第3話 チェシャ猫

  三話 チェシャ猫


「……」

 五月の陽気は後半になって、夏らしく暑くなっている気がする。

 気の早いセミが、もうどこかで鳴き出しているのを遠く感じる。

 ああ、夏がやってくるなぁ。

「しおんちゃーん、どこ向いてるのかなー?」

 と、現実したくなって遠くを眺めていたら、現実に引き戻される。

 三人目。何とかしてくれと頼まれていたのは――従姉だった。

 猫葉白雪。

 問題なのは、その奔放的な性格だった。

 成績はトップ。学年だけじゃない。全国模試で一位の天才。

 容姿も普通に美少女。利発そうな目つきに可愛い顔立ちはファンも……多いらしい。

 だが、私生活はかなり変だ。

 授業中、「飽きた」と授業を放棄しては、変なものを発明して試したがる。

 幼いころ、よく実験台にさせられて、両親が慌てて引きはがしたほどだった。

 なんでも、今は有名なゲーム会社にテクニカルアドバイザーという役職で手を貸しているそうな。ゲームエンジンやらを作っているそうなのだが、まだ十七歳。

 その悪癖は高校でも変わらず、仕事を名目に抜けだしたり寝ていたりすることが多々あるらしい。それで俺にお鉢が回ってきた。

 俺は気に入られているらしく、よく懐かれる。この人、スキンシップが好きなくせに警戒心が強いから誰でもいいわけではないのはわかるけど、近い。

 ほぼ身内だが、さすがにドキドキする。

「むふふ、愛しの従姉の面倒をみられるって幸せ?」

「あーもう、すっげーめんどくせえ。何で白雪姉さんが……。大人しくしててくださいよ、学校では」

「だーってぇ、授業つまんないんだもん。にゃあ」

 服装の趣味も例外なく変わっていて、何故か猫耳を常時着用している。何でも、脳波で動く変わり種らしく、良く動く。

「何で猫耳?」

「猫葉だから。ママにもプレゼントしたんだけどつけてくれないの。パパも」

「……あの人達に渡したのか……」

 チャレンジャー過ぎるわ。

 厳しいことで一家中に知れている猫葉家だが、白雪姉さんは奔放すぎる。

 下の妹がいるんだけれど、「ダメだお姉ちゃん、私が何とかしないと……」と頭を抱えていたのを覚えている。

「しおんちゃんも、はい、猫耳ー」

「……」

 無言で受け取り、それを着ける。

「わー、可愛い! ねね、写メ撮っていい? 撮った!」

「早わざ過ぎるし何も言ってない!? 消して、白雪姉さん!」

「白姉さん」

「は?」

「そう呼んだら、消してあーげる」

「……白姉さん」

「よろしい、弟君!」

 ピコリン、と操作音。……つーか、シャッター音しなかったのはなんでだろう。まぁこの人のことだから、音くらい消せるよな。

 とりあえず外して、鞄の中に入れておく。

「ねねね、何で話しかけてきたの? 当ててあげよう、お姉ちゃんを何とかしてくれと教員たちから頼まれたのだ!」

「分かってんなら自重してくれよ!?」

「えー、つまんないつまんないー。せっかく弟君とまた会えるのにー。家が一応、接触するな、謝る回数が増えるっていうからじっとしてたのに」

「よく五年間も続いたな……」

「いや、研究に没頭してて忘れてただけ」

 相変わらずだな。

「特許も取ったし、念願のスクールライフだい! と思ってたのに、そういえば弟君と会えないのを忘れてた。優秀な弟君のことだから、多分あの裏役員に任命されてるだろうから、どーせ授業も飽きてたしやっちゃおうってことで」

