#41 踏み出す心
シーマンの家で一緒に夕飯を食べた翌日。
昨日帰りに先生とみのりんで触れたあの一件。
私もみのりんも家族の人にはちゃんと謝罪したけど、本人にはそれができていない。
それに、謝るどころか暴言を吐きまくってるわけで。今更どうやって接すればいいのかも、どう謝ればいいのかもわからない。
「はぁ……どうしよっ」
ため息を吐きながらトボトボ歩いていると気が付けば学校の中に入っていたようで、自分の教室の前にまで来ていた。
『おはよー!』
「ハロッピー!」
先に到着していた絵奈達に声をかけられいつも通り挨拶をして、自分の席につく。すると、後から教室に入ってきたみのりんが自分の席に荷物を置いたかと思うと私のとこにやって来た。
「美浜さんおはよう」
「みのりんハロッピー!」
「その……昨日のことで話がしたいんだけど、お昼時間あるかしら?」
みのりんの言う話って多分シーマンのことだよね。
多分だけど、みのりんもちゃんと謝れてないと思う。多分そう思う。
「わかった。私は大丈夫だよ」
「なら、部室開けるからそこへ移動しましょう」
「うん。わかった」
また後でと挨拶を交わしホームルームの時間になる。
先生が今日一日のスケジュールを淡々と話していく中、私はシーマンのことで頭が一杯になっていた。
私たち三人しか知らない話。
当事者同士での重要な話。
児玉先生や心温ちゃんは関係者だからいいとして、他の誰にも関わらせたくない話。
多分、あの事故からシーマンの中の時計は止まったままなんだと思う。
入学に遅れ、友達作りに遅れ、人の関わりに遅れ……やがて人間関係の全てを諦めてしまった。
高校の充実した生活の全てを諦めて、捨ててしまった。
……そんな貴重な高校スタートを……シーマンの時間を奪ってしまったのは私だ。
あの日、私がちゃんと手を握っていればこんなことにはならなかったのに。いつもは通らない道を使わなければこんなことにならなかったのに。
そうすれば、今頃シーマンともっと仲良くなれたと思う。
みんなと一緒に笑いあってごはん食べたり、放課後に一緒に遊びにも行けたんだと思う。
少なくとも、こんな気持ちにはならなかった。
だったら、今からでも改善できるのであればやっていこう!
そう意気込んで、みのりんをだしにしてまで踏み入れた乗合研究部の空間。
そこまでやって来たのに……
どうすればいいのかわかんない。
この後どうやって話そう……
どうやって謝ろう……
どうやって接しよう……
今日のこの時間までずっと黙っていたこと。
それにも関わらずキモいとか言って悪態をついていたのも。
この事知ったら、シーマン怒るんだろうな……
暴言吐かれるのかな。
嫌われて、口も利いてくれなくなるのかな……
なんか、嫌だよ……そんなの……
そんな不安な気持ちを抱えながら午前中の授業をこなして昼休憩の時間になった。
シーマンの席に視線を向けると、昼休みになってすぐに教室から出て行ったのか姿が見えなくなっていた。
「美浜さん。移動しましょうか」
「あぁうん。行こっか……」
そうやって思考を巡らせていると、みのりんにそう声をかけられ私たちは部室へと移動した。
みのりんが職員室から部室の鍵で部室の鍵を開けて中に入る。
いつもの席に座って自分の鞄からママに作ってもらった弁当を出して、机に置き広げながらどうやって会話を切り出そうかと思考を巡らせてみる。
一方のみのりんも、机の上に可愛らしい弁当箱を置いたものの、広げようとはせずに、黙って俯いたまま動かなくなってしまった。
……どうしよう。すごく気まずい。事故の当事者同士が密室の空間であのときのことを話そうとしていうるのだから、必然的に空気が重くなるのはわかっていた。
みのりんは昨日の先生の言葉にやってみますって言ってたけど、私はそんな風にできるかなんてわかんない。
このまま何も話せないで終わっちゃう可能性の方が大きい。
どう切り出せばいいかわからず黙ったままでいると、みのりんが長い沈黙を破った。
「実は、あの時のこと、まだちゃんと話せていないの」
うん。それは知ってる。
昨日一緒に帰っているときに先生にそう言ってたもんね。
それは私も一緒。お見舞いを行ったときには心温ちゃんが対応したから、シーマンに直接謝れてなかったんだよね。
学校にようやく復帰してきたシーマンを見て何度も声をかけようと思った。
早く謝んなきゃって何度も思った。
けど、それと同時に『今更なんだ?』って言われるかもしれないって言う恐怖と、学校を遅らせた見返りを求められそうで怖かった。
そもそも、話しかけるきっかけがなかった。作れなかった。
だから、みのりんたちが立ち上げたこの部活には正直感謝している。
「だから、私はちゃんと謝罪をして、今後の接し方も変えようと思ってるの……」
みのりんから発せられたその言葉は、最初は申し訳なさそうにポショリと小さな声だったけど、自分がどうするべきなのか何がしたいのかを明確に決めていたようで私にもはっきり聞こえるようにきっぱりと言い切った。
