#11 環境整理
午後の授業もすべて終わった放課後。
教科書などを鞄に入れて後ろのドアから教室を出ると、俺と同じタイミングで教室を前のドアから出た存在に気付いた。おかしい。一番早く出たつもりなんだが。
どんなやつなのか少しばかり気になり、その人物の方へ視線を向けると、相手も同じようなタイミングで此方に視線を向けてきた。
「……何故あなたがここにいるのかしら。まさか私のストーカー?」
「誰がお前のストーカーなんてするかよ。俺は教室から出たところだ」
俺の顔を見るなりストーカー扱いしやがって。そんなに俺を犯罪者に仕立て上げたいのかよ。
「私も今この教室から出たところなんだけど―――」
「……何だよ?」
「……あなた、ここのクラスなの?」
「そうだが?」
俺がそう答えると一瞬だけ驚きに満ちた表情をし続いて右手を額に当て首を横に振るしぐさを見せてくる。ウンザリとでも言いたげな表情をしていた。このままため息すら聞こえてきそうである。
「まさかあなたと同じクラスとは……私にとっての最大の失態ね」
ちょっと? クラスが一緒なだけで自分の道を踏み外したみたいな言い方するの止めてくれます? 俺が悪い方向に勧誘したみたいに聞こえるじゃねぇか。
「そうかよ。そいつはどうもすみませんね」
それだけ返事をしてドリンクを買うために部室とは反対方向へと体を向け歩き出す。
「どこへ行くのかしら?」
「飲み物を買いに行くだけだ」
「必ず来るのよね?」
「……あぁ。先に行っててくれ」
何なんだこの会話。いかにもリア充がしていそうな会話に吐き気すら覚える。
俺はいつからこんなに気持ち悪くなったんだ? 元からですね、はい。
罵り合いをひとまず切り上げて、俺は飲み物を買ってから向かうことを伝え自動販売機がある場所へと向かった。
自動販売機の前に到着して、ドリンクを買おうと財布からお金を入れようとしていると横から声を掛けられた。
「おっ、塩屋じゃないか」
その声の方向に視線を向けると、児玉先生がポケットに手を入れながら俺の方へと近づいてきた。先生はそのまま俺のすぐ隣に立ち続けて質問を投げ掛けてきた。
「三ノ輪とはどうだね?」
この質問には正直に答えていいんだろうか。相手がいないところで悪口? を言うのも何だか気が引ける。
正直に言おうかどうか悩んでいると、先生が俺のそんな思考を悟ったのか思ったことをありのまま言ってくれればいいと言ってきた。ここで話したところで別に悪口だの何だのと咎める気はないらしい。
なら、俺が思っていることをありのままぶつけてみるとしよう。
「何を考えてるのかわかんないやつですね」
するとまるで俺の返答を予測していたかのように先生は軽く笑って見せた。
「まぁ、私は君らに関しては上手くやっていけると思うがね」
「その自信はどっから沸いてくるんですか?」
どっからそんな根拠の無い自信が沸くんだよ。だいたい昨日の会話を聞いてたじゃねぇか。あんなやり取りを目の当たりにして何でそんな発想が浮かんできたんだ? 正直わかんねぇ。
だが、俺のそんな疑問に対する先生の回答は以外とあっさりしていた。
「自信? そんなもん無いよ。女の勘ってやつさ」
確信を突いているわけでもなく、俺たちのこと信じているわけでもない。
ただの女の勘。そう思っただけであり、そう感じただけであり、そう願っただけの端から聞けば身勝手で自己中心的で適当な返事。
そんな適当な返事だったにも関わらず、気づけば俺の心は突き動かされていた。
先生がそう感じ取ったんであればやってみようじゃねぇの。俺が心底嫌になるまで、あるいは三ノ輪から完全に拒絶されるまで。お互い信じ合うにまでは至らないにしろ、何も気にせず何でも言い合えるようには仲にまでなれればいいんじゃないだろうか。
