53-

「仕事を教えておく」

 そんなことを、ウィリアムズが言い出した。

「これからブツの所まで、標準暦で一か月以上あるんだ。てめえは道具だろう。契約通り、使い倒してラクさせてもらうぜ」

 ことさらに意地の悪い調子で、そう続ける。何か不興を買うことがあったかと首をひねるフランだが、そんなものはない。

 ないから気に入らないのだ。ウィリアムズにとって、サイバネティクスとナノテクノロジーを憎むことは、いわば己の人生を肯定するための張力である。それさえ失くしてしまえば、老い衰えつつあるこの肉体に何が残るか。家族も持たず、弟子には先立たれ、永遠に残るような何物をも作り出さず。身に付けた職能は、時代によって無意味なものと断じられた男に。

 虚無だ。人間の廃墟。鉱夫は身震いした。

 まずは行動が必要だった。実感など後からついてくる。人間と亜人間、使役する者とされるモノ。その線引きをするための儀式として、彼は一度詰めた距離を取り直す必要に駆られた。

「海賊もこの辺じゃあ出て来ねえ。襲う相手がめったに通らねえからな。そういうわけで、てめえがただの穀潰しにならねえよう、鍛えてやろうってんだ。感謝しやがれ」

 鍛える名目でいじめ抜いてやろう、との腹であった。腐った時代への鬱憤を、この半機械生命体で晴らす。事故に見せかけて腕の一本くらい吹き飛ばしても、どうせ再生できる。

 が、どうもうまくない。マイルストーンで酔い潰れた夜以来、何かが変わってしまった。弱くなったのだろうか――ウィリアムズはかぶりを振る。

 そんな彼に、フランが向ける微笑みは複雑さを秘めていた。

「はいです! きっと、お役に立ってみせますからね」

 浮雲のように、表情がひっそりと変わってゆく。内からにじみ出るような笑い方。名前を付けたとき、そしてあの夜に見せた顔。

 パイロットシートに座す男は目を背けた。代わりに、スクリーンを凝視する。。これから四十日かけて翔破すべき空、宝の星が眠る海を。サイボーグ一匹のことなど、取るに足らない。

「まずは、そうだな、船内の掃除でもやってもらおうか……」

「あ、お掃除なら得意です。でも、いまのあたしならここに居ながらでもやれますよ」

 人差し指を立てたフランに、鉱夫の拳骨が落ちた。

「あべし」

「俺の船を、床から天井までナノマシンまみれにするつもりか。手作業でやれ。人間に戻ったつもりでな」

 少女の笑顔が薄らぎ、痛みをこらえるような表情が覗く。空間戦闘用の改造を受けていて、殴って効くほどの痛覚があるのだろうか? 訝しむウィリアムズの前で、彼女は別種の笑いを顔面に広げた。ひたすらに明るく、人間性を喪失した、道化の笑み。

「やだなーお客さま。あたしは人間になんて戻れないし、戻りたくないんですよ……」

 その物言いが引っ掛かり、ウィリアムズは追及を口にしかける。しかし、右の副腕を古めかしいモップに変形させ始めたフランを見て、その気も失せた。

「どうですか? このフランちゃん改は……全身が掃除用具そのものなのです!」

 どや、と薄い胸を張る異形の少女。他の腕も変形し、それぞれ箒とブラシと吸引ノズルらしき先端を備えた計四本のアームが、うねうねと流星烏賊ミーティアスクイドの触手のように揺れている。

「しかも脳波コントロールできる!」

「気色悪ィモンを見せんな」

 生体清掃用具となった少女を、男はコックピットから叩き出した。



 実際のところ、フランが優秀な助手であることは、ウィリアムズとて認めざるを得なかった。

 一度教えたことは忘れない補助脳の記憶力。意思を完璧に体現するマシンセルの動作精度。何より、学ぶことへの積極性がある。解らないことはその場で訊き、必要以上のスパルタ教育にも、素直さと真剣さでついてくる。

 十日の間に、彼女は掃除などの雑務から機械類のメンテナンス、モノポール捕獲用磁場ケージの制御、操船の基礎に至るまでを習得していた。

 生涯の過半をかけて磨き上げた技能が、易々と吸収されていく。そのことに虚しさを覚える一方で、ウィリアムズは充実を感じてもいる。大いなる矛盾。巍然と屹立しながら、力学的にはなぜ安定しているのか解明できない建造物に似ている。

