#32 SOS(ヘルプ)センター


 校内での性的暴行未遂事件から二日が経った水曜日。

 いつものように中央線に乗って学校へと向かっていると、吉祥寺で何やら見覚えのある人物が電車の到着をホームで待っていた。


「げっ……何でこの人がここにいるんだよ」


 俺のそんな独り言なんて聞こえているはずがないが、閉ざされたままのドア向こう側の人物は俺の顔を見るなり目を見開いた。

 けど、それも一瞬のことですぐにばつが悪そうに目を伏せてしまう。

 電車が完全に停車してホーム側のドアが開き、乗客が降りたのを確認すると俺の目の前にその人物は乗り込んできた。


「おはよう……体の具合はもう大丈夫なの……?」


 野矢望羽先輩。ひとつ上の先輩で、俺が通う高校の生徒会長。

 そして、二日前に起きた暴行未遂事件の被害者本人である。

 彼女が俺のことを心配している理由は二日前に俺が現場から先輩を連れ出そうとした結果、現場にいた加害者側の先輩にボコボコにされて病院に行ったからである。


「もう大丈夫ですよ。一部まだ痛いとこありますけど何ともないです」


 入院するようなレベルではなく、病院内で少し休んでその日は帰宅。

 後になってから症状が出るのも怖いからと言ってCT検査とレントゲンなども受けたが特に異常なしとの診断が下った。

 ただし、体の大事をとって一日は休んで様子を見て、何も問題がなければ翌日から普通に登校していいと許可を得た。


「……ごめんね。私のせいで……」

「もうその話はその日で終わったことじゃないですか。面倒臭いのでいちいち話を蒸し返さないでください」

「……言い方が何か癪に障るけど、わかった。ありがとう」


 吉祥寺を出発して東京方面に走る電車に揺さぶれながら前回の話を少しだけするが、俺がほぼ強引に会話を終わらせた。

 嫌な過去を蒸し返したところで何のメリットも生まれないに決まっている。

 俺のドストレートにぶつける言葉に対して不満そうに口を尖らせるも、すぐに前回の時のような笑顔に変わった。

 そう言えば、あの先輩たちはどうなったんだろうか。

 俺としては証拠も合わせて訴える構えでいたが、先輩の強い要望で訴えるのは保留にしている。


「あの先輩たちは―――」


 俺が考えていることがわかったのか、先輩は真っ直ぐこっちを見てこう告げた。


 ―――退学処分になったと。


 学校側も事態を重く見たようで、学校の規則で最も重い退学としたのだ。

 本来ならメディア沙汰になってもおかしくないレベルなんだが、病院への搬送が先生によるものと、俺らが裁判沙汰にするのを保留にしているのもあってそこまでの大きな騒ぎにはなっていない。

 因みに、病院には階段からの転落事故となっている。


「とりあえず、ろくでもない先輩が消えてひと安心ですね」

「……なんか随分と悪意が含まれた言い方だね」


 そりゃそうだろ。つか、先輩は何でそこで苦笑いなんですか。

 あれだけの事をやらかしてくれたんだから皮肉一つや二つぐらいいいだろ。

 一方的にやられてるのに黙ってられるかっての。

 寧ろ、警察に被害届を出さなかっただけ感謝してほしいぐらいだ。


「ところで話は変わるんだけど―――」


 あまり思い出したくないのか、ザックリと話の話題を変え再び口を開き始めた。

 まぁ、俺もこの事を思い出すだけでムカついてくるから別にいいんだが。


「なんですか?」

「君の通学手段は中央線なの?」


 何でそんなことを聞いてきた? 別に教えても何も問題はないんだが……


「そうですけど」

「他に乗り換える路線とか無いの?」

「……? 無いですね。この路線一本だけです」

「そっかぁ~。わかったわかった」


 いやいや一人で納得しないでくれます? 何がわかったのか俺には全く伝わってこないんですけど?