「はた迷惑すぎる……」

「これから、会ってくれる?」

「いいよ。ていうか番号交換しとこう」

「やったぜ!」

 従姉の電話番号とメアドを交換すると、巻き付いてきた。

「うーん、いい匂い!」

「制汗剤振ってるからな」

「おおう、チェック大事だよね。ほら、私も香水つけてるんだけど、どう?」

「ああ、この香りが? なんか、甘い……花のような香りが……」

「え? 使ってるのはハーブの……。……!?」

 ズバッと距離を取る。

 その顔はやたらめったら赤い。

「ど、どうしたんだよ」

「いや、そ、そのぉ……。そ、そういえば、相談部だったよね?」

「露骨に逃げてるけど……まぁ、そうだよ」

「お姉ちゃんも入ってあげよう!」

「間に合ってるんで」

「入れてくれなきゃ暴走するにゃん!」

「どうぞ」

 本気でやりかねない。

 何が怖いかって、どこまでが本気なのかが分からないのだ。

 最低限の良識は持っている……と思いたいんだが、わからない。

 掴みどころがまるでないのだ。

「弟君だけ?」

「他に、女子生徒が二名」

「わお! ハーレム! よかったね、姉属性はこれで確保じゃん!」

 ……どっちかというと電波属性なんじゃ……。

 まぁ、いいや。



「にゃーん、可愛い可愛い可愛いなぁ~!」

「……これ、紫苑のお姉さんなの?」

「従姉だけど、まぁ、そうだよ。ごめん」

 早速、美空は懐かれていた。

 この人、美少女にも目がないのだ。何というか、すまん。

「おお、パンツも可愛い!」

「いや、どこ見てるのよ……」

 動じない美空がすごく大きく見える。大体ドン引きなんだけど、ただ単純に呆れているだけのようだ。

「お着換えしない? お着換えしない?」

「やめんか、そろそろ」

「ああん、せっかく可愛いのにぃ! じゃあ……おっほー、後輩ちゃんなのにこのボリューム! おっぱいたゆんたゆん!」

「せ、セクハラっす!?」

 美空は自分の胸に手を当てて、遠いどこかを眺めていた。

 いや、確かに小さいが、この連中が大きいのもある。

「いいじゃないのさー、女同士! れっつ背徳! ……いてっ」

「瑞葉、ごめん。白姉さん、ほどほどにしてくれ、マジで」

「ぶーぶー」

「ああ、シオン先輩がしっかりしてるの、何かわかったっす……」

「しおんちゃんは私が育てた!」

「いい加減にしないと、頼んで夜中にブレーカー落としてもらうから」

「「ひいいいいいいいっ!?」」

 なぜか瑞葉までビビっていた。

 まぁ、今のダイブシステムは、使用時に停電が起こるとセーフモードで戻ってこれるので安心だが。

 昔は……それで事件とかが起こっていたらしい。

「というわけで、猫葉白雪です! 好きに呼んでよろしい! みそらんちゃんにみずはすちゃん!」

「え、あだ名の方が長くないっすか!?」

「無駄だよ、瑞葉。理屈じゃないんだ」

「そ! 理屈じゃないんだよーん」

 さっそくキャラが分かったらしく、瑞葉は頭を抱えていた。

 そんな中、美空がビシッと手を差し出す。

「分かったわ、白雪先輩! よろしくね!」

「!」

「じ、自分も、よろしくっす、白雪先輩」

「お、おおお……いいね、後輩ちゃん、いいね!」

「よかったな、白姉さん」

「今度のヒロインは後輩ちゃんダブルでどうだろう」

「今度は何のゲーム?」

「ギャルゲー」

「……まぁ、ほどほどにね」

 俺も最近のギャルゲーをプレイしたことはあるのだけれど、匂いや五感を使ってまるでそこにいるかのような存在感だった。現実捨ててる人がいるのも納得なクオリティ。

 白姉さんが夢中になって開発するのもわかる気がする。

「? 白雪先輩は何か作ってるの?」

「バリバリだにゃん! ゲームのエンジンからシナリオまで何でもやるよん!」

「え!? クリエイターだったんすか!?」

「へえ、凄いわね」

 美空のニュアンスは何かよくわからないものに対する凄いだった。しかし、意味が分かる瑞葉は心から驚いているようだった。

「貯金は十億を超えたにゃん!」

「は!? いやにゃんとか可愛く言ってますけどヤベぇですよそれ!」

「私のお小遣いが月に一万円だから……えっと……」

「十万倍だね」

「……多すぎてわかんない」

「そ、そう」

 相変わらず数字はあんまり強くないんだな。

 そんな美空をむぎゅっと抱きしめる白姉さん。

「うにゃーん、可愛いにゃあ。みそらんちゃんはちょいお馬鹿!」

「失礼ね」

「そこが可愛い! もうもう、ロリ可愛いなぁ」

「ロリって何?」

「ちみーん、ぺたーん、すとーんだにゃん」

「?」

 気を使うから体形ネタを男子の前でぶっこまないでくれ。

「あー……小さい子みたいで可愛いらしいっすよ」

「なっ!? 失礼ね、これでも一個下よ!」

「うんうん、そうでちゅねえ!」

「聞いてないし……」

「ともあれ、仲良くしてあげてほしい」

「ま、いいわよ」

「了解っす」

「それじゃ、発足記念にご飯でも奢ってあげよう! 何が食べたい? 焼き肉? いいよ、いっちゃおう!」

「何も言ってないし……」

「でも、いいっすね、肉。たまにこってりしたものが食べたくなるっす」

 肉……。

 今の気分じゃないな。今はうどんの気分だ。

「俺はパスで」

「ダーメ、弟君もくるの!」

「いや、俺うどん食って帰るし」

「ダーメー! 空気読もうよ弟君!」

「!?」

 しょ、ショックだ。

 この人から空気読め発言を喰らうなんて……。

 軽くへこむ。

「それじゃ、いくにゃーん!」

「「おー!」」

「……嘘だ……俺が空気が読めないだと……?」

 正直、その日食った肉の味は分からなかった。

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