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 ユハナンを探してあちこちの部屋を検めつつ、感染者の群れを避けて幾度かの迂回を経たのち、ウィリアムズは地下二階までの潜降を果たした。

 向かったのは北鉱区。弟子の居場所に確証あってのことではない。東鉱区からウイルスが広まって、北東鉱区にいたユハナンが地表へ出られない状況に置かれたなら、少しでも感染源から距離をとるべく、反対側の北鉱区へ向かったのではないか。その程度の推量である。

 銃はまだ撃っていない。感染者が多すぎて、いちいち撃って倒したのでは弾数が足りないと思ったからだ。――あるいは、まだどこかで躊躇っているのか。

 なにしろ〈帰界光輪ハロウ・ワールド〉とやらが治療可能な代物か、ウィリアムズは知らない。いかに感染者たちが腐乱死体めいて見えようと、彼らはまだではないのだ。死ななければ元に戻る希望があるかもしれないと思えば、たとえ見知らぬ人間であろうと、むやみに殺したくないのは当然の心理である。

 結局、感染者に回復の望みがあるか否かは、思いのほか早く判明する。

 予期せぬ人物との再会によって。


「……てめえ、なんでここにいる」

 ウィリアムズが遭遇したのは、今まさに始まろうとしている殺戮の場面だった。

 鉱夫。エンジニア。企業派遣の施設職員。鉱区の奥から、服装も人種も様々な感染者たちが、通路を埋め尽くさんばかりの数で押し寄せてくる。

 その群れと対峙していたのは、昆虫じみた多脚多腕の巨大な機械。

 施設のガードマシンではない。後ろ姿でも、ウィリアムズはに見覚えがあった。見た目では歩行戦車の類と区別がつかないが、のはずだ。

 全身を機械化した高置換率ハードサイボーグ。二度と関わり合いになりたくなかった相手。ほとんど海賊のようなものだが、いちおうではある男。彼なら鉱夫としてレーンシウムの採掘計画に加わっていても、おかしくはない。あるいは警備の傭兵も兼任していたか。

「ノウマン――」

 名を呼ばれた異形の機人が、六本の腕を感染者の群れへと向ける。それらの内から、骨がせり出すようにして砲身の束が現れ、個別に回転を始め――やがて一斉に、青白い雷火を吐いた。

 電磁加速式ガトリング砲。本来なら個人で扱えるはずのない、車両や航空機に搭載すべき重火器。それが六門同時、ウイルスに操られているとはいえ生身の群衆に向けて放たれたのだ。どうなるかなど、撃つ前から知れていた。

 コンクリート造りのビル程度は容易に貫通する、超高初速弾の雨。逃げ場のない閉所で横殴りに吹いた鉄嵐は、叫びのような砲声を高く轟かせ、数の暴力をさらなる火力の暴威で蹂躙してゆく。

 一方的な鏖殺。撒き散らされる人体。ウィリアムズはその光景を見ながら、防護服越しにむせ返るような血の幻臭を嗅いだ。通路が壁から天井まで赤く染まり、ガトリングの回転音が止んでからも、彼はしばらく声を出せなかった。

 時間にして数秒の掃射で殲滅を終え、ノウマンが振り返る。どこから出ているのか分からない金属質な声が、先の問いに答えた。

《……ウェストリバーエンドか。君こそ、何故こんなところにいる?》

 記憶にあった通り、もはやその義体は人間らしい顔を備えておらず、申し訳程度に頭部と思しき部位があるに過ぎない。バイザーの奥で青く光る六つのカメラアイが、在りし日と変わらぬ虚無を湛え、ウィリアムズに無機質なまなざしを注いでいた。

「俺は……弟子が、地下のどこかに取り残されてる。たぶん北か、北東鉱区だ。そいつを探しに来た。見てねえか」

 経緯を口頭で説明するのも煩わしく、ウィリアムズは薄板型端末スレートに残っていたユハナンとの通信ログを見せた。それだけで事情を察したか、ノウマンが納得したように言う。

