#36 話し相手
私が注文した料理がテーブルに運び込まれ同じ席でハムハムと食べていると、さっきまで先輩が使っていたパソコンが気になり、開かれたままの画面に視線を向けてみた。
ラインとはちょっと違った感じのメッセンジャーが開かれていて、やり取りの一連がすぐに見れる状態になっていた。
先輩のセキュリティー低すぎませんかねー。そんなんじゃ個人情報盗まれちゃうよ?
そんなことを思いつつ、開かれている画面をスクロールして内容を覗いてみると、
『高低差2.5』
『上って下らせる』
『外壁3m』
といった具合でよくわかんない端的な文章ばかりだった。
……このやり取りは一体何なんですかね。暗号化なんかなの? この日のこのやり取りの一番最初の用件とか『YUBについて』としか書かれてないし。
うーむ。全くわかんない。
けど、その話し相手の人も『おっけ~』とか『はいはーい』すっごく軽い感じで返事してる。何でこれだけで話が通じてるの? おかしいでしょ。
「おい、ちょっと?」
「むい?」
モグモグしながらパソコンをいじっていると、どうやら先輩がトイレから戻ってきたようで、腕を組ながら指をトントンと動かしつつこちらを睨んでいた。
あ、怒ってる怒ってる。
さすがに勝手に弄ったのはまずかったかな? どうやって言い訳しようかな。
「……人のパソコンで何してるんですかね?」
「うーん……開いてる画面が気になったので見てました」
どうやって誤魔化そうかなって考えたけど、どうやっても無駄な足掻きにしかなんないので素直に認めることにした。
もちろんテヘッ☆の動作もセットです。
「テヘッじゃねーよ。あざといやつめ。だいたい俺にもプライバシーってもんがあるんだからな?」
「むい? せんぱいにプライバシーなんてあったんですか?」
私の発言にゲンナリとした顔で肩を落とし、俺の人権がどーのこーのとかなにやらブツブツ文句を垂れながら私の隣に席を下ろした。
うるさいなー。静かに座ることもできないの?
「せんぱいのプライバシーはともかくとして、このメッセージのやり取りは何ですか? 全く意味がわかんないんですけど」
「勝手に見るんじゃんねぇよ……まぁ、お前が見たところでわかんないだろうな」
はい。全くわかんないです。あとそのドヤ顔は何ですか? 別にドヤ顔するようなレベルでも何でもないし気持ち悪いだけだからね。
「大体この“YUB”ってなんですか?」
「八重洲アンダーバスターミナルの省略した呼び方だ」
「八重洲アンダー……アンダー? アンダーアーマーですか?」
「スポーツメーカーの話じゃねぇよ……最後のバスターミナルを消すな」
メーカーの話じゃなくてバスターミナルの話なんですね。知らなかったです。
先輩の話によると八重洲地下バスターミナルを横文字にした呼び方らしい。
何でわざわざ横文字にしたの? 日本人なんだから日本語でいいじゃん。
無駄にカッコつけすぎだと思う。
そんな風に思っていると、先輩達が話していた内容がふと脳裏によぎった。
―――半世紀に渡る記憶を一切間違えないなんて無理だ。それができるのはターミネーターかとあるアニメの能力者ぐらいだろ。
―――半永久の記憶なんて無理。よって記録することにする。それが俺らの活動方針だ。
―――バス好きの、バス好きによる、バス好きのためのサイトを作成し運営管理をする。
この三つの言葉、臭くてしょうがないセリフはどれも先輩が言い放った言葉。
全く興味のない人が聞けば「へぇーそうなんだー」って一言で片付けて、即座に別の話題に変えて後々その人と話すことはないだろう。
けど、そういった方面で好きな人間、あるいは興味を少しでも持っている人間が聞けばどれかは心引かれるものがあるのかもしれない。
……別に私はバスが特別大好きって訳でもないしそこまで興味があるわけでもない。
けど、先輩のセリフはどれも私の心に残るものばかりだった。
……おかしいなぁー。私にはヲタク要素なんて無いはずなんだけど……
そんな私のことより先輩の話し相手の方が気になる。
この人もバスが好きなのかな。じゃなかったら先輩とこんな感じのやり取りなんてしてないか。
それと、これは私の勘だけど……この人、多分女の人だよね? うん。なんか気になるから聞いてみることにしよう。
「ところでせんぱい」
「何だよ」
「このメッセージのやり取りの相手って女の人ですか?」
「知らん」
いや知らんって……先輩の話し相手でしょ。
てか、顔が見えない相手の性別を男の人って気にしていそうなイメージだったんだけど違ったのかな?
