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目覚めると気分は最悪だった。麻薬の副作用による鬱状態、というわけではない。単に正気に戻っただけだ。
禁断症状の苦痛と薬効による恍惚。それらから解放された後にやってくるこの醒めたひと時は、ウィリアムズにとっていつも自己嫌悪と自己弁護に費やされる無駄な時間でしかない。
酒と薬のためだけに生きているような自分は、間違いなく人間の最底辺であろう。それを自覚するのだが、悩んだところで未来への展望は何ひとつ開けない。やりたいことなど思い浮かばず、この歳になって生きる理由を探さねばならない滑稽さに、苦笑が漏れるばかり。
鉱夫をやめたら、果たして自分に何が残るのか。
ひとしきり悩むと、今度は開き直りの波が来る。純粋に快楽を求めて生きて、何が悪い? 人の幸不幸を脳内物質の量で測るのなら、麻薬中毒者は誰より幸福だと言えるじゃないか。他人の評価など知ったことか。これは俺の人生だ。そもそも人間をやめていないだけ、サイバネ野郎どもより遥かにマシだろう――
何十回、何百回このサイクルを繰り返してきたか知れない。この仕事の後で鉱夫を引退してからも、廃人にならない程度に死ぬまで繰り返すだけだ。そう結論づけ、反省の時間はあっさり打ち切りとなった。
ウィリアムズはコックピットを出た。船室に入り、一食分の料理パウチを自動調理器に放り込んでボタンを押す。数分もすれば、ギリギリ不味くはない程度の料理が出てくる。
その間をただテーブルについて待つことはしない。壁に備え付けられたサーバーから、十数錠の薬剤を取り出す。これは麻薬の類ではなかった。骨や筋肉の劣化、ミネラルの減少といった、無重力が人体に及ぼす数々の悪影響を軽減するための化学物質だ。人間が宇宙で暮らすには、文明が恒星間規模に広がったいまでもこんなものを必要とする。
フォルグでもいちおう重力制御技術は解禁されているのだが、出回っている製品はどれも高価で、個人営業の宇宙鉱夫などには手が出ない。ドレクスラーが持ち込んだ最新のナノマシンであれば、体内に循環させておくだけで低重力適応薬剤の代わりを果たしてくれるというが、ナノテクを毛嫌いしているウィリアムズにそれを使うつもりはない。
サーバーの横から出てきたコップには、適量の水が入っている。その水で、一錠ずつ確実に嚥下していく。すべての薬を呑み終える頃には、電子音と共に調理器からトレーが差し出されていた。
宇宙用の自動調理食品はしばしば、栄養バランスだけを考えた学校給食のようなもの、と形容される。一部の高級品を除けば、味に期待できるものではない。それを机の上に置き、ウィリアムズは昼夜のない宇宙における便宜上の朝食を始めようとする。
機関室に続く通路のドアが開いた。
「あのー、お客さま?」
何食わぬ顔でフランが入って来る。機嫌を損ねるよりも先に、男は怒鳴っていた。
「顔を出すなと――てめえに用はねえぞ!」
「や、用があるのはこっちです」
いきなり怒鳴りつけられても、少女は笑って流してしまう。無機質なわけでもないのに、どこか非人間的な
「生身じゃないとは言え、あたしは完全に機械ってわけでもありません。だからそのぉ……生体部品を維持するのに、お食事も必要なんです」
もじもじしてみせる、四本腕の何か。いかなる感慨も湧かない。
「人間と同じ飯を食うのか? 食費が余計にかかるな」
唸る鉱夫に、フランは二手を振って否定した。
「その分はあとで〝会社〟がちゃんと払います。まあ、量も回数も人間よりずっと少なくて済むので、お客さまにかかる負担はそれほど大きくはないはずです」
フラン自らが述べて曰く、タンパク質やビタミンはほぼ摂取の必要がない。体内を循環する偽装分子の機能で補えるからだ。必要なのは、偽装や合成で作れない一部の栄養素と水、そしてマシンを動かすエネルギーとしての脂肪や糖分だけだという。
「人間より優れてるってツラしやがって。これだからサイボーグは気にくわねえ」
「あたしはそんなこと考えてないですよぉ。とりあえず、お食事いただきますね」
ウィリアムズはしかめ面でサイボーグの行動を分析する。彼女は食事が必要だと知らせはしても、食べていいかと許可を求めることはしなかった。ウィリアムズの言うことを聞くのは、それが任務遂行の上で必要なとき、あるいは昨日のように自分がそうしたくなったときだけということなのか。
彼は〝会社〟に訊きたかった。いったい、こいつが具体的には何の役に立つというのか。それとも、問い詰めたら認めるだろうか。実はあなたの監視用に付けただけでございます、と。
もう少し取引相手を信用しろ――そう怒鳴りつけてやりたいが、目の前の人型監視装置に言っても仕方がない。クライアントへの愚痴を飲み込み、それを押し戻すように、半分液体のような食感の擬似スクランブルエッグを口に運ぶ。
「できました! ご一緒してもよろしいですか?」
「てめえは機関室に持ってってひとりで食ってろ。終わったらトレーは食洗機に入れとけ」
「はぁい」
相手がしょげ返ったりしないことはもう分かっているので、ウィリアムズはフランの反応など見なかった。ただドアが開閉する音で、彼は自分がまたひとりになったことを認識した。
食事が済んでしばらく休憩した後、ウィリアムズはコックピットへ戻った。仕事内容についてまとめたファイルを呼び出し、確認がてら、最も肝心な「鉱夫としての作業」のシミュレートプログラムを組み始める。
仕事は「あるもの」の回収作業である。だが、なぜ単なる運び屋ではなく、鉱夫が必要だったのか?
