#9 性別不詳
心温の先輩の前で一時間説教を食らった翌日。
学校に登校してすぐに机に伏せて寝ていると、ホームルーム開始を知らせるチャイムが学校内に鳴り響き、それと同時に児玉先生が教室内に入ってきた。
「おーし、お前ら席につけー。ホームルーム始めるぞー」
そんな先生の掛け声を聞いたクラスメイトたちは集団で騒いでいたのを一旦取り止め、各自それぞれ席へと腰を落とした。
全員が着席したのを見計らった先生は何時ものように出席確認を済ませ、生徒たちへの連絡事項へと移った。
「今日はこれといった連絡は特にはないが……塩屋っ」
「……ひゃい!?」
連絡事項が無いと聞いていたので完全に気が抜けていた俺は急に名前を呼ばれたことによって変な声を上げてしまった。
マジで心臓に悪いから止めてください……。
つか、恥ずかしくて死にそうなんだけど。
「君は2時限目から保健室に行くように。そこで健康診断と身体測定を行う」
君だけまだ受けていない状態になってるからなと最後に付け加えてそれにそう指示を出してきた。簡単に返事をすると何やら周りからコソコソと話している声が聞こえてきた。
「さっきのあいつのあの声なに? めっちゃキモいんですけど。ヤバくない!?」
「うんうん。めっちゃキモかった」
「てか、キョドりすぎでしょ」
「あいつ絶対コミュ障だよね?」
「健康面でも問題ありそうじゃない?」
「健康診断とか絶対引っかかるでしょ」
「確かに! いっそうのこと入院しちゃえばいいのに。隔離病棟とかにさ」
……うるせーよ。
俺のこの顔は元々なんだよ。
何でもいいけど、聞こえないように話してるんだろうけど、お前らの声全部丸聞こえだからね?
人のことを貶して楽しむことしか考えが浮かんでこないミジンコレベルの脳みそしか入っていないクズどもを放置して、この日最初の授業の準備に取りかかった。
最初の授業は―――俺の大っ嫌いな数学だった。
# # #
俺が入った神田高校は関東では最大クラスの生徒数と選択授業の種類を誇っている。生徒数に関しては一学年につき12クラス。一クラスにつき40人なので、全学年の人数を合わせれば、1380人となるわけだ。
いや多すぎじゃね……? バカじゃねぇの? 一年生で480人とか覚えられるわけがないだろ。
俺の場合は覚える気すらないわけだが。
そんなことを考えながらカバンを漁っているとあることに気がついた。
「マジかよ……」
思わずそんな声が漏れてしまう。どうやら数学の教科書を忘れてきてしまったようだ。
見落としがないかもう一度カバンの中を調べたり、机の中に置いてないか調べてみるも結果としては教科書が出てくることはなかった。
参ったなぁ……どうしたものか。
そうやって悩んでいると気がつけば一時限目の開始を知らせるチャイムが鳴り響いており、数学担当の教師が教室内に入ってきていた。
「じゃ、始めるぞー」
低く太い声音の合図と同時に教科書が無い状態で授業は開始された。
教科書が無いのは正直不便だが、こうなれば黒板に書き出されたものを全て書き写していくしかない。まぁ……ノートさえちゃんと取っていれば問題はないだろう。
「まず今日は27ページの問題の文章から読み上げてもらうか」
……はっ?
なにそれ。俺聞いてないんですけど?
つか、嫌な予感しかしないんだけど……
「今日の日付は5月12日だから……12ー5で7番。名前は……塩屋だな」
おふ……。嫌な予感がものの見事に的中しました。大当たりってやつ。
全然嬉しくねーよ……
つか、なんでこんな日に限って俺に当たるんだよ。普通に出席番号順でよかったんじゃね?
