13-21.ピアノリサイタル

 今日はSスタジオで、ついに伊織のピアノ無料リサイタルだ。

 昨日の夜、ピアノがあった部屋の機材を倉庫に移動させて、簡易ピアノリサイタル会場を作った。と言っても、グランドピアノを部屋の奥に移動させ、パイプ椅子を並べた程度だ。

 パイプ椅子の数は二〇個ほど。あとは、立ち見になるが、詰め込めば四〇人くらいは入るだろうか。

 まあ、実際何人くるかわからないし、二〇人くらい来れば御の字……と思っていたところ、Sスタジオに行ってみると、五〇人程度の人間が集まっていた。

 集まっていたのは、老若男女さまざまだ。子連れの親子から、大学生風のカップル、おじさんおばさんにじいさんばあさん、本当に多種多様な老若男女が集まっている。

 知り合いだと、神崎君と双葉さんと眞下、あとはうちの両親もいる。マスターは、休日の昼は仕事を休めないといって、来れなかった。中にはUnlucky Divaの客も五人ほどいるが、このあたりは信がこっそり営業をかけていたのだろう。

 オマケにチェキ販売だなんて事をやるらしい。ツーショットチェキ一枚千円だそうだ。売れたら伊織に七百円、信に三百円という分配らしい。

 伊織が構わないと言ったから俺も承諾したが、なんだかそういうアイドルみたいな事を伊織にやらせたくないな、と思っていた。

 スタジオの中では、茶菓子とお茶がそれぞれ配布される。茶菓子とお茶はかなりの量を頂いたので、基本的に食べ放題飲み放題だ。スタジオのロビーに茶菓子とお茶の出店スペースも作ってあげたので、スポンサー企業はこれまた喜んでくれた。このあたりは親父の入れ知恵だ。

 パイプ椅子は年配の人や子供連れを優先させて、他は立ち見。それでもかなりぎゅーぎゅー詰めで、信が奥のほうまで誘導して、それでなんとかスタジオ内に収まった。


「このお部屋、いい匂いがする!」

「これ、お香?」


 神崎君と双葉さんがスタジオの中に入ると、それぞれそんな言葉を漏らしていた。


「よく気付いたな。正解」


 そうなのだ。実は演出も兼ねて、スタジオの中にリラックスできるような、インドのお香をうっすらと焚いている。あまり強くなりすぎないように、本当にうっすら香る程度だ。というか、今朝にたくさん焚いておいてもらって、その残り香が残るようにしている。


「麻生君、演出もやってるの?」

「そんな大それたもんじゃないさ。スタジオってなんか独特の匂いあるだろ? それが、一般人には受けないと思ってさ」

「なるほど……」

「他のスタジオならできないけど、楽器も全部移動させてるし、今日一日だけなら平気って店長も言ってくれたから」

「ほええ……麻生さん、すごい」

「やっぱり社長みたいだね」


 双葉さんと神崎君がそれぞれ感心していた。

 俺の思いつきをこうして褒めてもらえるのは、本当に嬉しい。


「うーん、にしても、もっと大きなとこでやればよかったのに。これじゃあんまり伊織が見えないわよー」


 横にいた眞下が背伸びをして、不満を垂れる。立ち見客が予想以上に多いので、立ち位置によってはピアノが見えない。


「悪かったよ。こんなにくるって思ってなかったんだ」


 ちなみに、これでも人が減った。暇つぶしに寄ってみたけどこんなに人が多いならいいや、と帰ってしまった人も多い。ちなみに、すでに入場制限がかかっていて、入れなかった人もいる。学校のクラスの連中も何人か噂を聞いて駆けつけてくれたが、帰ってもらった。

 なんとか五〇人詰め込んだけど、実際は七〇人くらい集まっていたのだ。


「はは、ライブハウスでも七十人ってなかなか集まらないんだけどな。ちょっと複雑」

「そうだね……」


 俺の愚痴に神崎君が苦笑いで応えた。

 Unlucky Divaでライブをやっていた時、ライブハウス神楽のイベントに出演した二月と三月のライブでは、バンドが五〜六組出演して、せいぜい客入りは五〇〜六〇人だった(そのうちの二〇人くらいがうちの動員だった)。

 それがスタジオで無料、しかもお菓子とお茶つきというだけで、伊織ひとりで七〇人も集められてしまう。

 有料チケットでお金を取るのはもう時代遅れなんだろうなぁ、と俺は感じてしまうのだった。

 伊織はスタジオの事務所で着替えをして、こちらの入場案内の終了を待っている。とりあえず信から入場完了のLIMEが来たので、スタジオの照明を落として、ピンスポットをピアノに当てる。

