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 系外航路の出入り口が重力均衡点ラグランジュ・ポイントにあるのは、港湾施設を安定軌道上に設置できるから――ではない。

 縮天航法リプレイサー・ドライブは高次元ベクトルの指向性重力場を投射し、歪曲させた超空間を経由することで、遥か彼方の通常空間へと物体を瞬時に転移させる。恒星間文明を成立せしめる要であり、重力工学が生んだ最大の発明の一つである。

 しかし転移距離が長くなるほど、〝エシュアの歪廊〟と呼ばれる転移ルートの形成精度が問題になる。転移始点のわずかな重力偏差が、終点座標に甚大な誤差をもたらすのだ。惑星や恒星の重力場の中から転移を開始するということは、曲がった空間の中からさらに曲がった空間のトンネルを作り出す行為に似ている。当然、正確な測量は困難を極める。どこへ飛ばされるか知れたものではなく、転移事故により未知なる宇宙の深淵へと消えていった船舶は数知れない。

 ゆえに、系外航路との連絡点は通常、恒星から遠く離れた星系外縁軌道に置かれる。それはほとんどの惑星軌道の外側であり、人間が居住可能な内惑星から通常空間を航行していけば、高位技術圏の斥力推進船でも数標準日を要する距離となる。遥かに遅いプラズマロケットが主流のフォルグ星圏では、月単位を費やすこととなろう。

 が、高度技術の投入に糸目をつけないなら、抜け道はある。

「あのデカい玉な、転移座標重力圏補正体……って言うらしいぞ。俺たちは重力グラヴピンとしか呼ばねえが。聞いた話によると、あー、何だっけか? 自然界の重力偏差を人工的に均して……こう、空間を平らにして……系内からの長距離転移を可能にするとかだったような」

「ナニ言ってんだか全然わからねーです」

 サブスクリーンに表示される説明文を見ながら、フランが四つ手を上げた。マイルストーンの象徴たる球体群について、彼女の方でも情報を取得してみたのだが、さっぱり理解が追いつかない。分かったのは、あの球体群が系内転移を可能ならしめる便利な代物であることと、それがドレクスラー社の資本で設置されているらしいことだけである。

 ウィリアムズは椅子の背もたれを倒し、コンソールにどかりと足を乗せる。

「重力工学は俺にもよくわからん。考えるな」

 ソリチュード号はガイドビーコンに導かれ、サブスラスターの小刻みな噴射を繰り返して、転移船リッパーの格納庫へ進入した。巨大な輸送船のおよそ半分を占める空間に、乗り合いの小型船、中型船が整然と並んでいる。

 転移船リッパーは複数の星系を経由しながら飛ぶ。ウィリアムズ達は一度の転移で下船するが、その後も輸送船が辿る航路は、最終的に射手サジタリウス渦状腕まで延びている。ペルセウス腕に属する現星系から終着駅までの距離はおよそ三〇〇〇光年。すなわち約九二〇パーセク、二京八〇〇〇兆キロメートルの彼方だ。

 定期航路のデータを見ながら、フランが首を捻った。

「三〇〇〇光年も離れた星系間で、どうやって航路を開拓したんでしょう? 統一銀河連邦、発足から一〇〇〇年くらいしか経ってないと思うんですが」

 銀河に版図を広げた人類文明だが、通常空間を超光速で飛翔する航法は未だ実現していない。転移航路が確立されていない未知の星域へは、光より格段に遅い船で長い時間をかけて、測量の旅をする必要があるはずではないのか――彼女はそう問うている。

 鉱夫は答えるでもない。格納庫に整列した船群の隙間にソリチュード号を滑り込ませ、小鳥が舞い降りるような軽やかさで船体を静止させる。その手際に目を瞠りつつも、フランは無視への抗議を言い募った。

