番外編

彼女が全てを失ってから(伊織過去編)

 雨が降っていた。空は暗く、初夏とは思えないほど冷たい雨だった。

 棺が霊柩車に担ぎ込まれ、霊柩車から火葬場に運ばれた。火葬場は煙を立て、血肉あったものが灰と骨になって返ってきた。

 もはや人の形をしていないそれは、麻宮伊織の父親だった。

 伊織の父は、数日前に車の衝突事故であっけなく命を失った。飲酒運転の車と正面衝突して、即死だったそうだ。苦しみや痛みを味わずに済んだのであれば、それは彼にとって幸運だったのではないか……伊織はそんな事を考えながら、淡々と葬儀の一連の流れを眺めていた。

 三年前にも同じ光景を見た。その時は伊織の母親が病死した時だった。母の葬儀の時、彼女は泣き叫んでいた。涙が枯れ、声が出なくなるほど泣いた。

 だが、父の死を前にした時、彼女は泣けなかったのだ。泣くどころか、悲しいという感情すら消えていた。悲しいはずなのに、泣きたいはずなのに、どうして涙が流れないのか……それは彼女自身すらわからなかったのだ。

 喪主は祖父がやってくれていたので、伊織はただその光景を眺めているだけだった。

 たくさんの人が集まってくれていた。たくさんの人が彼女に声をかけてくれた。父と面識があった幼馴染の泉堂彰吾とその両親、父とは面識がなかったが、学校の友達も伊織を心配して来てくれていた。

 ただ伊織はそんな彼らに対して「ありがとう」と言うだけだった。

 その瞳から光は失われ、感情も失われ、ただ壊れたラジオのように、「来てくれてありがとう。私は大丈夫だから」と伝えていた。彼女としては本心でそう答えていたつもりだったのだが、誰しもが痛々しく憐れむような視線を向けてくる。

 どうしてみんなそんな顔をするのだろうかと、伊織は不思議でならなかった。悲しくなく、泣きもできないのだから、きっと自分は大丈夫なのだと、母が死んだ際に肉親の死には慣れたのだと、自分の感情には納得していた。

 納骨が済んでから、祖父母からは泊まっていけと言われたが、伊織は断った。翌日から学校があったし、家の整理もしなければならないからだ。先ほど、父方の祖父母と母方の祖父母が伊織をどちらが引き取るかという話をしていた。正直、伊織としてはどうでもよかった。関心を持てなかったのだ。母方の実家は山梨、父方の実家は京都の山奥──鞍馬──で、辛うじて今の大阪の高校に通えるのは父方の実家だった。だが、伊織が通っている高校は大阪府枚方市だ。鞍馬から枚方市まではとても遠い。

 山梨なんて縁もゆかりもない場所に転校するのは嫌だな、と彼女は思ったが、そう決まったのならそれでも良いと思っていた。

 両家の話し合いの末、学校が関西にあるという事を理由に、父方の祖父が面倒を見るという事で話がまとまっていた。伊織はその結論にただ頷いただけだった。彼女は、何も考えたくなかったのだ。

 葬儀からの帰りも人と話すのが面倒で、送迎を断って一人で大阪まで帰った。京阪電車の車窓から見る景色を見るのは好きだったはずだが、今の彼女は何も感じなかった。色があるのに色がない世界──それが麻宮伊織の瞳が映す世界となっていた。



(続きは書籍にて)

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伊織過去編は書籍版にて全編が読めます。彼女がこれからどうなり、そして何故東京に戻ろうと思い至ったか、という出来事などが描かれています。


https://kakuyomu.jp/users/kujyo_writer/news/1177354054921744675


もし気になって頂けましたら、書籍にて読んでみて下さいませ。


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