《ほう。そういえば弟子を取ったのだったか》

 ぶうん……と謎めいたハム音。ウィリアムズにはそれが、なぜかのように聞こえた。

《私は北西鉱区から回ってきたが、ここまでに該当する人物は見ていない。その少年がいるとしたら、北鉱区ここの下層か……もっと東側の、に近いエリアだろう》

「そうかい。情報どうも。……で、おまえは? なんだって上に逃げもせず、ここでを殺しまくってる?」

 血と肉片で塗装された通路を視線で指しながら、ウィリアムズが問う。皮肉のつもりだった。分子兵器の性質を考えれば正当防衛と言えるのかもしれないが、挽肉ミンチにしてしまっては治療の可能性も何もあったものではない。

 そのような非難めいた意図を酌んでか否か、ノウマンは己の目的よりも先に、最前の虐殺劇に触れた。

《彼らはナノマシンの浸食が進み、ほとんど〝ハロルド〟になってしまっていた。自我は失われ、肉体にも復元の見込みはない……ならば、速やかに終わらせてやるのも慈悲だろう》

「ハロルド……? どうやっても治せねえってことか? 一度感染したら、全員そうなのか? 死ぬまで?」

 自分の船を禁制技術兵器の塊にしていると噂されるノウマンであれば、この事態を引き起こした分子兵器のことも詳しく知っているかもしれない。ウィリアムズは一縷の希望を求め、眼前の怪物に縋るような思いで訊いた。

 どんな例外でも奇跡でも構わない。ユハナンを助ける方法はのだと言ってほしかった。

《回復可能性を論じるなら、自意識を残しているうちがタイムリミットの目安だろう。に散らばっている連中のように、著しい自我の混濁、他者への感染拡大を狙う行動が見られるようになってしまえば、症状は末期だ。たとえ高位の医療分子メディキュラーを用いても、治療は不可能といえる》

「――だったら、俺は先を急がせてもらうぜ」

 最後に交わした通信の折、ユハナンはすでに言語不明瞭となりつつあった。症状は進行していると見るべきだろう。猶予はない。

《君の探す〝弟子〟が、感染しているのか?》

 ノウマンが問う。訝しげに聞こえたのは、果たしてウィリアムズの被害妄想か。

 と言われているようで、応ずる語気が勝手に荒くなる。

「ああそうだよ。邪魔するんじゃねえぞ。間に合わねえかもしれねえのはわかってる……でも俺は、

 正直なところ、状況はまったく絶望的だと、頭の冷静な部分は理解していた。

 首尾よくユハナンを見つけて、防護服に詰め込んで、担いででも艇まで連れて行って……この星を離れてからフォルグ中央まで、最短でも四日。それもスポンサー企業が往還させている、連絡用転移船リッパーにタイミングよく乗り込めればの話だ。