「ペレットの起爆でいちばん大事なのはタイミングだ。もちろん点火イグニッションレーザーの照準や、緩衝板の角度もそうだが、タイミングさえ見極めが効きゃあ――どこ行く、おい、フラン」

 調理器から取り出したトレーを持って、フランがキャビンを出て行こうとするところであった。

「今日は船倉でいただこうかと」

 フランは当然のように答え、ウィリアムズよりずっと量を減らした自動調理品を持ち上げて見せた。二日目以来、機関室か船倉が彼女の食事場所となっている。

「面倒だ。ここで食え」

 何気なく言ってから、鉱夫は唖然とする。転移の瞬間の星々よろしく、フランの瞳がたちまちきらめき出したからだ。

「お客さま、あたしのこと……そこまで認めて……」

「違う」

 ウィリアムズはどうやら失敗したらしいと悟ったが、遅い。椅子を持ってきたフランが、いそいそと隣に腰掛けた。

「誰かと同じテーブルでご飯食べるの、久しぶりです。いいですよねえ、食卓で一家団欒とか……いただきまっす!」

「人間生活に未練たらたらじゃねーか」

「は……ぐ、ぐぬぬ! いやこれは演技ッ! あっしはしょせん人間ではねえのでございましてッ!」

 ショックを受けた顔になり、慌しく席を立とうとするフランを、頭から鉱夫の手が押さえつける。

「席に着いて、食前の祈りまで済ませてんだ。ちゃんと食ってけ」

 失敗から転じて、ウィリアムズはフランに対する新たな嫌がらせのネタを見つけたところだった。自分は人間ではないと口では主張するくせに、行動はその逆を指向する。言行不一致には人間の痛点が隠れているものだ。フランは人間ではないが、その残骸ではある。

「てめえもノウマンと同類かい。ったく、過改造ハードサイボーグってのはどいつもこいつも……」

「能面さんと一緒にしないでください。あたしは人間を見下してるんじゃなくて、見上げてるんです。だからこそ、自分がもう人間じゃないことを忘れないように……」

「はーん? 俺はてめえにノウマンの話をした覚えはねえぞ。〝火炎瓶〟でサムと話したとき、やっぱり虫つけて聞いてやがったな」

「わ、ワタシ銀河標準語ワカリマセーン」

「ええい、逃げるな。ちょろすぎて折檻する気も起きねえ」

 フランの首根っこを掴まえ、自動調理の不味い飯を喰らいながら、ウィリアムズはほくそ笑む。これは存外うまい状況だ。こちらが振り回されてばかりだった忌々しいサイボーグを、逆に振り回せる。

「だいたい、一家団欒の風景なぞ俺は覚えてねえ。てめえの家族はどんなだった。なんで死んだ……」

「……それ、どうしても言わなきゃ駄目ですかねえ」

「おう。お客さまのオーダーだぜ、聞けよ」

 もちろん、彼は興味から訊くのではない。この話題が最もフランへの嫌がらせになると踏んでのことだ。動機が悪意であるだけに、不謹慎などと考えてブレーキを踏む理由もない。

 が、ウィリアムズの目論見に反し、フランはあっさりと諾った。すべて人間的なものを拒絶する、明るいだけの笑顔で武装して。

「いやこれがですね、ありきたりな話でして」

 朗らかに、傍らの男を見上げて語り出す。

「お父さんはたぶん病死。お母さんは、あたしが殺しました」



 フォルグ中央星系、小惑星帯アステロイドベルト。廃棄された恒星間移民船に、難民や失業者、犯罪者が棲み付き形成された宇宙スラム〝ミクトラン〟。その一角で、少女は生まれ育った。兄弟姉妹はいない。母親と、二人暮らしである。

 少女の家は貧しかった。星間社会の吹き溜まりたるスラムにおいても、最底辺の貧民層と言ってよい。物心ついた頃から、掃除婦のような仕事をして、日々を食いつないでいた。

 楽な暮らしではなかったが、不幸と感じたこともなかった。中年の母が、やさしかったからだ。

 少女の母親は、かつて難民であったという。故星で致死性ウイルスの感染爆発パンデミックが起こり、やがて惑星規模に拡大。宇宙へは逃れられたものの、系内の他星やコロニーにも汚染は広がりつつあり、他星系への転移航路は連邦統合治安維持機構CJPOの艦隊によって封鎖されていた。