顔の見えない女の人に対して勝手に妄想を膨らませてハァハァとかしてそう。
……うん。キモい。想像しただけでキモかった。
「聞いたりとか、気になったりとかしないんですか?」
「んなもん知ったところで何になるんだよ。今後会うこともないし話すことだって無くなるんだぞ? そんな相手のことを知る気もないし教える気もない。万が一、そんなことが起きようもんなら全力で逃げて隠れるまでだ」
全力で逃げて隠れるんだ……。
まぁ、可愛い後輩の私からも逃げようとしてるもんね。さっきなんてミートドリアを注文したばっかなのに食べないで帰ろうとしてたし。
マジで逃げ出しそうだよこの人……
「八重洲ってあの東京駅の八重洲ですか? あそこって地下にバスターミナルなんてありましたっけ?」
「今作ってる途中だ。と言ってももう建物自体は完成してるから後は内装だけらしいぞ。なんだ? お前も興味があるのか?」
「うーん……そこまでは」
「そうかよ……ま、お前が興味があるとか言い出したらどっかから石が飛んできそうだな。主に俺の方に。そんなわけでお前はバスに興味を持たない方がいい。主に俺が攻撃を受けることになる」
先輩の方に石が飛んでくるんですね……何でこの人はさっきから自分自身が被害を受けるような言い方ばかりなんでしょうか。
そして、なぜかこうも否定的で拒絶されると無性に反抗したくなるわけで、私のことを突き放そうとする先輩に噛みついた。
「別にいいじゃないですかっ! 美奈先輩とか三ノ輪先輩は興味持ってて同じ部活に入ってるじゃないですかっ!」
「あいつらはもう手遅れなんだよ」
「なるほど、手遅れなんですね。そのことをお二人に報告しておきますね?」
「おいやめろ。俺が今後安心して生きれなくなるだろうが」
先輩の今後なんて私には知ったこっちゃないもん。
そんなことを言いつつ先輩は再びパソコンをいじり始めた。
# # #
八重洲バスターミナルの設立担当者の人との大方のやりとりを終えた俺はスカイプをオフラインにし画面を閉じた。
この人と話すキッカケになったのが今から5年前の夏あたり。
ちょうど都市開発計画の一貫として八重洲の地下にバスターミナル建設と複合施設を兼ね備えた高層ビルの計画案が上がっていて、より良いバスターミナル建設のために外部からの意見も取り入れる目的で設置されたアンケートに応募したのが始まりだった。
アンケート送信してた翌日に自分のメールボックスに普段届くはずの無い新着メールが来ていて、スムーズな会話ができるようにスカイプをインストールしアカウントを発行し、そのIDを送るようにと書かれていた。
メールでよくね? そんなことを思いつつもメールの内容に従い、自分のIDを相手に送った。
最初は事務的な挨拶から始まったが、時間と話が進んでいくにつれて相手がだんだん砕けはじめた。
今となってはナゼかチョイチョイいじられつつも、普通に会話をしている。
ちなみに、俺のスカイプでのハンドルネームは“塩屋”と名字だけにしているが、相手は“ドリー”と名乗っている。
最初だけ年齢を聞かれたが、それ以降はなにも聞かれていないしこっちからもなにも聞いていない。
俺の隣に座るやつからは相手のこと気になったりしないのかと聞かれたりしたが、全く気にならないわけではない。
だが、気になって相手の個人情報を聞き出したところで何のメリットになるのかがわからない。
相手が男であろうと女であろうと、今後会うことはまず無いのだ。
他のネットでのやつらは相手が女であればSNSを駆使してまずは会ってみて、うまく行けば自分の物にしようと言う残念な思考を持っているやつらが多い。
そんなやつらと違って俺は今後会うことどころか、今回の件が完全に終わったら俺の方からフェードアウトするつもりなのだ。
そうなれば今後関わることもなくなるだろう。
「そういうことを聞いてくるお前は、見えない相手の性別とか気にするやつなのか?」
コイツから先に聞いてきたんだからこれぐらいの質問ぐらい問題ないだろう。
「私は男も女も気持ち悪くて変な人でなければウェルカムなので何も気にしないですよ。何でもいいんですけど、何でせんぱいはさっきから私のことを“お前”とか呼ぶんですか? 私にはちゃんと名前があるんですけど」
俺の質問に以外と素直に答えてくれたのまではいいんだが、ことのついでにクレームも飛んできた。
いや、コイツの名前知らないし……
「私にはちゃんと桃内桃夏って名前があるんです」
「ほう。そうか」
「何でそんなに反応が薄いんですかね……。そう言えば先輩の名前は何ですか?」
「……教える必要性あんの?」
「私はちゃんと自己紹介したのにせんぱいだけしないとかおかしいじゃないですかー」
いや。俺としては今後君とも関わる気なんて無いんだから自己紹介の必要性を感じないんだけど。
「塩屋だ」
「苗字だけだと心温ちゃんと被っちゃうじゃないですかー。下の名前もちゃんと名乗ってくださいよー」
「はぁ……省吾。塩屋省吾だ」
「はい、知ってます♪ 生徒手帳届けたときに名前見たので」
こんにゃろ……!