 東鉱区の遺跡が開かれてから、騒ぎが起き始めた今日まで何日過ぎた? 七日、いや五日だったか。こんな最果ての惑星で地下に籠っていると、日時昼夜の感覚が曖昧になる。

 自我のないゾンビになり果てているのは、最初期に感染した鉱夫たちだと仮定し……ユハナンがつい昨日今日に感染したのだとしても、治療が間に合うかどうかは――

 そもそも、星圏中央の医療機関ですらナノテクが解禁されていないフォルグでは、分子兵器への対処など最初から――

 のだ。

「……それでも! 当たり目の出る確率がゼロじゃねえなら、俺は行くんだッ」

 賭けですらない。最大限の希望的観測と、天文学的奇跡と、娯楽映画ならまず許されないようなご都合主義を期待しての自殺行。

 なぜ行くのか。勝算があるからではない。

 ここで諦めて、逃げて、この先の人生をひとりで生きてゆくよりは。

 だと、嘘も誇張もなくそう思えたから、行くのだ。

《ふむ。非合理だが……ならば……途中まで、私が同行しよう》

 血の海へ踏み出しかけた足が、止まった。

「……どうして、てめえが俺と一緒に来るんだよ」

《私の目的に関係することだ。方角は一致している》

 言いながら、ノウマンはさっさと六本の脚で歩き始める。追い立てられるようにして、ウィリアムズも通路を奥へと進んだ。

《件の分子兵器が封印されていた遺跡というのは、離散紀の闇商人かなにかが利用していた隠し武器庫だと聞く。中身も完全な長期保管モスボール状態にあったと》

 先だけを見る。上下左右を染める赤も、天井に張り付いていた肉片が落ちてくる水音も、意識の外へ締め出す。ノウマンとの会話は、己の注意を逸らす役に立った。

「まさかてめえ――その遺跡にしまわれてた古代兵器、るつもりか」

《千年以上も昔の遺物となれば、法整備が進んで規制される前の強力な禁制技術兵器があるかもしれん。そのまま使えるとまでは期待しないが、解析すれば私自身やふねの強化に繋がる可能性はある》

 こういう奴だったな、とウィリアムズは防護服の中で嘆息した。

 それなりに有名な話だ。ノウマンは稼いだ金で違法な武器や強化パーツを買い込み、自身のサイバネ躯体と、所有する採鉱艇を改造するのが生き甲斐だというテクノ変質者である。強さを究める求道者、といえば聞こえはいいものの、そのために人間性を捨てて顧みないというのは、やはりウィリアムズにとって理解しがたい。

 しかし、そんな距離感の相手だからこそ、無用の気兼ねなく差し出された手を取れるということもある。いまは火事場泥棒の助けでも、得られるものならありがたい。

「……わかったよ。この先ゾンビをいちいち迂回してたら切りがねえ。俺は、もう……あいつさえ助けられるなら…………

 同行する、というノウマンの申し出は。

 要するに、襲ってくる感染者はすべて吹き飛ばして道を作ってやる、ということである。

 人の最も重い覚悟が、どのように決まるものか。ウィリアムズはこのとき初めて知った。それまでの無根拠な自信とは違う、ひとつの明確な選択について、己が決断したことを自覚した。

 エゴで引鉄を引く覚悟。利己的な殺人を行う覚悟。

 どうしても助けたい誰かのために、どうでもいい別の誰かを犠牲にする覚悟。

 ノウマンが代わりに手を汚してくれるから、自分は撃たなくて済む――などと考えられるほど、ウィリアムズ・ウェストリバーエンドの矜持は腐っていない。

 

 決意を示すように、リボルバーの撃鉄を起こすウィリアムズ。ノウマンの機眼に灯る青い光が、ちかりと明滅した。

《防護服を着るのは良いアイデアだ。無茶をしなければ、少なくとも君自身が感染する危険は小さいだろう》

「てめえはどうなんだよ。その身体、いちおう生身の部分もあるんだろ……」

《私の心配は要らない。脳殻容器は密閉されている。ナノマシンが入り込んでも、人工免疫系で迎撃は可能だ。

 とはいえ、最短で用を済ませて脱出するにくはあるまい。先ほどの通信ログをこちらに転送してくれ。端末の位置を絞り込めるかどうか、やってみよう……》


 ノウマンの試みは成功した。

 通信データのパケットヘッダに記載されていた端末アドレスから、ユハナンが構内LANに接続できる場所にいることは解っていた。ノウマンはさらに管理者用の高セキュリティ領域スフィアへ侵入し、どの端末にどんなアドレスが割り振られているかを一覧形式で示す、環境設定ファイルを見つけ出したのである。

 設定値リストと突き合わせれば、ユハナンが最後の通信を送ってきた端末がどの鉱区の何階層に設置されているかも分かる。割り出された位置は北東鉱区第二ブロック、地下三階。ユハナンは元々の持ち場から、さほど離れられてもいなかったことになる。