 連邦中央から救援艦隊が派遣されてくるという話に縋り、難民船団の大多数は、転移航路の出入り口に長蛇の待ち行列を作った。しかし母親が乗り合わせた小型艇は、「感染者が乗っているのではないか」との疑いをかけられ、船団から放逐されてしまう。

 窮屈な脱出艇であちこちをたらい回しにされ、最後に彼らが流れ着く場所は、点在する宇宙スラムしかなく。少女の母親も、そうした経緯で〝ミクトラン〟へ居ついた。

 少女は母に、よく故郷の話をねだった。

 銀河の辺境たるフォルグの、さらに田舎と呼ばれる開拓途上惑星。そこは風と、砂の星であったという。苛酷な環境だからこそ、人々は互いに寄り添って生きていた。

 墜落した宇宙船から広がったウイルスが居留地を覆うと、宇宙港では、男たちが脱出艇を守った。正体不明の病原体に肉を食まれ、理性を失った感染者たちが押し寄せてくる前に、若者や妊婦を優先的に逃がそうという決死隊である。

 少女の父も、この決死隊に加わる形で地上に残った。身籠っていた妻を脱出艇に乗せるための条件として、自ら志願したのだ。

「若くはなかったわたしが、こうして生き延びられたのはね、あなたがおなかの中にいたからなのよ」

 母はいつも、話をそう締めくくる。それを聞くたび、少女は誇らしい気持ちになった。生まれる前から誰かを守れる人間など、そうはいない。

 だから、父の分まで生きようと思った。

 これからも、母を守って生きようと思っていた。


 あの日――標準暦で何月何日かは覚えていない。ただ、少女が十歳のときである。

 スラムの子供たちが遊び場としていたリサイクル工場に、ひとりの男が現れた。これと言って怪しいところのない、人の好さそうな青年。

 子供たちに菓子を配りながら、彼は言った――かわいい女の子を探してるんだ、と。主に少年たちが議論する中で、あの少女が話題に上った。難民の母と二人で暮らしている、十歳の掃除婦。

 男は工場から煙のように消え、瞬く間に少女を見つけ出し、その日のうちに彼女をスラムから連れ去った。

 地獄が、少女を待っていた。


 連邦中央の目が届かぬ辺境で、金と時間を持て余した権力者たちの一部には、ある密かな思潮が見られた。

 倒錯した性欲こそが人間を動物以上の存在たらしめる、という遊蕩の秘儀。その信奉者たちによれば、一般的な性愛は本能に従ったでしかなく、最も下等な欲望である。文化的文脈コンテクストに依存する性欲は本能に抗うものとして称揚される。より極端な変態性は、より崇高な愛と看做される――大衆はこれを頽廃と呼んだ。しかしそのレッテルこそが、かえって性的倒錯者たちの隠然たる権威を高めた。エロティシズムは背徳の日陰に芽吹き、禁止と抑圧によってこそ花ひらく。

 この奇妙に歪んだ価値観の中で、小児性愛ペドフィリアも間違いなくステータスのひとつと考えられていた。いわゆる〝銀河貴族〟の多くが、高度な遺伝子操作の結果、子供の姿をしていたことも無関係ではないだろう。真なる権力者階級への憧憬、羨望、嫉妬。そうした欲望の代償行為。恒星間文明の時代に未だ絶えぬ人身売買において、子供が高く売れるのは、それを買う客の多くが富貴な身分だからに他ならない。

 スラムの工場を訪れた男は、人さらいを生業としていた。狙いは、戸籍を持たない子供の誘拐。警察もCJPOも、市民権を持たない人間には冷淡になる。スラムは彼のような業者にとって、狩場として都合がよかった。

 彼の顧客は〝人的資源〟を扱う暗黒の故買業者。専門的に取り扱う商品は、星の海から狩り集めた美少女たち。初潮も迎えぬ若齢の子らを、買うは銀河の闇に棲む怪物ども――難民の娘が飲み込まれたのは、つまりそういう欲望の渦であった。


 少女を買ったのは、ただ〝会社〟とだけ呼ばれる組織の幹部だった。表向きには資産家として知られる彼が、具体的に彼女をどうしたかについては、もはやその男以外に知る者もない。男はそれを人に語らず、少女は彼の玩具だった一年間のを持ち合わせないからだ。

 ただ、結果だけが確かな形で残った。

 少女は四肢を失い、臓器と知覚機能の大半を破壊され、死にかけたところを〝会社〟の技術でリサイクルされることとなる。主星系でさえ民生規格では違法となる、最高位の分子工学ナノテクノロジーを投入した多用途生体機械ユニットの素体として。