「もー、冷たいですよぉ。一夜をともにした仲じゃないですかぁ」

「ああ――てめえが艇に戻らなかったおかげで、部屋代が二人分になったよ。くそったれ、誰も横にいろなんて頼んでねえ」

 悪態をつきながら、ウィリアムズが光信号で合図を出す。転移船リッパーの管制室がそれに応え、船体固定アームが壁面から伸びてきて、ソリチュード号をしかと掴んだ。

 あとは乗り合い船が満杯になるか、出航期限の銀河標準時刻が来るまで、乗客は待つだけとなる。

 しばしの静寂。彼の足元でコンソールをいじっていたフランが、独り言のようにまた口を開く。

「うーん……縮天航法リプレイサー・ドライブでの空間転移、べつに開拓済みの航路データがなくても可能みたいですねえ。ようは、転移先の座標まで〝歪廊〟が通りさえすればいいと。

 あ、これ『銀河百科事典エンサイクロピーディア・ギャラクティカ』の第二十一版です。船のデータベースに入ってました」

 ウィリアムズは黙って無精髭を揉んだ。自分の船にそんな機能が備わっていることを知らなかった、などと言いたくもない。彼は仕事に必要な機器やソフトウェアの扱いこそ練達の域にあったが、使う機会のないものに関しては、徹底的なまでに素人であった。

 フランはひとりで問答しつつ、記事をスクロールしていく。

「じゃあみんな航路とか関係なしにバンバン転移リップすればいいんじゃ……えーと、なになに……『ただし超空間航路上に次元暗礁が存在していた場合、予測不能の座標へ放り出される危険がある』? ははあ、その事故死覚悟のノールックジャンプを実際にやって、銀河に道を切り拓いた命知らずどもがいたわけですね。なるほどなるほどー」

 などと一人で盛り上がっていたフランの指先に、ウィリアムズの踵が落ちてきて、ディスプレイの電源をぱちりと切った。

「ちょっ痛、あーもう何するんですかぁ」

「へ。禁制技術の記事なんぞ、大事なところは辞書にも載ってねえだろうが。そんなもん読んで暇を潰すくらいなら、てめえも実際に見てきたらどうだ」

「何をですか?」

「〝エシュアの歪廊〟。展望デッキに行けば、編光窓越しに肉眼で見られる。いいもんだぜ」

 超空間を通過する際の独特の視覚効果は、重力工学と縁遠い田舎の銀河市民にとって、一大スペクタクルともなる。それを見物するための広大な展望デッキが、こうした大型輸送船には備えられていた。

 むろん有料ではあるが、高い料金ではない。そして今のウィリアムズには〝会社〟から振り込まれた前金がある。フランを遠ざけるために少々の小遣いを渡してやるくらいの出費は、許容範囲内と言えた。

 そんな気前のよい悪意を、小さな怪物はあっさりと粉砕する。

「いいもんなら、いっしょに観ましょう!」

「おい――」

 厄介払いのつもりで余計なことまで言ってしまった、と鉱夫が気付いたときには後の祭り。

 フランは体躯に見合わぬ怪力でウィリアムズをコックピットから引きずり出し、そのまま転移船リッパーの展望デッキへと連行するのであった。


 似てはいない。だのに、一挙手一投足が思い出させる。

 ウィリアムズの表情が苦り切ったものになる。自分を引っ張るフランの姿ではなく、そこに別のものを見出そうとする自分の反応が厭わしかった。場所と状況のせいであるに違いなかったが、そう分析してみた程度で記憶の奔流が止むほど、人間の脳は便利にできていない。

 展望デッキに上がるや、壁の一面を占める分厚い編光窓に張り付いて、星の他には何もない宇宙空間を楽しげに眺めているその顔。ときおり向けてくる、きらきらと無邪気に輝く瞳。

 ――ウィル、ほら、こっちですよ。

 線の細い子だった。男のくせに、顔も声もまるで少女のようで。だからだろうか、フランにその面影を重ねても、不思議と違和感がない。

 ――はやくはやく。始まっちゃいますよ……。

 幸福だった日々の亡霊が、何かを訴えかけている。その幻影から逃げるように、孤独な鉱夫は瞼を閉ざす。

 いまさら、どうしろというのだ。

 三文ドラマの主人公なら、まるで容易いことのように「過去を清算する」とでも言うのだろう。。馬鹿げたレトリック。失くしたものの代わりを探し、己を慰めてみたところで、何も取り戻すことなどできない。過去は戻らない。