「塩屋。聞こえてるのか?」
「はい……」
ここまま黙っているわけにもいかず、とりあえず立ち上がることにした。
「……何だ? どうした?」
「あの……その、すみません。教科書忘れました……」
「はぁ?」
素直に教科書を忘れたことを告げると、先生の顔はミルミルとはんにゃのように険しい表情へと変貌していく。怖いよ……
「俺の授業の時に教科書を忘れるとはなんてやつだ」
他の先生だったらいいのかよ突っ込みを入れそうになったがゴクリと飲み込んだ。
「肉体的苦痛と全員の前で裸踊りをさせられる精神的苦痛、どっちがいいか選べ」
何だその二択。どっちも嫌なんだけど。
だが、もし選ぶんだとしたら、精神的苦痛を受けない方がいい。
「じゃ……肉体的苦痛で……」
何が悲しくてこいつらの前で裸踊りしなきゃなんないんだよ。そんな赤っ恥を晒すくらいなら思いっきり殴られる方が全然ましだ。
「変わったやつだな……まぁいい。とりあえずデコを出せ」
何でデコ? デコピンでもするつもりなのか? それなら大したことはなさそうだな。
そんなことを思いながら言われた通りに先生にデコを見せた。
「これでいいすか?」
先生にデコを見せた瞬間、前頭葉を中心とした激痛が脳全体に響き渡った。どうやら俺の中で想定していたデコピンの威力とは桁違いの威力の持ち主らしい。ボールペンかなにかでデコピンされたような激痛だった。
なにこのデコピン。悶絶ものだろ。
「今日はこれぐらいで目を瞑ってやる。次俺の授業で何か忘れ物をしたら今度は半砕きのブラックペッパーを鼻の中に詰めてやるからな?」
なにその地味な嫌がらせ。思いっきり殴られるよりも嫌なんだけど。
「はい……すみませんでした」
この先生に逆らえばどんな地味な嫌がらせが俺に襲いかかってくるのかわからない。素直に返事をして、下手に逆らわないようにすることをこの瞬間決めた。
もっとも教科書さえ忘れなければいいだけの話、なら明日からこの机に置いておくことにしよう。それが一番だ。
「
「わかりました」
先生に教科書を見せるよう頼まれた俺の隣に座る開南は離れていた机を俺のところへと寄せて、机と机の間に教科書を置いて見せてくれた。その光景を確認した先生は「んじゃぁ、続きを進めるぞー」と言いながら黒板の方向へと離れていった。
「その……すまんな」
赤毛のショートヘアに鼻と口は小さく、二重の大きな目で黒い瞳を持ち、小顔で柔らかそうな白い肌。誰が見ても可愛いと思える存在だった。
俺なんかと席をくっつけて授業を受けるだなんて屈辱でしかないよね。ほんとごめんなさい。
そんな申し訳なさから隣に座る開南に謝罪をすると、「大丈夫だから気にしないで」と満面の笑みでそう返してきてくれた。
なにこの子。超可愛いんですけど。
思いもよらぬところで女神が俺のとなりに降臨したことに内心悶々としていると、開南はさっき俺が受けた罰のことを気にしていた。
「それより、さっきのすごく痛そうだったけど大丈夫?」
顔をずいっと近づけて心配そうな表情で俺の額を覗き込んでくる。
待って。上目遣いで覗き込んでこないで。このままだと惚れて告っちまいそうだ。
「あ、あぁ……俺は大丈夫だ。開南、だったか?」
「うん! 開南楓だよ!」
「お、俺は塩屋省吾だ。その……よろしくな」
簡単に自己紹介をすると開南の表情はぱぁっと明るくなった。
「うんっ! こちらこそよろしく!」
だからその嬉しそうな顔やめろ。マジで惚れてしまいそうになるから。お持ち帰りしたくなっちゃうから。
「そう言えば、塩屋くんと話すのって今回初めてだね」
「考えてみればそうだな」
「今まで何度か話しかけようとしてたんだけどね」
「そうなのか?」
「うん。塩屋くん休み時間になる度にどこかいなくなっちゃうし、同じ教室の移動でも先に出ていっちゃって、着いた頃には寝てるんだもん」
俺はいったい何をしてるんだ! こんな可愛い天使を放置だなんて万死に値するぞっ!
バーカ! 俺のバーカ!