そっか。みのりんは踏み出そうとしてるんだね。
みのりんに「美浜さんはどうするの?」って最後に聞かれたけど私の答えは決まっている。
けど、あと一歩踏み込む勇気が出せない。
どうしても怖くて怖じ気ついちゃう。
……卑怯なやり方だけどちょっとお願いしてみようかな。
「……ねぇ、みのりん」
「なにかしら?」
もしかしたらダメだって言われるかもしんないけど。
「……みのりんが謝るとき一緒に行っていいかな?」
本当は一人で謝りに行くのが一番いいに決まってる。
けど、今の私にはそんな勇気はまだない。
今まで流されっぱなしの性格を雑で荒いやり方だけど、それでも正してくれたシーマンにちゃんと謝りたい。
「一人で行くのがまだ怖いんだ……だから―――」
「いいわよ」
私の声を遮るように発せられた答えは優しい笑顔を向けたみのりんの合意を示す言葉だった。
「確かに一人で行くのは怖いものね。正直言って私も怖かったの」
だから美浜さん、私と一緒に彼に謝罪するのを手伝ってください。
彼女はそう言って私に頭を下げてきた。
もちろん私の答えはOKの二文字だ。
ひとつの山を乗り越えた気分になった私は一気に緊張の糸が解れたように胸を撫で下ろした。
今まで緊張する場面って何度かあったけど、これはまた別の意味で緊張した。
それからはお互いに少し遅くなった弁当を食べながら、シーマンへの今後の対応とかを話し合った。
# # #
『そう言えば、みのりさん達とちゃんと仲良くしてる? 同じ
今朝、心温をいつものように自転車の後ろに乗せて走らせていると突然そんなことを言われた。
言っている意味を汲み取ることができず詳しく話を聞いてみると、入学式の日に起きた事故の当事者は俺だけではなく、美浜と三ノ輪も関わっていた。
その日は珍しく早くに目が覚めて、神田高に向かう前に寄り道して、バスの写真を撮ってから行くつもりでいた。
そんな寄り道をしている最中、信号待ちをしているとあの出来事が起きた。
俺が立っていた歩道の向かい側にいたのは美浜で、逃走中の犯人に車道へと突き飛ばされた少年が美浜の従兄弟。
そして運悪く通過する直前で俺たちを轢いてしまった車には三ノ輪が乗っていた。
そのことに関してはもう済んでいる話であり今更話すような内容でもない。
だが、あいつらはどうだろうか。
もしかすると俺に対して負い目を感じているのかもしれない。
乗合研究部を強引に設立したときから思っていたことだが、美浜も三ノ輪も俺に対して毒舌を吐く割には俺から離れようとしない。
寧ろ、俺が逃げようとすると何かしらの理由をつけて止まらせているように感じる。
最初は何で俺みたいな人間にそこまでするのか不思議だった。だが、あの出来事が絡んでいるのであれば話は違ってくるし納得もできる。
罪悪感から来る感情で関わっているに違いない。
なら、俺にできることはあいつらからこの縛りを解くことだ。
罪滅ぼしのつもりで一緒に活動をしているのであればそれはあまりよろしくない。ある意味、あいつらの感情を支配しているようなもんだ。
そんな状況はすぐに排除すべきである。
ただ……もし、俺のこの予想が大ハズレだとすれば、俺の黒歴史辞典のページが更新されるだけだ。
というかそっちの方がマシだな。思いっきり恥をかくけど。
この日の授業が終わり部室まで移動している間そんなことを考えながら歩いていると、気が付けば部室の前にまで来ていた。
ドアに手をかけて横にスライドさせようと力を入れるも、一瞬動いたドアは何かに引っ掛かり物理的に動きを封じ込まれてしまう。
どうやらまだ鍵かかっているようだ。
珍しいな。三ノ輪のやつまだ来てないのか。
もしかして今日は休みなのか? 休みなんだな?
よし撤収だ。今すぐ学校を出て東京駅八重洲口にでも行こう。
「あ、シーマン先に来てたんだ?」
「ごめんなさい。待たせてしまったかしら?」
自分の中の計画が一気に崩れ落ちる声が耳に届く。
くそぉ……八重洲口で本マグロ丼でも食ってから高速バスの写真でも撮って、朝からのモヤモヤを紛らわせようと思ったのに完全に無理じゃねぇか……
それに、こいつらを連れていったら確実に俺が奢ることになる。それは避けなければ俺の財布が悲惨な目に遭う。
「いや。俺も来たばっかだ」
俺の返事に「そう」と短く返事した三ノ輪は手慣れた手つきで鍵を開け、先に中に入っていく。見た感じでは至って普通でいつも通りだ。それは美浜に関してもそう見える。
俺の考えすぎか。そもそも、こいつらがあの事故の話を切り出すとは限らない。
それに、もしその話が出てこようもんなら途中でぶった切って強制終了させるまでだ。
いつもの席に着席して読みかけの小説を読もうと鞄を漁っている傍らで、三ノ輪と美浜は窓際にまで移動し何やらひそひそ話を始めた。
俺は耳は悪くないほうなんだが、ここまで声が小さいと何を話しているのかまったく聞き取れない。おまけに、時折こちらに視線を向けながら対話しているせいもあって内容が気になってしょうがない。
そこのお二人さんや。一体何の話をしているんですかね?