 ウィリアムズはかぶりを振って、大きく、長い息を吐いた。

 閉じた目をゆっくりと開き、見据えるのは〝会社〟が送り込んだ剣呑なナノテク兵器。生きた少女。死んだ少年ではない。幻は消えて、もう見えない。

「はしゃぐんじゃねえ。田舎モン丸出しだろうが」

「あたし田舎者ですもんねー。で、いつ始まるんです?」

「出航シークエンスはとっくに始まってるはずだ。安全確認やら何やらが済んだら、船内放送がある。デッキの照明が落ちたら、転移リップの合図だ」

 ウィリアムズの様子がどこかおかしいことを察してか、フランも常より神妙にして、鉱夫の隣でそのときを待った。


 ほどなくして、出航を告げる船内放送が始まる。

「……時間だ。『跳ぶ』ぞ」

 鉱夫の言葉に、フランが目を上げた直後。

 照明が落ち、横に長い展望デッキが闇に沈む。外宇宙の深淵を望む窓からの星明かりは弱々しく、己の輪郭さえ影の中でおぼろげに溶けてしまう。

 その暗さに目が慣れるより前に、奔るものがあった。

 光の針。針の雨。

 事象の地平線、その外から延びてくる無数の条光。

 全宇宙がふたりに向かって降り注いだ。圧縮された時空の中で、百三十七億年の悠久に燃え尽きたすべての星が、いま一度新星ノヴァとなって殺到する。編光窓は瞬く間に白一色へと塗り潰され、デッキは鋭利な陰翳に切り取られた影絵の劇場と化す。

「……すごい」

「見かけだけの話だが、転移の瞬間には。本来届くはずのねえ距離にある星の光まで、歪曲空間が引っ張り込むんだと。で、重力圧縮された赤外線やらマイクロ波やらが可視領域の光パルスになって、この船に押し寄せてくる――」

 ウィリアムズの影が喋る。口元のわずかな動きが、無限に長い光の亀裂となって背後へ、過去へ流れていった。

「博識じゃないですか。隠れインテリですか」

「こいつだけは好きで覚えたんだ。初めて跳んだあとに、マイルストーンのクソみたいな説明書きを必死で読んでな」

 やがて、白光の海に落ちる黒い点。それが増えていき、繋がり、線となり網となり面となる――

「俺の人生にはいつも足りてねえ、センス・オブ・ワンダーってやつの原体験よ。きれいなもんだろ、宇宙の始まりと終わりをいっぺんに見るのは」

「宇宙の、始まりと終わり……?」

 外界を映す光の窓に、ふたたびおとなう刹那の闇。

「真っ暗な所から、光がバン。あっという間に星だらけ。かと思えば今度は光が消えて、真っ暗闇に逆戻り。時間と空間の外を渡るあの瞬間に、人に似た宇宙の一生を見た、と思った。ガキの頃の話だ……顔もろくろく覚えてねえ親に連れられて、定期便で外ノーマから内ペルセウスに跳んだときか。親の顔はおぼろげなくせに、宇宙がまるごとぶっつぶれて落ちてくる、あの光だけは覚えてた――」