まぁ、どれぐらいまで進行を深めることができるのか実験してみる価値はありそうだ。
だから、俺は───
「まぁ、俺にできる範囲内で面倒くさくなければ……今後も頑張ってみます」
照れ隠しで顔が赤くなっているであろう自分の顔を見られるのが嫌でプイッと顔をそらしそう答えた。
だって俺が言うような台詞じゃねぇもん。
「ほんとに君は可愛くない奴だな」
先生はそう言いながら少し乱暴に俺の頭をワシャワシャと掻き回した。
恥ずかしすぎて死にそうなんですけど、止めてくれませんか? 先生のこと直視できなくなります。
暴力と暴言、職権乱用さえなければ生徒思いのスゲーいい人なんだけどなぁ……
そんなことを思いつつ先生の顔を少しだけ覗いてみると、物凄く優しそうな笑みを浮かべているのが視界に入り、余計恥ずかしくなった俺は完全に先生の顔を直視できなくなってしまった。
# # #
先生からの伝言を受けたあと自動販売機でドリンクを買って部室に向かうと、部屋の鍵は既に開けられていて、三ノ輪が中で待機していた。腕を組んで中指をトントンと小さくリズムを刻んでいる辺りから見ると、かなりご立腹な様子だった。
なんか負のオーラが見えるし……マジで怖いんだけど……。
「……よう。遅くなって悪かった」
謝罪しながら教室内に入ると早速罵倒の集中砲火を浴びせられた。
「随分と遅い出社ね。一体何処をほつき歩いていたのかしら? 味塩部長?」
「……悪かったって謝ったじゃねぇか。それと俺の名前を食卓の調味料に改名するのやめろ」
前言撤回。こいつと仲良くなれる気がしねぇ……。今すぐにでも家に帰って枕を濡らしながら顔を埋めたい気分だ。
だがまぁ、遅くなったことには変わりはねぇしコイツで今回は目を瞑ってもらうとしよう。
「だから……ほれ」
顔を逸らしながらぶっきら棒にレモンティーを差し出した。
普段こんなことしないもんでね。どう渡せばいいのかわかんねぇんだよ。
一方の三ノ輪は突然差し出されたレモンティーを目の当たりにして、訝しげな表情でこちらを睨んでくる。
「……これは何の口止め料なのかしら? 私に対して
「何でお前に猥褻なんかしなきゃなんないんだよ」
「あら、私のこと好きなのかと思っていたのだけれど?」
「いやそれは無いな。俺はMじゃねぇんだよ」
何でもいいけど、今までの会話でどう繋がるからそんな発想が浮かんでくるんだよ。どう聞いても仲の悪い者同士の言い争いにしか聞こえないよね?
「あらそう」
俺の答えに対して三ノ輪は短く返事をし少し残念そうな表情を浮かべていた。
何でそんなに残念そうなんだよ。そんなに俺のことを甚振りたかったの? 恐ろしすぎるんですけど。
「あなたはこのドリンクで私が簡単に釣れると思っているのかしら? その考えは浅はかだし私はそんなに安い女じゃないわ。私のことを見縊るのは辞めなさい」
そんなセリフを吐く彼女の表情は自分に自信に満ち溢れた表情になっていた。
よし、決まった。
そんな声すら聞こえてきそうなほどのドヤ顔にもなっている。
もともと君の事を釣る計画も考えもしてないからね? 勝手の話を進めるのを辞めていただけませんかね。
「へいへい。わかりましたよ。何でもいいから早く掃除始めようぜ」
これ以上この不毛な戦いを行ったところで俺の体力と精神力が思いっきり削られそうなので、適当に返事をして強引にこの会話を終了させ掃除へと取り掛かった。
まず一番最初に片付けるべきものは大量にある机と椅子だな。こいつらがあることによってスペースがかなり奪われている。この邪魔なものをどかすことが最初の作業だな。そう自分の中で意気込んで作業を始めようとするが、ある問題点が浮上する。
「この机と椅子はどこに運んだものか……」
肝心の移動先が決まっていなかった。クソ……さっき先生に聞いとけばよかった。
