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「あたしに名前がないからって、怪人呼ばわりとはひどいですお客さま! これでも昔は人間の乙女だった身、せっかくだからもっとかわいい名前を所望いたします!」
口を開けばこれである。
このクソやかましいサイバネ娘が押しつけられた理由は、実際のところ、自分が〝会社〟の不利益になるような行動――たとえば脱走――を取らないよう監視するために違いない。そう読んだウィリアムズは、不機嫌さを格段に増した目で少女を一瞥した。
「今は法的にも生物学的にも人間じゃねえだろうが。分子レベルでいじくられた改造人間が、客に向かって『可愛い名前をくれ』だと? 黙ってろ、
子供相手に言い過ぎたかとも思ったが、すぐに自ら否定する。不要だと言ったのに押し付けられた荷物だ。優しくしてやる理由がどこにある? まして自分から職を奪おうとしているナノテクが、人間を生贄として生み出した怪物などに。
「ま、確かにあたしはもう人間じゃありませんけど……それにしたって、呼ぶ時にはなんか決まった名前がある方がいいと思いませんか? お客さまの毒舌ネームバリエーションにも、そのうちネタ切れという名の限界が来ますよ」
奇形呼ばわりがまるで応えていない。しかも、こちらの命令を完全に無視している。ウィリアムズは舌打ちした。
サイボーグが裏で取引の対象になっているのは、連邦の技術管制法群が禁じる「人間と同等の自律行動が可能なロボット」の代替品として、ただの人間よりも高性能な奴隷たり得るからだ。
知覚や思考をサポートするために脳内へ配線される、補助脳と呼ばれる光量子コンピュータ・デバイス。これを転用、神経系統の指令信号に介入することで、所有者の命令に絶対服従する人間を作ることができる。
もちろん連邦の技術管制法群は人間の奴隷化テクノロジーも禁じていたが、最大の禁忌であるAI技術に比べれば、その取り締まりは遥かに緩い。そもそも人権を部分剥奪された重犯罪者などは、国が公に身柄を売買している。
奴隷サイボーグを道具として渡すなら、そいつは当然ウィリアムズの命令を聞くようにプログラムされているべきである。しかしこれは、「黙っていろ」と言われても喋り続けている。欠陥品なのか、彼の命令を聞くようには設定されていないのか――いずれ、思い通りに使えない道具など役に立つわけがない。
とはいえ、名前ごときでいつまでもまとわり付かれてはたまらない。その懸念がウィリアムズを動かした。メインコンソールから星系内ネットワークに繋ぎ、悪意を気力の炉にくべながら、適当な女性名を検索する。
「利用者に対する礼儀がまるでなってねえ。俺をおちょくって楽しんでやがるのか? 勇ましいちびのフランケンシュタインめ……」
特に相手を傷つけようとか称揚しようとか、そういった明確な意図のもとに出た言葉ではない。単に口からこぼれただけの、ぼやきだった。
が、それを聞いた少女は不思議そうに目をぱちくりさせ、首をひねり、やがて一転して笑顔になって、「おぉ!」と手を叩いた。
「お客さまアレですね、メアリー・シェリーの小説に出てくる人造人間の名前が『フランケンシュタイン』だと思ってるクチですね? でも残念、それは怪物を作った学生の名前で――」
「こまけぇこたァいいんだよ! よォし決めた。てめえの名前はフランだ。フランケンシュタインを縮めて、フラン。文句ねえな」
詳細はどうあれ醜い怪物に由来しながら、女の名前としても通用する。思い付きにしては上出来だろう、とウィリアムズは毒のある笑いを噛み殺した。
「……フラン。あたしの名前」
己の名を復唱し、少女は黙った。それまでの喧しさが嘘のよう、何かを考えているふうに見える。やがてその顔に穏やかな微笑みが浮かび、黒い瞳がまっすぐ鉱夫の視線を吸い込んだ。
「いやー、皮肉てんこ盛りだけど、とってもいい名前です。ありがとうございます」
「ほおー、人間やめても皮肉を解する知能は残ってんだな」
「補助脳はついてますが、メインの脳は生身のままですからね」
露骨なあてこすりをものともせず、フランの表情がやる気あふれる笑顔に変じる。
「素敵な名前をくださったお客さまのためなら、このフラン、どんなお仕事でも任されます! なんなりとお申し付けください!」
「そうか。じゃあ機関室にでも引っ込んで、俺の前に顔を出すな。この仕事はもともと俺ひとりで十分だ」
「えーっ! ……まあ、いいでしょう。わかりました」
歯ぎしりする中年男は思う。こいつはなぜこんなに態度がでかいんだ? 強化のし過ぎで頭がおかしくなったのか?
「けど、あたしが必要になったらいつでも呼んでくださいね? 恋人にぃ、愛を囁くような声でぇ、フランって」
「呼ばん。てめえの無駄に多い手なんぞ借りる機会はねえ」
「そんなー」
渋々といった様子だったが、ようやくフランはコックピットから出て行った。ウィリアムズをひとり残したということは、カメラなど何らかの遠隔的な監視手段が彼の近くにあるのだろう。
その程度のことは気にもならなかった。フランが近くにいないことが肝要なのだ。
――本当に、とんだ荷物だ。
ウィリアムズは気を取り直すべく、自分の仕事に戻った。
船のコントロールシステムを点検し、全チェック項目を二度ずつ確認する。第一目的地までの航路を五種類のロジックで検算し直して安全を確かめる。諸々の調整を終えれば、あとはオートパイロットを起動するのみ。オートといっても、
自律制御に切り替わった艇が、再加速をかけるべく核融合ペレットを船体後部から放出する。相対距離が五十メートルになる頃を見計らって、自由電子レーザーが放たれ、爆弾に点火。急膨張する火球が船尾の緩衝板に受け止められ、ショックウェーブに乗ったソリチュード号が凄まじい加速を得た。
衝撃は、先だってサブスラスターを吹かしたときの比ではない。いまごろ機関室のフランは、壁にしこたま叩き付けられているだろうか。あえて船内カメラで確かめる気にもならない。
慣性のもたらす負荷が充分に弱まるのを待ち、ウィリアムズはリクライニング・シートごと身体を倒した。睡眠導入用のヘッドギアを引き寄せながら、気楽に行け、と自分に言い聞かせる。なんだかんだと言っても予定では、仕事を終えるまでに半年近くの時間を要するのだから。
それだけの間、あの狂ったサイボーグと個人艇に詰め込まれて過ごさねばならない。その苦労を改めて思い、ウィリアムズは己の正気が最後まで持つか、大いに不安を抱いた。
と、ヘッドギアにかけた右手がグロテスクに震え出す。同時に襲いくる、脈絡なく激しい苛立ち。
麻薬の禁断症状だ。
「ち……正気の心配は要らねえか」
毒づきながら彼が取り出したのは、黄金色の液体が入ったアンプルと注射銃。容器を銃にセットし、首筋に打ち込む。
効果はすぐに出始めた。
隠語で『ミード』と呼ばれるジオマグナイト麻薬は、まず使用者の五感を異常に鋭敏化させる。苛立ちが幻のように去り、ウィリアムズは天井の排気口を注視した。船内空気を浄化・循環させるプラズマタンブラーの淡い光。その振動が織りなす綾目。耳は回転する絶縁分離器の唸りを捉え、鼻はかすかなイオン臭を嗅ぎわける。肌を撫でていく微風は気体分子の衝突。これは酸素、あれは窒素――いまなら船内で起きている事象すべてを、量子レベルまで同時に知覚できるのではないかという気がしてくる。
次いで、自我の拡張――自分が人間の肉体を離れ、精神だけになって無限に拡がっていくようなイメージ。彼はもはやウィリアムズ・ウェストリバーエンドというひとりの人間ではなかった。ヒトなど遥かに超越した大いなる存在、宇宙そのものと一体になった完全なる生命。もうどこにあるのかもわからない脳髄の内側で、全能感が際限なく爆発する。
やがて精神が肉体に戻ってくるも、酩酊は続く。狭いコックピットで、鉱夫はわけもなく笑い転げた。自分を監視しているであろうフランの存在が、ふとノイズのように意識されたが、狂えるウィリアムズはその視線さえも歓迎する。
――見ているかサイボーグ。この俺の醜態を、存分に眺めて蔑むがいい。だが、おまえはこんな人間にすら劣る扱いしかしてもらえない。なぜならおまえは、もはや人ではないからだ――ウヒヒ、イヒ、ヒヒ。
妄想と幻覚にエスコートされ、ウィリアムズはヘッドギアの力を借りることなく、そのまま白痴的な夢を伴う眠りへと落ちていった。
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