 身体の大半をマシンセルに置き換えられた少女は、きわめて高性能な知性化兵器でもあった。〝会社〟としては、反逆などされれば致命傷だ。そうでなくとも、命令を聞かない奴隷とは欠陥品である。

 禁制技術ブローカーから高値で買った補助脳の服従プログラムが、十全に機能するかテストを行うこととなった。生体脳の部分が最も抵抗を感じる命令に、身体を従わせられるのであれば合格となる。

 まず自傷行為のテストが繰り返された。痛覚を遮断しない状態で、自らに苦痛をもたらす行動が躊躇なく取れるか。ここでは同時に、自殺を禁ずるプロテクトの効果も試している。散々自分を虐待させられた少女は、自傷と自殺抑止の能力に合格判定が出ると、懐かしい場所へと送り込まれた。

 と願う日々に、帰りたいと望んだ故郷――スラム〝ミクトラン〟へ。


 四本の腕と十二枚の翅を持って、生まれた家に戻ってきた少女。最初にやったことは、涙とともに出迎えた最愛の母を、生きながら解体することであった。

 補助脳の身体統制は完璧に働いた。極微機械の群れが殺害目標を喰い尽くす間、少女は叫ぶどころか指一本さえ自由には動かせず。自分を産み育て愛してくれた女が、赤い顆粒になり果てるまで分子レベルで引き裂かれ続けるのを、黙って見ているしかなかった。

 穴という穴に精液を流し込まれ、殴られ焼かれ切り刻まれ、凌辱の果てに異形の存在へと造り替えられてなお、かろうじて人の形だけは保っていた少女の自我。それが、拉げた。奇怪にねじれ果てた。ねじれた肉塊へと、その手で変えてしまった母に、寄り添うように。

 任務完了。〝会社〟へ戻った少女は、その後も命令を忠実に順調にこなしてゆく。ものを作り、奪い、壊し――人を生かし、殺し――ときどき〝客〟の慰み物にされ――機械的に、自動的に。

 人の心では、いたみに耐えられない。

 だから少女は、人間であることをやめた。



「……とまあ、フランちゃんは波乱万丈の人生を送ってきてるのです。ん、もうじゃないのか。ちなみに本名は忘れました。ていうか、思い出せないように暗示ブロックかけられてるんですよね」

 長い話を終えると、フランは水を飲んでひと息ついた。

 ウィリアムズは空のトレーを眺めている。藪をつついたら〈星蛇スター・スネーク〉が出た、という顔だ。

 予測していない話ではなかった。しかし、詳らかに語られた内容は予測を上回っていた。思わず納得してしまう。フランの奇矯な言動の数々に、彼女なりの必然性があったのだと。

「で、になっちまったと」

「故郷から掻っ攫われて、かれこれ七年くらいですか。いっそ、壊れられたらよかったんですけどねえ。駄目なんです。精神崩壊とか発狂とか、補助脳が全力で阻止するんですよ。無理矢理にでも、統一したゲシュタルトを保持するってゆーんですか、そういう機能がついてて。

 人の形をしてた心が、壊れるような力をずっと加えられてるのに、壊れさせてもらえない。そしたら壊れる代わりに歪んで、人の形じゃなくなっちゃうみたいですねえ。いやあ興味深い」

 こう説明すると、ちょっと心理学っぽくないですか――そう続け、フランはまた笑う。へらへらと、非人間的に。

 それが仮面であることなど、ウィリアムズとて初めから分かっていた。その下の素顔を、いまほど覗きたくないと思ったときはない。

「……ひとつ、思ったんだけどよ。おまえのオヤジが死ぬ原因になったってウイルス……今から引くこと七年に、十年とくりゃあ、〝ハロルド禍〟のことだったんじゃねえのか」

「たぶん、そうなんでしょうねえ。マイルストーンでお客さまから話聞くまで、全然結びつきませんでしたけど」

 禁制技術のことなど何も知らず、災禍の当事者として難民の暮らしに追われたフランの母。〝ウイルス〟とだけ報道されたものの正体が古代のナノマシン兵器であることも、自分たちの生活を破壊した事件がやがて〝ハロルド禍〟と呼ばれたことも、知らなかったとておかしくはない。