 あと、『わかった』を二回も言う必要あったのかよ。


「まっ、これからもよろしくね? 色々と頼りにしてるから」

「うへぇ……完全にコキ使う気満々じゃないですか……」

「君が自分で『俺を頼れ』って言ったんじゃん。自分の台詞ぐらいちゃんと責任とりなさい」

「……へい」


 そう言われてしまえば何も言い返すこともできない。

 よって、俺は渋々そう返事するしかなかった。


 # # #


 この日の全ての授業が終わった放課後。

 グランドで元気よくボールを追いかけ回す運動部が活動する中、俺は今日も乗合研究部の部室に足を運んだ。

 部室に繋がる廊下を少しばかり歩くと俺が所属する部活の部屋に到着した。中には既に二人が到着しているようで、美浜のバカっぽいが明るい声に三ノ輪がそれに相槌を打つ会話が外にまで聞こえてくる。

 さて、今日からまた平和な時間でも過ごすとしますか。


「よう」


 部室のドアを開けて中に足を踏み入れると、『タラシーマンが来た』だの『引っ掻け屋』だの変なあだ名が飛んでくる。

 だから、その不穏なあだ名やめてくれませんかね?

 別にあんな現状好き好んでやってる訳じゃねぇよ。

 まぁ俺の呼び名は今はどうだっていい。

 俺が今一番気になっている現状、それは―――


「なぁ? この教室の看板だが、いつの間にちゃんと表記するようになったんだ?」


 俺のそんな質問になぜか呆けた表情を浮かべる二人。

 えっ? 何その反応。俺そんなに変な質問した?


「この看板、あなたが要請したんじゃなかったの?」

「全権力をお前に奪われている俺が出来るわけ無いだろ。……てっきり三ノ輪が分かりやすいように表記させることにしたのかと思ってたんだが」


 部長でありながら、全ての権力を行使できない俺に決定権なんて物も存在するはずがない。

 そんなことを考えながら三ノ輪の次なる答えを待っていると意外な言い回しで回答が返ってきた。


「私があんな・・・表記の仕方をするわけ無いじゃない」


 こいつの性格上、否定するときは真っ直ぐ分かりやすく伝えてくるわけだが、三ノ輪はわざわざワンクッションおいて否定した。

 その言い回しにどこか引っ掛かる。

 中に入った部室を一度出て、改めてこの教室の看板を眺めてみた。

 “乗合研究部”と記載された文字のすぐ横に“SOSヘルプセンター”と謎めいたやつまでオプションとしてくっついていた。


「おい。SOSヘルプセンターって何だ」

「私が知るわけ無いでしょ。こっちが聞きたいぐらいよ」


 ふむ。否定の仕方からにして本当に知らないんだろう。

 じゃあ、この看板は一体誰がやったんだ?

 そんな風に考えていると不意にドアがされた。

 三ノ輪の返事のすぐ後にドアが開かれた。


「ちゃちゃ~んっ! しょーくんの愛しい愛しい望羽ちゃんが来たよっ☆」

「あざとい。帰れっ」

「いきなり酷くないっ!?」


 思わず反射的に言ってしまったがマジであざとかったから仕方がない。

 しかも両腕をYの字に上げて“ちゃちゃ~ん”なんて効果音つけられたんじゃ尚更あざとく見える。

 ……グッと来ました。はい。


 俺にあざといの一言で一蹴されプースカ怒る残念生徒会長の隣に爽やかイケメンの金髪男子―――湯本裕二が困ったように笑っていた。

 いや、何でこいつがここにいるの? お前なんてお呼びじゃないんですけど?

