここにいるんだ?

 先生は今日はシフトに入ってないし、野矢先輩に関してここには関係ないだろ。

 あれか。二人揃ってサボりに来たな?


「君の部活を君がサボっているのにそんなことを思われるのは心外だよ?」


 何で俺の思考が読めるんだよ。

 迂闊に変な想像を膨らませることができねぇじゃん。

 ……しないけど。


「三ノ輪たちの件で少し話がしたいんだ。少し付き合ってくれないか?」


 ……なるほど。そういうことか。

 多分先生が言いたいことはこうだろう。

 最近、三ノ輪たちの様子がおかしい。お前はどんな手段であの二人をあんな風にしたんだ? 何を企んでいる? っと。

 もちろん俺は何もしていないし何も企んでいない。

 そんな変な冤罪をかけられるのはゴメンだ。そうなる前に早いとこ逃げるのが一番だ。


「……いや、俺にはまだ作業が―――」

「―――君の作業はさっきの出力テストで終了だ。作業も今後一週間は無いぞ? それに、本来入ってなかったシフトに強引にねじ込んで作業してることも事務所で確認済みだ。まだ何かあるかね?」


 くそぅ……。完全に逃げ道を消されちゃったよ。


「はぁ……わかりました」


 逃亡に失敗した俺は深いため息を吐きながら諦めるしかなかった。

 俺の返事に対して「話が早くて助かるよ」と言われたが、そんな状況を作り出したのはあんたらじゃねぇか。

 文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、これ以上話を拗らせたり長引かせるのも面倒なので、口には出さずに飲み込むことにする。


 「では行くとしよう」


 先生の合図で移動を開始した俺たちは事務所から許可を得て借りた小会議室に到着。

 中に入って邪魔の入らない空間になると、三ノ輪たちに関する尋問が始まった。

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