「この教室の二つ隣の部屋が空いてるからそこに入れていいそうよ。移動許可は先生からもらったわ」
「お、おう……わかった」
どうしようか悩んでいると三ノ輪が移動先を教えてくれた。しかも先生からの許可つきである。
いつの間にそんな許可を取ってたのかよ。
三ノ輪は椅子を持ち、俺が椅子と机のセットをもって移動開始。教室内にびっしりと積み上げられていた机といすの量を考えると、何度も往復しなきゃなんないし正直言ってかなり億劫な作業だ。しかも二人だけでの作業だけに無謀とも言っていいような作業だ。あんまり考えすぎると余計めんどくさくなるし疲れてくるだけだ。二つ先の教室ならそこまで距離もないだろうから無心で作業をこなせばすぐにでも終わるだろう。
そんなことを考えながら作業を進めていたが───
無理だった。かれこれ30往復ぐらいしたが全然終わる気配がない。部室に戻って少し休んでいると三ノ輪がクレームを飛ばしてきた。
「塩屋くんまだ半分しか終わっていないわよ? なのになんで椅子に座ってさぼり始めているのかしら?」
「いや少し休ませてくれよ。あまり動くことのなかった俺にとってはこの労働はきついんだよ」
「はぁ……わかったわ。10分だけあげる」
俺のことを考慮してくれたのかそれとも三ノ輪も実は疲れていたのかはわからないが休憩を挟むことに賛成してくれた。
「その代わり1秒でも多く休んでいるようであれば塩をかけて溶かすわよ?」
「……人のことをナメクジ扱いしてんじゃねぇよ」
「ふふふっ……」
俺のことを貶したり罵倒しつつもこの空間をどうやら楽しんでいるようだ。楽しんでいただけて何よりです。はい。
俺はまったく楽しくないけどな。
「さて、塩屋くんは紅茶は飲めるかしら?」
「え? お、おう」
俺の返事を耳にした彼女は特に何も言うことなく教室を出て行った。
つか、さっきみたいな会話をこれからも続けてなきゃなんねぇの? ものすごく疲れるんですけど。この状況を改善するにはどうすれば……って、もう答えは出てるじぇねぇか。
ならばあとは実行に移すまでだ。
机に置いていた鞄を手に持ち教室から出ようとドアの方向へと体を向けると、ドアのところには三ノ輪が仁王立ちで立ちふさがっていた。
「あなたはいったい何をしているのかしら?」
両手にドリンクを持った彼女はとても低い声音を吐き冷たい視線を向けてくる。
こ、怖い……
まったく言うことを聞かない犬を睨みつけるような視線をしていやがる。俺は犬なのかよ。
「私がいない間を狙って逃げ出そうとしたのかしら?」
「……うっ、えっと……」
クソ。何も言い返せねぇ。俺の計画を的確に当ててきやがった。
どう答えるか悩みながら三ノ輪の様子を窺っていると突き刺さるような鋭い視線から一転し何かを諦めた表情へと変わっていくのが分かった。
「あなたもそうやって離れていくのね……」
今にも消えそうな声でポツリとつぶやく三ノ輪の顔は失望感を漂わせていた。
……何なんだよ。さすがにそれは卑怯だぞ。
「もう無理して来なくていいわ……。引き留めてしまってごめんなさい」
そうこぼす彼女の眼には薄っすらと涙を溜めていた。恐らく泣くのを必死になって堪えているのだろう。そんな顔を見てしまってはこれ以上のことはできない。
「はぁ……別に帰らねぇよ。荷物を少し移動させようとしただけだ」
あんな顔を見てまで強引に帰ろうとは思わん。それでこいつに元気が無くなる方が後味が悪い。
「あらそう?」
「そ、そうだ」
先ほどまでシュンとしていたあの空気はどこへやら、パァッと明るくなり子供のように目を輝かせ始める。うわぁ……いい笑顔していやがる。頭はいいんだろうけど精神的な思考のほうはものすごく単純なんだな。
それにしても何なのこの子。山の天気みたいにコロコロと気分が変わるの?