 本来スタジオにピンスポットなんてないが、なぜか倉庫の中に照明機材もちらほらあって、今回はそれを使わせてもらっている。須田店長いわく、「いつか使うかなぁと思って買ったけど全くスタジオ運営に必要なかった」と言っていてずっこけたが(こんな金銭感覚だから運営困難に陥るのだ)、その無駄遣いが今は役立っているので、感謝する。

 それから間もなくして、水色の淡いドレスに身を包んだ伊織がスポットライトに照らされながら入場してきた。

 彼女が席に着くと、部屋の天井照明を少しだけ暗めに調整して、雰囲気を演出。スポットライトで伊織を強調させるよう、しかし眩しくなりすぎないようにうっすらと明るく照らした。

 このあたりも俺が考えた。ライブハウスの照明とまではいかないが、照明で雰囲気はかなり作れる。

 まずは伊織がお辞儀をしてから、マイクを取って、簡単な挨拶をした。


「えっと……今日はお集まり頂いてありがとうございます。本日ピアノを弾かせて頂きます、麻宮伊織です。まだ若輩者ですが、皆さんに演奏を楽しんで頂けるよう、練習してきました。演奏会の後は、楽器を自由に触れる試奏体験もありますので、ぜひ覗いてみてくださいね」


 言い終えてからもう一度彼女がお辞儀をすると、スタジオ内に拍手が起こった。

 座席に座って、ピアノの鍵盤にふわりと手を置く。まずは、ジブリの曲からだった。天空の城ラピュタの表題曲だ。大人から子供まで、だいたい知っている。

 原曲よりもスローテンポで、なおかつ高いキーでアレンジして、優しく切なげに弾いていた。心の一番柔らかい部分をぎゅっと締め付けられるような旋律に、会場が伊織に釘付けになった。

 そして、優しく切なげだったメロディが、ラストのサビに向かってどんどん激しく盛り上がっていく。ピアノの独奏なのに、まるで映画をみているかのような感覚に陥る。そして、アウトロでまた冒頭のような切ない旋律を奏でていた。

 一曲目が終わって、ピアノの残響が全て消え切ってから、ワンテンポ遅れて拍手が起こった。それほどまでに、聴衆は麻宮伊織の創る世界に惹き込まれていたのだ。


「麻宮、すげえ……」


 信が横で、そう漏らした。


「ええ、本当に……天才ですよ、彼女は」


 須田店長も、満足げに伊織を眺めている。


「凄い凄い、伊織さん凄いよ!」

「うん……ほんとに凄いよ。僕って、こんな凄い人と一緒にバンドやってたのか……」


 双葉さんと、神崎君も思い思いの感想を呟いていた。

 会場にいる人がこの一曲で、完全に心を掴まれた。惚けているか、隣の人と顔を見合わせ頷き合っている。普段うるさいはずの眞下だって、伊織を夢中で見つめているほどだ。

 そう、伊織のピアノは、本当に凄いのだ。人の感情を一気に掻っ攫っていく。こんな才能を寝かしておくのは惜しい。もっといろんな人に聴いてもらって、感動してもらいたい。俺はそんな気持ちになっていた。

 伊織はそこからジブリの名曲を数曲、メドレー形式でどんどん弾いていった。このアレンジの仕方はさすがだ。

 明るい楽曲では、お客さんが手拍子を始めるなど、もうそれはピアノリサイタルというより、ライブに近い。心を掴んでいる証拠だ。

 しかも、明るい曲では弾きながらお客さんとしっかりアイコンタクトを交わしている。今は最前列の小さな女の子が、伊織に釘付けだ。

 伊織は彼女の瞳をしっかり捉えながら、間違える事なく旋律を奏でていた。きっと、これはバンドでのライブ経験が活きているのだ。

 そこからは、有名映画の楽曲が続いた。『海の上のピアニスト』や『ニューシネマパラダイス』の楽曲を次々と奏でる。よくもまあこんなにたくさんの曲を覚えて、完成度を上げてきたものだ。

 コンクールで難曲を選んでいて、そっちの練習でも大変なはずなのに……と、思っていると、その次に彼女が弾き始めたのは、コンクールに弾く予定であるそのリストの『ため息』だった。

 優しい小々波のようでいて、音数がとても多い旋律がスタジオを満たしていく。

 数週間前に聴いたのとは比べものにならないくらい完成度が上がっていて、ほぼほぼノーミスのように思えた。伊織がどれだけ練習したのか、よくわかる。

 『ため息』を弾き終えると、伊織は一旦息を吐いて、マイクを再び手に取って、こちらに目配せしてくる。

 あれ、ここでなんか話す予定だったっけ? この後一曲やって終わりだったと思うのだけど。MCを挟むとは聞いていなかった。

 俺はミキサー(簡単に言うとマイクとマイクをスピーカーに通して音量を調整する機械)をいじって、伊織のマイクの音量を上げた。ピアノの演奏中にマイクが音を拾わないように、マイクはミュートしてあったのだ。

 そうして、彼女の言葉を待った。

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