 ユハナンが死んだあの悪夢から、ほどなくして生まれた一つの命。

 むろん何の関係もない他人だ。少女の誕生に、少年の死の慰めを見出すのは間違っている。当のフランは、文字通り生まれてきたことを後悔するような目に遭い続けて、ここにいる。

 それでも、同じ年に死んで生まれた二人の子供が、ともにウィリアムズ・ウェストリバーエンドの弟子となった事実だけは残る。いまフランの実年齢が十七歳とするなら、ユハナンの享年とも同じだ。いったい何の因果か、勘繰りたくもなる。

「……そうかい。ひと一人、生きて死ぬだけの時間が経っちまったんだな。そりゃ、世の中も変わらあ……」

 ウィリアムズはトレーを食洗機に放り込んだ。サーバーからもう一杯水を汲み、一気に飲む。固いものを、押し流すように。それからフランに歩み寄り、おずおず、彼女の頭に手を乗せた。

 軽く叩くか、撫でるかしようと思った。が、どうにも柄でないと思い直す。

 結局、衝動的に手刀チョップを二発落としていた。

「ばわ! たわば! ……何をするんです」

「うるせー苦しめ。オヤジとおふくろにクソ懺悔しやがれ」

「うわひど。いつもに輪をかけて鬼畜。どうしたんですかお客さま。ひとの不幸は甘露甘露ォ、て顔してますよ」

 けへへへ、とウィリアムズが笑う。極悪人の面構えであった。

「元ヒトだろうが――ま、しかしだ。そのいたみは忘れてやるな。一生付き合え。失くしたモンの価値を、てめえに証明する値札だ」

「えっ?」

「年寄りの忠告だ。聞けよ」

 手をひらひら振りながら、鉱夫はコックピットに消えた。


 ウィリアムズの背を見送ったフランは、彼の言葉を反芻する。

 値札――価値の証明。

 胸の痛みが大きいほど、失ったものの大切さがわかる。悼みが、亡き人への愛のあかしとなる。身を切る罪の鋭ささえも。

「すげー指標ですね。どういう人生歩んでくれば、そんな価値観が、あれ?」

 視力が急落した。キャビンの景色がぼやけて滲む。補助脳の信号補正ミスかとも思ったが、ことはもっと単純だと気付く。涙だった。

 涙腺はマシンセルで再現された器官ではないため、フランの意思ではコントロールできない。「泣き顔がから」と、彼女を買った幹部の要望で残された、母にもらった身体の一部だ。

 だとしても。

「……どんだけ軽い女ですかあたしゃあ。スマイル一閃、頭ひと撫でで落ちちゃう三流ヒロインじゃあるめーし」

 ――苦しめ。

 どこに泣くべき要素があったのか。なぜ、いま嬉しいのか。

 同情を誘うつもりで明かした身の上話だ。軽く流されてしまったのだから、狙ったほどの効果は挙げなかったのだろう。失敗に終わった一手。しかし思えば、これまで誰にも話せなかった苦しみを、一部とはいえ初めて他人に話せた機会でもあった。

 この身がいかに歪み、汚れ、壊れているか。知ってなお、あの男は嫌悪も忌避も示さなかった。ただそれだけのことに慰めを見出してしまう己の心が、どうしようもなく単純な構造物に思えてきて、彼女は泣きながら笑いだしてしまう。

「困ったなぁ。これじゃあ、いたみがいとおしくなっちまうじゃねーですか……」

 こらえきれなくなり、少女は角のないテーブルを叩いて笑い転げた。笑うしかなかった。

 すべて笑劇ファルスだ。約束された結末が、悲劇的であるからこそ。

 フランは――フランと名付けられたこの存在は――ことの終わりには、ウィリアムズ・ウェストリバーエンドを殺さねばならないというのに。

 無慈悲に、自動的に、母を殺した日のごとく。任務は遂行されるだろう。最後のページだけが書かれたシナリオ。抗う術は、糸で繋がれた人形にはない。

 それでも、彼に近づきたいと思ってしまう。

「あーあ、馬っ鹿でぇあたし。名前くれとか、昔話とか、ぜんぶ裏目に出てるんでやんの……」

 バラバラにすらなれない心は、少女に涙の理由を教えてくれなかった。熾火のぬくもりを宿した思慕も、冷たい泥に似た絶望も、歪な器の中へ撒かれて、それぞれ勝手に跳ね回っている。

 ひとりになったキャビンで、フランは泣いた。

 人のようなおめきを洩らし、ひび割れた笑顔のまま、己を嘲りながら泣き続けた。

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