なにそれ、ただの情緒不安定じゃねぇか。
「まぁあなたが逃げれるとは思っていないのだけれどね。逃げれる場所すら無さそうだし」
「俺のことを遠回しにホームレス扱いすんの止めてね」
完全回復してんじゃねぇか。ここまで一瞬にして回復されると無性に腹が立ってくる。
さっきまでの俺の罪悪感返せよ。
「お前、ほんっといい性格してるよ……」
「あらそう? ありがとう」
「褒めてねぇっての……」
無駄な罪悪感と神経を使いゲンナリする俺に対し、三ノ輪は悪戯に成功した子供のように楽しげな笑みを向けてくる。
何だこれ。家族以外でここまで話が続いたのは今回が初めてだぞ。とは言ってもほとんど罵倒されるか貶されるかのどっちかだがな。けど、そんな会話でも悪くないと思っている自分がいて、少しばかりムズ痒くなってくる。
# # #
三ノ輪が買ってきてくれた紅茶を受け取って乾いた喉を潤いつつ一休みしていると、廊下の遠くの方からガラガラと騒がしい騒音が近づいてくる。その音は俺らがいる部室の前でピタリと止まり、続けてドアが開かれた。
「二人とも作業は進んでいるかね?」
そう言いながら部室内に入ってきたのは児玉先生だった。長テーブルを抱えていて、そこ横には大き目の台車に長テーブルが何個か乗せられている。どこに持って行くんだろうか。
「先生。入るときはノックを……」
「あーすまないね」
毎回思うんだけど絶対悪いって思ってないよね。そして直す気すらないよね?
「それで、作業の方はどうだね?」
「作業の方は全く進んでいないです。横に座っている男がサボってばかりなので」
「ほう……?」
そう返事をした先生はギロリと俺のことを睨んでくる。
ふうぇ……怖いよ……
「おい、悪い方向に話を塗り替えるな。10分休んだらちゃんと動くってさっき話したじゃねぇか」
「あらそうだったかしら? 干物みたいに干からびた人の声は全く入ってこないの、ごめんなさい」
何それ、遠回しに俺のことを無視してます宣言ですか? つか、何の謝罪なんだよ。そんな楽しそうに謝罪されても納得できないんですが気のせいでしょうか。うん、気のせいじゃねぇわ。
「さて、冗談はここまでにして」
三ノ輪がそう零すと先生の方に視線を向けて俺が抱いていた疑問をそのまま口に出した。
「その長テーブルはどうしたんですか?」
「ん? あぁこれは君らに使ってもらおうと思って持ってきたんだよ」
「別にここにある机とかでもいいんじゃないですか?」
「まぁそれでもいいかもしれないが、これから先
確かに先生の言う通り畳むことのできない学習用机より少し大きいが畳めるテーブルのほうが活用はしやすくなる。
まぁ、置くものは限られているから大してスペースは使わないだろうが、使わなくなった机とイスがあったんじゃ狭苦しささえ感じる。
そう思うと少しでもやはり室内はスッキリさせておいた方がいいのかもしれない。
「なるほど。話の内容はわかりました」
腕を組み納得したかのように三ノ輪が頷く。
「うん。いい返事だ。そんなわけで塩屋」
「はい?」
「廊下に同じテーブルがあと6枚あるから中に入れてくれ」
おふっ……残りのテーブルは俺が中に運ぶことになるのね。
「へい……」
このまま作業再開になるだろう。完全に諦めた声で返事をして先生の指示通りテーブルを部室の端の方へ持って行きそのまま立てかけた。
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