と、とにかく、天使である開南を放置したことに対して謝罪しなければ……
「その……あれだ、悪かったな」
「いいよいいよ。むしろ何で謝るのさ!」
「放置して悪かったと言うか……」
あ、この言葉はさすがに引かれるやつだ。終わった。俺の快適環境が終わった瞬間だよ。絶対に引かれて気持ち悪がられるやつだ。
「大丈夫だって! 気にしすぎだよ?」
俺の不安とは裏腹に開南はいたって普通に、かつ明るく返事をし、その上俺に気にしすぎだと言ってきた。
可愛い上にいい子とかマジ天使だろ。
「そう言えば、塩屋くんは理数系は得意なの?」
「まさか。正直言って受けたくないくらいだよ」
「そっか……
困ったような笑みを浮かべながらあははと声を漏らした。
そうか。俺が数学とかが得意だったら開南に色々と教えることができて……ん? ちょっとまて。今こいつ『僕』って言ったか?
「……? どうしたの?」
「えっ? あぁ……なんでもねぇよ」
いかんいかん。思わずじっと見てしまった。てか、何でこいつは顔を赤くしてモジモジしてるの? そんなことされたらこっちまで顔が熱くなってくるんだけど?
ダメだ。可愛すぎて直視できない。別の話をして俺の意識を切り替えなくては。
「数学って難しいよね……」
「そもそもやる意味がわからん」
俺がそう口走ると開南はキョトンとした顔で小首をかしげていた。どうやら言っている意味がよく分からないらしい。
「……と言うと?」
「だって考えてみろ。俺らが中学の頃からさせられている数学が今後生きていく上で生かせると思うか? 俺ははっきり言って無意味だと思っている」
「そうなのかなぁ……?」
「いやそうだろ。だいたい三角形の面積を求めるときに使われている公式、“サイン“”コサイン“”タンジェント”ってやつ。あれなんなんだよ。サンドイッチの具材なの? BLTみたいなネーミングしやがって」
「あははは……すごい表現だね」
「そんなもんどうやってもわかんねぇし、生活に生かせるとは思えん」
「わかんなくてもお前の生活に生かせなくてもいいから、今は俺の授業を黙って受けたらどうなんだ?」
ドスの効く声が背後から乱入し慌てて振り返ると、教科書の背の部分をポスポスと叩きながら仁王立ちしている先生も姿がそこにはあった。
「教科書を忘れた分際で数学の授業をディスるとはいい度胸だな?」
鬼の形相をした先生は俺の頭をめがけて教科書の背を振り下ろし、まともに食らった俺はこの時間二度目の悶絶を迎えた。
# # #
「塩屋くん大丈夫?」
俺にとっての地獄の時間がようやく終わり、教室移動の時間となった。
先生からの物理的生徒指導を受け、大ダメージを負った姿を見て心配した開南が不安そうに声をかけてくる。
「あぁ。とりあえずはな」
俺の言葉を聞いた開南は何故か顔を赤くして体をモジモジとさせている。
可愛すぎるだろこいつ。
「……さっきから思ったことなんだけど、塩屋くん何か勘違いしてない?」
勘違い?
はて、俺はいったい何を勘違いしているんだろうか。
そもそも、何度か惚れ落ちかけてはいるが、ギリギリのところで踏み止まっている。まだ、好きですだなんて口走ってないぞ?
「えっと……僕、男だよ?」
……へっ? マジで?
でも、確か下の名前って……
「確かに名前も女の子みたいな名前だけど、性別は男だよ?」
おう……これは盛大に勘違いしてたぜ。
完全に女の子だと思ってたぜ。
危ねぇ……
告って盛大に振られるところだったわ。
「なんか……いろいろ大変そうだな」
「女子に間違えられるのは何回もあったし……。もう慣れちゃった」
そう言いながら顔を紅潮させモジモジとした仕草をして見せる開南。
それだよそれ。その表情と仕草があるから女の子だと勘違いしちまうんだよ。
まぁ、可愛いし別にいいか。
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