 判明した目的地へ向かう道中も、ウィリアムズはノウマンの火力に幾度となく助けられた。

 いったいどれほどの人数が感染していたのかと思わせる大群が、地下にはひしめいていた。北東鉱区に近づくほど密度を増す感染者たちを、ノウマンの全身に仕込まれた重火器類が正面から粉砕してゆく。

 ウィリアムズも、撃った。狙い撃ち、当てて、殺した。だがノウマンの戦果に比べれば、それは申し訳程度の義理立てでしかない。個人の好悪や相性は別として、この場で得られる助力の質を論ずるなら、物量の壁を突破し得る重武装サイボーグは最上の味方と言えた。

 これから立ち向かおうとしている分子兵器について、歩きながら詳しい話を聞けたことも、思えば僥倖のひとつだ。

「北東鉱区の深層に近づくほど、ゾンビどものも酷くなってきやがるな……つうかこいつら、みんな同じ顔してねえか? 俺の見間違いか?」

 幾度目かの襲撃を退けた後、累々たる死屍の中を踏破しつつ、ウィリアムズがぼやく。

 返答を期待してはいなかったが、ノウマンは律義に電子音声で応じた。

《誤認ではない、ウェストリバーエンド。あれは感染者の本来の顔ではなく、症状の進行とともに〝ハロルド〟の顔に近づいているのだ》

「さっきも聞いたな、その……ハロルドっての。なんなんだ」

《ハロルドというのは、この分子兵器〈帰界光輪ハロウ・ワールド〉の生みの親である、離散紀の科学者の名だ。記録によると、彼は死を克服するためにこれを作った》

「死を克服? それがなんでゾンビウイルスになる? 別にこいつら……じゃねえだろ」

 禁制技術兵器に造詣の深いノウマンは、採掘基地を地獄と変えたナノマシンについても、一般公開されている情報より遥かに多くのことを知っていた。

 ウィリアムズの疑問にも、あらかじめ用意していたかのように答えが返ってくる。

《感染者があのような姿になるのは、意図された仕様ではない。本来は開発者であるハロルド・ヘンリックスのを、他人の肉体に転写するためのものだったようだ》


 ――人間を生きたまま遺伝子改変して、とある人物の後天的遺伝同形体クローンに造り替える、離散紀の違法ナノマシンです。


 交信の中でユハナンが語った、不可解な知識とも符合する話だった。まったく関係のない二人から概ね同じ説明を聞けたとなれば、少なくとも〈帰界光輪ハロウ・ワールド〉なる兵器の正体については、判明したと考えていいだろう。

《遺伝子配列はともかく、人格のデータ化は第一種禁制技術のはずだが……実現していれば、確かにひとつの不死ではあっただろうな》

「実際は不死どころか歩き回るになっちまってるわけだが、こりゃつまり、そのハロルドとかいう野郎が失敗したってことなのか?」

 ノウマンが上体を傾ける。どうやら頷いたものらしい。

《そのようだ。遺伝子構造の書き換えは時間さえかければ完了できるそうだが、オリジナルの人格を再現するための脳神経再配線リマッピングは、当時も成功例が確認されていない。

 感染者たちが、ときおり譫言のように呟く言葉は……オリジナル・ハロルドの人格の、残滓のようなものなのだろう》

「……気に食わねえな」

 足元に落ちていた生首のひとつを、ウィリアムズは睨みつける。

 遺伝子変容が進み、もとのかたちを構成していた皮膚と筋肉が剥がれ落ちて、すでにほとんど〝ハロルド化〟しつつある顔。不死を夢見たオリジナルも、最後はこんな顔で死んでいったのだろうか。

 狂っているだけならいい。だが己の狂気に他人を巻き込んで顧みない者は、邪悪だ。鉱夫として培った、ウィリアムズのシンプルな価値観はそうと断じる。ハロルド・ヘンリックス。ろくでなしのクソ科学者。

 そんな奴の妄念の犠牲に、ユハナンを捧げてなどやるものか。

 焦りと罪悪感を誤魔化すように燃える怒りが、ウィリアムズの足を速めた。

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