 体験を聞かずとも、ウィリアムズが昂揚していることは明らかだった。彼がフランに対し、ここまで饒舌になったことはかつてない。

 当のウィリアムズも喋り過ぎたと思ったか、自嘲を露わに鼻で笑う。

「もっとも、てめえの改造された視野にどう映ったかは知らねえがな」

「最高でしたよ。お客さまとおんなじです」

 媚びるためでなく、フランは素直な感想を伝えたつもりだった。その言葉が、なぜか鉱夫の顔を一瞬で曇らせる。

「ちょ……嘘じゃないですからね! あたし、ほんとに感動して」

「そこを疑ったんじゃねえよ。ただ、昔……世話してやった同業の若いやつも、似たような感想を漏らしてた。それを、思い出しただけだ」

 少女の直感が、と教える。この男の見えない古傷。秘められた過去への足がかり。

「へぇ、お客さまが若手の世話を……それはひょっとして弟子だったりするのでしょうか? 今どちらに?」

「死んだよ。〝ハロルド禍〟でな」

 反射的に湧く後ろめたさを補助脳の抑制でごまかし、フランはなおも踏み込む。

「……十七年前にフォルグで起こったっていう、アレですか。あたし生まれる前なんで、よく知らないんですよね」

「あの件に関しちゃ、出回る情報を連邦が絞ってるっつう話もある……ま、禁制技術がらみだからな。お上も過敏になる」

「お客さまがナノテク嫌いなのって、もしかしてその件に関係してたりします?」

「急に詮索好きになりやがって。遠慮しようとかそういう発想は欠片もねえのか」

「いやー、いまだったら話してくれるかなと」

 フランは鉱夫の横顔を窺った。もはや影絵ではなく、見慣れつつある草臥れた中年の男。そのはずだったが、光の海に照らし出された黒い輪郭よりも、いまの表情に刻まれた陰翳こそ濃く感じられる。

 五秒、十秒と沈黙が続き、無視されたかと少女が諦めかけたところで、ウィリアムズが口を開く。

「……〝ハロルド禍〟ってのが具体的にのか、おまえ、知ってるか」

「よくは知らないって言ってるじゃないですかぁ……えーと、ナノマシンの大規模暴走事故でしたっけ?」

 フランが〝会社〟に与えられた情報は、大部分が業務上必要なことに限られる。〝ハロルド禍〟の詳細は、その中に含まれていない。

「あれは暴走じゃねえ。が本来の性能を発揮しただけだ。

 正式には、指定感染症〈帰界光輪ハロウ・ワールド〉の惑星間疫病流行インタープラネタル・エピデミック……そのふざけた病原体を作った奴が、千年以上前に死んだハロルドとかいうマッドサイエンティストだった。だからそのまんま、〝ハロルド禍〟なんて呼ばれてる――」


 狂った人工知能との戦争で太陽系圏を失った人類は、統一銀河連邦の発足に至るまで、星間宇宙を彷徨う難民の船団だった。六百年続いた流亡の時代――離散紀ディアスポラージュ

 その末期、〝不死〟の研究に取り憑かれた、ひとりの科学者がいた。

 ハロルド・ヘンリックス。生命工学バイオテクノロジー分子工学ナノテクノロジーの結婚に、永遠の命という夢を見た男。遥か地球時代アース・エイジの錬金術師たちと同じく、ありふれた不老不死の秘儀を追い求め、やがてありふれた挫折に狂った。しかし諦めきれなかった夢の残骸から、彼はひとつの〝災害〟を生み出す。

 自己増殖型・人体変造ナノレプリケーター〈帰界光輪ハロウ・ワールド〉――生きた人間の細胞組成から遺伝子構造まで、すべてをハロルド・ヘンリックスの複製に作り換え、無限に感染拡大しながら生体分子機械群。

 いったいなぜこんな代物を作ったのか?

 狂人が幻視した未来など、しょせん余人には知り得ない。ただ本体オリジナルのハロルドは、老い衰えてゆくわが身を永遠に維持するのは不可能と結論し、記憶や人格までも含めた完全なコピーを再生産し続ける手段を模索した――というのが、後世の通説である。複製はあくまで複製、死を恐れる自分という意識の消滅は避けられないとしても、自己を表彰するパターンが残り続けることに、彼は慰めを見出そうとしたのであろうと。

 結局、ハロルドは妥協の末に選んだ夢の代替物すら、完成させることができなかった。〈帰界光輪ハロウ・ワールド〉は他人の肉体を遺伝子レベルで改造し、物体としてさせることには成功したが、精神のコピーはついぞ不完全なままだったのだ。実験台にされた感染者たちの脳は、神経網の構造すら精巧にハロルドの脳を再現していたが、そこに宿った記憶はバラバラの断片であり、人格は例外なく崩壊していた。

 更なるアップデートを加える前にハロルドは摘発され、稀代の技術犯罪者として、誰にも惜しまれることなく獄死した。〈帰界光輪ハロウ・ワールド〉は〝人間をハロルドの姿の生ける屍ゾンビに作り変えるだけの疫病〟に終わり、試作品も研究資料もすべて処分されたはずであった。