あぁ、あれか。どうやって俺を社会的にも物理的にも消そうかって相談ですか。
やだなにそれ怖い。まだ消されたくないので今すぐにでも逃げ出したいんですけど。
……つか、聞かれて困る内容なんだったら俺この場に居ないほうがいいんじゃね?
そんなことを考えていると、密会が終わったのか二人は俺の方にゆっくりと近づいてくる。
そして、俺の前にまで移動してきた二人は―――
「シーマン」
「塩屋くん」
『ごめんなさい』
―――二人同時に体の角度を90度にまで折り曲げ、何の前置きもなく突然謝罪された。
なにこれ。俺何も発してないのにいきなりフラれたんですけど。
フラれる早さは今までのなかでダントツに早いんじゃね?
……そんなくだらない現実逃避はいったん放置するとして、こいつらの謝罪の意味は恐らくあの事故のことだろう。
何で今になってそんな話を持ち出してきた? もうその事なら終わった話だろ。心温がその日の内に対応しているんだからこいつらに謝罪される覚えはない。
それに、コイツらも巻き込まれた側だ。
あいつらから謝罪を受ける覚えはこっちにはないんだよ。
それでも、そんな事を被害者側って立場を後回しにしてまで頭を下げるってことは、こいつらが何を思いその行為に至っているのかは大体想像はつく。
だから、俺は―――
「私たちはあな―――」
「三ノ輪、美浜」
これ以上こいつらに喋らせないよう、わざとこいつらの声を遮った。
「俺の中ではその話は既に終わっている話なんだよ。今更蒸し返したところで何のメリットがあんだ」
話の
だから、今の状態から形を変えようとしてるのであれば俺はそれを止めるまでだ。
俺の中で納得しているこの形を無理に直そうとしても、結局は歪な形になりそうな気がしてならないからだ。
「俺はもう怒ってないし恨んでもいない」
だから、お前らが気にするような事案は何も残されていない。
俺の口からそんな言葉を聞かされた二人はもうすべてが終わったことだと認識して離れていくだろう。
今後、俺とも関わることもなくなるはずだ。
「……あなたがそこまで言うならわかったわ」
そう返事をした三ノ輪は自分の鞄のもとへと戻っていった。美浜は何か言いたそうにしていたがその時には口を開くことはなく、三ノ輪と同じように鞄がある場所へと移動していった。
これで華やかな生活も終わりだな。
こいつらは晴れて罪悪感から解放され俺は今まで通り一人になるだけだ。
最後に、部長らしくこいつらが出ていくのを静かに見送るとしよう。
「紅茶淹れるけどあなたも飲むわよね?」
「えっ? お、おぅ」
鞄をもって出ていくのかと思ったら突然そんな質問をされてマヌケな声が出てしまった。
三ノ輪の左手には見慣れないマグカップが握られていて、いつものように慣れた手付きで紅茶を淹れていく。
そんな光景を唖然と見てるしかなかった。
「このマグカップはあなたの物よ。あなたの分だけ入れ物がなかったし、それに
……ん? 何だこの違和感。
ごく普通に話しているように聞こえるが違和感しか残らない。
「おかしも一緒に食べようよっ! 今日はシーマンが好きそうなお菓子を持ってきたんだ~」
美浜がそう言って取り出したのは“ジミー”と英語で書かれたクッキーの箱。
メジャーであるバタークッキーの他にジャム入り、ココアパウダーが混じったブロックデザインなど、いろんな種類が入ったパーティーパックのようなものだ。
確かにジミーのクッキーは好きなやつではあるが……何で俺の好みが中心で考えられてるんだ?
そんな疑問を抱いていると、まるでお供え物をするかのように二人から茶菓子を差し出された。
一瞬断ろうと思ったが、不安そうな表情を見てしまうと断ることが出来ず、仕方なく受けとることにした。
受け取った紅茶を飲むときもクッキーを食べるときも、じっと見られている視線が気になり居心地が悪い。
……これは何か言えってことなのか?
「うん……うまい」
そんな感想を耳にした二人からは「よかった……」と胸を撫で下ろしながら安堵した声を漏らす。
……お前ら、今までそんな反応したっけ?
その後も、いつものように会話をしていてもどこか俺の顔色を伺っているように見える。
話し方も何時ものような俺を詰ったり罵倒するような言葉が出てくることはなく、むしろ言葉を選んでいるような印象にも感じた。
こいつら気を使ってるのか? そんな気遣い要らないんだけど。そのままでいてほしかったのに何で態度を変えちゃったんだよ。
端から見ればいい方向に変わったって思うだろうが、優しくされることに慣れていない俺にとってはすごく居心地が悪い。
そのせいもあってか、下校時間になるまで時間が進むのがすごく遅く感じた。
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