13-18.腫れた左頬
保健室の先生にも、親にも、まあ怒られた。高三にもなって喧嘩とは何をやっているんだ、と耳にタコができるほど言われた。全く以て反論できないので、その説教は甘んじて受ける事にしている。
ちなみに、親や先生には、諸々の事情を伏せて、放課後学校帰りに歩いていたらそこらのよくわからないやつと喧嘩した、という事にしてある。学校帰りに喧嘩して保健室に行くなどと些か不自然な点もあるが、何とか誤魔化し切った。
伊織としては、学校はともかくうちの両親に嘘を吐くのは嫌だと言っていたが、これを正直に親に言ったところで、伊織にメリットがない。
むしろ、自分のせいで俺が怪我をして、なお且つ親がそれに対して怒っているとなれば、彼女はもっと責任を感じてしまうだろう。それなら、そんな事実はなかった事にしたほうが良い。
それに、彼女にとって、彰吾はもう他人だ。それならば『放課後学校帰りに歩いていたらそこらのよくわからないやつ』と喧嘩したという事にしても、構わないだろう。
ただ、俺がこの年になって意味もなく喧嘩をするとも思っていない両親は、伊織がいない時に「伊織ちゃん絡みか?」とこっそり訊いてきた。頷くと、「倒したか?」と親父が重ねて訊いてきたので、もう一度頷くと、「ならばOK」とバシッと背中をたたいて、満足そうに風呂場へといった。母さんは「喧嘩は高校生までにしておきなさい」と呆れていた。
一応「伊織には言うなよ」とは両親には伝えてあるが、こっそり訊いてくるあたり、そのあたりの心配も無用だと思っている。彼女がいつになくしょんぼりしているので、その理由も知りたかったのだろう。
うちの親はあんまり喧嘩とかにはうるさくない。『男たるもの喧嘩は強くあれ』というのが昔ヤンチャをしていた父の信条で、俺に格闘技を薦めてきたのもそういった経緯からだった。お陰様で、そこそこ強くなれたので、いざという時には助かっている。
大人になると、きっとこの武力が経済力だったり地位だったりに変わるのだろうが、それでもいざという時に手が出せる、というのは大きいと思うのだ。
いつどんな理不尽が襲ってくるかわからない。司法が介入できる余裕があるのであればそれに越した事ないが、緊急性が伴う場合は、自分で対処しなければならない。それに、本当に守りたいものを守るためには、やっぱり多少の腕っぷしも必要であると思うのだ。
例えば、今日。俺があの場で彰吾にボコボコにやられていたら、きっと惨めだったはずだ。本当の意味で彰吾をノックアウトしてしまったのは伊織なのだけれど、あのまま続けていても俺が負ける事はなかっただろう。
男にとってプライドや誇りは、時には命よりも大切な時があるのだ。
そんな事を考えながら、リビングでテレビを見つつ氷袋で左頬を押えていると、「大丈夫?」と伊織が訊いてきた。
「ああ、うん。大丈夫」
正直、口の中が切れているので、あまり話したくない。
夕食はせっかくのとんかつだったのに、ころもが傷に障って激痛を伴い、ろくに食べれたものじゃなかった。腹は減っているのに食えないというのは、結構なストレスだ。
「今日はお風呂浸かっちゃだめだよ?」
「わかってる、シャワーだけにするよ」
しかも、こうして口うるさく母さんや伊織にいろいろ言われる。
ちなみに、シャワー云々については散々母親に言われた。なんだか、母さんが二人いるみたいだ。いや、二人とも心配してくれているのだけども。
「明日には腫れ引くといいね」
「まあ、これだけ冷やしてれば腫れは大丈夫だろ」
実際、家に帰ってから鏡を見ると、思ったより腫れていて焦った。それからずっと冷やしていると、結構引いてきた。
今夜は寝るまでずっと冷やしっぱなしだ。
ちなみに、信からさっきLIMEが入っていて、彰吾の方は一旦は大丈夫との事だった。彰吾も理解はしているから、心配するなと麻宮に伝えておいてくれ、との伝言も預かっている。
一応伊織にもそのLIMEを見せておいたが、小さく頷いただけだった。
ちなみに、なぜあの時伊織と信があの場に現れたのかというと、眞下が彰吾からSスタ無料リサイタルの事を訊かれた事に関して、信に相談していたからだそうだ。彰吾からリサイタルについて訊かれて俺の発案だと答えたら、すごい形相をしていた、と。
その相談があった時から、何かあるかもしれないと信は踏んでいて、いつもより長く学校に残っていたそうだ。そこに、俺と彰吾が只ならぬ雰囲気で歩いているところを伊織が目撃して、信に慌てて連絡してあの場に現れた、という流れだ。
今回の一件も、友達に救われたなと思った。信や眞下が警戒してくれていなかったら、もっと泥沼化していたかもしれない。お互い数発殴られたくらいなら、安く済んだものだ。
ちなみに、伊織はすぐに喧嘩を止めようとしたのだが、信が伊織に敢えて俺たちのやり取りを見せたのだという。あいつらにはああいう機会が必要だった、麻宮もあいつらの本音を聞いてから判断しろ、と。
信は信で、密かにずっと俺たちの事を考えてくれていたのだ。これがあいつの望んだ結末かはわからないが、心の中で信に感謝した。
『とりあえず、お前も色々教えろよ? 大方察してはいるけどな』
信からこうLIMEが入っていたので、とりあえず中指を立てているペンギンのスタンプを送ってやった。
信にはおおよその事を話すという事で、伊織とも話がついている。さすがにもう今回の彰吾とのやり取りを聞かれた以上は誤魔化しようがない。
それに関しては伊織も、「私も、信君には話した方がいいかなって前から思ってたから」と言ってくれたので、助かった。
問題は眞下とかに話がいかないようにだが……このあたりは信に強く訴えかける必要がある。眞下の口の軽さは誰もが理解している。
「本当の事を言うと、もうみんなにも話していいと思ってるの」
伊織はこうも言っていた。
彼女自身、両親について話す事に抵抗はないらしい。ただ、それが原因で腫れもの扱いされたり、謝られたりするのが嫌なのだそうだ。空気的にも変になるだろうし、両親がいないから、という色眼鏡で見られる。それが耐え難いのだ。
彼女からすれば、もう両親の死についてはどうしようもない事で……彼女自身、もう受け入れる事ができている。ただ、その事実を話した時の周囲の反応が苦手で話したくないそうだ。
ちなみに、信に対しては俺から話す事になっている。
もしかすると、信は彰吾とも仲が良いので、ある程度の事は察しているのかもしれないし。
色々変わっていくのは仕方がない。
どこか寂しげにサッカーのニュースを見ている伊織の横顔を眺めながら、俺は小さく溜め息を吐いた。
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