 が、分子兵器としてはそれなりの性能が見込まれたためか。滅却予定のサンプルの一部が持ち出され、闇市場へ流れて行方知れずになるという事件が起こる。

 当局の不祥事として世の報道をいっとき賑わせはしたものの、懸念された大規模テロへの投入なども行われず、次第に世間は〝消えた人造病原体〟のことを忘れていった。そもそも危険な禁制技術などは他にいくらでもあり、〈帰界光輪ハロウ・ワールド〉だけを特別視する理由はなかったのだ。

 それから、いかなる紆余曲折を経たのか。

 結果的には、これがフォルグ星圏のレーンシウム鉱床から発掘され、千年の時を超えて再起動を果たす。何も知らぬ宇宙鉱夫たちが最初の感染者となり、次々にハロルド化してゆく同僚から逃げ延びた生存者たちが、われ知らず惑星外へ病原体を運んだ。あとは、同じサイクルの繰り返しだ。

 変異とパニック。今ならまだ助かるかも。自分だけは感染していないはず。せめて子供だけは。人間のあらゆるエゴが、愛が、防疫手順をすり抜けて破滅の輪を広げる運び手キャリアーとなった。

 苦痛の中でハロルドに変わってゆく人々。隣人がすでに感染しているのではないかという恐怖。猜疑。大衆の狂気。

 十億を超えた犠牲。その半数以上が、〈帰界光輪ハロウ・ワールド〉そのものではなく、二次災害や苛烈な防疫処置による死者であるとも噂された。

 ウィリアムズ・ウェストリバーエンドは、その始まりに居合わせながら感染を免れた、稀有な生存者の一人である。

 そして、ともに巻き込まれた彼の〝弟子〟は、助からなかった――。


「あいつは駆け出しのころの俺と同じ、身寄りがねえから鉱夫見習いになった手合いの孤児だった。そういうガキを集めて、職業訓練を受けさせて、あっちこっちに派遣する奴隷商人まがいの人材斡旋業者が、フォルグじゃ珍しくもなかったからな」

「その人、お名前は……」

「ユハナン。俺が預かったときは十五歳。ひょろひょろの優男だった……あんな体格で、鉱夫の仕事が務まんのかと思ったよ。

 だが、まあ、頭を使う方には強かったからな。鉱夫でも、望めばそれ以外の職でも、何だってうまくやって行けたはずだ。それこそ俺より、ずっと……」

 一瞬、遠くを見るように視線を彷徨わせたウィリアムズ。フランの神妙な態度に気付くと、ばつの悪そうな顔を背け、硬い声で続ける。

「どんな凶悪なウイルスだろうと、自然界で生まれた疫病は生物学の常識をそうそう外れやしねえ。致死率が高すぎりゃあ保菌者がバタバタ死んで、感染も広がらなくなる。だから、適度に毒の弱いウイルスだけが世代を繋げて、生き残っていく……。

 だがナノマシンは違う。人間が仕込んだプログラムどおり、どんなに気の狂った目的だろうと愚直にやり遂げる。……あの地獄を生き延びた奴は、みんな解ってんのさ。

 自己複製する機械は、いつか必ずコントロールできなくなる。人間の命令通りに、命令以上のことをやって、人間を滅ぼす。ゾッとするよ。この世に存在しちゃならねえ力だと、俺はあのとき確信した」

 ナノマシンによって生かされているフランには、かけるべき言葉も見つからない。

 気付けば、窓外にはもう常夜の星空が戻っている。ひと目では分からないが、転移が成功しているなら、ここは転移前とは別の恒星系に属する宙域のはずである。ソリチュード号はおよそ三十光年の距離を跳び越え、フォルグ星圏辺境のとある恒星系へリップアウトしたことになる。

「ま、いまから行く星はフォルグでも端っこの端っこ、〝ハロルド禍〟にも巻き込まれなかった無人地帯だ。古代のナノテク兵器をうっかり掘り起こして大事故、なんて心配は要らんだろうよ」

 集っていた物見客らはすでに解散し、展望デッキは閑散としていた。ウィリアムズは薄笑いを浮かべ、かぶりを振り、格納庫へ続く扉に向かって歩き出す。

 その背中を、フランの黒い瞳がじっと見ていた。

 もの問いたげな目で、黙って見続けていた。

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