 そんなことを考えていると、湯本の方から先に口を開いた。


「へぇ……ここがSOSヘルプセンターか」


 湯本はそう溢しながらゆっくりと室内に足を踏み入れてきた。

 おい。誰も入っていいって許可なんて出してねぇぞ。入ってくんじゃねぇよ。

 あと、ここは乗合研究部であって何でも屋じゃねぇんだよ。


「ここは乗合研究部であって何でも屋じゃないわよ? ここに何しに来たのかしら?」


 俺が考えていたことをそっくりそのまま口に出し、さらに何しに来たのかを咎める三ノ輪。

 三ノ輪こいつ湯本こいつの事が嫌いらしい。

 三ノ輪の態度と言動的に随分と毛嫌いしているようにも見受けられる。

 ……何があったのか知らんが俺を巻き込むのだけは止めろよ? 面倒臭せぇから。

 三ノ輪の棘のある質問に半笑いを浮かべながら答えた湯本の回答は「依頼」だった。

 ……こいつ日本語がわかんねぇのか? ここは何でも屋じゃないってさっき三ノ輪が言ってただろうが。


「ここはヘルプセンターなんだろ?」

「だからちげぇってさっきから言ってんだろ。ヘルプセンターなんて名前誰も決めてねぇし許可も出し―――」

「許可は私の承認だ」

「改名の認可も私がしておいたよ~」

「……」


 俺の反論を遮るかのように野矢生徒会長と、俺たちの担任でこの部活の顧問である児玉先生が同時に発した。

 おい、残念教師と生徒会長。一体何してくれてるんだよ。俺らの部活はバスのことを調べとけばいいんじゃなかったのかよ。

 ふざけんな。今すぐ取り消しやがれ。


 ―――そう叫びたいとこだが、話の流れ的に教師間ではその認識は広まっているようだし、その話は生徒にまで流れ始めている現状と見ていいだろう。

 でなければ湯本がここに来ることはまずあり得ない。

 下手に逆らうと俺が一方的に被害に遭いそうなので黙っていることにした。

 ……とりあえず、この残念生徒会長にはあとからお仕置きだな。


「……んで、結局何しに来たんだよ」


 本題に入る気配がなかったので俺から話を振ることにした。

 実際問題、何しに来たかってのも気になるところだ。


「あぁそうだね。実は、野球部の合宿をやろうと言う話が上がっているんだが、場所が決まらなくてね……生徒会長に相談したところSOSセンターに行けば解決できるって言われて案内してもらったんだ」

「……さっき三ノ輪がも言ってたことだが、ここは乗合研究部であって何でも屋じゃねぇ」

「でも看板には書いてあるじゃないか」

「そんな看板こっちは作った覚えは―――」

「―――さっきも言ったけど、ネーミングを考えたのは私でネーミングの変更許可と看板作成は児玉先生。しょーくんのために頑張ったんだよ~♪」


 何で同じことをまた言った? しかも最後のセリフいらないよね?

 そんなこと言ってると俺がここに座っている冷却女に氷点下の眼差しで睨まれるだろうが。

 そんな恨み言を心の中で吐いていると近くで様子を見ていた児玉先生が割って入ってきた。


「それぐらいは別によかろう。別に何でもかんでも受けろとは言ってないし、ヘルプセンター自体も公表する気はない。少しばかり君らの知恵がほしいだけなんだよ」


 ……その言い回しは卑怯じゃないですかね?

 そんな言い方されたんじゃ断りづらくなるじゃねぇか。

 仕方ない。話を聞くとしよう。

 湯本の話によると、野球部の合宿をしようと話になっているらしい。

 こいつ野球部に入ってたんだな。つか野球部が金髪で髪が普通に長めってどうなんだよ。黒く染めてボウズにしろよ。

 俺には関係ないけど。


 んで、土地勘と現地までの交通手段、それに伴った料金がわからなくてこっちに相談してきたんだとか。

 んなもん自分で調べろよ。

 だが、先生の監視下にあるこの現状で迂闊に蔑ろな態度を取ることが出来ず、結局場所探しを手伝う方向で湯本の話が終了した。


「会長。会長がこの部活の一員で助かりました。ありがとうございます」

『……はっ?』


 思わず俺を含めた三人、三ノ輪と美浜が同時に同じ反応をしその直後に二人の視線がこちらへと向けられた。

 何かスゲー何か言いたそうな顔してるよ。

 怖い。逃げ出したい。何ならそのまま自分の部屋に閉じ籠りたい。


「あぁ言い忘れてたけど、私も今日からこの部活の一員だからねっ」


 いやいや何だそれ。何にも聞かされてないんだけど?

 こいつら二人はなにか聞いてたかどうか確認しようとしたが、真っ先に飛んできたのは非難の嵐だった。


「シーマンキモいっ! 勝手に部活の名前変えて女子の先輩まで率いれるとかあり得ないっ!」

「驚いたわ。あなたがそんな強行突破をする愚行に及ぶとは……これはそれなりの対価を受ける必要がありそうね。それか、別の方法がいいかしら?」

「だから俺のせいじゃねぇっての……」


 野矢先輩の入部発言に不満があるようで、八つ当たりで思いっきり俺に暴言毒舌を繰り広げ、氷点下の視線のを送る三ノ輪と茹で蛸のように顔を赤くしてプンスカと怒る美浜。


「クソ……っ。平和に過ごす予定だったのに何故こうなった……」


 突然現れた湯本と野矢先輩の爆弾発言によって、俺の平和な時間を過ごす予定だった俺の計画は一瞬にして霧消したのだった。

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