#2 車内接触事故


 中学生から高校生へと進学したことによって生活環境もガラリと変わった。

 例えば、俺の家族。中学の頃までは勉強しろだの高校受験だのと毎日のように口うるさく言われてたわけだが、高校に進学してからは人様に迷惑をかけない程度、法律に差し障りのない程度なら自分がやりたいことをやれと言われた。

 それに付け加えて、お前の行動次第で今後お前の人生も変わってくる。

 無鉄砲に動く前に、後先の事も考えてから行動することだなとも言われた。

 要するに自立する準備をしろと言うことらしい。

 ただし、さっきまで一緒にいた心温はこれまでと変わらず接している。


 次が、通学路だ。中学までは歩いていける距離だった。だが、今日から通う学校は神田にあるため電車移動となる。

 自宅から一番近い駅である東小金井駅も地味に距離があるため、駅までは自転車移動にしている。


 最後が学校での生活。これまでとは違って完全初対面の生徒が集まる場所。そんな集団がどうやって接してくるのか分からないし、予想もできない。

 まぁ、予想する気無いけど。

 それに誰も話し掛けて来ないだろう。その方が変に気を使わないで楽だ。


 駅に到着し駐輪場に自転車を止めた後、改札口を通過して東京方面のホームへと上る。すると、タイミングよく東京行きの電車がホームに入ってきた。

 電車が停車して数人ほどが降りてくるもそれでも車内は人で埋め尽くされていた。

 ……何だよこれ。座って通学できると思ってたのに人まみれじゃねぇか。

 ギューギュー詰めとまではいかないにしろ、それなりに混んでいる電車に乗り込んで電車が走り始めるのを待っていた。

 ある程度人が乗ると発車メロディーが流れ始めたその時。


「すみませーん! 乗りまぁす!」


 一人の少女が駆け込みでやって来た。

 見た感じでは中学生。ダークブラウンのショートカットヘア。

 小顔で口も小さく誰が見ても可愛い女の子だ。

 普通の男、つまり健全で何の問題もない男子ならこう思うであろう。“ヤバい可愛いっ!! 天使来たぁーーっ!!” って。恐らく興奮状態になるのは間違いないだろうな。

 だが、俺の場合は違う。無駄に勘違いするだけ自爆するのは目に見えているからだ。そもそも、何でこんな混雑している電車に強引に駆け込んでこようとしてるの?

 『乗りまぁす』じゃねぇよ。諦めて次の電車に乗れよ。

 だが、その少女は諦めるどころか肩から下げている鞄も駆使し強引に身体をねじ込んできた。ドア横にいた俺は少女に強引に奥に押し込められ、少女は俺が立っていた場所に何事もなかったかのように場所を占拠する。


 ……クソ。立ちやすくて乗り降りするときもあまり邪魔にならない俺のベストポジションを奪いやがって……

 そんな事を思っている俺の事なんて何処吹く風の少女は、鞄からスマホを取り出してそのまま弄り始めた。

 駅の発車メロディーが流れ終わりドアが閉められると外に向いている少女は不可解な行動を取り始める。

 鞄を下に置き……そこまではよしとしよう。何を考えたのか身体を180度転回させた。

 よって、俺と少女は向かい合って立っていることになる。


 いや意味がわからん。何でこうなった? つか、何でこっち向いた?

 スペースに余裕があるわけもなく、それどころかかなり至近距離なのは分かってるはずだよね?

 至近距離もぶつかりそうなほど近いし。俺がぶつからないようにもう少し距離をとろうとしても、後ろにも人がいてこれ以上下がることが出来ない。


 そうやって対策を練っているうちに電車は隣の駅に到着し俺が立っているドアとは反対のドアが開かれていた。

 よし。これで少しは間隔を広げることができる。

 そう思ったのもつかの間、この駅では数人程度しか降りず、逆に降りた人数の数倍の乗客が車内に押し寄せ、結果的に離れるどころか急接近しかつ身動きができなくなってしまった。

 何なのこの状況。暑苦しいし、目の前にいる女子にはぶつかりそうだし、おまけにヤヤでかめの胸が目の前に会って目のやり場にも困るし、いろんな意味でヤバくて辛いんですけど。


 人それぞれだと思うが、こう言ったヤバイ状況の中、意識を逸らすためにすごくどうでもいいことを脳裏に浮かべたりする。もしくは浮かんでくる。


 例えば特産品。東京と隣接する都道府県の特産品の詰め放題に関して考えてみよう。

 神奈川であれば野菜や果物、シュウマイの詰め放題、もしくは詰め合わせ。

 埼玉であれば狭山茶か草加煎餅の詰め放題。

 千葉県であれば海産物の貝類や落花生。

 では、東京だと何があるのか……人間である。

 電車の人間詰め放題。しかも、朝と夕方限定のタイムサービスだ。つまり、今のこの現状である。

 うん。どうでもいい。くだらない。

 自分で考えといてあれだが、アホすぎて笑いすら起きない。

 そうやって別のことを考えて意識しないようにしても、目の前の少女は未だに身体をこっちに向けたままだし、彼女の顔と頭がすぐ目の前にある状況に強制的に現実に引き戻される。

 近い近い近い、近いんだって! この子の頭から桃の香りが漂っていい香りが―――じゃなくて! 目のやり場に困るんだよ! 目の前には芳醇な二つの物体があるし……俺にどうしろって言うの!? てか、反対方向に向いてくれよ!


 そんな俺の心の声なんて届くはずもなく、気がつけば電車が中野駅に到着していた。

 さぁ……どうしよう。他に視線を逸らすことが出来そうなもの……あぁ、そう言えば生徒手帳があるじゃなぇか。ちょうどいい。これから通うことになる学校の概要を探るとでもしよう。

 ポケットに入れといた学校の生徒手帳を取り出し、手帳を開こうとした瞬間、ポイントを通過したのか突如車体が大きく横に揺れた。

 それと同時に俺の真後ろに立っていた親父どもに思いっきり前に押される。


「うぉっ!?」


 目の前にいる少女にぶつからないように両手を少し開いて前へと出した。いや、何で車内の上に設置されている手すりに掴まないで手を前に出した? って思われるし言われるんだろうけど、つり革などは他の人間が既に掴んでいて、他に掴めるものも場所もない。

 だから、結果的に両腕を前に出す感じになった訳だ。もろちん彼女にはぶつからないように少し両腕を広げる様にして自分の身体を支えた。


「―――っ!?」


 自分を支えるためにとった行動によって目の前の子はビクッと身体を一瞬震わせ視線を一度こっちに向けた後、真横に伸びる腕の位置を確認し、顔を赤くさせなから強張った表情を浮かべる。

 そりゃそうだろう。

 いきなり両手で壁ドンされ、前を向けば隈の濃い目つきの悪い男の顔がドアップなんだもん。俺だって怯えるわ。


「……」

「……」


 互いに無言のまま。何を言えばいいのかわからない。

 その前に今の状況を何とかしなければ……。

 後ろから俺のことを押しまくる男に肘などで抵抗を図るが、数倍の力で弾き返され目の前にいる女子に顔が更に近くなったしまった。

 このクソ親父わざと押してやがるな……。

 更に顔同士が急接近したことにより涙を浮かべながら首をフルフルと小刻みに横に振る少女。

 うん。わかってる。嫌ですよね。同じ立場なら俺も嫌だもん。そもそも今のこの現状が嫌だもんな?

 目の前にいるやつがこんな男ですみません。

 彼氏か君の好きな人間じゃなくてすみません。


 相手に届くことのない謝罪を唱えていると、新宿駅に近づいていた電車は再び分岐点のところを通過し、車体が大きく揺れる。その揺れのせいで、後ろに立っているヤツに体重を思いっきりかけられ、支える力に限界が来た腕は押されたことによって余計な加重力に耐えられなくなり、力尽きて目の前にいる女子と接触。

 俺と彼女の距離がゼロになってしまった。


「ん゛ぅー!! んんんっんんんん゛んんっ!!」

「んんん。んんんん゛ん゛んんんんっんんん」


 悲痛の悲鳴を上げながら肩を思いっきり叩きまくる女子と、必死になって引き剥がそうとする男子高校生の光景。端から見れば堂々とキスしてイチャ付きやがってと思われるんだろうが、こっちはそれどころじゃない。

 互いに声は出してはいるものの何を喋っているかわからず会話にすらなっていない。


「……ぷはぁっ!」

「……ぶはぁっ!」


 電車が新宿駅に到着すると同時に口を引き剥がすことに成功。だが、口を引き剥がしてすぐに彼女の平手が左頬にヒットした。


「いきなり何するんですかっ!!」


 今度こそ言葉でハッキリと発せられたクレーム。

 彼女は口を押さえながら顔を赤くし、目には涙を浮かべているが、眉間にはシワが寄せられていた。

 あーこれは完全に怒ってらっしゃる。ですよねー。好きでもない人間にいきなりキスされれば誰だって怒りますよね。

 ……にしても思いっきり叩かれたな。顔がジンジンして痛いよ。


「ちっ……ち……」


 あっ……待って! お願いだからその続きは言わないで!


「痴漢だ! ここに痴漢がいるぞー!」


 そんな願いも虚しく、目の前の女子とは別の方角から不穏なワードが飛び出した。

 一部始終を見ていたと思われる男性がそう叫ぶと周りの乗客がざわつき始めた。


「痴漢!? どこにいるの!?」

「ふざけんなよ。また電車が遅れるじゃねぇか!」

「誰だよやったやつ!!」


 色んなクレームが電車内で飛び交う中、指を差しながらここにいるぞっ!! と叫ぶ男。さっきまで人の背中を押しまくっていた男が俺を指差ししていた。何食わぬ顔で、俺の目の前で起きたから周りと一緒になって人助けをしてますとでも言いたげな顔で。

 何コイツ。すげームカつくんだけど。


「逃げられる前に捕まえろっ!!」


 男がそう叫ぶや否や他の乗客が犯人を取り押さえようと一斉に襲いかかってくる。


「えっ、いやっ、ちょっ、待って!」


 誤解だ! 勘違いだ! 冤罪だ! 嵌められた!!

 そう叫ぶも誰一人聞く耳を持とうとしない大人たち。

 もうめんどくさい。こうなったら暴れてしまおう。

 後先はどうなるんだって?

 んなもん俺が知るかっ!!


「おいコラテメェー! テメェが押さなければこんなことになってねぇんだよっ!」


 目の前にいる40代の男にそう怒鳴り思いっきり蹴っ飛ばした。

 今やったことに関して罪を被るのは認めよう。

 だがっ!!

 やりたくてしたんじゃない事故キスに関して罪を被せられるなんて冗談じゃない。そんなもん黙ってられるかっ!

 何もせずに大人しく捕まれってか? ざけんなっ!!


「あ? 何人のせいにしようとしてんだ? 自分でやったことを棚に上げてんじゃないよ。自分でやったことぐらい自分で片付けなクソガキ」


 あくまで俺は無関係だと言い張る男。

 ムカつく。マジでムカつく! こんなクズな男にはなりたかねぇな。


「オラッ! さっさと降りろ! お前みたいなのがいるから電車が遅れるんだよ!」


 数人に腕を捕まえ電車から引きずり降ろそうとする。

 もういいや。何か抵抗するのもめんどくさくなってきた。これ以上抵抗したところで何も終わらないし、何も解決しない。不毛な戦いを続けるだけだ。


「だぁーもうっ! 自分で降りるから腕引っ張んなよ!」


 新宿駅で引きずり降ろされあーだこーだと揉めているとすぐ近くにいた駅員が近づいてき騒いでいる乗客と俺から聞き出そうとする。一通り説明すると駅員はめんどくさそうに、


「わかった。君はとりあえず駅事務室に行こうか。詳しい事情はそれから聞く」


 そう言い放った。

 はっ? 人の話ちゃんと聞いてた? 何これおかしくね?


「君、女の子とぶつかったんだよね? 口と口が」

「……はい」

「一瞬じゃなかったんだよね?」

「……? まぁ……」

「確定だな。事務室に行こうか」


 待て待て! その尋問の仕方はおかしすぎる!


「何でそうなるんだよ、おかしいだろっ!」

「うるさい! 黙って歩け!」


 無罪を訴えるための反論を一蹴され、必死の抵抗も数名もの駅員によって封じられ、駅事務室に連行されることになった。


 # # #


 男の人が連行されるのを眺めつつ移動しようと足を動かしたとき何か分厚い・・・ものを踏みつけていることに気がついた。それを拾い上げ何なのかを確かめると小さくため息を溢す。


「はぁ……。私のファーストキスがあんな人に奪われるなんて……」


 聞こえないようにぽしょりと呟きさっきまでのことを思い出していると段々苛立ちを覚え始めていた。

 許さない……絶対許さないっ!

 私の一生に一度のファーストキスをこんな形で奪うなんて! ありえないですっ!

 これは復讐が必要ですね。

 あの人の恋路を全力で邪魔してやりましょう! そうでなければ私の言うことを強制的に聞いてもらいます。これはもう決定事項です。

 なので、これから頑張って私に償ってくださいね? せんぱい?

 私が心の中でそんな決意を固めていると駅員から声をかけられた。


「悪いんだけど、君も一緒に駅事務室に来てくれないかな? 正確な情報を伝えなきゃなんないからさ。嫌だと思うけど協力してくれる?」

「……わかりました」


 私は駅員にそう返事して拾ったもの・・・・・を鞄に入れて駅事務室に向かった。

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