第9話 恩人?
九話 恩人?
夏も間近。
夏服と冬服との衣替え期間になり、夏服の生徒も増えてきた。
少し寄り道して、本を買った。有栖がいろんな問題を要求してくるので、少し捻った文章題を用意しようと思ったのだ。
「……あ」
矢車先生だ。小さくて容姿だけは可愛いのですぐわかる。
……声をかけるのを憚られるくらいその雑誌を睨みつけているけど、一体何を……。
――『この馬が熱い! 絶対勝てる競馬予測!』
「教師が馬買わないでください……」
「い、いや、違うぞ! これは、白馬の王子様に乗ってきてもらう馬をだな……!?」
「競走馬に乗ってくる王子とか怖すぎじゃないですかね……」
「って、お前かよ、工藤! ビビらせんなよ……教育指導の須藤かと思ったじゃねえか」
ぶつぶつ言いながら、乱雑に競馬の雑誌を置く矢車先生。
「お金、ないんですか?」
「ちげーし! 実家金持ちだし! 仕送り十万もあるんだぞ、舐めんな!」
「その年で仕送りもらってることに罪悪感ないんですか……?」
「……い、いや、たまに肩たたき券をだな!?」
「……」
「うん、その、だな……。あ、お前あれだよ。今からラーメンでも行くか!」
「露骨に話題を変えましたね」
「お願いです、触れないでください……」
触れないでおいた。
じゃあお金とか何に使ってるのかな、と思えば。
「……でよー! 聞いてるかー、工藤!」
「聞いてますよ」
「んでよー、あたしは言ってやったんだよー。……ごくっ、けぷっ。聞いてるかー?」
「聞いてますって」
なるほど。お酒か。プラス、煙草。
紫煙と豚骨の香りが混じる、ラーメン屋の『昇竜恩來』だ。
俺もよく来る店で、矢車先生もここでよく遭遇してたから知っている。
「あ、酔いがさめてきた。……いてて」
「はい、水です」
「おう、悪いな。……ちっ、やっぱ酒はダメだな。すぐ抜ける。タバコもカッコつけて吸ってるけど、ぶっちゃけ煙いだけだし」
恵まれた健康体だった。
病気をしそうになくて、非常に羨ましい。
「食おう。おっちゃーん、替え玉もう一丁! バリカタ!」
あいよー、と声が飛ぶ。すぐに丼に麺が装填された。
「二杯も食ってるのに……。というか、食べる割には痩せてますね」
「なんか、何食ってもやせっぽっちなんだよ。わかるか、この辛さが! 映画とか見ようとか思ったら半額突っ返され、『お嬢ちゃん、子供は半額だよ』とか。バスとかも、合コンも、いっつもそうだ! たまにロリコンが寄ってくるくらいで! あいつらきめぇ! 大体デブで鼻息荒くてよ……! こええのなんのって!」
「矢車先生はパッと見る分には可愛くていいと思うんですが」
「おっ、工藤。わかるやつだなお前。ほら、替え玉しろ。奢ってやるから」
「じゃあ、硬い玉」
あいよー、とおっちゃんが返事をする。
ここは福岡スタイルを採用していて、麺の硬さを選べるらしい。
やわめ、普通、硬め、バリカタ、こなおとし、生玉と、色んな硬さを選べる。
へいおまちー、と早々と麺がスープにつかる。
「どうも」
口に運ぶと、小麦の香りが香り、豚骨スープが細い麺とよく絡む。
長浜系……らしいのだけど、よくわからない。
白い麺に、ネギ、それから柔らかくぺらぺらした味付け肉が乗っているだけのシンプルなラーメンだ。だけれども、何故か病みつきになってしまう。
気づけば週に一度食べに来るようになっていた。
「うんめーよな。福岡に旅行行ったときに本家食ったけど、ここマジで遜色ねえ」
「ああ、行ったことあるんですね」
「おう」
しばらく、二人して麺を啜る。
「……どうだ、最近の活動は」
「まぁ、解決者の数も増えてるしね。そのせいか、知名度も上がってるし」
「おう。職員室でも噂になってんぜ。品行方正な工藤紫苑が次々に問題を解決してるって」
「それは何より」
良好、な、はずなんだ。
……。
「……ぶっちゃけ、俺は要らなかったんじゃないかと、思う時がある」
「どした。愚痴か。聞いてやるぞ。何しろ、お前の裏の顔を知ってる、数少ない人間だしな」
「……みんな、自分の意志というものがあるみたいなんだ。それを、羨ましく感じている自分がいる」
「ほー。お前には自分の意志がないのか?」
「正直、この話を受けたのだって、好かれる自分になるための努力だった。推薦なんていらなかったし、実力で何とかできるのもあった」
「まぁ、お前ならな」
「……俺のやりたいことは、何なんだろう。美空みたいに強くない。白姉さんや瑞葉みたいに、やりたいことも特にない。今まで相談を受けたどの生徒も、強い意志があったように思う。でも俺はなんだ? ただのうのうと座って人の悩みを聞き、さも優位にいるようにアドバイスだなんて。どの口が言うんだ。……悩んでる自分一人導けない馬鹿なのに」
「……」
「弱音、終わりです。いつもの俺に戻ります」
「アホ」
ポカ、と頭を叩かれた。
「いーんだよ。あたしと一緒の時くらい、しょげてろ、気持ち悪い」
「でも……弱音を吐く人間は、ウザいでしょう?」
「人によるんだよ。お前は好かれようとめっちゃ頑張ってるじゃねえか。……いいんだよ。弱音、吐いたって」
「……」
そんなことを言われたら、我慢が……できなくなる。
漠然とした不安。こんなの誰だって抱えてる普遍的な悩みなのに、それが酷く悩ましい。
泣く、ほどに。
「……あーあ、先生には弱いところも全部見られてる。泣くつもりはなかったのに」
「お前は、賢いしルックスもいいけど、弱いんだよ。お前、性別が逆なら許されたろうにな。でも、男は強くて何ぼだ」
「ですよねぇ。あー、ホントに見っともない。……みっとも、ない……」
まさか、こんなところで泣くとも思わなかった。
そして、この人に頭を撫でられるなんて、思ってもなかった。
「お前はよくやってるよ」
「……はい、矢車先生」
「ここでは、紗耶香さんだ」
「……紗耶香さん。ありがとう」
「気にすんな。また、学校で困ったことがあったら、頼らせてもらうぜ。優等生!」
「俺でよければ、喜んで」
矢車先生……いや、紗耶香さんも、素敵な人だった。
俺よりずっと大人で、でも、どこか抜けていて……そこが魅力なような。
「そういえば、何で競馬の雑誌見てたんですか?」
「いや、競馬場に行った時、お嬢ちゃん、ここは子供の来る場所じゃないぜって追い返されたのに頭にきてな。馬当てて経営状態ぼろっかすにしてやろうって思ってただけだ」
「……」
やっぱダメ人間だわ、この人。
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