それは、〝会社〟がさる情報屋から買ったデータが、特殊な物質の存在を示唆していたからだ。正確には〝物質〟ではないが――ウィリアムズはそれを持ち帰らねばならない。
モノポール、すなわち磁気単極子。
ごく簡単にいえば、S極かN極のどちらか一方の磁極だけを持つ磁石のようなものである。それは陽子の一京倍(十の十六乗倍)という、一個の粒子としては巨大な質量を持ちながら、陽子より遥かに小さい素粒子の形で存在する。
宇宙全体でもきわめて希少であり、連邦が長年にわたって続けている人工生成の計画も成果を挙げていない。手に入れるには、大質量天体の重力や磁気圏に絡めとられているものを、磁場ケージで回収するのが一般的とされている。
モノポールは物質の原子核をいとも簡単に破壊し、莫大なエネルギーを放出させる触媒の役割を果たす。その効果を利用すれば、あらゆる物質を超高効率の燃料とする、半永久的なエネルギー機関を作ることが可能である。また、コロニーや大型船で使用する人工重力の安価な発生源となる、縮退物質の生成にも応用できる。希少価値ばかりでなく、計り知れない利用価値をも備えた粒子だ。
〝会社〟が情報屋から仕入れたデータは、まだ誰も発見していない新たなモノポールの存在を暗示していた。
ちなみに当の情報屋は、いくつもの人工衛星を私有している宇宙写真家の友人から、二束三文の口止め料だけでこの情報を買い叩いたという。衛星の一つにたまたま記録されていた、奇妙なガンマ線の観測データを一目見て、彼はその正体に気付いたらしい。
とはいえ、触れたものを片っ端から陽子崩壊させてしまうモノポールの扱いには、専門的な技術や設備といったバックグラウンドが必要となる。そこで情報屋は、恐るべき値打ちを秘めたそのデータを、今度は十分な技術と人的資源を持つ〝会社〟に、天文学的な値段で転売した。その情報料さえ、長期的に見て一個のモノポールが生み出す利益に比べれば、はした金のようなものでしかない。
それほどの力を持つ、たった一つの粒子。その回収任務を、鉱夫ウィリアムズ・ウェストリバーエンドが任せられたのには、もちろん理由がある。
第一に、派遣するのが鉱夫でなければならなかった理由。観測データによれば目標のモノポールは、巨大ガス惑星の磁気圏に引っ掛かっていると推測される。回収作業はヘリウム3などの採掘と似た手順で行うことになるだろう。これは明らかに運び屋ではなく、宇宙鉱夫の領分である。
第二に、回収任務を実行するのが組織ではなく、個人である理由。この仕事が成功するか否かは、とかく迅速性と秘匿性にかかっていると言ってもいい。早く回収してしまわなければ、遠からず他人に発見され争奪戦となるだろう。また部外者に知られてもやはり奪い合いとなるか、最悪、
人数が増えればそれだけ動くのに時間はかかるし、監視役をつけても情報漏洩の危険は高まる。欲に目がくらんで内ゲバなど始めでもしたら、目も当てられない。
自然、適任なのはフットワークの軽いフリーの個人ということになる。もともと数が減っていた候補の中から、「金次第で犯罪の片棒でも担ぐ」という条件で絞り込めば、残るのはせいぜい数人。選ばれたひとりがウィリアムズだったのは、必然ではなく蓋然である。
そういうわけで、彼の最後の仕事はモノポールを確保し、それを持って〝会社〟のステーションへ帰還すること。
おおよそ、以上がファイルの内容である。
結局この日は――昼夜のない宇宙空間では、地球の旧グリニッジ天文台に合わせた銀河標準時が用いられる――プログラムを組むだけで終わってしまったようなものだった。
第一目的地である〝マイルストーン〟に到着するまで、あと四十日近くかかる。その間やる必要のあることと言ったら、中間地点の前で百八十度回頭し、減速に入る時の手動操縦ぐらいしかない。
彼が思うに、宇宙船乗りに最も求められる素養とは、航行中のあまりに長い暇な時間をどう処理するかという才覚なのだ。
事実、この後およそ一ヶ月間は無聊そのものだった。
その期間をウィリアムズは無駄にしない。身体が覚え込むように、モノポール捕獲用の磁場ケージの使い方を、繰り返し訓練する。食事やシャワーを別にすれば、ほとんど寝ているかシミュレーションをこなしているか。合間に酒を飲んだり薬で飛んだり――鉱夫としてのキャリアで習慣化した生活サイクルを繰り返す。
一日、また一日と時間は過ぎてゆく。
艇の方向転換もこれといった支障はなく完了し、冷たくあしらい続けた成果か、フランも特に出しゃばってくることはなくなった。
結局、「役に立つ」などというのは建前なのだろう。フランの補助脳には〝会社〟の命令だけを守るような行動基準が仕込まれ、それに従ってウィリアムズを監視するためだけの存在に過ぎない。結論を固めきった、ちょうどその頃。
彼は複数の意味で「そうではない」ことを知る。
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