生徒手帳を見て名前を知ってるんだったら最初っから聞いてくんなよ。
「塩屋省吾なので……“せんぱい”でいいですねっ」
「ねぇ、さっきの自己紹介した意味はどこいった?」
「あれは形ですよ、形。一応上部だけでも自己紹介はしておいた方が気分で気にいいじゃないですかー。そっから始まる交流とかもあるんですよ?」
「そういうもんなのか?」
「そういうもんなんですっ」
はぁ。そんなもんなのかね。
生産性の無い自己紹介なんてしようとも思わんからさっぱりだ。
「そんなわけなので先輩の連絡先を教えてください」
「いや、意味がわからん。何でそうなった」
「さっきも言ったじゃないですかー。一種の交流ですよ。交流」
いやこの子わかってて言ってんのかね。君は中央線での被害者で俺は加害者だよ? 不本意だけど。
何でその被害者が加害者の連絡先を聞きて交流をしようと言う発想になるんですね?
普通なら今後関わるのを嫌がるもんだろ。
あっ。そうか。
あの時取れなかった金をこれから先じわりじわりと搾り取っていこうって考えだな。なんて恐ろしいこと考えてやがるんだ。
「……却下だ」
「何でですかっ!」
「どんな請求が来るかわかんねぇ」
「いや、私は何かあったときにせんぱいをこき―――頼ろうと思ってたんですよー」
いや、今こき使うとか言おうとしたよね?
こういうやつって結構しつこいんだよな。連絡を取りたいからって何度も頼み込んで、いざ教えてメールでのやりとりをすると、俺とのメールの内容を洗いざらい公開され笑い者にされるに決まってる。そうなる前に阻止しなければ。
こいつがしつこく聞いてくるのを覚悟をして身構えていたわけだが、桃内は「まぁ今はいいです」と言って思いの外すんなりと引き下がってくれた。
とりあえず危機は乗り越えたと言っていいだろう。
そんな上っ面だけの簡単な挨拶を済ませると、桃内はいつの間にか食事が済んでいたようで鞄から参考書などを引っ張り出して勉強に勤しみ始めた。
考えてみればコイツも受験生なんだな。
だったら俺がここにいてコイツの勉強を邪魔するわけにはいかないな。
よって、心温には家から追い出されたけど家に帰って自分の部屋に引きこもるのが一番かもな。
自分のパソコンを鞄に入れて伝票を持って席を離れようとすると、ナゼか桃内に腕をガシッと掴まれてしまった。
「ちょっとせんぱい、どこに行こうとしてるんですか」
「いや、お前今から勉強するんだろ? 俺いらねぇじゃん」
つか、俺邪魔にしかならんだろ。
「はぁ? 何言ってるんですか。私今から勉強しようとしてるんですよ? これでも受験生なんですよ? これでも意味がわかんないんですかね?」
「だから知ってる上で俺が消えようとしてるんだろーが」
「何でそうなるんですかっ! 勉強しようとしてるんだから教えてくださいよ」
……は?
何で俺なんだよ。んなもん仲のいい男子にでも媚びて教えてもらえばいいだろ。
「ほら私ってーこれから中間試験じゃないですかー」
「知らねぇよ……」
どんな自己紹介だよ。
「むぅ……じゃぁわかりました。一人で頑張る代わりに私が70点以上の数字が取れたら私のお願いを聞いてくださいねっ! 絶対ですよ!」
「はっ!? 待て待て、何でそうなる」
俺の抗議の声なんで全く聞き入れる様子など全く無く、桃内は引っ張り出した勉強道具を鞄に詰め込んで出て行ってしまった。
騒がしいやつが帰ったところで、俺もそろそろ帰ろうと伝票を手に取ると、ナゼか二枚重なって置かれていることに気づく。
桃内が注文していた伝票が一緒になっていた。
あいつ、金払わないで帰りやがったな。
「チクショウ……何でこうなった」
桃内の分も払うことになった俺は静かにそう呟くしかなく、レジで会計をしてお店を出て家に帰ることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます