無題4
鼻孔から脳天に突き抜ける甘美なその中に一筋の記録が蘇る。
オレンジ色の太陽。青青とした空。草の香りを纏った空気。小高い丘。木が一本もない広い草原。ぽつんと私が一人寝転んでいる。草たちは風の指揮に合わせてそっと小さな囁き声を歌う、そんな思い出。ほんのりと暖色がかった引き出しの中の写真。
其処へ、荒い吐息と共に足音が鳴る。私は寝転んだままである、それの正体が分かっているせいかあるいは逃げる気力が無かったのか。
その大きな体の大きな尻尾で風を激しく鳴らしながら舌をだらしなく垂らしている顔が私を覗いてきた。私はそいつの両頬に手を伸ばす。毛のしっとりとした感触、その者の中から感じ取れる確かな鼓動とあたたかさ。無邪気な笑顔に見える犬歯。それは、そのまま私の腹の中ほどに頭を置きぐっすりと眠ってしまう。腹にかかる一定の周期の負荷。苦ではない苦しさ、わが子を目に入れたような。
段々と黄ばみがかってくる思い出。損傷が酷いためなのか、細部がぼやけている。やがて見えなくなってしまう。暖色が濃くなって。真っ赤な橙に染まる。そこから戻ってくるのには時間がかからなかった。水彩のように滲む赤、黒色の現実。今まで見ていたものは赤黒く靄がかかってくる。
薬の効果は興奮が冷めぬうちにいつの間にかなくなっているものである。苦痛は興奮によって支配されている。しかし揚がっていた高揚は揚がる前よりも堕ちるものであった。
ハッ、と目を醒ます。ぼんやりと焦点が合わない眼で、前を見る前に。
手に渡る冷たい感触。手が握られている、病的なまでの白く細い手で、取り込まんとするばかりに。
急いで放そうとする。離れない。引きずり込まれる。口の中一杯に苦い味が広がる。不味い。おぼつかない足取り。まだ理解しきれていない鈍感な頭で。
ブゥーン、ブゥーン、ブゥーン.......
鳴き声が消される十二時の鐘の声。ただ響く頓狂に、凄惨な舞台を背景にして。
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